3rd.Chapter その男、凶相につき
第27話・迷い込むには場所が悪い
嘉木之原学園の高等部の制服は、女子はブレザーで統一されているが、男子については学ランとブレザーのどちらを選んでも構わないことになっている…が、女子がブレザーということもあり、わざわざ学ランを選択する男子生徒がほとんどいないため、制服選択の自由といっても半ば形骸化してはいる。
がしかし三郎太はそんな中、選んで学ランを着ており、背の高さにその風貌と相まって恐ろしく目立っているのだったが、夏服の衣替えを迎えると、ブレザー勢と学ラン勢の違いなどズボンの僅かな色の差、になってしまうため、魁偉な着こなしで目立つことも、なくなる。
ちなみに三郎太が学ランを選んだ理由というのも単にブレザーが似合わないだけのことで、それも本人は特に気にせずブレザーを試着したところ、吾音が、
「…三の字、悪いこと言わないから学ランにしときなさい。なんてゆーか、学ランが圧勝してるから」
と言っていたのだが、何が圧勝してるのかはよく分からなかった。
あるいは似合う似合わないを端的に言わないで済むよう気を遣っただけなのかもしれないが、まあとにかく姉がああいうのだから、と、着るものに特に拘りもない三郎太としてはその言に従ったまま、高等部で二度目の夏の衣替えを迎えている。
「………静かだな」
いつものゲームブックを学監管理部室中央のテーブルに置き、パイプ椅子に腰掛けたまま開きっぱなしの入り口に目をやる。
夏至も近付くこの時期となれば、授業が終わってから課外活動を開始して一息つく頃であっても、夕方の気配は薄い。
その上、梅雨入り直前の、まだ湿度も低い風が部屋の中を通り抜ける様には、賑やかな上の二人がいないこともあって落ち着きを感じる。
吾音に次郎がどこへ何をしに行ったのか、というといつものことだ。
伊緒里をおちょくりに行くと言い出した吾音に次郎がくっついていっただけのことで、春先までと違うことがあるとしたら、次郎が困ったように曖昧に笑っていた場面で、伊緒里の立ち位置に二、三歩近くなったことだろう。
その場合、吾音は面白くなさそうにムキになるのか、それとも生暖かい視線でもって伊緒里と次郎を眺めるのか。
なんとなく後者の方ではないのか、などとも思うが、どちらにしても今の三郎太にはあまり関係のない話ではある。無事是平穏。まあ、平和なことだった。
そして、喉が渇いたと思い、立ち上がって給湯室に向かおうとした時だった。
「…………」
開きっぱなしの出入り口の扉の影から女の子が一人、半分顔をのぞかせている。
その存在に三郎太は当然気がついてはいた。
けれど、こういう場合三郎太のとる行動は、決まっている。
「さて、冷たいものでもあったかどうか…」
無視だった。
というか、無視に決まっている。
学監管理部、なる胡乱な団体に興味半分、怖いもの見たさ半分でそういう真似をする輩は多くは無いが、たまに紛れ込むことはある。
吾音であれば早速引きずり込んでコネを作るなり情報収集のネタにするなりするし、次郎であれば女の子なら親しく話しかけ、野郎ならそつなく応対して深入りする前にお帰り願う、というのが定番だ。
三郎太の場合は…まあ、三郎太一人でいる時にこういう事態になることが滅多に無いのだが、強面の大男が接遇したところで誰のためにもならない。
そう判断しての、気づかぬ振りなのだった。
「………」
ところが。
誰もいないことにしてやり過ごそうという三郎太の心遣いを無駄にするように、少女は給湯室から戻って再びテーブル上の本を手に取った三郎太を、相変わらず見ている。
放課後の廊下のこととて高等部生徒の往来はあるが、特殊教室の多い旧校舎であるから数そのものは多くは無い。
けれどその誰もが、管理部室の入り口に張り付いている少女を気に掛けるように、一度歩く速度を落としていく。
もっとも、関わり合いになりたくないという心情が勝るのだろう、結局は黙って、あるいは同行者との会話を再開して立ち去っていく。
そんな空気の中、しつこく自分に視線を注ぐ人影に流石に呆れかえって、声をかけようと再び本を置いた時だった。
「………あのっ」
幼い声だった。少なくとも高等部の生徒のようには思えない。
気づいていない振りも無理があるか、と首を巡らして入り口の方を見た。
「……あのあのっ、がっかんかんりぶの…うのさわさぶろーたセンパイ…ですか?」
見ると、背丈は吾音よりも更に低く見える人影が、扉の影から出て入り口を塞いでいた。
その声の印象からではなく、その身長からでもなく、着ている制服から中等部の生徒と見て取れる。
パイプ椅子に腕をかけて振り向いている三郎太と目が合う。
その途端、「ひぅ…」とか悲鳴じみた声が少女の口から洩れた。
「…いかにも、だが。何か用か、下級生」
いくらか傷つかないでもないが、いつものことだ。
鷹揚に、を装って三郎太は答える。
