第91話 二十一世紀への挑戦 下

「……なんだこれ」


 その青いメスを目にして、最初に口から出たのはそんな言葉だった。完全にただの感想だというのは、この際勘弁してほしい。


「わあっ、きれいー!」


 一方、チハルは無邪気に目を輝かせていた。彼女らしいと言えばらしい反応か。

 俺もこれくらい素直になりたいところだが、そうもいかない。明らかに普通ではないのだから。


「なんでまたこんなものが……」

「俺たちも何がどうなっているのかよくわからないのだが……」

「少なくトも、最初はこんなんジャなかったんだケドー……」


 バンパ兄貴とアダムが、首を傾げながら語ったところによると、こうだ。


 用いたものは俺の指示通り、隕鉄で間違いない。そして鍛治を始めた当初は特に変わったこともなく、普段通りだったという。作業自体も、ソラルの魔術で隕鉄を熱していた以外は普段通りで、兄貴たちは色の変化がいつ起きたのか見当がつかないとか。

 ではいつそれに気がついたかというと、これがなんと最終工程、焼き入れの段階だったと。


「イヤー、目を疑ったヨネ。水に沈めて熱の赤が抜けていったラ、真っ青なのが出てきたんだカラ」

「三人とも、結構な時間呆然としてしまったよな」


 アダムの言葉に兄貴が苦笑するが、その瞬間の彼らの心境はなんとなくわかる。その場に居合わせたら、俺だって同じ反応をしただろう。


 ……いや、前世の知識がある分、俺のほうがショックを引きずるかもしれない。こんな色鮮やかな青色の金属なんて、記憶にないのだ。存在はするかもしれないが、少なくとも俺は知らない。

 しかもこのメスの刃。青と言ってもいろいろあるが、この青は……そうだな、言うなればメタリックアースブルーが一番近いと思……アースブルー?


「? どうしたですか?」

「いや……なんでもない」


 俺の視線を受けたソラルが、くてんと小首を傾げた。

 それに思わず首を振ったが、返される視線の色を改めて見ながら、ひとまずの原因はソラルだろうなと思った。


 同じ色だったのだ。ソラルの瞳と、メスの刃は。


 今回普通の鍛治と異なっていた点は、ソラルの魔術によって作られた火だけで最後まで一貫したことだ。その一点のみだ。

 だからたぶん……たぶんだが、その魔術が原因なのだろう。どういう理屈、原理で、どういう変化が起きたかはさっぱりだが……。


「デネ? とりあえずできちゃったモノはしょうがないシ、ってことで研いでみたんだケド……これがモウ硬いのなんの」

「そんなにか」

「全然削れなくてな……かかった時間の大半は研ぎだ」

「こればっかりは魔術でもどうにもならなかったです……」

「うわあ」


 研ぎで時間がかかるといったとき、単純に削れなくて時間がかかったなんて話は聞いたことがないぞ。ということは少なくとも、この青い不思議な金属は鋼よりは硬いのか……?


「……ちなみに、肝心の切れ味のほうは?」

「「「…………」」」


 三人が三人とも、目をそらした。そんなにヤバいのか。


「ま、まあホラ、まずは試しに。ネ?」


 最終的に、アダムが曖昧な笑みを浮かべて肩ポンしてきたが……どちらだ。

 切れすぎるのか。切れなさすぎるのか。どちらの方向にヤバいんだ。


「わかったよ。確かに百聞は一見にしかずだな」


 俺は苦笑まじりのため息でアダムに応じると、手近なメスを取ってみた。


 実のところ鉄が貴重なので、メス全体が鉄でできているわけではない。鉄が用いられているのは刃だけであり、柄の部分は木製だ。つまり、青いところは刃だけということになる。

 サイズのほうは、配慮してくれたのだろう。俺の手にちょうどいい。不思議としっくり来る。


 そしてこの至近距離で改めた見る刃は……なんというかやはり、宇宙から見た地球のような青さだ。金属だからか、そこに特有の反射はあるが……これで剣だったら完全にファンタジーだよ。

 もしファンタジーだったら、ここに魔術を乗せて魔法剣! とかできたりして。できたら面白いな。


 まあそれはともかく。試し切りと行こう。

 対象は……あ、さっきまで使っていたウサギはまだ回復しきっていないか。ならもう、いっそ俺でいいか。どうせすぐに治るし。


 などと思って軽い気持ちで腕にメスで切りつけたら、予想以上にあっさりと直線が刻まれた。


「……マジかよ」


 痛みは例によって魔術で消しているから支障はないが、これはまた随分な切れ味だぞ。


 いやまあ、俺の感覚もだいぶ原始ナイズされているから、前世の記憶と照らし合わせればそれなりくらいだと思うが。アルブス男子としてのパワーもあるし。


 そうだな……感覚的には、量産のステンレス万能包丁以上、和包丁未満といったところか。高級な量産品包丁、くらいかな?

