第18話 夫婦喧嘩は犬も食わない

 幸いにして、玉ねぎはわりとあっさり見つかった。

 と言っても、メメの超視力がなかったらもう少してこずったとは思う。やはり彼女の能力は便利だ。


「これと同じものを探せばええんじゃな? 任せとくれ!」


 そう言って俺の頭上で力を行使した時のメメは、なるほど神聖視されても不思議ではない確かな迫力があった。

 彼女がしっかと目を開き、彼方の景色を見据えた瞬間に周囲の空気が張りつめたような、そんな感じがしたのだ。そして肩車で直接触れている部分から、じんわりと彼女と何かが繋がったような感触があった。

 もちろん、実際にそんなことが起きているとは思わない。雰囲気に飲まれただけだろう。彼女が超視力を発揮する様を間近で見るのは、これが初めてだったしな。


「見えたー! あっちのほうにあるみたいじゃー」


 そしてさして時間もかけず、玉ねぎを発見してくれたというわけだ。後は彼女が指し示す方へ歩くだけだった。


 位置としては、群れから東に一時間半と言ったところか。足元は当然未舗装な上、緩やかな下り坂になっていたので、かかった時間に反して距離自体はさほどでもないかもしれない。

 というより、その時間の測定も体感によるので、実際の所要時間は不明なのだが。


 幸い道中で野生動物に襲われることはなかったし、転ぶなどの不慮の事故もなく、移動自体は平和だった。


 そしていよいよ玉ねぎとご対面、なのだが……。


「……見られておるの」

「それは仕方ない、どちらかと言えば俺たちの方が招かれざる客だ」


 玉ねぎと思われる植物が群生していた地点。その周辺に、数頭の狼(的な感じの生き物)がたむろしていた。

 後世の狼と同様であるなら、薄明薄暮性の傾向が強いはずだが……わざわざこんな昼間に顔を見せている理由は、近くに転がっている動物の死骸だろう。たぶん爺さんたちが最初の狩りで仕留めた獲物の残骸だと思うが、彼らはそのおこぼれにあずかっていたというわけだ。

 俺たちが戻ってきたので残骸は放置して距離を取ったが、せっかくありついた獲物が名残惜しいのか、遠巻きに俺たちを観察している……といったところだろう。


「なんだか落ち着かんのじゃ……」

「連中は大体他の動物が食べた後の肉などを食べる。こちらから手を出さん限りは襲われんから安心するのじゃ」


 と言いつつ、ディテレバ爺さんは丸太をぶおんぶおん鳴らして振り回している。

 爺さんの影に隠れているメメは、かなりの速度で舌打ちを刻んでいる。どちらも相当に警戒しているのだろう。


 ただなあ。長老格の年寄りとはいえ、アルブスの中でも大柄な爺さんがあんなことをしていたら誰だって怖いだろう。連中が近づいてこないのは、単に危険物扱いされているからだと思うぞ。

 爺さんが張り切っているのは、メメが怖がっているからだとは思うが……吸血鬼の島はもちろん、ナントカオブザデッドとかにいそうなんだよ。


 しかし……狼か。俺の目下の関心事は玉ねぎだが、連中もかなり興味深い。


 狼(というよりは犬)は、人類史上最初に家畜化された動物と言われている。人に従順な気質の狼を長年に渡って飼いならしていった結果、犬という種が生まれたというのが定説だな。

 あるいは、共通の先祖の中から人に慣れ飼いならされたものが犬に、野生のままであったものが狼に分化した、という説もあったか。俺が死ぬ少し前くらいから、こちらのほうが主流なってきていたんだったっけか?


 まあどっちが正しかろうと、サピエンスが犬をずっとパートナーとして生きてきたことは間違いない。文明を持って歴史を記録するようになるはるか以前から、犬と共に暮らしていたのだ。それが二十一世紀までずっと続いていたのだから、人類史における犬の意義はものすごく大きいと思う。

 実際にどのような経緯を辿り、どういう試行錯誤があって狼から犬へ変化していったか……その詳細は猫型ロボットのテレビでもない限りわからないが、歴史のロマンを感じるよな。


 とはいえ、現状では家畜を飼うような余裕はない。それよりも自分たちが生きていく分を確保するほうが大切で、他に構っている余裕はないのだ。

 それでもいずれは、牛か羊……あるいは馬など、何かしらの動物を家畜として取り扱えるようになりたい。実現するのは俺の死んだ後になるだろうが、動物の家畜化というノウハウ、あるいはできるという実績を、記録(記憶でもいい)として残しておくことは無駄ではないとも思うしな。


「……ま、今はそれよりも……」


 狼の警戒は爺さんに任せておけばいい。狼を恐れて、メメがまるで動く気配がないのも嬉しい誤算だ。


 そんな二人を尻目に、俺は玉ねぎに目を向ける。もちろん茎しか見えていないが、視界に入る玉ねぎの半分ほどが既にネギ坊主をつけている。


 これはいい。何日か後にまた来れば、種が手に入るかも知れない。

 にんまりと笑いながら、俺はまだネギ坊主をつけていない茎に当たりをつけて、根っこごと掘り起こしてみる。


 出てきたのは、先ほど爺さんに見せられたのと同じような玉ねぎ。緑色の細長い茎を支えるかのようにして、ぷっくりと膨らんだ根。俺の知っている玉ねぎと比べて小さくて貧相だが、品種改良が一切されていないであろうこの時代なら、これも当然かもしれない。それでも土を掃って顔を見せたその丸みと色は、記憶にある玉ねぎに限りなく近い。


 行ける!


