第16話・三つ子のひみつ

 考えに考えた末にようやく、何ヶ月かぶりで通話ボタンを押せた。

 向こうが着拒してないかだけが心配だったが、


 『……はい、どちら?』


 と言われたのは着拒されてるよりも、次郎にとってはショックだったりする。つまりそれは、彼女のスマホの連絡先から自分の名前が消えているという証しであったわけだから。


 「……あー、俺」

 『詐欺なら間に合ってるわよ』


 俺、の一言で正体バレてんじゃん、とツッコみたくなるのをぐっと堪える。


 『何か用?』

 「そら用事が無けりゃ電話しないけどさー…えっと、昼間の話なんだけど………聞いてる?」

 『……聞いてるわよ。早く言えば?』

 「…なんかえらく冷たくね?会長」


 昼間はもう少し、和やかではなくとも賑やかに話が出来てたハズなんだけどなあ、と思いつつ自分が結構な失言をしたとは思い至っていない次郎だった。


 『気のせいでしょう?私はいつもあなたにはこんな感じだったと思うけれど』

 「まー、それもそうか」


 とはいえ、些末にかかずらっている場合でもない。懸案は減るどころか日毎に増えているわけで、この際伊緒里の機嫌の良し悪しは後回しにと割り切ることにする。


 「んじゃ聞くけど。会長、姉貴が今日会ってたヤツって、心当たりある?」

 『また妙なことに興味を持つのね。そんなに吾音の被害者が心配?』

 「そんな言い方すんない。俺らが心配してるのは姉貴の方。妙な男に引っかかったりしねーかね、ってさ」

 『あのコにそういう類の心配って…必要なの?というかあなた達二人とも、いい加減姉離れしたらどうなのかしら』

 「いやー、姉といってもその実か弱い女子であることに違いはないわけでー。俺と三郎太が騎士道精神の発露するところに忠実なのも当然といいますかー」

 『白々しい』


 一言で切って捨てられて次郎は黙り込む。

 自宅で電話してたら吾音に限らず誰かが口を挟んできそうだという理由で、登校途中にあるコンビニの駐車場にから電話したのは失敗だった。さっきからのべつくまなく車がやってくるのだ。

 流石にその中に男子高校生に絡んでくるような輩が混じるほど治安が悪いわけではないが、同級生の女の子に家族に内緒で電話をかけてドキドキ、などという甘酸っぱい雰囲気になるはずもない。


 『あのコがそんなタマなわけないでしょう。弟のあなたが一番よく知っていると思うんだけどね』


 弟、ね。

 知ってか知らずか、他人てのは結構残酷なことを言うもんなんだよなあ。

 そうぼやきたくなるのを必死で堪えて、次郎は下手に出る。


 「まあそういうことならそれでもいいんだけどさ。で、どう?何か知ってることあったら、教えてくんない?」


 電話口の向こうで、伊緒里のため息。皮肉の通じ無さに呆れたのだろうか。

 駐車場の隅、看板の柱の下に腰掛ける。

 手には今買った水のボトル。キャップを開いてまだ一口しか飲んでいなかったそれを、次郎は一息で半分空けた。


 『…仕方ないわね。一つだけ条件』

 「ん、何?この際なんでも聞くよん」


 いつまでそんな口が利けるのかしらね、とこれは挑発するような口振り。伊緒里には珍しいことに。

 却ってそんな調子に興を覚えた次郎は、口元に悪い笑顔を浮かべながら伊緒里の言葉を待った。


 『あなたと三郎太くんが吾音に対して時々見せる態度の意味を教えなさい』

 「…時々見せる、ってもなあ…普通に下克上を狙ってるだけじゃね?いつも虐げられている弟としては時に逆襲の…」

 『そうじゃないわ。それはあなただけでしょ。わたしは、あなたと三郎太くんの二人が、と言ったはずよ。この意味も分からない愚鈍な男だったら、もう話すことも無いからね』

 「………」


 そうきたか、と正直思った。

 次郎だけのことなら、今韜晦して言ったことはそのまま通じるだろうが、他人の前で吾音に逆らうような真似を一切しない三郎太まで含められてしまえば、そう言い逃れも出来ない。

 つまり。


 『前から変…いえ、おかしいと思っていたのよ。あなたと三郎太くんの吾音への接し方って、単にわがままな姉に振り回されている、ってだけじゃない時があるように見えるもの。むしろ逆よね。あなた達の方が揃って、吾音の先回りをしていることがある。違う?』


