第15話・わりと忠実な弟ども

 「さーて邪魔者は追っ払ったことだし」


 伊緒里が帰ると清々した顔で吾音は切り出した。


 「そういや姉貴、なんかいいネタ仕入れてきた…とか言ってたけど、何なん?」

 「まあそれは追々説明するわよ。とりあえず三の字、お茶でも煎れてちょうだい…三郎太?」


 姉弟だけになった管理部室は、放課後の賑やかしも校内からは大分減り、吾音には物足りない静かさが優勢になりつつある。

 いつもならさっさと帰宅の用意でも始める頃合いなのだが、今日のところはアレな来客もあって、落ち着いて話をする暇も無かったため、悪巧みはこれから始める…という空気だ。

 ところが。


 「三郎太ー?お姉ちゃんの言うことが聞けないのー?」


 吾音の言いつけには基本逆らわない三郎太が、むっつりと腕組みをしながら無反応。珍しいこともあるものだと次郎はその顔をのぞき込むと。


 「…姉さん。一つだけ言っておくが…」

 「うん?」


 何か意を決したように顔を上げ、いつも以上に愛想の無い顔の更に眉間にしわ寄せ、言う。


 「会長女史をそう邪険にするな。彼女は自分の何なのか、今一度考えてみたらどうか」


 口を開いている間だけ、わずかに難しい顔をしていたが、それだけを告げると後は、また腕組みをしてまた元のむっつりした顔に戻ってしまった。

 一方、思いもよらないことを言われ吾音はただ、ぽかん、と三郎太の顔を見てる。

 次郎も、珍しいことがあるもんだと、目を見張って二人をじっと見ていたが、三郎太はそれ以上を語る気配を見せず、吾音は言われたことの意味を理解しかねてただ目を瞬かせるのみ。姉弟の間には、常に無い空気が漂っていた。


 「…えっと、そのー……三郎太?お茶…」


 会話の続く様子の無いと見てか、吾音は何も無かったように要求を続ける。

 …が、そこにいつもの傍若無人な台風娘の威勢はなく、伊緒里などが見たら「あなた…誰?」とでも言い出しそうな、怯んだ顔色がそこにはあった。


 「……わりー、姉貴。なんか茶だとかそういうモン、全部切らしてるみてーでさ。水ならあっけど、何か買ってこようか?」


 それを見て、慌てて、しかしその内心を察知されないよう注意を払いながら、次郎が声を挟む。


 「あー、あ、そう?んんっ…別にいいわよ。水でいいから。仕方ないわねー、明日にでもなんか買ってきてよ……三郎太?」


 多分、そうと思われないように振る舞ってはいたのだろうが、吾音は明らかにホッとした様子で次郎の助け船にのり、そしていつもと変わりないように、三郎太にも声をかけると。