ところが。
それでも少女には十分刺激が強かったのか、目眩を起こしたようにふらふらとし始めた。
「おい。危ないぞ」
言うだけでなく、三郎太は立ち上がって支えようと近付くと、予想に反して少女はやっぱり覚束無い足取りではあるが、一歩、二歩と室内に入ってきて。
「……きゅう~」
と、咄嗟に伸ばした三郎太の腕の中に倒れ込んだのだった。
~~~~~
「……………」
「……………」
言い争うようにして帰ってきた姉と兄がその光景を見て示した反応というと、斯くの通りである。
「遅かったな。ちょうど困っていたところでな。姉さん、介抱を頼んでいいか?」
なんとなくその反応は予想出来たから、三郎太も当たり前のようにそう言ったのだが。
「………おい、三郎太。お前どんなに悪人面でもやっていいことと悪いことの区別は当然ついていると思っていたんだけどよ…いきなり誘拐ってのは初っぱなから難易度高すぎねーか?!」
「んなわけねーでしょうがこのアホ!そんな真似する弟は一人でじゅーぶんよ、ひとりで!」
普段お前は俺のことをどう見ているのだ、という文句は姉が代わってくれたので、三郎太は並べたパイプ椅子に横たわっている少女に、下敷きをあおって風を送ることを続けた。
「いやそんなことゆーてもよ、三郎太が寝ているちっさい女の子を前にしているのを見て心配するっちゅーのは、家族としては当然というもんじゃね?」
「あんたと三郎太を一緒にすんなっつーの。まあいいわ。三郎太、その子どしたの?」
言いながらも吾音は腕まくりをしながら近づき、代わるわ、と言って三郎太と位置を交代する。
「それにしてもこの子どーして気絶してるの?あ、三郎太、扇ぐの続けといて。次郎はタオル濡らして持ってきてよ。こないだ洗濯したの持ってきておいたでしょ」
「知らん。突然やってきて俺が誰か確認したら急に倒れた」
「…うーん、三郎太の顔見て気絶した、ってのも流石に大げさな気がするけど。頭とかは打ってない?」
「それは問題ない。倒れる寸前で支えたからな」
「ふむん。じゃあなんで目を覚まさないんだろ………あ」
「姉貴ー、タオル持ってきたぜ」
吾音と三郎太のやりとりの間に濡れタオルを持ってきた次郎が、黙りこんだ吾音にそれを手渡す。
なんなん?、さあな、という弟二人の目線の会話を背中に、少女の顔を横から注意深く見ていた吾音は、
「てい」
「ひきゃぁっ?!」
受け取った冷たいタオルを少女の顔に遠慮なく貼り付けると、少女はビックリしてか勢い良く起き上がる。
そして上半身と腰から下が、きっちり九十度を描いた角度で静止すると、ギギギと音でも立てそうな挙動で首を回し、隣でニッコリしていた吾音を見た。
「おはよう。狸寝入りは気持ち良かった?」
「はははいいっ?!なんのことですかぁ?寝たふりなんかしてませんよっ?!」
「いやだって、目蓋はぴくぴくしてるわ喉はしょっちゅう動いてつば呑み込んでいるわで、ちょっと見てればすぐ分かるじゃん」
「はふぅ…」
後ろで三郎太が居心地悪そうにしていた。
とはいえそれは、意識のない少女をじろじろと見ていなかったことによるので、エチケットとしてはまあ合格だと後で褒めてやる決心はする吾音なのだった。
「それでおじょーちゃんはどこのどなた?見たところ中等部の制服を着た初等部の生徒、ってところだけど」
「それどーゆー意味ですかぁっ?!」
そして目が覚めると同時に煽り始める。
ここで簡単に激昂してしまう辺り、吾音にとっては扱いやすいと言えるのだが、この場合本気でかわいがってるだけだろうなあ、と次郎はぼんやり思っていた。
というのも。
「…怒らない怒らない。こんだけ可愛い子はにこにこしてた方がいーよ?ほら、にこっ、って」
「に…に、にこっ?」
「Excellent! How cute girl,you're!」
「…え、ええと…ゆ、ゆーきゅーと、とぅー?」
「ふふふ、どういたしまして」
と、それはもう、照れ隠しに発音だけはいっちょまえな英語なんぞで褒めそやしているからだった。
けれども、それでなんとなく相手の警戒感を取っ払ってしまう辺りは、三郎太はもちろん次郎もそうそう真似出来ることではなく、相手の懐に入り込む上手さについては舌を巻く他ないのだったりする。
「さてと。起き上がれる?」
「あ、はい、だいじょーぶです。よいしょ」
そしてパイプ椅子から飛び降りる少女。
立ってみると、やはり吾音よりも背が低い…といって、吾音が高校二年としてはとびきり背が低いだけであり、年齢を考えてみれば別に不自然なことでもなんでもない、ハズなのだが。
「…確か中学一年の女子でも平均身長って百五十は超えていたような」
「ということはこの娘、小学生か?」
「そしてそれより僅かに背が高いだけのうちの姉といったら…」
「次郎、三郎太。後で折檻ね」
