第19話 とある伝説の現代模様 3
世界で最も古い歴史を持つ組織にして、自他ともに世界の警察として認められている諮問機関、ヴシルオーダー。現代において、その本拠地は聖地ルィルバンプに置かれている。
かつてはロウに対抗するため、ヒノカミ皇国の相棒さながらに首都天京に存在していたが、ロウが滅んだ現代においてはその役割を十全に果たすために距離を置いているのだ。
だが今、ホシノ・ウィロー教授の発見によって聖地の定義が揺らいでいる。現ルィルバンプが実はそうではなかった、という言説は日に日に信憑性を増しているのだ。
しかしことはそう単純ではない。長くこの地を聖地と崇め、この地から世界の秩序を守ってきたヴシルにしてみれば、実は違いましたと言われて素直に頷くことなどできるはずがない。
新暦以降聖地として崇められてきたこの地は、今まさに歴史的な岐路に立たされているのである。
その事実確認のため、この日ヴシルは件の教授を現ルィルバンプにそびえるヴシル大聖堂へ招聘した。
教授による発掘報告は定期的に行われているため、別にこの地で同じことをする必要はない。しかし再三の要請に、遂に教授側が折れた形で今回の報告会は開かれる運びとなった。
そのヴシル大聖堂は、一般的に「現代人なら一生に一度は巡礼したほうが良い」と言われている。宗教的な意味合いはもちろん、単なる観光地としてもその価値は高いのだ。
人々が最初に目にする建物そのものからして、既に唯一無二である。物自体はまだ造られて1500年程度しか経っていないのだが、変化を嫌うエルフたちはコルトウィーン共和国時代のそれを寸分違わず再現したからだ。
妙なところで凝るエルフの気性ゆえに、わずかに残されていた写真から建物のヒビ一本、シミ一欠片すらも再現しようとして、実際にしてしまったのだからとんでもない話である。
先導する案内人から誇らしげにそう語られた教授は、呆れたような顔で「ワルシャワかよ」とつぶやいていたが、それはさておき。
そんなヴシル大聖堂の一角。評議会議事堂に入り行くホシノ教授とミミカ姫を見送る形で取り残された少女は、暇つぶしになるものを求めて聖堂内を散策していた。
ヴシル聖堂は聖地であり、教育機関も兼ねる。関係者しか立ち入れないところが大半だが、巡礼者や観光客のために開放している区画もある。そちらへ足を向けたのだ。
巡礼者の場合、最初に足を運ぶのは大体礼拝堂だが……少女はそれを無視した。彼女が信奉するのはヴシルの教えではなく、ましてや現代のアマテラス教でもないのだから。
「はー、これはすごいですね」
彼女が踏み入ったのは、観光客向けの展示室だった。しかしそのラインナップに妥協はない。その始まりから暗黒時代中ずっと続いたロウとの戦い、新暦以降に至るまで、ヴシルの歴史が余すことなく並べられている。
特に万年単位で続いたヴシルとロウの戦いの記録は多く、その規模は博物館と言っていい。収められたもののものの多くはレプリカだが、本物も相当数であり、実態もまさに博物館である。
ただし、人影はまばらだ。時間帯によるものか、はたまた教授の報告会に耳目が集まっているのか。それは不明だが、いずれにせよ人が少ないということは少女にとっては好都合だった。
今の彼女は、ただの観光客なのだ。展示を静かに、穏やかに……そしてゆっくり、じっくりと眺めたい心境だったのである。
たっぷり時間をかけて、展示を見て回っていく少女。その足取りは緩やかだが迷いがなく、止まることはほとんどなかったが――。
その中の一つ。巨大な一枚のタペストリーの前で、少女ははっきりと、そしてそれまでにないほど長く立ち止まった。
彼女はそのまま、タペストリーに正対する。
そこに描かれていたのは、ヴシルの宗教画とも言える絵だ。色取り取りの錦糸によって編み上げられた精巧なそれは、ヴシルにとって極めて重要な歴史的場面を切り取ったものだった。
「……これは。あのときのですか……」
その様に、思うところがあった少女はひとりごちる。青い視線を高く向け、描かれた存在と目を合わせた。
鮮やかな彩りを与えられた糸が惜しげもなく使われているタペストリーの中で、唯一染められていない純白の糸で織り込まれたそれ。絵の大半を占めるそれは――歴史という名の暴風に、翼を広げて真っ向から立ち向かう白い鴉だ。
その周囲には、剣を携えた若者とその仲間たちが、七色それぞれに輝く七つの宝玉を掲げる様。そして彼らに祝福を与える、神か精霊のごときいでたちの少女が二人。
そう、ここに描かれているものこそ、ヴシルの伝説の中でも取り分け英雄的な伝説、神鳥ラーミア誕生のワンシーンである。
「きれいにできてるですね……いい仕事です。それだけ大切なことだったってことですかね……」
つぶやきながらも、そうだろうなと少女は頷く。
このタペストリーの伝説の一翼である彼女にしても、このときは感慨深かったのだ。時間が流れ、あの出来事が歴史を通り越して伝説になった今、現代人にとってはとてつもない重みがあるのだろう。
