閑話窮題
鵜ノ澤吾音は伸ばしたい
鵜ノ澤吾音は背が低い。
公称では「四捨五入すればいちてんごめーとる」などと嘯いているが、実際は四捨五入すると百四十センチであったりする。
些細なこと、などと余人が言うのは、いかにそれが当人にとって深刻なことか、正しく解していないが故の妄言である。
そして普段は気にも掛けない風を装ってはいるが、その実結構気にしていたりもする。
どのくらい気にしているかというと、あるとき伊緒里に、
「あなたたち姉弟って、身長と態度の大きさが反比例してるのね。見事なくらいに」
と言われ、ガチの半泣きで食ってかかった程だった。
なお、流石に気の毒に思った伊緒里はその後そのネタを持ち出さないように注意しているが、吾音の方はまた相変わらず全力でおちょくりにかかっている辺り、恩知らずも甚だしいのだがそれはさておき。
~~~~~
「うーん…」
日曜の真っ昼間に出かけもせず、吾音は自宅の居間で一人うなっていた。
腕組みをして目の前の、ちゃぶ台に置かれた印刷物を前に難しい顔をしている様子には、本人は深刻なつもりでもどこかほほえましい雰囲気があって、通りがかった三郎太など滅多に無いほんわかした笑みを浮かべてそのままスルーしたものである。
そしてそんな鵜ノ澤家長女に声をかけたのは。
「…なんじゃい、吾音。えらく難しい顔してどうした」
「あー、じーちゃん。珍しいね、日曜に家にいるなんて」
実際休日となると夫婦揃って出かけてばかりいる祖父、東悟だった。
「んな錆びた鉄砲玉のようにいわんでくれんかの。どら…」
「あーーーっ?!」
と、吾音の向かいに座ると同時に、その睨み付けていたA4サイズの紙片を取り上げる。
「やかましいわい。見られたくないのなら机の裏にでも隠しておかんかい…って、なんじゃ、健康診断の結果通知?見られて困るようなもんじゃなかろうが」
「…じーちゃんにだけは特に見られたくなかったんだけど……」
「いや、健康そのもので結構なことじゃろ。困るようなところはなんも無かろうに」
東悟は手に持ったペラペラの紙を表から見てひっくり返し、裏も見て感心したように言う。
視力聴力問題なし。特に視力など左右ともに一・五。今どきの高校生としては立派なものである。
骨格も異常なく、多少痩せ気味ではあるが健康に害が及ぶ心配皆無。
身体測定の結果も併せて知らせてあるが、飛び抜けて運動能力が優れているという数値ではないものの満遍なく平均を超えていて、部活動などやってない割には立派なものだろう。
面白みは無いが、文句の付けどころない内容だったとは、言える。
「…で、何をそんなに唸っとった?」
「分かってて言ってんでしょ」
「さて?いささか発育が悪いのう、とは思ったが」
「それよそれ!どーーーして!身長だけが!へーきんを大幅に下回ってるっての、よっ?!」
「いや、儂にどーしてとか言われても」
高校二年生女子の平均身長は、おおむね百五十八センチと言われる。
鵜ノ澤吾音、現在百四十四センチ。平均からマイナス十四センチ。
立派な低身長なのだった。
「この世に生を受けて十六年…容姿才能において全て群を抜いているわたしが…どーして身長だけは平均を大幅に下回るという責めを負わねばならないのか…神はふこーへーだー…」
「それだけ言えれば大したモンだと思うがの」
そんだけ恵まれてれば神だって身長で帳尻合わせしたくもなるだろうて、とは優しい祖父は言わず、ほれ、と熱い上に充分渋い茶の入った湯飲みを吾音に渡す。
吾音は、ありがとー、と突っ伏したままそれを受け取り、湯飲みの熱さに辟易はしたがすぐにそれを口にして「あちち」と舌を出す。
猫舌が欠点に数えられるというのなら、それも帳尻合わせの一環かもしれなかった。
「それで健康診断の結果を眺めて世を
「んー、それだけじゃないんだけどさ」
「ほう?」
興味深そうに目を細める祖父。