 ……気がする。

 玉ねぎと断言していいと思う。


「……自生している数もそこそこあるな。これはいいものを見つけたぞ」


 見た限り、ざっと数十株ほどが見える。これだけ自生できるなら、この周辺は玉ねぎにとって十分生育が可能と見ていいだろう。一部は群れに持って帰り、一部をここに残して育ち具合を比較しよう。

 群れの周辺で育てられればいいが、原油とアスファルトが自然湧出していて、かつ常時火を焚いているあの周辺で育つかどうかわからない。全部採り尽くしてしまって、栽培も失敗なんてことになったら目も当てられないからな。


「よし……とりあえず二株でいいか。おーい二人とも、帰るとしようぜ」

「あいわかった」

「えっ? あっ! わしの分はー!?」

「終わったよ」

「んなー!? わしもたまねぎ採りたかったのにー!」


 うむ、それを許して試食権をメメに持たせるわけにはいかなかったからな。敢えて声をかけずにさっさと済ませた。すまないが、狼に気を取られていたメメの負けだ。


 ……とはいえ、このまま放っておくと色々と面倒だ。フォローの一つでも入れておくか。


「本当に食べられるかどうかがわかったら、また一緒に来ような」

「……バカー!」

「はぁっ!?」


 フォローのつもりで言ったのに、ぺちんとかわいいモミジを食らってしまった。


 何故だ。痛くもかゆくもないが、解せぬ。


「あっこれス・フーリ! 一人で勝手に動いちゃいかん!」


 そのままぷんすか言いながら走って行ってしまったメメを、爺さんが慌てて追いかける。慌てすぎて呼び名が前のに戻っている。


 まあ、男女で体格差が大きいアルブスだ。爺さんはすぐに追いつくだろうが……。


「……なんで叩かれたんだ。どういうことなのかさっぱりだ」


 玉ねぎ掘りをしたかったのだろうと思ってのフォローだったのだが……その前提が違ったということだろうか。


 どこだ。どこで俺は間違えたのだろう。

 試食か? 試食がしたかったのか? だとしたら確かに、俺のフォローは的外れだったかもしれない。


 うーむ……しかしなぁ。試食でメメにもしものことがあったら、俺は間違いなく爺さんに殺される。メメのことを心配して、という気持ちももちろんあるが、何より恐ろしい舅が後ろに控えている限りは……。


「……そもそも二十一世紀と変わらない食べ物なんてあるかぁ?」


 要はメメが試食しても、絶対に大丈夫だと俺が自信を持って食べられると断言できるものがなければ、彼女に試食させるのはわけにはいかないわけで。


 かといって、そこらへんに生えているものの中にそんなものがあるはずもない。

 そもそもの前提として、俺たちはサピエンスではないのだ。前世で食べられたものが、毒にならない保証はどこにもない。

 地球上の全生物に共通して必要な食べ物でもあればいいんだが……。


 む? ……待てよ、食べ物ではなく栄養素として考えたら……。


「そうだ! 塩だ! 塩だよ! これなら間違いなく食べても大丈夫だろう!?」


 閃いたぞ! 視界の端で狼がびくんと小さく震えたのが見えたが、構うものか!


 塩は間違いなく、地球上の多くの生物にとって必要な栄養素だ。これがないと、様々な症状が出てとんでもないことになる。具体的には、最悪死ぬ。

 これを避けるためにサピエンスは自ら塩を作る技術を獲得するのだが、他の動物だってあの手この手で塩を獲得していた。

 確か、アフリカのどこかで、象が塩分を含んだ土を食べているシーンを昔テレビで見たことがある。野生動物ですら、それくらい塩は重要な要素のはずなのだ。俺たちアルブスでもそれは変わりないはず。


 そして、今俺がいる場所は西アジア周辺らしいが……。


「西アジア中央アジアなら、塩湖がいくつかあったはずだ!」


 記憶にある地図は当然二十一世紀のものだから、この時代に当てはまるかどうかはわからない。だが、少なくとも現代においては、西~中央アジアにはいくつかあったはずだ。

 おまけに、もし西アジアだったら世界最大の塩湖、カスピ海がある。カスピ海は歴史の古い湖だから、発見さえできれば塩を試食する機会だってあるはず!


 うむ。もしメメがふてくされた理由が試食なら、塩を探す方向で行こう。どの道、味付けのためにも塩は手に入れたかったし、ちょうどいいかもしれない。

 塩湖を探すなら、メメの能力を借りたほうが効率がいいのは間違いないしな。なんとか拝み倒して同行してもらいたいところだ。

 ネックになる群れからの移動については今回で既成事実ができたから、押し通せばいい。もれなくディテレバ爺さんがついてくるが、これはむしろありがたいと思うべきだろう。


 よし、考えはまとまった。間違いない、これで行こう!


 他の理由だったら……まあ、うん。

 その時は、素直に謝り倒そう。日本人渾身の土下座を見せてくれる。十発までならぺちんされてもいいぞ。


「それじゃ追いかけるか……ってもうあんなところまで行ったのかよ!? ……爺さんの肩車か! あの親バカ爺、張り切りすぎだろ!」


 いつの間にか、かなりの距離を離されていた。おのれ爺。


「待ってくれよ! 置いてくなコラァーッ!」


 仕方がないので、俺は怒声を張り上げながら走り出した。こんな形で太陽に吠えたくなかったわ!


 沈み始めた太陽に向かって疾走する俺の背後から、狼の鳴き声が聞こえてきた……。

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