 よく見てんなあ、と割と本気で感心した。

 このことは家族の他に誰も知らないだろうに、外から見ておかしいと指摘されたのは、次郎の知る限り伊緒里が初めてだ。

 かといって、別にひた隠しにする必要も覚えない。要は、吾音が知らなければそれでいいことだ。

 だから次郎は、一度スマホを顔から離して小さく深呼吸をし、意を決して伊緒里に告げる…いや、共犯者に仕立てようとする。


 「そこまで見立てた実績に鑑みてしょーじきなところを言うよ。たださ、会長。一つだけ約束してくんねーかな」

 「約束?またあなたにしては下手に出たものね」

 「いちお、こっちにも計算ってもんがあるかんな」

 「約束の内容を聞いてから判断する、ってことでは駄目かしら」

 「ダメ。それじゃあんま意味ねーし」


 電波の向こうで伊緒里が考え込んでいる。餌だけ与えておいて収穫無し、というのは次郎の流儀に反するのだ。手札を明かす以上、相手からは自分がベットした以上を巻き上げないといけない。

 そして、伊緒里はそういう賭けに乗ってくれる相手だという確信が、次郎にここまで言わせるのだ。


 「…分かったわ。あなたのことだからあまり無茶は言わないでしょうしね」

 「そいつはどーも」


 賭けは成立した。伊緒里の、自分への信用がいくらかその後押しをしたことだけは少し不本意であったけれど。


 「けどちょっと話長くなりそうなんだわ。明日どっかで会えないかい?」


   ~~~~~


 「呼びつけておいて遅れるとはいい度胸してるわね」

 「あの、約束した時間のまだ十分前なんスけど」


 本日の管理部の活動予定は、一通り、伊緒里に押しつけられた…自治会から請け負った業務が片付いていたこともあって自主活動わるだくみに充てられていたのだが、次郎は三郎太と謀って校外活動と称し、放課後は真っ直ぐ学校を出るつもりでいた。

 三郎太に吾音の足止めを頼んだまではよかったが、普段に無い行動は吾音の疑いをまねき、行き先を追求されながらも三郎太の犠牲でなんとかその手を逃れ、弟の冥福を祈りながら大急ぎで待ち合わせの喫茶店に到着したのが、五分前。待ち合わせの時間まで十五分。

 まさか先になど来てはいるまい、と入り口から見つけられやすい席に座ってしばらくしてたら、奥の方の席から伊緒里が睨み付けていたので、慌てて席を移動してきた、という次第だった。


 「しっかし、楽しみにしてたわけでもあるまいに、先に来てるとは思わなかった」

 「……時間があったのよ。場所を調べてみたら結構雰囲気の良さそうなお店だったから、先に来て本でも読んでいようか、って」

 「おー、会長読書姿似合うもんなー」


 黒髪眼鏡の見るからに清楚な少女が一人文庫本を片手に紅茶などやっている図、となれば衆目を集めるのも無理ないだろう。

 そんな光景を想像して、けれど次郎はおかしなことに気がつく。


 「……って、会長さあ、それなら別に俺が後からやってきて怒られる謂われないんじゃね?待ち合わせの時間よりは早く来てんだし」

 「………っ、!」


 そう指摘すると目に見えて挙動不審になる伊緒里。


 「そ………そう、これはあなたを試したの。どれだけ今日の話に本気でいるか、のね」

 「え、もともとは会長から条件として聞きたいことがある、って話だったじゃん。で、会長が約束出来るなら俺も話してもいい、って流れなんだから、別に俺が試される必要とかないんじゃ?」

 「………ちっ」


 目を逸らし、舌打ち。なんとも普段の伊緒里に似合わない振る舞いだった。

 そしてそのまま伊緒里は黙り込むものだから、いたたまれないこと甚だしく、次郎は通りがかったウェイトレスに席を移動した旨を伝えて二人揃って黙り込むのだった。


 「………」

 「………」


 気まずい、とは思うがそれでも落ち着いた店内の空気が幸いしてか、二人の間が険悪になる、という雰囲気はなく、しばらく待つと伊緒里の方から口を開いた。


 「…このお店、電波入らないのね」

 「スマホ?客に落ち着いて欲しいから電波のシールドはってあるんだとさ。入り口に張り紙してあったけど、見なかった?」

 「…気付かなかったわ。別に困ったりはしないけれどね」


 そう言って伊緒里は手にしていた文庫本を鞄に片付ける。暇に飽かせてスマホいじりをずっとしているタイプではなかったから、その点で難儀などはしたりしなかったことだろう。

 次郎としては念のため吾音の追求を逃れるための方策だったわけだが、伊緒里を無駄に苛つかせたりすることもなく一安心といったところか。


 「…で、早速話に入ってもらおうかしら。まず約束って何よ。中身も聞かないで承諾はしたけれど、今になって不安になってきてるんだけど」

 「まーそれは追々。取り敢えず注文していーか?」

 「あ……」