齢七十に届こうかという割に力強い眼光は、流石に嘉木之原学園という異端な学園組織の理事を務めるだけのことはあると言えた。
そんな古強者の視線に晒されて動じもしない吾音の神経の太さも大概なのだろうが、言い出した内容となるとおよそそんな緊迫感とは縁遠いものになる。
「わたしさ、両隣に次郎と三郎太を並べると、一人だけ谷になんのよね」
「まあ三郎太がアホみたいにデカイせいもあるがの。それでどうした」
「三つ子で産まれてきたというのに、この差は一体なんなの、って思っちゃったわけよ。もしかしてわたしの分も二人に取られたと思うと腹が立ってもしょーがないんじゃないかな」
「…のう、吾音。お前さん、発想の飛躍と言えば長所のように聞こえるが、発言が突飛というのは明らかに欠点だと思うんだがの」
「アホなことをいいおって、みたいに言わないで欲しいなあ、じーちゃん。わたしにとっては結構切実な問題なんだけど。あの二人の間にいると威厳ってもんが欠けまくるんだもん」
「威圧感だけは相乗効果で溢れかえっとる気もするがなあ」
「その場合でもさ、わたしが真ん中にいるだけでいきなり緊張感削げるとか言われるんだもん。せめて次郎のマイナス三センチくらいは欲しいわけよ。あーもー、三郎太から十センチくらい分けてもらおうかな」
「アホなことを言うでない。出来るならとっくにやっておるじゃろうが」
「それもそうか」
良い感じで冷めてきた渋茶を吾音はすする。
出産時のことを東悟は思い出す。
先に出てきた次郎、三郎太は後々のスクスクっぷりに似合わずごく当たり前のサイズで出てきていたが、それから大分遅れて生まれてきた吾音においては、未熟児一歩手前の状態だった。
そう思うと、母のお腹の中で上の二人に圧迫されていた、というのもあながち的外れな感想というわけでもないのだが、かといってそれを改めて口にしても誰が得をするわけでもなく、それ以前に今を見れば信じられるわけも無さそうなのだった。
「…しかし吾音よ、お前さんそんなに身長が高くなって何をしたいというのかね。別に不便しとるようには見えんのだがの」
片頬杖ついて取り返した通知書を眺めながらまだ唸ってる孫を、憐れみとならぬよう注意深く見やりながら東悟は尋ねる。
「別に何をしたいってわけじゃないんだけどさ。次郎と三郎太に比して姉の貫禄ってーものがね」
「あいつら別にお前さんを軽んじていたりはせんじゃろが。むしろよう立てとるだろ」
「そりゃーわたしだってそう思ってるけどさ。でも世間の目ってものがねー。最近、特に次郎が目立つもんだから、わたしの弟じゃなくってわたしがあいつらの姉、って立場で見られんのよ」
「別にそれで何が困るのかよく分からんが………っと、おおそうかそうか、自治会長の嬢ちゃんがおったな、確か阿方といった。最近次郎の奴と懇ろだと聞いたが、その嬢ちゃんに簡単に扱われて面白うものでない、というたところか」
「ちげーわよ!なんでそこで伊緒里が出てくんのよ!」
膝立ちになって祖父をどやす吾音。
しかし否定はしているが、顔が真っ赤になって吼えてる上に名前までだしてしまっては、如何に学内で「燃える赤」なる異名をとる傍若無人の吾音でも、海千山千の学園理事を向こうにまわして格好のつくハズも無いのだった。
そして図星でもある。
最近次郎といい感じになっている伊緒里は、以前のように吾音に簡単に突っかかるようなこともなく、吾音が挑発しても余裕たっぷりにいなすようになっている。
吾音としては弟の人間関係に生じた変化は歓迎出来ても、ケンカ相手まで取り上げられてしまったようでいたく複雑な心境だった、というわけだ。
「…そんなんじゃないもん。別に伊緒里が誰と仲良くなろーがわたしになんか関係ないじゃん……」
逆上せ上がった頭はすぐに冷えたようだが、それで却ってシュンとしてしまっては、反動にしても不憫ではある。
