第19話・認識に差の大きい距離感

 「…胃が痛くなるくらいならさっさと白状したらいいんじゃないの?」

 「ほっといてくれ。男の意地ってもんがあんだよ、これでも」


 結局セッションは不調…というか、吾音が想定外の行動をとりまくって次郎のゲームマスターとしての処理能力を超えてしまったため、お流れになった。もっとも次郎がGMを務める場合はよくある話だったが。


 吾音はとにかく無茶なシナリオを書く割にどんな展開でも脅威の適応力で何故かプレイヤーを最終的に納得させる謎の説得力があるし、三郎太は逆に上から下までカッチリしたシナリオを用意する上に目力の威圧感でプレイヤーに勝手をさせないし。

 ゲームとして見た場合は吾音がGMを務めた方が面白いのだろうが、ただし三人がやっているのは学内の過去の出来事を題材にした、事件の回顧みたいなものである。なので、次郎のように適度な自由度があって、かつ常識的な人間の一般的な行動規範を外さないプレーの方が適しているのだ。


 「それにしても、こないだ行った時にサイコロが転がってたから何をしてるのかと思ったら…そんなことしてたのね」


 腹を押さえてへたり込んでいる次郎を他所に、何故か上機嫌な伊緒里は帰り道を次郎と並んで歩くことを当たり前のようにしていた。

 (なんでこうもニッコニコしてんのかね、このコは…)

 次郎の胃痛の原因というのは、セッションが失敗に終わった後の吾音の一言が切っ掛けである。


 『あんた、何を抱え込んでるのか知らないけど、手遅れにならないうちに相談しなさいよね』


 …と。

 考えてみたら、吾音の事情、伊緒里の抱える問題。それら全てを知っているのは自分だけなのだ。いや、三郎太もどうにか共犯者に巻き込んではいるが、三郎太はどちらの件にも積極的に関わろうとしているわけではない。

 もちろん次郎とて好き好んで関わっているわけでもないが、吾音のように全てを呑み込んでしまえる程の容量も無い。知ってしまった以上、放置するわけにもいかないと考えているだけで、そこの辺は自覚もある次郎だった。


 「…ところで私と一緒に下校してもいいの?吾音は何か言ってなかった?」

 「いんや、声かけたの俺だし。気にすんなって。昨日の続きも話したかったし…」

 「昨日の、ね……ふぅん」


 伊緒里の声のトーンが僅かに下がり、どことなく不穏な気配を帯びる。

 やっちまったか?と思って横顔を見ようとするが、こちらを見ていた伊緒里は憤りどころか興味津々とばかりに目を輝かせて、次郎を下から見上げる体勢だった。


 「昨日の、どの話の続き?」

 それは紛うこと無く何かを楽しみにする子供のようで、迂闊なことを言えない空気を悟って次郎は、


 「決まってんじゃん。どーしたら会長と姉貴が仲良くなれるのか、って話」


 見事に的を外した。


 「………ふぅん」


 表情こそ変えようとするまい、という意識はあったが全く成功していない顔つきで、伊緒里は姿勢を正す。


 「その件ならもう私の答えは教えたでしょう。吾音と私が仲良くするような理由も可能性も無いって」

 「可能性の否定までされたくはないんだけどなあ…」


 それは次郎にとって正直なところではある。

 去年、自治会長選挙の際には良い感じで共闘出来ていたようにも思うが、いつの間にか模範的な学生である自治会長と、学内にその名を轟かす問題児、という構造に戻ってしまっていた。

 …次郎はそこで、ふと思う。

 あるいは誰かが、この対立の構図を作り出しているんじゃないのか、と。


 「…ね、どうしてそこまで私と吾音の間をとりもとうとするの?」


 そんな風に黙り込んだ次郎にお構いなく、という調子の伊緒里。


 「どっかの誰かの傍迷惑な思惑通りにさせたくないから、かな…?」

 「はあ?何よ、それ」

 「え?」


 横から聞こえた声をちっともおかしいと思わなかったから、考えていたことをそのまま口にしてしまった。

 けれど、戻ってきたのは俄に機嫌を損ねた伊緒里の声。


 「…こないだ言ってたことと違うじゃない。言うことをころころ帰る男の子って、信用されないわよ」

 「あ、いや…会長、意味不明だって。俺さ、ちょっと思うんだけど…」

 「聞きたくない!ほっといて!」

 「え?あの、ちょっとー、なんでいきなり機嫌悪く…」

 「うるさい!もう帰る!」


 止めようとする次郎を振り切って歩く速度を上げる伊緒里。帰る方向はもうしばらく一緒だったが、その背中が「ついてくるな」と語っていた。

 …のだったが。


  『…老婆心から忠告しておきますけれど。さっさと追いかければ良かったと思うんですけどね。私から見ても脈無しというわけでもなさそうですし』


 昨日聞いた椎倉葵心の言葉が思い起こされる。

 (いや今さら脈の有る無しなんかどーでもいいんだけど…)

