第50話 万能薬疑惑

 テシュミと共に、火種を持ってガッタマの家に入る。

 彼の家はまだできてさほど経っていないが、元より家財道具などほとんどない時代なので、中身は他の家とさほど変わらない。間取りも大体同じだ。


 そんな家の真ん中に腰を下ろして、テシュミと向かい合う。間には、麻の葉が山盛りになった籠。


 これから大麻を吸引するのか……。二十一世紀のものより純度が高いということはないだろうが、ガッタマのあの姿を見てしまっているしなぁ……。

 嫌だなぁ、したくないなぁ。


「ギーロさん、緊張してはります?」

「まあ、そりゃあな……」


 俺は麻の悪い点も把握しているのだ。これによってもたらされる陶酔状態、ひいてはトランス状態が、身体によくないこともわかっているんだぞ。

 緊張するなというほうが無理な話だろう。できればどうにかしてごまかしたいところだ。


「実は私もです。私も初めて吸いますんで……」

「……やっぱりこれ使うのやめないか?」

「私もなんとなく、そんな気してますけど……すぐには無理やないですかね」

「……ですよねー」


 彼らの文化だもんなぁ。やめろと言われてすぐやめられるものじゃないよなぁ。

 むしろ逆効果になりかねないよなぁ……。


 深いため息が口をついて出る。今の俺は、きっと死んだ魚のような目をしていることだろう。


 そんな俺を尻目に、テシュミは籠から麻の葉をじゃんじゃん取り出していく。

 さすがに籠が半分くらいになったところでストップをかけたが、できれば一切れくらいでなんとかしてほしいというのが、俺の偽らざる本音である。


「それじゃ火ぃつけますね」

「……おう……」


 そしてテシュミは、躊躇なく麻の葉を火にくべた。

 山にして一気に火をつけると火事まっしぐらなので、数枚ずつ消費していくスタイル。

 こういうところで慎重でなくともいいのに。原始人の迂闊さを出して、いっそのこと火事にしてほしいのは俺だけなんだろうな……。


 はあ、という俺のため息で、漂い始めた煙の一端がふわりと空気に溶けて消える。

 初めて吸う麻の煙は、単純に煙臭かった。まあ、精製していないし、こんなものなのだろうか?


 あとはこれを繰り返していく……のだが、ちまちましていてわりと手間だ。自然と会話が増えていく。


「テシュミ、いうのは『聞く人』って意味なんです」

「みたいだな。神の声を聞くからか?」

「さいです。ヂカの煙を人よりぎょうさん吸うて、神様の声を聞く役目です。女の数少ない大事な仕事なんで、この名前をもろた女は人気なんですよ」

「……そ、そうか……」


 うわぁ、止めたい。すごく止めたい。

 ただでさえ身体に悪い麻の煙を、人より多く吸う立場って。俺だったら断固拒否する。


 しかしなぁ……言い方からして、黒アルブスにとってテシュミという名前は相当に重要なものなわけだろう?

 そりゃあいきなり現れたよそ者の男にかっさらわれたら、他の男たちは不満だろうな……。


「……でも、聞いてると女だけの仕事なのか。男はしないのか? 別に男だからって問題があるようには……」

「あ、男はダメなんです。神様と繋がったときにうっかり暴れられたら、大変なことになりますやろ?」

「なるほどそれは大問題だ!」


 アルブスメンズのわけのわからないパワーは、今まで散々説明してきた。そんな連中が麻薬の力で前後不覚になり、ふとした瞬間暴れでもしたら、確かに下手な猛獣よりよっぽど性質が悪い。

 その点女なら、万が一のことがあっても取り押さえることは容易なわけだな……。


 女は男より色んな意味で弱いから、それで女の平均寿命を縮めてやいないか、俺は心配だが……。


「そやから、男の仕事は主に祈りを捧げることです。女は聞く、男は捧げる。そんな感じになってるんです」

「ああ……だから捧げる人ガッタマなんだな」

「さいです、そういうことなんです」

「……そのわりにあいつは麻に弱いみたいだけどな?」


 俺の言葉に、テシュミは苦笑した。何も言わない辺り、彼女も擁護できないのだろう。


 しかし、そんな彼女は果たしてどうなのだろう?