「…お前さんは対等にケンカ出来る友達も少ないからの。ちっとは弟離れしてみてもいいんでないかのう」
「……別にそんなんじゃ、ないもん」
ちゃぶ台に突っ伏して顔を見られないようにそうぼやく姿は、東悟には年齢と身丈相応の可愛い孫そのものだった。
~~~~~
…というような話があったことを、次郎と三郎太は帰宅後に東悟に聞かされた。
まあ結論から述べれば、吾音がそういう状態だから思うところがあればちったぁ自重しろ、ということである。主に次郎が。
「んなこと言うても姉貴の背が低いのは俺らのせいじゃねーし」
「だな」
普段吾音の理不尽に散々振り回される身としては、思春期女子の体の悩みにまで付き合わされてたまるか、というところなのだろうが。
「おいおい次郎よぉ、いい人が見つかったからといって家族をほったらかしにする、ってぇのもえらく了見が狭かないかい。お姉ちゃん今日は手持ち無沙汰で一日中暇しとったがな」
「聞き捨てならねえな、じーちゃんよ。別にいい人なんかいねーっての」
へらへらと答える次郎を見て、三郎太は聞く。
「…そうなのか?ちなみに今日は誰と何処へ出かけていたのか、教えてもらえまいか?」
「…黙秘します」
そういうことである。
デート、などと言うと当人たちはムキになって否定するが、高校生の男女が二人で出かけていれば、そういう見方をされても当然だろう。
「なに、男たるもの外でおなごの一人や二人引っかけて多少火傷するくらい一向に構わん。が、まあお前らの『妹』が塞ぎこんでおるのだからしてな、ちっとばかり気を遣ってやれ。それだけよ」
「へいへい。こーいう時だけ姉貴を一番下扱いすんだからずっけえよなー」
「平素よりそのような心がけでいればいいだけのこと。構わんよ、俺は」
そんな感じであったり、する。
~~~~~
次郎の場合。
「姉貴ー、また身長伸びなかったんだって?」
「出て行けバカヤローっっっ!!」
~~~~~
「次郎、お前バカか?バカなのか?」
「
「ノックもせんと部屋に入るなり第一声があれでは、ケンカ売るを通り越して自殺行為だろうが」
「
それでいきなり逆鱗に触れて戻ってきたのが豪速のペン立てである。
中身が混ざってたらケガどころではなかったことだろう。鼻先に衝突して涙が止まらないくらいで済んだのが今日一番のラッキーだった。
「まったく、我が兄ながら不甲斐ない。見てろ、姉さんの扱いなら俺の方が上だということを分からせてやるさ」
~~~~~
三郎太の場合。
「姉さん。話があるが、構わないか?」
「………次郎といいあんたといい、今日は一体なんなの?」
当然機嫌の直っていない吾音。
その相手をするとなると、難易度は一桁上がるのだが。
「いやなに、大した話ではない。身長の足りないことなど気に掛けることはない…姉さんの…」
その瞬間、時間が止まったような空気を感じたのは吾音一人だけで、肝心な時に鈍いところのある、というか自身への危難を深刻に捉えない三郎太は、違和感を覚えつつもそのサインを見逃した。
結果。
「出て行けアホんだらーーーっっっ!!!」
~~~~~
「お前実はアホだろ」
「…こんなはずでは」
そもそも直前に次郎に煽られた上に、吾音の不興の少なくない部分が三郎太の長身にあったのだから、この話題をこのタイミングで振るのが最悪手なのは知れたことなのだ。
顔を見ただけで追い出されなかったのが慈悲というもので、この際手元にあった広辞苑ではなく英和辞典を投げつけられただけまだラッキーだったのだろう。
「しかし、お前何を言うつもりだったん」
「何と言われても。姉さんの魅力は身長などではなく、その人を人とも思わぬ傲岸不遜と人を食った大きな態度なのだから、健康診断の結果など気にするな、と」
「…最後まで言ってたら今週いっぱいは生きた心地しなかっただろーな。むしろ全部言わせなかったのが姉貴の優しさっつーもんだわ……」
