第20話・いとも軽く扱われる陰謀というもの
「姉貴ー、いい話。大体裏とれたわ」
「んな景気悪い声で言われたって朗報には聞こえないわよ」
帰宅するなり自室にこもっていた吾音が何をしていたのか、といえば何のことは無い、次のセッションに向けたシナリオの下書きをしていたのだった。
ゲームブックが趣味の三郎太に引きずられて始めたテーブルトークRPGだったが、殊の外頭の体操や自分たちを取り巻く事情の整理・熟考に役立つと気付いてからは、むしろ吾音が率先していたりもするのだった。
「あと次郎。ノックくらいしなさい。乙女の部屋に黙って入ってくるなんて、弟といえどもほめられた所業じゃないでしょ」
学習机に向かっていた体を、回転椅子の座面をクルリと回しながら入り口の次郎に向けると。
「…あんた、マジで顔色良くないわよ。何があったの?」
ひどく憔悴した次郎と目が合った。
「んやー、ちょっとなー…」
「着替えて下に来なさいな。わたしもちょっと甘いもの欲しいタイミングだったし」
次郎の曖昧な態度に、有無を言わせない口振りで吾音は階下に引っ張っていった。
畳敷きの居間-鵜ノ澤家は全室畳敷きで、フローリングなどという小洒落たものは無かった-に行くと、三郎太もちょうど帰ってきたところのようだった。
「あ、三の字。ちょーどいいわ、あんたも付き合いなさい。で、お茶入れといて。わたしはなんか茶菓子持ってくる。次郎は座布団並べといて」
吾音は手早く指示を出し、自分は台所へ向かう。
両親はまだ仕事、祖父母は例によってまた旅行中、ということでこの家には今三姉弟しかいない。
「…何の騒ぎなのだ?」
「知らね。姉貴に聞いてくれ」
一応は言われたことに手を動かしながら、二人はいつもの如く長姉の指示に黙々と従った。
三郎太は次郎の様子に気がついた様子ではあったが、既に姉が何か察したようでもあったためか、特に何も口にしない。
もちろん、常ならば次郎もそういった弟の気遣いには思い至るところはあろうが、明らかに不調の真っ只中、という有様なのは三郎太からも見て取れたため、結局は黙って手を動かすだけになる。
「三郎太ー?ばーちゃんのお菓子しか無いんだけどー、他に何か無いー?」
そうしているうちに台所から吾音の声が響く。
居間と台所が無駄に離れている作りの家であるから、吾音のちっさい体に似合わない大きな声でもちょうどいいあんばいの声量になる。
「この際なんでも構わんぞ、姉さん」
「んー…ルマンドでもいいー?」
「好きにしてくれ」
別に菓子なんかなんでもいいだろ、とぼやく次郎をジロリと見る三郎太。なるほど確かに、この兄は本調子ではないらしい。
「…おまた。ほら二人とも座った座った」
「早いな」
「これしか無かったしね。で、次郎。聞かせてもらう前に………あんた伊緒里のこと今でも好きなの?」
「うぉいっ?!…直球にも程があるだろーが…ってか別に好きだったことなんかねーよ」
顔を見合わせる吾音と三郎太。
一方は、こりゃ重症よねー、と一つ肩をすくめると。
「まあいいわ。それは後回しにするとして、持って帰ってきた話、聞かせてもらいましょーか」
そして会議は始まった。
十六畳間のど真ん中に鎮座する、一枚板のテーブル。
家族七人が揃ってなお来客の一家くらいは余裕なちゃぶ台ではあるが、三人はその端に固まっていた。
「次郎、裏とれたはいーけどどの件のこと?思い当たるのが最近多すぎてねー」
「会長の逢い引きしてた男の件、がメインで周辺事情も増えた感じ。まずな、会長が会ってた有働ってヤツ。どうも去年の自治会長選挙の前後から会長に接触していた臭い」
「ほう…」
三郎太が興味深げに軽く身を乗り出す。
「有働の目的は?」
一方吾音は慎重に、次郎の報告の意味を吟味しながら先を促した。
「会長の学内組織からの切り離し。あるいは孤立化、って感じか?恐らくは」
「それをして二課研に何の得があるの?」
「姉貴、そもそも二課が自治会長選挙に介入する目的ってなあ、会長職を好き勝手にすることだっただろ?今さら何言って…」
「そうじゃなくて。わたしが言いたいのは、高等部の自治会長を傀儡にして、二課に何の得があるのか、ってことよ」
黙り込む次郎。
「………」
と、考え込む三郎太。
「さっき話したでしょ。選挙の最中と、選挙の後の二課の動きに違和感…という言い方がおかしければ、変化があるんじゃないかって。そう考えれば、会長職の傀儡化の目的にも、選挙の前と後で違いが生まれていたっておかしくない。やってることが一見同じでもね」
三郎太の煎れた茶をそこでひとすすりする。
やたらと濃い茶を煎れる癖のある三郎太だったが、吾音はそれを口にして平然としている。祖父母譲りの渋好みな舌だった。
「けどなー、選挙中と後で違いがあるといってもさ、具体的にどんな違いがどんな理由であるのか、ってそれがハッキリしないと動きようがねーじゃん。姉貴、違いってどんなもんなのさ」
話が具体的になってきたためか顔色の良くなる次郎をニヤリと見やると、吾音は出来は悪いが時折光るものを見せる劣等生を見つけた教師のような表情で、人差し指を立てて答える。
「そこよね。それが分からないと…ってのはあるけど、逆に言えばそれを説明する手がかりがあれば、全部解けるのかもしれない。で、具体的に何かあるのかってーとー……次郎。表向きの二課の目的って何だと思う?そうね、去年の選挙以前で、ってことで」