 彼女も麻の吸引は初めてみたいだが……彼女の初は、揮発する成分の摂取ではなく、燃やしての直接吸引だ。もっととんでもないことに……なったりしないだろうな……?



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 どれだけ時間が経っただろう。主に儀式での立ち居振る舞い方などを中心に話をしながら、煙を出し続けて……まあ、そこそこ経過していると思うのだが。


「俺、何も起きないな……」


 煙を吸えども吸えども、特に何も起きない。煙たいのでたまにむせることはあるが、それだけである。


 最初こそ単純にじれていたが、あまりにも何も起きないので、思わずあれこれ考察していたのだが……これ、もしかしてあれじゃないか。俺の謎な超回復力が発揮されているのではないだろうか。


 前(二十話参照)にも言った通り、俺はちょっとした傷なら、一時間かそこらですべて治る身体を持っている。いまだにその理由はわからないが、もしもこの超回復力が外傷以外にも発揮されるとしたら?

 体内でもこの力が有効だとしたら……そう、この事態にも説明がつく。つまり体内の毒性が、刺し傷や切り傷と同様に即刻治療されている可能性がある、ということだ。


 そう考えて思い直してみると……確かに俺、転生してから病気になったことがない。子供や年寄り、女はともかく男はわりとみんな健康体だから、俺もそうだと思っていたのだが……。