「うーむ」
実に似たもの兄弟なのだった。
~~~~~
『それでどうして私に愚痴るのか理解不能なのだけど』
「うっさいわねー。どーせうちの弟としやわせに浸ってたんだから少しくらいこっちの気分晴らしにつきあなさいよ」
『…人が聞いたら誤解するようなこと言わないでくれる?私は単に買い物に付き合ってもらっただけなんだけど』
「飾りっ気のないあんたがねー、アクセ買いに行くのにわざわざ次郎連れ出すのなんて、魂胆見えすぎて白々しいってのよ」
『なんで知ってるのよっ?!』
夕食の後、腹立ちの収まらない吾音は、弟二人と一悶着したあと、最近機会が増えた伊緒里との電話に興じていた。というか、むかっ腹の解消にひとつおちょくっておこうという腹づもりだった。
「ん?何かムカつくこと言われたから次郎をぼてくりこかして白状させた」
『…あなたね……そろそろ愛想尽かされたって知らないわよ』
あの兄弟に限ってそんなことあり得ないと知りつつも、そう言わずにおれない伊緒里だった。
だが吾音の反応といえば。
「うーん…まあそれならそれで一向に構わないんだけどね」
といったもので、伊緒里としても、返す言葉の選択に困らないでも無い。
あるいは、吾音本人が知らない、姉弟の秘密というやつに触れた伊緒里には、吾音の言葉にも頷けるものが無くはないからかもしれない。
けれど、と、ふと思う。
あるいは吾音もそのことを知っている…確信はなくとも薄々感づいている、ということはないのだろうか?
そう知っていればこそ、尚更に二人に対して長姉たらんとして、背丈のことが引っかかるのじゃあないのか。
そう思うといくらかはいじましくもなるもので。
『…とりあえず吾音?一つ聞かせて欲しいんだけど』
「なによ」
『あなた、背が伸びたら何がしたいの?』
「なにって…」
『身長が高いとか低いとか、気にしてるのは分かるけど、それで人の価値が決まるわけでもないじゃない。それともバスケットやバレーの選手でも目指す?』
「………」
何がしたいのか、と言われても。
それはまあ、吾音とて一応仮にも年頃の女子である。着飾るにも背丈があれば工夫の幅は広がるし、異性のことが気になるのであれば…まあ、自分のような小さい女の子が好み、というよーな男の子と親しくお付き合いしたいか、となると考えものではあるが。
けれどそんな一般的な理由からで、とは常識通りの女子高生とは言い難い身としては似合う主張のはずもなく。
「…別に背が高かったらアレしたいとかコレしたいとかゆーのは無いんだけどさ」
『うん』
スマホの向こうにいる伊緒里の声が、今日はやけに優しいのが、少々ムカつく。
「…将来義理の妹になるコより背が低い、ってのも面白くないワケ」
だから洩れかけた本音を呑み込み、思いっきり人の悪いことを言ってはみたけれど。
『義理の妹ねー…』
「…伊緒里?」
予想と違う反応にちょっと戸惑い、仕掛けが不発だったことに何故かホッとしている自分がちょっと不思議で。
『ま、いいわ。今日は眠くなるまでつき合うわよ。飲み物持ってくるからちょっと待ってて』
「い、伊緒里?…あんたなんか今日ヘン…やっぱり次郎と何か……って、聞いちゃいないか」
通話を繋げたままで部屋を出ていく音を耳元で聞きながら、自分も何か持ち込むか、どうせ長くなるから三郎太に煎れさせた、思いっきり熱くて渋いお茶でもさ、と思う。
「…言えるわけないかー。わたしがしっかりしないと、あいつらいつまでも姉離れ出来ないから、なんてさー」
察しのいい伊緒里にどこまで隠し通せるか。
あまり自信の無いことではあったが、それ以上にあの腐れ縁と話が出来ることが、今は楽しくてならない吾音なのだった。
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