 「分かった」


 と、こちらも難しい顔を解いていつもの無表情に戻るのだった。


 「姉貴ー、かき氷のシロップならあるけど水に混ぜるかー?会長は喜んでくれてたぜー?」

 「あんたは伊緒里にそんなもんを出したのか…いーわよ、面白そうだからやってみて。不味かったら折檻するけど」

 「そいつは勘弁。普通にしとくよ」


 一人給湯室に向かった次郎がおどける。

 吾音は次郎をイジる。

 三郎太はそれを聞いて我関せずという風ながらも、チラと姉と給湯室の兄の間で視線を往復させる。

 それで、三人はいつも通りになった。




 「で、耳にした話なんだけどね」

 「その前に姉貴、誰に会ってきたんだっけ?その話って、そいつから聞いたワケ?」

 「ん?そうだけど。でもあんたも妙なこと気にするのねー。妬いてる?」

 「そういうわけじゃないけどさ…」


 話は戻って、というところだったが、次郎にしてみれば伊緒里が持ち込んできた話はまあ、気になる。

 三郎太は?となると、あの騒ぎだったので言わずもがなだったが、この場では次郎に託したか、何も口にしていない。


 「あんた達には言ってなかったけど、ま、わたしの個人的な情報屋ってとこかしらね。けっこー役に立つ話持ってきてくれるのよ、これが」

 「うーん………。姉貴、ちょとタイム。三太夫、ちょいこっち」

 「うむ。それと…」

 「三太夫じゃなくて三郎太、な。それは分かったから。姉貴はそこで待っててくれ」

 「なーに?内緒話?まーいいけど」


 何かと大雑把な吾音は、こういう次郎と三郎太の二人だけの話でもそうそう首を突っ込んできたりはしない。悪口など話していれば、いつの間にか背後に忍び寄って、気付いた次郎の心胆を寒からしめる笑顔と共に、内履きでアタマを一発いわすくらいはするが。

 それが分かっているから次郎は、話し声こそ聞こえないだろうが室内の隅の方で、三郎太と額をつきあわせて話す。


 「…なあ、どう思う?会長の見立てだと姉貴に懸想してるヤローっぽいが…」

 「会長の人見はアテになるだろうな。となると、姉さんは分かって利用しているか、全く気付いていないかのどちらかになるが」

 「姉貴もこーいうことはホントーに鈍いからなあ。自分がどれだけモテるか自覚無いってのも、周りにしてみると苦労多くて困るわ」


 実際、吾音は身内のひいき目なしにモテる。

 見てくれは愛らしく、言動も目立つから男子のみならず女子の支持も多い。

 女子からのものはマスコット的な持ち上げ方もあるわけだが、男子からのものは間違い無く、可愛く魅力的な女子に対するものである。


 問題は、本人にそう見られているという認識が全く無いことで、割とそれっぽいモーションも今までに何度かあったのに、一度として吾音がそう捉えたことがない、という罪作りな話なのだった。


 「…どうする?叩いておくか?」

 「難しいところだよなあ…」


 それ以前に、そんな気配があってもこの弟二人が表面化する前に話を潰していることが大半だったが。


 「情報屋、ってことだけど」

 「どうせ姉さんの気を引くためにそんな真似をしているんだろうさ」

 「だろーな。全く、女の朴念仁ってのも男と違った意味で始末わりーわ」


 揃ってため息をつく。


 「ねー、なんかわたしの悪口の気配がするんだけど?」

 「ちげーよ!すぐ終わるから待ってろって!」


 地獄耳、とはいくらか趣は違うものの、迂闊なことを言えない雰囲気ではある。


 「ま、とりあえずはどんなヤツか聞き出して把握しとくか」

 「そうだな。それが無難だろう」


 方針決定。

 コトの進め方は次郎に一任されるだろうが、二人は少しばかり疲れた顔をしつつ、吾音の待つテーブル席に戻った。


 「何話してたの?」

 「男同士の野暮な話」


 煙に巻くような言い方に、吾音は三郎太の方にジロリと目を向ける。

 それに対しては肩をすくめてみせるだけの三郎太に、吾音は聞いても無駄か、と興味を封じた。


 「…まーいいわ。それで聞いてきた話なんだけど。次郎、あんた伊緒里と逢い引きしてた相手の顔、覚えてる?」


 そして切り替えてしまえば、吾音は話が早い。

 二人が席に着くと同時に切り出したのは、座りかけた次郎の動きを止めるのに充分だった。


 「…覚えてる、というか佐方のおっさんにも写真見せられたけどな。手を回せば本人の写真くらい手に入りそうだけど」

 「そ。これで間違い無い?」

 「ん?」

 「…?」


 次郎と三郎太は、吾音がテーブルの上に差し出した写真に見入る。

 そこに写っていたのは、将来が若干不安な生え際を除けば、まあ割と色男といって構わなそうな一人の男だった。目線がこちらに向いていないところを見ると隠し撮りでもしたものなのだろうか。