 普通に生活していたら、一年に何度かある軽い腹下しとか、頭痛とか、節々が少し痛むとか。そういう症状すら感じたことがないのだ。


 この推測が事実だとしたら、俺の謎の治癒力は健康も担保する寿命チートということに……。


『あははははは! ギーロさぁん、私神様と繋がりましたよぉ~うふふふぅ~!』

『おう……みたいだな……』


 考察する余裕すらある俺とは対照的に、テシュミはすっかり出来上がっている。そのせいで、完全に言葉が黒アルブスのものに戻っていた。

 で、けたけた笑いながらその場でくるくる回ったり、地面に横たわってごろごろ転がったりしている。どう見てもただの酔っ払いだ。


 普段からわりとおしとやかな彼女が、こうなるのか……。ドラッグって怖いな……。酒もだが……。

 というか、兄妹揃って笑い上戸なんだな……。症状がガッタマそっくりだぞ……。


「おーう、いーい感じに煙出てるみたいやなぁ?」


 そこに当のガッタマがやって来た。

 まあ、煙を吸いすぎて前後不覚に陥る可能性を危惧しているからか、中には入ってこないみたいだが。

 それでも口調がいつもより緩んでいるので、やはり麻の煙を吸ってはいるのだろうな。加減を見極めたか。


「そっちの準備はできたのか?」

「せやでぇ……ってぇ、なんやぁ、ギーロめっちゃ素ぅやん。こん中でよぉくそのまんまでいられるな?」

「俺も驚いてるところだ」

「そんだけしても神様と繋がらへーんって、お前大丈夫かいなぁ? 本当に神に愛されてるんかぁ?」

「知らんがな」


 というか、心配の方向がおかしい。


『にーいさーん! わたしいつでもだいじょぶですよぉ~! アッハッハッハ!』

『お、おぉう……わかった、それじゃーそろそろ始めよーかぁ……』


 引いてやるなよ、ガッタマ。お前も通った道だぞ。


「そ、それじゃあ拝殿んところで、集合やでぇ。ギーロぉ、テシュミは任せたからなぁ」

「……あいよ」


 壁越しの会話ののち、ガッタマの気配が遠ざかっていく。

 が、途中で何かコケたような音と声が聞こえてきた。やっぱりあいつも相当キているようだ。


 しかし俺だけ素面か……。キツいな……色んな意味で……。


『ギーロさぁん? まだつながらないんですかぁ~?』

『残念ながらだめらしい。仕方ないからこのままいくよ』


 後ろからぐでんとテシュミがしなだれかかってきた。肩越しに突き出された顔が、俺の眼前に迫る。

 ここまで直接的なボディタッチを彼女がするのは珍しい。やはり完全に決まっているのだろう。


『もぉ~、そんなんじゃぁー、ダメですよぉ~?』

『仕方ないだろう、こればっかりはどうにもならない』

『んぅ~……仕方ないですねぇー、さいしゅうしゅだんですぅ!』

『は? 最終手段って何を……』

『噛みまぁす!』

「痛ったぁーッ!? ……く、ないな? あれ?」


 唐突な宣言と共に、テシュミが俺の首筋に噛みついてきた。それも目いっぱいだ。

 絶対痛いと思ったし、噛みつかれた感覚自体はあったが、痛みはほとんどない。


 噛まれているという感覚があるということは、触覚はある。しかし痛覚さんはぐっすりおやすみのようだ。

 ……一応、麻の麻酔効果は出ているのか?


『ちゅぱ……っ。うへへへぇ、こうやってぇ、血が出てるとぉ、ふつーより早く神様とつながれるんですょぉ~? 秘伝の技ですぅ~』


 つまり、血中に直接成分を送り込むということか。そんな秘伝はぜひ失伝してもらいたいな……。

 いや、薬効を早く浸透させる方法としては、理にかなっているとは思うけども。やられたほうはたまったものではない。


 ……まあ、少し待ってみても特に変化が起きる気配がないので、やはり俺は絶対健康的な寿命チートを持っている可能性が高いようだ。


 とりあえず、変化がないならないでよしとして、会場に移動するか……。


『ぺろぺろ……』


 俺が立ち上がったことで、そのまま肩に乗った形になったテシュミが、首筋をなめてきた。

 くすぐったいからやめてもらいたいが……。


『……テシュミさん? 一体何をしてるんでしょう?』

『うー? あはははぁ、血をなめてますぅー! ギーロさんの血はおいしいですよぉー?』

『お前は吸血鬼か……』


 酔っ払いに理屈は通じないものだよな。そしてやめてくれる気配もない。


 この状態でメメの前には出たくないなぁ……絶対何か言われるぞ……。


「……あれ? 私……あれ?」

「え?」


 そのとき、突然テシュミがアルブス語でつぶやいた。

 思わず彼女に顔を向けると、彼女は困惑した様子できょろきょろと視線を泳がせている。


「……えっと……ギーロさん、私……?」

「え? もしかして……目が覚めた?」

「…………ッ!」


 次の瞬間、テシュミの顔が一気に赤くなった。

 もしかしなくても、ラリっている間の記憶があるのか。なるほどそれは恥ずかしい。


 ……まあ、それについては触れないでおいてあげよう。


「ああああああの、ギーロさん、私、私!」

「大丈夫、俺は何も見なかった。何も聞いていない。いいな?」

「うううぅぅぅ~……、は、はいぃ……」


 肩につかまったまま、テシュミが俺の背中に顔を埋める。自然とおんぶの体勢になった。


 ……穴があったら入りたいとは、まさに今の彼女のことだろう。

 何も言うまい。気持ちは分からなくもないからな。


 それに……言い方は悪いが、それよりも俺にはもっと気になることがあった。おかげで彼女を追求する気は一切起きない。

 理由はもちろんただ一つ。なぜこれほど急にテシュミが素に戻ったのか、だ。これに尽きる。


 まだ家から出た直後なので、純粋に煙の効果が切れたということはないだろう。これほど即座に効果が切れるなんて、通常では絶対にありえない。

 なのできっかけは、俺の血をなめたこと以外には考えられない。他にそれらしいことがなかったのだから。


 噛まれた俺のほうも、既に血は完全に止まっている。やはり短時間で、傷そのものも消えるだろう。これ自体は今さらなので、言うことはないのだが……。


 もしかして、俺の超回復力は血に依存するのか? だとしたら、俺の血には傷や病気を治す効果がある……?

 つまり……俺の血は、飲むだけで何でも治る万能薬の可能性が微粒子レベルで存在している……?

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