まあ少女にしてみればそれ以上に、ラーミアの背に乗って空を駆けた勇者たちに嫉妬を覚えた記憶のほうが強いのだが……。
「でしょ? かつての繁栄を今に伝えるため、歴史が再び闇に葬られないため、当時の職人たちが総力を挙げて作った世界遺産だもの!」
と。
そこに、一人の少女が話しかけてきた。存在に気づいてはいたが、話しかけられるとは思っていなかった彼女は少し驚いてそちらを向く。
そこにいたのは、彼女とさほど変わらぬ年頃の少女だったが……やはりというかなんというか、面識はなかった。
「誰です?」
「ふっふーん、よく聞いてくれたわね! わたしこそは、イタリア王国の第二王女! マリアさまよ!」
いきなり話しかけてきて、いきなり胸を張るマリアなる少女。普通の人間なら、その名乗りに何らかの反応を示すものだが……。
「ふーん」
少女の反応は、実に薄いものだった。興味ない、と言いたげな軽い返事に、マリアは目を剥く。
「ちょ!? なにその反応! もっと驚きなさいよ! 王女なのよ!?」
「と言われてもです……」
少女は肩をすくめる。
無理からぬ話だ。傍目にはそう見えずとも彼女の肩書きはあまりにも多く、巨大すぎるのだ。
そうでなくとも、今の彼女は日本皇国の皇女を母と呼んでいる。それより数段格の落ちるイタリア王国の王系など、正直驚くに値しない。
ついでに言えば、彼女にとっての敬うべき相手など両親以外では師匠くらいしかいないので、いずれにせよ詮なきことではあるのだが。
「……ちえ、同い年くらいの子がいたから驚かせようと思ったのに」
「当てが外れたですね。そういう話は他の人にするですよ」
「そうしたいのはやまやまだけど、他に誰もいないもの。悪いけど諦めて」
「……やれやれです」
とはいえ、精神的には成熟しきっている少女だ。まだ幼いマリアを無下にするほど冷血でもない。
仕方なさげに肩をすくめながらも、付き合うことにした。ついでに、現在の地上界について聞いてみることにする。
「イタリア王国の、と言ってたですね。七王国はまだ健在ですか?」
「……あなたいつの話してるの? カルタゴが王制を廃止したのはかなり昔のことだし、オーストリアとイスパニアは実質同じ国だし、他にも大小色んな国が増えてるしで、七王国時代なんてとっくの昔に終わってるわよ」
「そうでしたか。暗黒時代末期以降は世界……というか、地上世界の歴史の流れが早くて覚えきれないですよ。ローマなんて寝て起きてたらいつの間にか滅んでたですし」
「あはは、何言ってるのよ。神様じゃあるまいし」
マリアは笑ったが、少女は笑わない。一切の誇張なく真実なのだ。たまに神様扱いされることも含めて、すべて本当のことである。笑えるはずがない。
とはいえ、自身が普通とは大きく異なる存在であることは少女も理解している。もちろん、訂正したところで信じてもらえることはないともわかっている。
だから特に何も言わず、視線をタペストリーに戻すだけだった。
だがそれを自信のなさと見たのか、マリアは少女がまるで考えてもいなかったことを口にした。
「しょうがないわね、このマリアさまが歴史を教えてあげる!」
「ええ……それは別に……」
いらないです、と言いかけて、少女はふと口をつぐんだ。
世界の大まかな流れは知っている。だが、当事者である彼女自身の記憶と、今の時代の人々が持っている知識には差異がある。
当たり前と言えば当たり前だが、しかしその差異もときには意味を持つことを少女は最近父との会話で思い知っていた。
だから、
「……それじゃあ、聞かせてもらうです」
と答えることにした。
答えてから、彼女はにまりと笑う。
「でも、あんまりおかしなことは言わないほうがいいですよ。ソラのお父は、歴史の教授ですから。あとで答え合わせするです」
「ぅえっ、ちょ、うそ!?」
「本当です」
「えーっ、そ、そういうことは先に言いなさいよね!?」
「さあさ、マリア。時間はたくさんあるですから、いっぱい話そうですよ」
「ちょ……もーっ、あんたホントなんなの、調子狂うわね!?」
まったく想定外のことばかりを言って、にやにやと笑う少女にマリアは声を上げる。だが癇癪の類ではないようで、嫌そうにしているわけではない。
それは目の前で見ている少女が一番よくわかるようで、彼女はさらに畳み掛ける。
「ソラはソラです。それ以上でも、それ以下でもないですよ」
「名前のこと聞いてるんじゃないわよーっ!?」
打てば響く面白いやつ。少女の中のマリア像は、そんな風に固まった。
マリアによるたどたどしい歴史講義は、その後少女を探してホシノ・ウィロー教授とミミカ姫が現れるまで続いた。
二人を見たマリアが卒倒しかけて大騒ぎになったのは、言うまでもない。
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