「ん?つまり、今までの高等部自治会と二課の対立の構図、ってことだろ?そりゃ自治会長を好きなように操る……あのさ、そんなことして二課に何の得があんのさ」
「じゃあ、そもそもの二課の目的は?」
「高等部をネタにした教育分野の研究。細かく何をやってるかはよく知らんけど」
「んなもん学部生の卒論読めばいくらでも分かるわよ。経研の研究員の大半がここの学部卒なんだから。問題は…」
疑義を呈する次郎に肩をすくめてみせると、吾音は天を仰いで言葉を整理するように考え込み、息を呑んで待つ弟二人が焦れる直前のタイミングで。
「…二課の最終的な目的は変わらない。けれどその実現のための手段が変わった。その遂行のための手段としての、高等部組織への介入、というやり口は相変わらずなのだとしたら、どう?」
「ん?」
「……要領を得んな。どういうことだ、姉さん」
「いや三郎太。学究機間としての二課研の在り方は変わらないが、研究内容に変化があった、けれどそれを推し進めるためにはやっぱり高等部へ介入することが必要なままだった…ってことだろ」
「……なるほど」
「そう。それなら、やってることは一見変わらないけど、動きに違いが感じられても不思議はない、と思うんだけど」
「けどさ、具体的にその違い、ってやつがどうなのかが分からなけりゃ、どーにもならないじゃん」
「そこは伊緒里を軸に見てみれば違いが浮き上がる、ってこと。いい?さっきのセッションでわたしが言ってたことを思い出してみて。二課としては去年の選挙の最中、伊緒里を蹴落としたくて出張ってた。どうしてだと思う?」
「負けそうな方より勝ち馬に乗ったほうがいいからだろ。実際、選挙運動開始直後じゃ勝ち目薄かったわけだし。で、勝った方に恩を売って交渉を有利に進める」
「そんなとこでしょーね。考え方がセコイわ。で、伊緒里が勝ってしまった。連中の予想に反して。そりゃあやり方変えないといけないでしょうね。具体的に伊緒里に何をしたの?聞いてきたんでしょ?」
「あー、まあ。有働数馬が経研の手先なのだとしたら、そいつを使って会長から学内の組織を切り離しにかかった、ってことか。けど会長を孤立化させてどーしようってんだ?」
「そこであいつらの研究内容の変化、ってのがあったと仮定するワケよ。手段としては伊緒里に接近してるけれど、実は伊緒里自身には特に興味が無い、としたらどう?」
「会長に興味が無い…?んー、そんなことあるのかねぇ…ずーっと自治会長職への介入を繰り返してきたんだし」
「……姉さん、会長女史ではなく、その周辺を自治会から切り離すのが目的だった…というのはどうだ?」
黙って聞いていた三郎太が、湯飲みを強く握りながら口を開いた。
声色には緊張したものがあったから、次郎も黙って続きを聞く姿勢になる。
「会長女史が当選すると思っていなかった二課は、それをなし得た存在に興味を持った。だから会長女史自身をどうこうしようとはもう思っていない。が、自治会長という職責の重さは理解しているから、連中が興味を持った存在と会長女史はなるべく離しておきたい。…つまり、二課研の興味の対象は、会長女史を当選させるのに力を尽くした…俺達、というわけか」
「………なんじゃないかなあ、って思うワケよ。ま、ちょっとばかり自己顕示が強すぎるかもしれないけどね。でも、こないだの佐方のおっさんの動向見ればそれなりに説得力のある説だと思うわよ」
そう考えるとあのおっさん、余計なことをしただけだったな、と三郎太はあからさまな冷笑を見せる。
「…しかしよ、そーなるとあいつら俺達をネタにどんな研究しようってんだ?」
「さー?そんなことはどーでもいいわよ。重要なことはね…」
空になった湯飲みを手に、吾音は立ち上がる。
会議の終了を宣言する、というよりはそろそろ夕食の仕度をしないといけない、といった物腰だった。
「わたしたちが如何に、この学校で楽しく過ごして成長出来るか、ってことだけよ。それを邪魔するってんなら経研の一つや二つ潰したって構わないわ」
「………」
「………」
無茶苦茶言いやがる、と次郎に三郎太はそれぞれの態度で示した。
「というわけだから次郎。ここから先はあんたがキーマンになるからね」
「え、俺?なんで」
「伊緒里との接点を付かず離れず維持する。二課の連中がそれを恐れているってんなら全力で嫌がらせをしてやろーじゃない。具体的には…」
台所に向かう足を止めて、吾音は振り向いた。
その目に宿る光を見て嫌な予感しかしない次郎。
「…伊緒里を口説き落とせ。わたしと伊緒里じゃあどーあっても仲良しこよし、なんてことにはなりっこないからね。あんたが頼りなのよ、この際」
「うぉぃっ?!」
「ああそりゃあ名案だ。次郎、精々協力するから姉さんの目論見通りに運ぶよう、精進しろ」
クックック、と珍しく三郎太が声をたてて笑いながら立ち上がる。よほど面白いのか、次郎の分の湯飲みに菓子盆も持って、だ。
「姉さん、今日は俺がメシを作ろう。次郎と作戦会議でも錬っててやってくれ」
「あらー、それいいわね。じゃ、次郎?二階に上がって、散々イジって…相談にのってあげるわ、ね」
「勘弁してくれぇ…」
今年になって最も情けない悲鳴を上げる次郎にとっては、全く有り難くない展開になりつつあった。
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