少女の手前、険しい空気は作れなかったが、満面の笑みを保ちつつ背中から殺気を匂わせるだけで、弟二人を黙らせる吾音である。
それはともかく。
「…で、中等部のコ?あ、わたしは鵜ノ澤吾音。高等部の二年よ。あなたは?」
「あ、えと、
「そう。遠くまでよーこそ。そこのへんなお兄さんたちは…」
「あ、しってます。うのさわさぶろーたセンパイと…あと知らないひとです」
かくっ。
思わず膝から折れるように脱力する次郎。三郎太は少しばかり得意げであったが、続く吾音の一言で次郎と同じ状態になる。
「…それは知ってるとはいわないわね。怖い方が鵜ノ澤三郎太、しみったれてる方が鵜ノ澤次郎。覚えた?テストには出ないからわたしの名前だけ覚えていってね」
「はいっ!」
「ん、元気がよくて結構」
「俺らの扱い酷すぎね?」
「むぅ…」
まあ吾音に言わせておく限り、こんなものだろう。
三郎太はあまり興味無さそうであるので、代わって次郎が迷子?の少女を観察している。
見たところ確かに、小柄ではあるが中等部…の一年生という自称には無理は無いと思う。少なくとも百四十四センチの高校二年生よりは無理は無いだろう。
そしてその見た目の通りに…なんとも話し方は稚い。この点に限れば、中学一年生という自称に疑問が生じる。
(ただなんか…小学生、ってのとも違うんだよなあ)
そう、小学生にしてはやけに自制が利いているように、見える。
吾音の言うことにいちいち片手をあげて元気よく返事をしている様は確かに、こーこーせーのおねえさんの言うことを素直にきくいい子、の趣があるが、どうも次郎の見たところ、そういう他から制せられた結果としての素直さ、というよりは自発的にそうしているように見えなくもないのだ。
そこが子供っぽさとはかけ離れていて、見た目と振る舞いは小学生、けれどその芯にある行動基準だけは中学生並…という妙な印象を抱くことになっている。
「そかそか。そこの三郎太おにいさんに会いに来たのね?」
「はい、そーです。未来理はさぶろーたセンパイにおねがいしたいことが、ありました」
「うん。あ、ちょっと待っててね、ミクリちゃん。三の字ー。ちょっとー」
そんなことを考えていたら、また風向きが妙なことになっている。
次郎と三郎太は、二人からやや距離をとっていたのだが、ふと見ると少女-確かカノウミクリ、といったが-を一人置いて吾音がこちらへ向かってくる。それも、モーレツな速度で。
そして満面の怒気をその笑顔に湛えてこちらに向かってくる姉を迎え撃つのは…大概は次郎の役割だったのだが今回に限って吾音は三郎太の方に一直線。
そして眼前に立つと、下の方からワイシャツの襟首を掴んで引きずり下ろして首を抱えると、三郎太の耳元に口を近づけ言う。
「…三の字。ナニヲシタ」
「…姉さん。誤解があるようだが、俺は何も後ろめたいことはしてないぞ?」
「自分に後ろめたいことが無いままに事態の悪化を見るなんてこたぁ、しょっちゅうなのよ。いいからあの子と関わりがありそーなことあったら思い出せ。一つ残らず」
「と言ってもな」
未来理の方に聞こえないよう、声を潜めながらの会話である。
その分余計に、ドスを利かせたよーな調子になるため、三郎太は普段にない調子の吾音に若干怯えながら、訪れているというか三郎太をいろいろ引っかき回し中の下級生との接点を、割と必死に思い出そうとする。
…のだが。
「…姉さん、済まん。何一つ心当たりがない」
「………ホントに?」
「本当に。なんなら姉さんの指定するものに誓ってもいい」
「んなことまで要求したりしないわよ。となると、本人と話する他ないわけかー」
意外とあっさり、吾音は三郎太の弁解を聞き入れた。
というか次郎に三郎太が自分に嘘をついているかどうかなんかひと目で分かる、と普段豪語するだけのことはある。
そしてその本人、はこちらを見て何やら小首傾げた様子でいる。
時間稼ぎのつもりか、すぐ隣で次郎がご機嫌をとるかのようになんやかんや話しかけていたが、一切無視されていたのが憐れだった。
「…まーいっか。ミクリちゃん?えーと、三郎太の方に何か用事あったみたいだけど。どうしたの?」
「……あ、そー、そうでした…未来理は、うのさわさぶろーたセンパイにあって、そのー…」
「うん?」
応対していたのが吾音だったためか、なんとも物怖じしない様子だった未来理が、三郎太に自分で相対する姿勢になると声も小さく絞られ、ひどく頼りない様子になる。
それは目の前の三郎太を怖がっている…だけには見えず、いや実のところ、一種のショック療法だかなんだか分からないが、この部屋に入ってきた時のように三郎太をも考え込ませるような怯え方とは違っていて、
「そのー、センパイのメガネを取ってこい、って言われてきましたぁ…」
もっと根の深いもののように、三人は思えるのだった。
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