第76話 彼らとの生活

 日が昇り、今日も一日が始まる。

 ケデロシオ村の朝は、ルィルバンプと違って視覚的に華やかだ。


 というのも、地平線から顔を出した太陽が、カスピ海の湖面を煌めかせるから。内陸にあるルィルバンプでは、まずお目にかかれない光景だ。

 光を乱反射するカスピ海を眺めながら、一つ伸びをする。これだけきれいな朝日を全身で浴びると、力がみなぎってくるような気がしてくるから不思議なものだ。


 ネアンデルタール人との不幸な遭遇から、はや二カ月。夏の気配が漂うようになってきており、塩湖であるカスピ海から渡ってくる風が、少し生ぬるく感じるが。


「……もう二カ月か」


 伸びを止めて、ぼそりとつぶやく。

 自分で言って改めて思うが、長いようで短い二カ月だった。


 あれから俺は、ほとんどルィルバンプに戻っていない。塩の輸送などに便乗して数回戻りはしたが、それも数日で、すぐにケデロシオに取って返すという生活をしている。

 チハルもソラルも既にルィルバンプに引き上げているため、ほとんど単身赴任状態だ。


 で、今回思ったのだが、家族に会えないって結構つらいな?

 子供たちももちろんなのだが、メメとテシュミに会えないのがだいぶつらい。精神的にも肉体的にも。


 それに何より、メメが心配だ。安定期に入ったとはいえ、彼女は妊婦なのだ。

 最近は帰るたびにお腹が膨れていくので、嬉しい反面ものすごくはらはらする。なんだかいつもより経過が早い気がするし、今すぐにでも帰りたいのだが……。


「ギィロ、メシ、デキタ」

「わかった、今行く」


 声をかけられて振り返れば、そこには毛むくじゃらの原始人が。


 ……いや、それは言いすぎだとは思うのだが、アルブスと比べるとどうしてもな。これで女だというから、余計だ。

 何が悲しくてネアンデルタール人の女に飯を用意してもらわねばならんのか。

 何が悲しくても何も、必然だということはわかっているのだが……さすがにこれが二カ月も続くとなぁ。一刻も早く、メメの手料理が食べたい昨今である。


 そう、俺がルィルバンプに帰れない理由は、ネアンデルタール人が原因だ。

 二か月前のあの日、彼らは俺たちアルブスの傘下に入ることとなった。このため、唯一彼らの言葉がわかる俺は、通訳としてケデロシオに残らざるを得なかったのだ。


 随分あっさりと受け入れたんだなと思われるかもしれないが、正直俺が一番驚いている。

 というのも、きっかけはもちろんバンパ兄貴の仏心なのだが、それとは別に、彼らの心が完全に折れていてなぁ……。


 以前にも言ったが、アルブスメンズの戦闘力は、明らかに他の人類種とはかけ離れている。この現実世界で、人間が人間を殴ってぶっ飛ぶなんて普通はありえないのだ。

 それを見せつけられたネアンデルタール人たちは、驚くほど従順だった。俺は結構な覚悟を持って彼らとの交渉に当たったのだが、


『テシタ、ナレ』


 の一言で瞬殺だった。

 彼らの言葉には、細かいことを説明するだけの語彙がないので単刀直入に……それも「傘下」のような言葉もなかったため、過激ではあるが「手下」と言わざるを得なかったのだが。

 見事なまでの土下座だった。あれに勝る土下座など、熱した鉄板の上でやる以外にはないと思う。


 というわけで、総勢三十六人のネアンデルタール人がケデロシオに加わった。うち実に二十二人が子供なのだが、これは単に先の戦いで大半の大人が死んでしまったからだな。


 ただ、どうやら生き残った連中は仲間を殺されたことについては、あまり頓着がないらしい。

 なぜそこまでドライになれるのか不思議だったので、あれこれ手をつくして聞き出してみたのだが、


『シンダ、ヨワイ』


 の一言で一蹴されてしまった。

 なので察するに、どうも彼らネアンデルタール人はアルブスやサピエンスと比べて、動物的な特徴が少し多めに残っているのだと思う。


 要するに、強いものには絶対服従という自然の摂理の中にいる。死者を悼むという文化も未発達で、埋葬と言う概念ももちろんない。だから、仲間が死んでもそこまでショックではないのだろう。