 「…間違い無いな。この写真は?」


 今どきデータでなくてプリントした写真をわざわざ持ってくる大仰さに内心呆れながら、次郎は同意する。


 「今言った情報屋くんの提供。この男、有働静馬うどうしずまってね、まあ名前はどうでもいいんだけど、コイツの腹違いの姉に、仁藤亜利って女がいるの。聞き覚えある?」

 「にとう、あり…二課の課長だったか?」

 「三郎太、正解。コレが伊緒里にちょっかいかけて、佐方のおっさんがいわくありげに確認しに来るのって、何か引っかからない?」

 「…なるほど、二課の課長と佐方の間に何かいさかいの種でもあるのかも、と。そういうことか、姉さん」

 「断言は出来ないけどね。次郎から見て佐方のおっさんって、どう?」


 問いかけというよりは、確認のように水を向ける吾音。


 「野心たっぷり、それを隠そうともしない。自分の上司に何かあれば喜んで足をすくいそうなタイプ」

 「…よね。わたしにもそう見える。この場合足を掬うどころか、上司の行きそうなところにせっせと穴掘ってるのかも、だけど」

 「だな」

 「ふむ」


 一頻ひとしきり持論を述べ終えると、吾音は次郎の用意した水を口にする。

 かき氷のシロップは入れてないので透明なままだが、溶け残っている氷がまだ僅かに浮いていた。


 「…しかし姉貴よ、腹違いの弟だの姉だの、なんでそんな話が持ち込まれたんだ?」

 「う…そー、それはまあ、ね…えーと、えーと……ああ、そうそう。伊緒里の弱みを握るって話してたじゃない、相手の男を追えば何か掴めるのかなー…とか考えてー………何よその顔」

 「いや別に?まあ本当なら俺がやらなけりゃならねー仕事だったしな。さんきゅー、姉貴」

 「ふ、ふん!弟の不出来を補うのは姉の仕事だからね!」

 「ああ。マジありがとよ」


 揶揄するような色のない次郎の言葉に、吾音は何だか奇妙なものを見たような目付きをする。

 三郎太にしても、素直な次郎の様子と、納得してしまえば満足そうな姉の顔は厭わしいものでもない。


 「で、三郎太。なにか可笑しいことでもある?」

 「いや、別に。姉弟仲睦まじくて結構なことだ、と思っただけだ」


 珍しく口元に笑みを浮かべて佇む三郎太に目ざとく気がついて、吾音は口を尖らせる。


 「自分はかんけーない、みたいな顔はしないこと。三郎太だって姉弟のウチ、でしょ?」


 そうだな、と大きな体を揺するだけで、三郎太は応えた。

 それで一応は和やかな空気になり、話はそれで終わりになる…かと思われたところで、次郎は一つ質疑を表す。


 「あ、そういやさ姉貴。その情報屋…だっけ?どんなヤツなん?」

 「ん?気になるの?」

 「そりゃまあ。姉貴のこったから大丈夫だとは思うけど…まーた妙な糸ついてたりしねーかなー…って。あと、姉貴の不在の時に俺らからも協力頼めればそれに越したこたーねーだろ?」


 それを聞いて面白くない顔をする吾音。といって次郎の話の内容に不審があった、ということではなく、家族的にいい空気に浸っていたところに野暮な物事を持ち込むんじゃねー、ということによったのだが、そこは流石に口にも出来ず、


 「…次郎。ちょっとは姉を信用しなさいって。あと紹介しろと言われてもねー…向こうが怯えそうだからそれは待ってよ。機会があったら紹介したげる」


 と、宥めにまわるのだった。

 それはそうか。

 次郎だけならともかく、三郎太まで接触するとなると、いくらなんでも威圧的に過ぎる。

 そこは申し訳ないと思ったのか、吾音も三郎太に向けて小さい声で「ごめんね」と言っていたから、二人ともそれ以上押しも出来ず、引き下がるしかなかった。


 「三太夫」

 「おう」


 …といって、姉に近付く不逞ふていの輩…の可能性を見過ごすつもりもない。

 短いやりとりでその意図を交換出来るのは男兄弟ならではだ。

 意味が分からずきょとんとする姉を守る誓いは堅い、二人だった。

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