 ウェイトレスは丁度こちらに向かってきていたようで、二人のテーブルの横に立つと伝票を手に待ち、次郎の「ホットチョコレート。砂糖抜きで」などという手慣れた注文を書き込んでいる。

 それが終わるとさっさと立ち去る…こともなく、そのまま待ち続ける。

 次郎は怪訝に思ったのだが、伊緒里の前には水のグラスしかないことに気付くと、


 「まだ頼んでなかったん?」


 などと余計なことを言って睨まれた。

 伊緒里はその視線に次郎がさして動じもしてないことに顔をしかめると、


 「……イチゴサンデー」


 とぶっきらぼうに次郎も何度か聞いた注文内容を告げる。


 「畏まりました」


 ようやく注文とれたか。内心を翻訳すればそうとでもいたそうな足取りで立ち去るウェイトレスを見送りながら、次郎は向こうの席からそのまま持ってきたグラスを一息で空にした。


 「先に注文してりゃ良かったじゃん」

 「…失礼だと思ったからよ」


 一般的な礼儀としては分からない話でもないが、伊緒里が自分にそんな気を利かせるのも妙に思う。

 まあそれはそれとして。


 「で、約束ってもさ、そんな面倒な話でもなくて単にこれから話す内容は姉貴には言わないで欲しい、ってだけ。あ、出来れば会長と俺がこーして話をした、ってことも含めて」

 「吾音に内緒?…まあそれくらいは構わないけど。でも、そこまで言うってことは吾音に関係する話よね?」

 「そりゃ当然だろ。姉貴と俺らの話なんだから」

 「そういえばそうだったわね…」

 「…?」


 自分で持ち出した条件を忘れてどーすんだ。

 伊緒里の常にない落ち着きの無さに、心配の募る次郎。


 「いいわよ。そこら辺の事情含めて、口が堅いことには自信あるし」


 話を聞いて吾音への態度が変わったりしないだろうか、とは思わないでもなかったが、そこらは伊緒里を信用するしかないのだろう。


 「…んじゃ話すけど。えっとな、俺らは姉弟なわけだけどさ、どっちが上か下かって知ってる?」

 「何を分かりきったこと聞くの。吾音が一番上で、あなた、それから三郎太くんでしょ」

 「まあ戸籍上は。実際俺らもそーいう風にしてるわけだし」


 呆れ顔の伊緒里。

 三つ子と説明しても俄には信じられないことも少なくないが、十分も自分達と話せば腑に落ちる関係だとは自負してる。


 「一般的にはさ、双子や三つ子ってのは、母親のお腹から出てきた順で長幼が決まるわけで、それで戸籍も届け出るんだよな。けどウチの場合、ちょっと…あー、まあ俺らの爺さんが余計なことをしでかしたというか…」

 「はっきりしないわね。そこまで言いにくいことでもないでしょ。吾音が一番最後に産まれてきてて、実は姉じゃなくて妹でした、ってだけじゃない」

 「理解はやっ?!」


 伊緒里の解釈は全く正しく、説明の機会を失った次郎が残念がるよりも感心するほどだった。


 「…あなたたちを見てれば納得いく話よ。大方、吾音だけはそのことを知らなくて、あなたと三郎太くんだけが知っている。そんなとこでしょ。基本、吾音が二人を従える風でいながら、あなたと三郎太くんが吾音を守ろうとするように見えることが多いもの」

 「百点満点。さすが、学年主席」

 「…そんなの去年のうちに返上したじゃない」

 「そうだったなあ…」


 共通の苦い思い出。


 「…俺と三郎太は結構ポンポン生まれてきたんだけど、最後の姉貴だけがやけに往生したらしくてさ。一番ちっこいくせに一番時間掛かって、やっと出てきたら未熟児手前だったとかで、一時は命も危ぶまれてたんだってよ。で、ウチの爺さん、先に生まれた方が元気いっぱいだったから、って理由で姉貴を一番上にしようって、吾音、次郎、三郎太って名前をつけて…あ、『あいん』はドイツ語のイチの意味ね、それでついでに戸籍の方もそういう風に届け出た、って話」

 「…いい話じゃない」

 「まーそこだけ聞けばな…困ったことにだな、爺さん、俺と三郎太にだけ、この話してくれたんだわ。姉貴、ガキの頃からやんちゃで腕白だったろ。俺と三郎太はいっつもそれに振り回されてたんだけど、見かねてこの話してくれてさ。今まで姉だと思ってたのが実は妹でした、一番下なんだからお前たちが守ってやれ、なんて話を小学生がされてどーしろっての」


 そう言い放つ次郎も実のところ、懐かしむ風であって嫌な感じはしない。

 伊緒里も、吾音が姉たろうとしている姿勢は好ましく思わなくもなかったし、次郎や三郎太が何くれと無く吾音を支えていたこともよく知っている。


 「…それにしても無茶なことするお爺さんね。確かうちの理事じゃなかった?」

 「非常勤だけどな。非常識理事」

 「そんなこと言うものじゃないわよ」


 だから、付け加えたようなやり取りも、微笑み交じりの穏やかなものなのだった。

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