 前世の日本人にはそこそこ程度の切れ味に感じるかもしれないが、この時代では破格の切れ味だ。もっと大きいサイズを用意できるなら、普通に狩猟後の解体に使いたいぞ。絶対に今使っている青銅器よりは切れる。


「いいんじゃないか。これなら帝王切開でもいい具合に使えそうだ」


 と腕から傷口を眺めながら言ったところ、


「ヨカッター、切れすぎてダメとか言われたらどうしようかト」


 と、アダムが胸をなでおろした。


 言わんとしていることはわかるが、日本刀の切れ味を知っている身としては、問いただされて目を背けるほどのものではないな。斬鉄剣クラスの切れ味なら、製造中止も検討するけれども。


「いや、世の中にはもっと切れ味のいいやつもあるから……あ、神様の世界の話だが」

「神様コワイ」

「そんな刃物を作って何をしているのだろうな」


 戦争……かな……。

 俺たちも、いずれン万年かしたら使うようになるはずだよ……とは、言わないほうがいいのだろうなぁ。


 まあうん、それは置いておこう。


「これからの練習はこいつを使おう。本番までにできるだけ慣れておかないとな」


 幸い三本あるし、練習で一本くらい使い潰しても問題あるまい。残りはできるだけ清潔に保管しておいて、本番に使うことにしよう。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



 というわけで青いメスを使い始めたのだが。

 こいつがまた、思っていたよりもとんでもない代物であった。


 何がとんでもないかと言えば、


「……マジで魔法剣じゃねえか」


 ということである。


 今俺の目の前には、相変わらず実験台として腹を切り開かれたウサギがいるのだが。その傷口はバリアで覆われ、出血していない。バリアの物質を反発する力が、血を血管の中にとどめている。

 これ、全体をきれいに覆っているが、切ってからバリアをかけたわけではない。切り裂くと同時にかかったバリアだ。だから、最初から出血はほとんどない。


 だがこれは、チハルが劇的にレベルアップしたからではない。彼女のバリアがメスの刃に吸い付き、開腹に連動して傷口にバリアが塗られるようにして広がって行った結果だ。

 少し形態は違うかもしれないが、ほとんど「刃に魔術を乗せて魔法剣!」である。


「父さん、これすごくない? ボクがあんまり考えなくっても、バリアがしゅって勝手にくっついてくんだよ!」

「ああ、すごい。これはすごいことだぞ。一気にゴールが見えてきた」


 嬉しそうに言うチハルに、俺も似たような調子で返す。いや、まさかここに来てこんなサプライズがあるとは。このメスがあれば、手術の成功も夢ではない!


 ……のだが、実のところ手放しに喜べない点もある。もう一つ、とんでもないことがあった。


「…………」


 テンションを上げてソラルと話し始めたチハルをよそに、俺はメスの切っ先に目を落とす。


 血によって汚れたそれは――血にまみれていてもなおはっきりとわかるほど、輝きを失っていた。さながら血が染み込んだかのように青い刃はくすみ、赤錆びたような色合いが広がりつつある。

 いや、正確に言えば、まだ完全に青さが失われたわけではない。くすみは確かに見て取れるが、全身くまなくというわけではない。青色が錆色に変わりつつある途中、と言ったところか。


 だがその変化が完了したときどうなるのか? という疑問は抱かざるを得ない。


 可能性として最も高いのは、やはり魔術と併用できなくなる、だろう。さらに、切れ味が鈍るくらいの悪影響は出てもおかしくなさそうだ。最悪の場合、壊れる可能性も十分にあり得る。

 もしそうだとしたら、これは様々な意味でリスキーな道具ということになる。調べておかなければならないだろう。


 未使用のメスは残り二本。手をつけた一本目が限界を迎えるまでに、一通りの性質を調べ尽くしたいところだが……どうだろう。最悪、最後の一本だけで手術をしなければならないかもしれない。


 となると……。


「ソラル、隕鉄はまだ残っているか?」

「え? えーっと……なくはないですけど、一本分にはちょっと足りなかったです」

「そうか……」

「どうかしたですか?」

「ああ……どうやら、かくかくしかじかでな。念のためストックを増やしておきたいんだ」

「そんな欠点があったですか!?」


 懸念を伝えたところ、ソラル目を丸くしていた。その視線は、俺が掲げて見せたメスの切っ先に釘付けだ。

 隣のチハルも、似たような反応である。


「ホントだ、なんかやな感じの色……」

「しかし鉄がもう残り少ないとなると……いや、待てよ。せっかくだから、同じ手順を踏んで同じような結果が出るか、青銅でも試してみるか」


 幸い、青銅は鉄に比べればストックが多い。比較実験を兼ねて、青銅製のメスも造ってもらおう。似たような性質がついてもつかなくても、今後の研究課題にしたいし。


「わかったです。じゃあ、ソラはバンパおんじたちともう一回鍛治ですね」

「ああ、頼めるか?」

「もちろんなのです。どうなるのかソラも気になるですし、アダムのおんじもきっと同じこと言うですよ」

「あいつは間違いなく言うだろうな」


 なにせあいつは好奇心の塊だ。実験する機会があるなら、それを見逃したりはしないだろう。

 とはいえ、それで手を抜くような男でもないし、そこは信頼していいやつだ……。


「話は聞かせてもらいマーシタ!」

「うぉあ!?」


 いきなり後ろから声をかけられて振り返ってみれば、そこにはなぜか物陰に半分だけ隠れてこちらを見ているアダムが。何をやっているんだ、お前は。


 ……いや待てよ。前にもあったな、これ。

 あいつ、さてはこのシチュエーション大好きだな?


「どうしてこンな不思議な鉄ができたのカ、俺モ気になってたからネ! 全面的に協力するヨ!」


 だが呆れる俺の心境などどこ吹く風で、アダムがどんと胸を叩いた。


 その隣に、兄貴が苦笑しながら並ぶ。どうやらアダムに付き合わされていたようだ。


「俺も手伝おう。ここまで来たら最後までやるさ」


 しかし苦笑しながらも、兄貴の眼差しはどこまでもまっすぐで、真摯だった。


「ありがとう、二人とも。よろしく頼む」


 そんな兄貴に、そしてアダムに。俺は三日前と同じ形で、頭を下げたのだった。


 そしてさらに三日が経ち、謎の解明と技術の習熟、青銅製メスの準備がどうにかこうにか進んでいたある日の黄昏時。

 恐れていた事態は、何の前触れもなくやって来た。

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