第19話 準備はしっかりと

 結論から言おう。原始人に土下座は通用しなかった。そんな概念がなかった。


 違う。


 色々と謝りまくってどうにかこうにか許してもらえたが、結局メメがどういうことを考えていたのかははっきりとはわからないままだ。一応、俺と一緒に試食がしたかったのではないかという説が有力だが……。

 まさか原始時代に来てまで「私がなんで怒ってるのかわかる?」的なやり取りをすることになるとは思ってもみなかったぞ。そういうところはサピエンスもアルブスも同じということだろうか。元を辿れば同じ生物だろうし、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが。


 女心というものは複雑怪奇だ。


 ……そんなことを言うから、前世で恋人を取られたのだろうけども。

 まあいい。それはいい。終わったことだ。先のことを考えよう。


 塩探しには絶対連れて行って、一緒に採集するという約束をメメと交わして一ヶ月。八月に入ってしまったわけだが、塩探しにはまだ行けていない。

 正確に言えば探しには行っているし、恐らく塩湖と思われる湖は一応発見済みなのだが、一日で行って帰って来れる距離にそれがないのだ。

 だから今は遠出するための準備をしているところだ。これが整うまでは、下手に群れから離れないほうがいいだろうからな。


 一応、今までの探索も成果がなかったわけではない。群れの南を除いた方角の探索は、大体済ませることができた。あちこち歩いたから、大まかな地形や植生、動物の分布などは把握できたのだ。


 わかった範囲で説明すると、群れから西に行けばいくほど山岳地帯になっていき、定住するには厳しい環境になっていく。逆に東へ行けばいくほど平地になっていき、見た目だけならなかなか豊かそうな大地が広がっている。

 また、北に向かっても高度は下がっていき、川を越えた先は東のような平原が広がっており、実は川を越えた探索で小麦を見つけている。


 思わずその場で叫んだが、既にシーズンは終わっていて、穂はおろか種も全部落ちてしまっていたので、再度叫んだ。落ちていた種がないか探したのだが、たぶん大半が鳥に食われたのだろう。ほぼ見つからなかったのでもう一度叫んだ。

 メメに盛大に心配され、ディテレバ爺さんには盛大に呆れられたが、俺は悪くないと思う。


 そしてその北にある程度行ったところで、東に目を向けるとその先にどうやら湖があるらしい。らしいというのは、俺たちの視力ではまだ見えないからだな。

 メメの超視力は、確かに「川みたいな感じだけど川よりもうんと広い白い何か」が見えているらしいので、今の目標はそこに辿り着くことである。

 ただ、その時不思議なことが起きて、彼女の……いや、この話は後にしよう。正式にその湖(思われる場所)に向かう時にはっきりと説明できるだろうからな。


 ……え、南? 南は森だよ。原生林。奥に行けばいくほど勾配が上がっていくし、川向うまで行ってから南を見ると北から南東に広がる山脈が見えるから、ある程度進んだら低木の林とかになって行って、最終的には山岳地帯になるのだろう。

 そんなところ、正直探索したくない。遭難して死ぬオチしか見えない。だから南の探索はほぼ手つかずだ。

 いや、あれを踏破しようと思うやつがいたらそいつは変態だと思うよ。俺は絶対にやらない。やらないからな。


 まあそんなわけでわかったこと見つけたものは多いが、最初に言った通り肝心の塩は見つかっていない。

 件の湖も、メメの視界でさえ端にちょっと映る程度らしいので、かなりの距離がある。舗装もされていない、手つかずの自然だらけのこの時代に、遠距離の移動がスムーズにできるわけがないので、行って帰ってくるとなると相当時間がかかるだろう。だからこそ準備が必要となったわけだ。


 最大の問題は食料だ。日をまたいで移動するとなると、どうしても保存食が必要になってくる。

 しかし二十一世紀ならちょっとコンビニに入って缶詰でも一つ、と言えるところだが、この時代では一から自作するしかない。


 一応、余った肉を燻製にしてはみたのだ。急造ではあるが、粘土で燻製用の窯を組んで。ただ、調味料がないせいでただ単に煙の風味がついただけ、という。

 肝心の保存性については、氷河期ゆえの気温の低さが幸いしてか、塩コショウなしでも一週間弱は持った。だから行けるとは思うが……塩のために保存食が必要で、そのために塩がいるとか、頭が痛い。


 一方、遠出するに必要なもう一つの要素、水は川沿いに移動することで解決できるはずだ。群れ近くの川がちょうど北東に向かって流れているようなので、川の向かう先が湖だと考えられるからだ。

 この川には種別は不明ながら魚がいることがわかっているから、食料の問題も川沿いを行けば解決するとは思うが……調味料なしで川魚は正直キツい。これは最終手段にしたいところだ。


 あ、ちなみにだが、この一ヶ月で少ないながら玉ねぎの種を採ることにも成功している。もう一ヶ月くらいしたら植えてみようと思っている。今はどこに植えようか考えているところだ。これはまだ時間があるし、後回しでいいだろうけども。


 そして、食料以外に俺が欲しいものがもう一つ。それは服だ。

 いや、俺やディテレバ爺さんは別にいいんだよ。成人した男のアルブスは頑丈だし、今は冬でもないから全裸でもなんとかなる。

 ただ、メメを同行させるとなると話が変わってくる。かよわいアルブスの女、しかも子供である彼女を原始時代の旅に同行させるのであれば、可能な限りの備えはしておいたほうがいいと思うのだ。