 俺が知る限り、ネアンデルタール人は埋葬の文化を持っていたはずなのだが。そうした概念が今俺たちと相対している彼らにないのが、これから発達させていくからなのか、単にまだ持っていない群れだったのか、その辺りのことはわからないままだ。


 話を戻そう。


 ともあれそういうわけで、俺は通訳としてケデロシオに駐留することになった。

 兄貴は妊婦の嫁を抱えた俺に申し訳ないからと一緒にいてくれようとしたのだが、俺がそれを断った。兄貴はルィルバンプの指導的中心人物なので、長く留守にするのはまずいと思ったのだ。


 その点俺は、最初の頃に比べて即効性の高い技術開発はもうできない。誰かに命令する立場でもない。だから俺は構わないのだ。

 心境は別だが。


「メシ、オワタラ、イツモノ、スル?」

「ああ。だからみんなを集めておいてくれ」

「ダイジョブ、シテアル。ダカラミンナ、ソノウチ、クル」

「そうか、ありがとうな」


 朝飯を食べながら、俺を呼びに来た女と話す。

 名前の文化は彼らにはなかったので、この娘にはいつぞやのように俺がハナと名付けておいた。原始人としては珍しく、花で髪を飾っていたのでそうつけた。


 彼女は別に俺の世話係ではなく、同時に俺に対して気があるわけでもない。俺もない。

 しかしとりわけ物覚えがよく、片言ながらアルブス語を話せるようになっているので、最近はもっぱら彼女と会話していることが多い。


 そう、俺はネアンデルタール人たちに言葉を教えている。彼らが俺たちアルブスと生活していくならば、それは欠かせない。「いつもの」とは、ずばり俺が開いているアルブス語講座だ。


 ただし、やはり以前感じた通り、彼らは一部の音を発音できなかった。推測通り、咽頭周辺の構造が違うのだと思う。

 なのでどうしても、彼らの言葉は片言になってしまう。これでも彼らなりに気をつけて、がんばって聞き取れるような音を出しているらしいのだが。


 一方でリスニングのほうは問題ないようで、ハナを始め数人……主に子供たちは、早くもアルブス語をしっかりと聞き取れるようになっている。


 また、彼らは文字も覚え始めている。やはりハナを始め数人は、ひらがなまでマスターしたほどだ。

 なので今後彼らとのコミュニケーションは、文字を使うことが多くなると思う。文字なら彼らでも円滑に主張ができるのだから。


「ギィロ、キター!」

「キター!」

「ワー!」

「げ、もう来たのか。まだ食い終わってないから、しばらく待っててくれ」

「ワカター!」

「ウィー!」


 そうこうしているうちに、まず子供たちがやってきた。

 さすがにネアンデルタール人でも、子供は毛深くない。この段階だと、サピエンスやアルブスと比べてもさほどの違いはないくらいだ。


 彼らの寿命は果たしてどれくらいなのか、どういう風に成長していくのか。一応、彼らの成長速度はサピエンスより早い、という学説があったとは思うが……実際のところはどうなのだろう。

 朝飯を食べながら彼らを眺めていると、そんなことをよく思う。元日本人として興味は尽きない。


 と、そうこうしているうちに大人のネアンデルタール人も集まってくる。その頃には俺も食事を終えていたので、授業を開始することにした。



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 アルブス語講座は朝の一時間くらいと、夕方の一時間くらいの二回に分けて行われる。やる気のあるやつ……たとえばハナなどは、これ以外の時間帯も教えてほしいと言うから教えている。

