第8話 次に向けて
二十一世紀人的には簡素な葬式が終わり、数日が経った。群れはすっかり元に戻った様子だが、一大決心をした俺はゆっくりしてはいられない。
女子供、ひいてはサピエンスの男よりはるかに頑丈なアルブスメンズの俺も、いつ死ぬかはわからない。何せ医療のイの字もない氷河期だ。あと十年生きられるかどうかすら見通しが立たない。
寿命? ハハッ、なにそれおいしいの?
そんな状況で俺が長生きし、しかも種族を繁栄させる……改めて言葉にすると、かなりの無理ゲーな気がする。それでもできる限りのことはすると決めた。
そのためには、俺が死ぬまでにできる限り、この群れの様々な水準を引き上げておかなくてはならないだろう。それだけではなく、俺が引き上げたものを維持するだけの能力を群れに確保させる必要もあると考えている。
俺一人だけが知識を独占している状態は危険だ。俺だけに発展が依存している状態なんて、俺が死んだ後にどうなるかわかったものではないからな。
大事なことは、突出した能力の持ち主(俺はズルをしているだけだが)が構築したものを、いかに次に残していけるか。次にどう繋げるか。それができて初めて繁栄と言えると俺は思う。
そんなわけで、俺は俺だけが物事を知っている状況を打破せねばならんと思っている。誰かが知っているところまで持っていければ、あとは社会が機能している限りは英雄と呼ばれる者が現れて、なにがしかの成果を作っていくだろうから。
ではそのために何が必要か? と考えれば、何よりもまず重要なのは文字だろうと、そう思う次第だ。
技術や知識の継承は口伝でもできるとは思うが、それだと知識人が何かの拍子に早死にすると継承できなくなってしまう。だが文字として記録が残っていれば、多少の苦労はあっても再現できる余地が残る。
それに文字と言う概念があれば、たとえば俺が着手する前に寿命が尽きたりして実現できなかった構想、あるいは技術の情報を遺しておくこともできる。予言の書みたいな感じになりそうだが、ともあれそれらの理由で文字が必要だと判断したのである。
とはいえ、この時代に文字を覚える必要性を理解できる原始人などそうそういるものではない。実際日々を生きるだけなら必要ないし、そもそも文字が存在しないからな。
だが、遊びの中でそれを学べるならどうだろう? ということで、俺が考えているのは
ことわざを示す絵を用意してもことわざという概念がほぼないから、そこは他のもの……単純に固有名詞などで代用するしかなかったし、導入しても文字が普及するとは限らない。するとしても、かなりの時間が必要になるだろう。
それでも、先を見据えて文字は導入すべきだと思う。理由は先に述べた通りだ。
まあ、最大の問題は、俺に絵心がかけらもないことかな!
しかし心配ご無用。何も俺一人ですべてをやらなければいけないわけではないのだ。既に目星をつけている……というか、仕事を頼んでいるやつはいる。
「やあみんな、調子はどうだい?」
「あ、ギーロ。うん、いい感じだと思うわ」
「こんな感じなんだけど、どうかしら?」
群れの一角に集まっていた四人の女たちに声をかけると、全員が一斉にこちらに振り返った。その中の一人が、手にしていた木片を俺に差し出してくる。
そこには、黒一色で描かれた絵。歪な円から、線が放射状に伸びている絵だ。ここに「た」と右上に記入する予定である。太陽の「た」だ。
全力で日本語のひらがなだが、新しい文字言語を作るなんてトールキンみたいな才能も根性も俺にはない。何より面倒だ。
なので、せっかくだからこの原始時代に日本語を再現させてやろうと思う。後世で発掘した学者は混乱するだろうが、そんな未来の話は知らん。
「おっ、いいじゃないか。うまくできてるよ、この太陽」
「うふふ、よかった」
俺の答えを聞いた女が笑う。しかしその笑い方には、どこかほっとした様子が含まれている。初めての仕事で、物事の成否の度合いがわからなかったのだろう。
そう、俺は女たちに絵を描く仕事を頼んだ。この群れは原油のおかげで、火を起こしたり維持したりする仕事がないからな。普通の原始人より少し女の仕事が少ないのだ。そこに絵の仕事を入れてもらったというわけである。
最初は滅茶苦茶苦労したけどな。何せ絵という概念がまだなかったから!