 一瞬躊躇。けれど、後悔したくないという一念が、勝手に足を動かした。


 「待てってば!おーい、大事な話なんだよ」

 「………」


 大股歩きではあったが、小走りですぐに追いつく程度の差。

 すぐにその背中に手もかけられる距離につき、次郎は声をかけた。


 「会長が怒る理由がわかんねーのは謝るよ。でもさ、今考えておかないといけないことがあってさ。なあ、話くらいしてもいーか?」

 「…………」


 明白な拒絶…とまではいかないが、聞く耳持たないという意図は嗅ぎ取れる。

 だが次郎は構わず言葉を続けた。


 「去年だけど、会長の選挙の時さ、あれは結構姉貴と会長も仲良くー…は言い過ぎか。一応会話らしいものは成立するくらいだったとは思うんだよ。会長が会長になってから急にまた顔を合わせれば『がーっ!』って感じになって、なんでそうなったのか考えてたらさ。おかしいと思わね?」

 「……………」

 「何かきっかけみてーなのがあったと思うんだわ。あのさ、結構重要なことだから、心当たりあったら教えてくれねーか?」

 「………………はぁ」


 それなりに必死な説得で、前を歩いていた伊緒里の歩みは緩やかになり、距離を保ったまま次郎がついていくうちにそれはやがて止まった。


 「……いいわ。真面目なのは分かった」


 そして振り向いてそう行った伊緒里にホッとする次郎。今度は間違わなかったようだった。葵心の言う通りだとすれば、だが。


 「会長就任して割とすぐだったけど。えっと、ちょっと言いにくいんだけれど…大学の方からね、自治会に関して研究の協力の要請があったのよ」


 ん?


 「別におかしな話じゃなかったし、内容って言っても正直私には何のことかよくわからなかったんだけれど、確か…学生組織における指揮構造の階層化とかいって、自治会に限らず学生が一つの目的で組織行動をする時の効率とかそういうのを研究する、って話で」


 大学…?


 「それで、ゼミ生の人が一人、連絡役として派遣されてきて、週に一度自治会室で私たちの活動に参加…とまではいかないか、何か見て記録取るようなことをしていたのよ」


 ゼミ生…自治会に顔出し…週に一度…。


 「…あんさ、会長。それってまだ続いてる?」

 「……いいえ。去年のうちにそれは終わったわね」


 目を逸らす伊緒里。

 ウソ、とまでは言わないが…何か後ろめたいものがあるのは間違いなさそうだ。こういうことにかけては、伊緒里は腹芸というものが全く出来ない。

 次郎の頭の中で、最近見聞きした物事が音を立てて繋がっていくのを感じる。


 「…で、それと姉貴との関係が変わったのって何か関係あんの?」

 「関係…っていうかね…研究のためのデータ収集において、データの精度を高めるために自治会の独立性を維持するように、って話があって。私もまあ、その、選挙違反みたいな話はもうイヤだったから、部会や関係団体との距離は置いておいた方がいいって思って…当然、あなたたちのところとも距離を置かないといけないし…」


 なるほど。

 伊緒里の性格を考えた場合、特に親しい関係にある相手とは余計に距離を置くようにはなるだろうな、と思った。

 自治会長選挙の際の伊緒里陣営と吾音たち学監管理部の面々の協力体制は、公言されるものではなかったがかといって隠し立てもしていなかったから、伊緒里の当選後に表沙汰に出来ない関与を疑われないように距離を置く、というのは不自然な話ではない。

 が、吾音にそのつもりがあったかはともかく、次郎としては伊緒里のブレーン、または協力者としてのつもりはあったから、周囲がどう言おうがその力になることに躊躇いは無かったわけで、次郎と伊緒里の距離が離れたことの不自然さを説明する理由には、確かになる。


 (となると、あと一つピースがあるわけなんだが…)


 次郎の持つ手札はあと一つ。これをオープンにして勝負がどうなるかは分からなかったが…。


 (…ここは会長の俺への信頼ってやつを、アテにしてみますかね)


 決心して、口を開いた。


 「会長、その、自治会に出入りしてたとかいうゼミ生ってどんなヤツ?」

 「…気になるの?」

 「まあ、それなりに」


 俄に伊緒里の頬がほころぶ。

 その事に罪悪感を覚えないでもなかったが、


 「…もしかして、妬いてる?」

 「……えーと、そう思っても構わない、とは思ってる」

 「ふぅん…」


 正直なところを一つ述べたことで、チャラにした。

 伊緒里はそれを聞いてほんの少し、痛みを覚えたように眉を寄せたが、すぐに真顔に戻って、


 「ごめん、今の話も結構ギリギリなの。だからこれ以上は言えないわ」


 と軽く頭を下げた。

 うん、と次郎も頷いて応じたが、ここで手札を切る。


 「そか。ちなみにー…有働静馬、って名前に聞き覚えない?」

 「………ないわね」

 「………そか。さんきゅ」


 身体ごと逸らして次郎の追求の視線を切った。


 (こりゃあ…当たりか)


 調査の結果と予想が重なったことに喜んでもいいのだろうが、次郎はそういう気にもなれず、一人歩き出した伊緒里の背中を、今し方よりも距離をとって付いていく。

 その離れた分は、次郎の作ったものなのか伊緒里の次郎への心の壁なのか。

 なんとも判別しようのない距離だった。

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