 というわけで、探索と並行して皮をなめす作業を群れに広めるなんてこともしていた。

 そして今日、その成果が結実しようとしている。


「ギーロ、こんな感じでどうだ?」

「おーっ、すごいすごい、いい具合にできてるぞ! 完璧だ!」

「そ、そうか? それならよかった……」


 俺の褒め言葉に照れた様子で後ろ頭をかいた男は、以前出産で妻子を亡くして泣いていた男だ。

 名前はエッズ。「小さい」という意味で、実際彼は群れの成人男性の中でもかなり小柄だ。百六十センチ弱と言ったところか。なんというか、ファンタジーでよくあるドワーフか何かに見えなくもない。アルブスだから、ドワーフと違って大量のヒゲはまったくないけども。


 そんな彼をなめし作業に抜擢したのにはわけがある。

 実は彼、妻子を亡くして以降あまり活発に動かなくなってしまっていた。狩りに行く機会も減らして墓場の近くでひたすら菩提を弔う生活をずっと送っていて、定期的に花を供えたり、神様に祈ったりと、一人宗教の様相を呈していたのだ。

 要するに他の男どもと違って時間がありそうだったわけだ。


 とはいえ、別に暇だろうから、というわけではない。

 狩りにあまり行かなくなり、ただ漫然と日々過ごしているだけ(本人はそうではないのだが)の彼を邪魔者扱いする風潮が出始めていたから、それをなんとかしたいとバンパ兄貴から相談されてな。

 狩り以外でも何かしらの仕事を与えることで群れに貢献できればそれもなくなるだろうと思って、協力者に抜擢したわけだ。


 ところがやってみたらこれが大当たり。この男、意外なことに手先が器用であった。元々俺にもなめし経験がなかったこともあってか、数回こなすだけで俺よりうまくなめし加工できるようになってしまったのである。

 草木を煮詰めてタンニンを濃縮させたりとか、何度も溶液に毛皮をくぐらせたりとか、ひたすら揉むとか……。そういう地道な作業を黙々とこなせるタイプだったのもあるかもしれない。


 本人に言わせれば、「落ち着く」ということらしい。俺にはちょっとわからない心境だ。ある種の悟りの境地のような気もする。


 まあそれはさておき。


「これだけきれいになめしてあれば、服をもっと幅広く用意できる……!」


 太陽に透かして見ても、手触りを確認してみても、少なくとも素人の俺にはかなり均等に処理が施されているように感じる。

 二十一世紀に生きるなめしのプロが見たら、これでもまだまだ荒いのだろうが……原始時代なら十分だろう。あとはこれらをうまく組み合わせて縫い合わせて行けば、服の幅が一気に広がるぞ。


 針はもう用意してあるんだ。骨を加工したやつだ。糸も、とりあえずいつも通り樹皮さんにスンタバってもらっている。どうしても細い縄くらいまでしか太さを絞れなかったが、対象は布ではないから何とか行けると思う。


「よし。エッズ、すまないがこれからも皮なめしを頼む」

「……俺でいいのか?」

「少なくともお前が今、一番の職人だ。お前に任せるのが一番だろう。人手が足りなかったら、俺や兄貴に言ってくれ。出来る限り整えるから」

「……すまん。俺がろくに働かないせいで……」

「いいんだよ。それだけ辛かったんだろ? 無理もないさ。それでも言い足りないなら、謝罪じゃなくて謝礼を兄貴に言っておいてくれ。発起人は兄貴だからな」

「バンパ……うう、俺なんかのために……ありがてぇ……」


 どうも涙もろいやつだな、エッズは。

 まあ、兄貴が有情すぎるのもあるとは思う。上に立つ人間として必要な立ち居振る舞いを無意識にやれる人だよな、兄貴って。

 そんなことを考えながら俺は、兄貴の家に向かうエッズを見送った。


 後日、毛皮を縫い合わせるためにあれこれやっていた俺の下へあいさつに来た彼は、今までのふさぎがちな彼とは別人のようにエネルギーに満ち溢れていた。そのまま男女問わず数人を引き連れ、なめし作業をけん引し始めたのだから、人間変われば変わるものだ。


「エッズは立ち直ったみたいだな。兄貴、何を言ったんだ?」


 メメ用の服を作ろうと思って毛皮同士を縫っているさなか、兄貴にそう尋ねてみれば、


「あのなめしというやつをすれば、毛皮がもっと丈夫になって腐りにくくなるんだろう? だから、これから来る冬を乗り切るためにお前の力を貸してくれと言っただけさ。エッズの力があれば死ぬ数が減らせるはずだから、とな」


 とさらっと返ってきた。いやー、兄貴は相変わらずのイケメンだよ、まったく。


「……それを素で言えるんだから、兄貴は本当すごいよな」


 群れ有数の実力者直々に腕を見込まれて頼み込まれるって、人間の心に火をつけるには十分すぎると思うぞ。ましてやそのために人員まで割いてくれるとなれば、発奮しないはずがないだろう。

 さらに言えば、死人を減らすためという目標もエッズにとっては奮い立つ理由になるだろう。凍死ではないにせよ、妻子の死をあれだけ悲しんだ男だ。同じ目に遭う者を減らせるなら、と考えるのは自然な流れだと思う。


「俺は思ったことを素直に言っているだけなんだが」

「兄貴、謙遜はやりすぎると嫌味になるんだぜ?」

「そ、そうなのか。しかしこればかりは……」


 兄貴はそう言うと、苦笑を浮かべながら頬をかいた。その仕草はまるで子供みたいで、妙にかわいらしい。なんというか、微笑ましくて思わず吹いてしまった。


「どうした?」

「ごめんごめん。ま、偉ぶるのが兄貴の性に合わないことはわかっているよ。そんな兄貴だからエッズも持ち直したんだと思うし」

「…………」


 そう赤面しないでくれ、俺は兄貴を攻略したいわけではないのだ……。素直に兄貴を尊敬しているだけだから……。

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