第28話・悪ぶるオトナたちの乾杯ゴッコ

 「おや、仁藤課長。難しい顔をしてどうされた」

 

 一部で伏魔殿だのラストダンジョンだの言われているが、平時は多少内装に金のかかっている程度の研究機関に過ぎない、嘉木之原学園経営研究所。

 その研究二課の入居しているオフィスで、課長の仁藤亜利がただでさえ笑顔の乏しい顔を殊更にしかつめらしく唸っているのを、その部下である佐方同徳は目ざとく見つけてからかうように声をかけた。


 「…ちょっとね。有能ではあるけれど加減を知らない部下の後始末に頭を悩ませていたところです」

 「それはいかんな。有能な部下が十全に力を発揮出来るようにするのが上司の務め。好きなようにやれ、とその有能な部下に伝えておくとしよう」

 「皮肉も通じないんですか、あなたには」

 「自覚があるのは悪いことではないと思うが?」


 苦り切った顔の亜利と、したり顔の同徳。当人同士がどう思っているのであれ、傍から見ればいいコンビだと言えた。


 「まあいいです。あなたの件とは無関係なのでお気になさらず」

 「そう言われると余計に興味が沸くな。どうかな?下で一杯やりながら。相談くらいならのろう」


 研究バカばかりの職場のこととて有名無実化しているが、一応は勤務時間というものは設定されている。午後五時を少し過ぎた時刻を示している、デスクの上の置き時計を亜利はチラリと見て、小さくため息をついた。


 「結構です。あなたに相談をしたなんて、他の人に知られたら示しがつきません」

 「それは心外だな。同じ職場に勤める者同士、たまに親交を深めるくらいのことで後ろ指指されることもあるまい」

 「ああ言えばこう言うその達者な口を閉ざす方法の研究でもしないといけませんね。とはいえ…」


 亜利は立ち上がるとデスクの引き出しに突っこんである社員証を引っ張り出して首にかける。


 「…行き詰まりを感じていたのも事実です。気に食わない相手でも解決の取っかかりが得られるなら、しばらく顔をつき合わせるのも吝かではありません。行きましょうか」

 「ほう、言ってみるものだ。折角だからこちらの話にもつき合ってもらえると幸いというものだが」

 「上司ですから。それはいくらでも」


 上司、の部分を強調するように言って先に歩き出した亜利の背中を、同徳はわざとらしく肩をすくめて見送ってから、自分も帰り支度をするために一度自分のデスクに向かうのだった。




 「…珍しく人が多いですね」

 「三課の方で大きいヤマが片付いたらしく。打ち上げみたいなものだろう。何にするかね?」


 二課の入っている棟の一階には、福利厚生の一環としてちょっとしたパブが設置されている。

 学校の体裁を整えている敷地内で酒を提供する店があるのもどうかという声は無くもないが、市街地から遠く離れた場所で、呑みにいくのもままならないのは面白くない、という意見も根強く、結局大っぴらにはしない代わりに半分黙認のような形で運営されていた。

 そしてアイリッシュパブを模した店内の、チェアのない立ち飲み用のカウンターで、二人は悪企みでもするように端の方を占領している。


 「ビールで。酔いが醒めやすいものを」

 「ふむ。では私は…バーボンをストレートで。ああ、チェイサーは結構」

 「アイリッシュパブでバーボンというのもどうなんですか?」

 「あるんだから構わんだろう。最近は寿司屋でもワインを置いてある店があると聞くしな」


 流石に寿司にワインは無いんじゃないかしら、と亜利は思ったが他人の趣味嗜好に要らぬ口出しをするつもりもない。黙って同徳の蘊蓄を聞き流す。

 二つの注文を受けて用意を始めるバーテンダーの手際は、こんな半端な施設に似合わず巧みで、この店の愛用者が絶えないのも無理が無いと思えるものだった。


 「それで、何を考えていらした?」


 亜利はそんな様子を眺めながら、乾杯もする前から仕事の話を始めようとする同徳の仕事熱心さ、というより研究に対する好奇心に似た熱意に辟易する。

 とはいえ、考えをまとめたらさっさと退散してしまいたいのも本音だ。

 向けられた水をこれ幸いとのみこんで、話を始める。


 「…私の方の研究についてはいくらかご存じ?」

 「ふむ、確か発達障害の児童の持つ適正を汲み上げる指導方法に関わるものと記憶していたが」

 「その対象となる子について、ですね。どうも、同級生にあまり嬉しくない仕打ちを受けているようで」

 「…いじめ、のようなものかと?」


 亜利の顔が歪む。

 同徳はしれっと言うが、言動が年齢に似合わず幼いくらいで、発達障害という例に当てはめる程ではない、と思うのだが、子供同士の間ではそんな事情は忖度されることはなく、変わった子が子供のコミュニティにおいて省かれるような仕打ちを受けていることを、そんな表現で済ませておきたくはなかった。

 ただしそんな本心を吐露しても話は進まない。面白くはなかったが、同徳の言を流して話を続ける。


 「まあ、端的に言ってしまえばそういうことでしょうね。それでその子が…知能テストにおいてはかなり、同年齢の子に比べて見るべき結果を残してるんです。まあ研究者としては見過ごせない状況…なんでしょうね、今のところ」

 「その子の受け持ちやらには?」

 「勿論手は伸ばしてます。中等部の子なので担任もなかなか目が届かないのがもどかしいですが…」

 「なるほど…」


 現状の提示が済むと、同徳も一人考え込むように黙った。

 それを折と見てか、バーテンダーが二人の注文をカウンターに並べる。

 亜利の前にはハーフパイントのグラス。当然、日本のビールのように冷やされてはいない。

 ショットグラスは同徳の前に置かれた。それを手に取り、やや気障ったらしい仕草で「乾杯」などと言ってからさっさと同徳は手に持ったグラスに口元を寄せ、満足そうに香りを愉しんでから、琥珀色の液体を口に含んだ。

 亜利も仕方なく、という風にグラスを持って口の中で、乾杯、と呟き、口に運んだ。

 ぬるいビールは味が濃く、ホップの苦みが胸中にある同じ味を思わせ、ビールじゃなくてエールにしておいた方がよかったか、などとつまらないことを思う。


 「…その子の詳細について私に知らせても構わない内容は、あるかね?」

 「え?」


 飲み物を黙って玩んでいると、同徳がふと思いついたように問うてくる。

 意表を突かれて聞き直す亜利だったが、同徳は構わず言葉を続けた。


 「私の方の話に少し、絡ませてもらえまいか?なに、悪いようにはしないと約束しよう」

 「…あなたの方の、というと例の学監管理部の面々?ウィアードリーグ、などという怪しげな愛称を付けて喜んでいる子たちに任せても大丈夫なのかしら」

 「彼女らはそんな不遜な振る舞いはせんよ。何にせよ、風向きを変えることは必要であろう。課長の研究にとっても、な」


 言ってる当人は不遜、というより不敵な顔つきでいる。

 亜利に不安は無いでも無かったが、同徳の言う通り、風を起こす必要は感じていないでもなかったから、くれぐれも余計な真似はしないように、と釘を刺すのを忘れず、神納未来理という対象の女生徒の名前と所属クラスの情報だけは、提供することにした。


 これが、三日前のことである。

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