 なんならハナは俺の視察などにもついてくるので、常に言葉を教えている感じすらあるが……。


 ではそれ以外の連中が授業のない時間帯に何をしているかと言えば、肉体労働である。農耕と製塩は結構な重労働だ。動ける人手は多いほうがいい、というわけだ。

 もちろん細かいところはまだできていないが、単純作業では彼らも大いに役立ってくれている。

 他にも、エッズを中心にして道具作りなどを学んでいるやつもいる。三人組に従って、鍛冶や金属加工を学んでいるやつもいる。


 この辺りは専門職なので、やってみたいと言った連中だけが関わっている。だからか、意外と物覚えがいいやつが多い。


 ネアンデルタール人の脳容量はサピエンスより多かったというが、その辺りも関係しているのだろうか。知力と言う点では、さほどの影響はないという話もあったと思うが……。


 ともあれ、肉体労働に精を出しているネアンデルタール人を見ていると、どうしても思うことがある。


「うーん……ほぼドワーフだよな……」


 処理のしようがないので伸びきった髪と髭が、いかにもそんな風貌なのだ。おまけに彼らはサピエンスより体格が低いのに全体的にがっしりしているので、余計そんな気になる。

 特に青銅を叩いている様子は……なんというか、違う世界に来てしまったような気すらしてくる。

 しかも結構うまいんだよな……。三人組ほどではないにしても……。


「どうだ?」

「いや、ちゃけばメッチャ助かってるス」


 俺の問いに、アインが珍しく真顔で頷いている。セムとモイも同様だ。


 十年を経て金属加工における先達になった男たちは、この件に関しては職人気質を見せる。いつもの軽いノリが、今ばかりはだいぶ薄れていた。言葉遣いは相変わらずだが。


「セイドーの加工ってなんつーかこう、不人気的なアレなんスよね。疲れるっつーのもあるんスけど、やっぱ火が目の前にあるし、たまに欠片飛び散ったりで、ヤバいこと多いんで」

「おまけにタイミングをミスると大けがまっしぐらっしょ?」

「なんで、俺たち以外になり手があんまいないっつーかァ」


 そうなのだ。今まさに三人組が言った通り、金属加工は常に危険がつきまとう。

 だからなのかやってみたいと思うやつがやたら少ないので、後進がほとんど育っていなかったりする。

 これはなかなか由々しき事態で、これまで三人組が培ってきたノウハウが断絶してしまう可能性があった。


 一度途切れた技術を取り戻すことは、極めて難しい。特にこの時代は、金属の入手も困難なので、余計に復活は難しくなるだろう。

 そうならないように、最悪誰かを強制的にでもやらせないといけないかもしれないと思っていたのだが……まったく予想外の担い手が現れたものだと思う。


「あいつらその辺、結構楽しそうにやるんで。教える俺らとしても結構いい感じスよ」

「マジか」

「セイド、タタク、タノシイ」

「マジか!?」


 今まで俺の一歩後ろで静かに眺めていたハナが、突然言葉を発したので思わずオーバーリアクションで振り返ってしまった。


「ワタシダケ、チガウ。セイド、タタク、アカイ。ヒバナ、キレイ、タノシイ。ミンナイウ」

「そ、そうなのか……」

「デモアブナイ、ワカル。ダカラ、コドモ、シナイ」


 今まさに青銅を鍛えている男だけでなく、女も子供もみんな鍛冶を楽しいと思っているのか。それでも危険性は理解できているから、子供には携わらせていないと……。


 なんというか、ますますドワーフみたいだな。もっと他の金属を探して、色々任せてみせたくなってきたぞ。現状、見つけられる金属なんてないけれども……。


 だというなら、三人組にはますますがんばってもらわないとな。アルブスの金属技術を絶やさないためにも。


「そうか……。生活のためには続けて行きたい仕事だから、これからもよろしく頼むよ」

「「「ウィーッス!」」」


 頼もしい返事だ。

 本当、こういうときの彼らはかっこいいのだが……なぜ性癖がああなのか。


 俺は彼らに背を向けて他の場所に向かいつつ、もはや何度目になるかわからないため息をついた。


「ツギ、ドコ、イク?」

「エッズのところだ。うちの娘の依頼のこともあるしな」


 ハナに答えながら、空を仰いだ。


 青い空を見ると、ソラルのことが思い浮かぶ。

 極度のファザコンをこじらせている彼女は、先に自分だけ帰らなければならない事態を全力で拒んでいたが……今頃何をしていることやら。

 俺が留守の間、スズメバチとカイコの世話を任せてあるが……大丈夫かなぁ。魔術の実験と称して、何かやらかしていなければいいのだが。

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