絵がどういうものか、というところから教えなければいけなかったから、想像以上に進まなかったのだ。
バンパ兄貴のおせっかいのおかげで、比較的俺に好意的な女たちが集まっていなかったら、今はまだ絵を描く段階には行っていなかったと思う。
「全体の進みはどんな具合?」
「今ので十五枚目よ。全部はまだ何日もかかりそうだわ」
「思ったより早いな。今の速度で十分だから、みんな無理はしないようにな」
「わかってるわ。気にしてくれてありがとうね」
にこりと微笑む女であるが、その姿は幼女が精いっぱいの背伸びをしているようにしか見えないのである。
せめてもう二十センチほど大きくなってくれないかなー……。
彼女たちには申し訳ないのだが、残念ながら俺には彼女たちを愛する自信がない。どうしても子供を見ている気分になってしまう。
しかしこの時代に子孫を残さないというのは選択肢としてないわけで……うう、本当にどうしたものだろう。
とはいえ考えても答えは出ない……というか、いずれは強制的にくっつけられる気がする。そんな気がする。その時が来たら……腹をくくるしかないのだろうなあ。
まあ、今はまだその時ではない。この問題は棚に上げて、俺は俺の仕事をするとしよう。
「じゃあ、俺はちょっと川まで行ってくる。ここは頼んだよ」
「わかったわ、気をつけてね」
「何もないと思うけど、武器は持って行ってね」
「そうするよ」
と、そんな会話を交わして俺は彼女たちから離れた。
さて、彼女たちに絵を任せて俺が何をしようとしているかと言えば、土器作りだ。
土器は重要だぞ、それはもう半端なく重要だ。何と言っても、土器は人類が初めて化学変化を使って作りだした発明品と言われる。乱暴な言い方をすれば、粘土を焼いて固めただけではあるが、過程が変わってこそいるものの、現代でもこの方法で器の大半は作られているのだから、偉大な発明の一つと言って差し支えないだろう。
そんな土器の意義は多いが、特に重要なことは水を煮沸できるようになることだ。ここから派生して、木の実などのあく抜きや、その他食料の煮炊きが可能になる。
つまり、食料のバリエーションが広がるのだ。食べ物が乏しいこの時代に、食料にできるものが増えることの意義はご理解いただけると思う。衣食住が最低限整ってきた今、俺がやるべきことはこれだろう。これこそ生命の存続を左右する、重要な発明だ。優先度は高いぞ。
では土器を作るために何が必要かと言えば、ずばり粘土である。しかし、現代なら陶芸用の粘土が普通に売っているが、この時代にそんなものがあるわけがない。となれば自分で用意するしかない。
「お、兄貴。これから狩り?」
準備を済ませ、籠を背負って外に向かうと、数人の男たちを引き連れた兄貴がいた。
「そうだ。そう言うお前も……何か背負ってどこか行くのか?」
「川まで、ちょっとね」
「そうか。川は危険だ、気をつけろよ」
「わかってるよ。大丈夫、中に入ったり越えたりするつもりはないから。兄貴も気をつけてな」
「ああ、任せておけ」
それだけ言葉を交わすと、俺と兄貴は軽く拳を合わせた。
どうやら今日の狩りは西に行くようで、兄貴とはここでお別れだ。彼らを尻目に、俺は北に向かう。
今俺が背負う籠の中には、土が目いっぱい入っている。これらは土器のために必要な、粘土のための土だ。家づくりが落ち着いたらやろうと前から決めていたから、ある程度は下処理をしてある。
ただ、一応雨にさらしたり乾燥させたり、こねやすいサイズに砕いたりはしたが、道具がない現状はこれ以上は細かくできそうにない。できれば粉状になるくらいまで砕きたかったが、こればっかりはどうしようもない。
そして、粘土作りにどうしても必要な一定量の水分は、群れの周りでは手に入らない。何せ常に湧き上がる原油が燃え続けているから、滅茶苦茶乾燥しているのだ。気候がそれに拍車をかける。
というわけで、北に向かうのだ。前にも言ったが、北には川がある。この周辺で土をこねくり回す予定だ。
ちなみに今背負っている籠は、例に漏れず樹皮で作ったものである。生前、工場で余った結束バンドを使って籠を作ってチャリティバザーに出したりしていたのだが、思わぬところで役に立った形だ。
「川の辺りもいずれ手を加えたいところだなぁ」
葦をかき分けて川べりに辿り着く。幅も水深もそこそこの川であるが、結構水量が安定しているので、将来的には重要な意味を持ってくると思う。
水面を覗き込んでみれば、様々な魚が泳いでいるのが見えた。
それらがどういう魚かはわからない。鯉のような気もするが、俺の知っている鯉といえば錦鯉なので、本当にそうかと言われればわからんとしか言えないのだ。
まあ、たまに食うこともあって、特に問題は起きていないから気にしなくていいだろう。俺としては、川魚特有の臭いがどうしても苦手で避けているがな。塩が……せめて塩さえあれば……。
「ないものねだりをしても仕方ないな。……あとは、この川もいずれは越えて探検してみたいもんだ。地域的に麦のどれかがあってもおかしくないと思うんだよな……。それが無理でも麻はほしい……」
どちらも今後のためには手に入れておきたいものだ。
麦はこの際諦めてもいいが、麻は絶対に欲しい。どうにかして布を手に入れたいのだ。何せ、今は濡れたら濡れっぱなしで拭いたりできないからな。うっかり雨とかに濡れるとクッソ寒いんだよ。
などと未来に向けてあれこれ考えながら、土を濡らしてこねる。ただ濡らすだけではなく、砂も混ぜるといいと聞いたことがあったので、ちょこちょこと加えつつ。明らかに目につく不純物も取り除いていこう。
地味だけど、これが意外と楽しい。なんというか、童心に帰れるというか。
思わず日本の音楽を口ずさみながら、リズムに乗って粘土をぺったんぺったんする。イボンコペッタンコ! イボンコペッタンコ!
あ、もっと楽しくなってきたぞ。高まってきた。
「イボンコペッタンコ! イボンコペッタンコ!」
「……何をしとるんだ、お前さん……」
「ぶっほぉッ!?」
突然の声に驚いて顔を上げると、川を挟んで向かい側に見慣れない顔があった。
え、ちょっ、見られてた? 聞かれてた!? うわあ恥ずかしっ! 死ぬ!!
「……こんなところで一人で土を……んん? 本当、お前さん何しとるんだ……?」
「え、あ、あー、えーっと……」
だが俺の心境などお構いなしに、そいつは首を傾げながら問いかけてきた。
慌てて言い訳をしようと、どもりながらも頭を働かせたところではたと気づく。
誰だお前!?
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