第2話 とにかく毛皮を!

 さて、衣を用意せねばと決意したのはいいが……一つ確認しておこう。


 普通「衣服の材料は?」と問われた現代人が思い浮かべるのは、大体木綿か化学繊維だろう。夏には麻が出てくるかもしれないし、冬なら羊毛も選択肢だろう。他にもあるかもしれないが、俺が思いつくのはこの辺りだ。

 ではそんな材料を一体どこで調達するのかというと……そう、原始時代にそんなものあるわけがない!


 正確に言えば、あるにはある……はずだ。化繊はともかく、自然で採れる麻とか木綿はあるはずなんだ。

 けれど、長い時間をかけて品種改良された現代のものとは比べ物にならないくらい粗末なものだろうし、何より特定の地域でなければ手に入らない。


 たとえば木綿。現代では一般に普及した衣料で、最も一般的な素材であろう木綿。こいつの原産地はメキシコ周辺、もしくはインド周辺と言われている。

 が、今俺がいる地域は西~中央アジア。現代なら車か飛行機で、と言えるがここは原始時代だ。徒歩しか手段はない。となれば、絶対に手に入らない。地球は広いのだ。


 麻は種類さえ気にしなければ比較的世界規模で手に入るはずだが……とりあえず、今いる場所から見える範囲にはそれらしいものは見当たらない。探せばあるかもしれないが、可及的速やかに服がほしい現状では得策とは言えないな。


 ではどうすればいいのかというと……一応、方法がないわけではない。それが毛皮だ。

 動物の毛皮は、しっかり処理をすれば衣料として用いることができる。さらに言えば、この時代の主食は狩ってきた動物だ。もちろん毛皮なんて食べないから、捨てられるだろうそれを用いるというのが一番現実的だろう。


 動物によって衣料に向く、向かないはあると思うが、この寒さをしのげればとりあえず今はなんでもいい。しっかりとした毛皮を持っている動物なら、なんでもいい! なんだって、いい!


 そして幸いなことに、今俺の目の前には仕留められたばかりの獲物が横たわっている。


「獲物が取れたぞー!」


 と、そんなことを言いながら、数人の屈強なガチムチども(もちろん全裸である)が少し前に群れに戻ってきたのだ。全員が手に槍状の石器を持っていて、まさしく原始的な狩人とでも言うべき連中が持ってきてくれたのだ。

 で、その獲物なんだが。


 鹿……じゃ、ないかな、って……思う。たぶん……だけど。


 いや、だってここは現代から七万年くらい前の時代だから。そこらへんに生息している動植物が、どれもこれも現代のものとは微妙に違うんだよ。七万年もあれば、何かしらの形で生物は変化するのだと言われている気がする。

 だから今、獲物として持ってこられた動物の死体も全体的には鹿なんだけど……ちょっと首を傾げる部分があるんだよな。具体的には大きさとか。どう見ても大きい。


 まあ、正式名称はこの際どうでもいい。今後はこの生き物を鹿と呼称することにして、問題は毛皮だ。それが取れるなら細かい事なんて気にしていられないのだ!

 ……早くも群れの連中が、食いやすいサイズに切り分けて火であぶっている点についてもこの際後にしよう。血抜きしろよと思うが、それよりも俺は何より毛皮がほしい。


「どうしたんだギーロ、食べないのか?」


 肉よりも毛皮を! と思ってナイフ状の石器を手にした俺に、声をかけてきた男がいた。

 そちらに顔を向ければ、ガチムチだらけの狩人の中でも一際ガチムチの巨漢。現代日本でこんなのに後ろから声をかけられたらまずビビること間違いなしだが、その顔はかなりのイケメンである。


 そこに愛嬌を感じるのは、恐らく俺が転生したこの身体の持ち主の実の兄だからだろう。泣く子も黙りそうな風体ではあるが、この身体……ギーロにしてみれば、頼れる気のいい兄貴らしい。

 名前はバンパ。この群れの言葉で「大きい」的な意味だ。小学生の渾名かって言いたくなる名前だが、本来名前なんてそんなものだろう。元をたどればヨーロッパの名前だって似たようなものだし。チャールズなんて、単に「男」って意味なんて説があるくらいだしな。日本語がめんどくさすぎるんだ、表意文字だから。


 ちなみに第二話にしてようやく出た俺の名前ギーロだが、これは「ヒョロガリ」的な意味だ。確かに兄貴に比べれば、俺の身体は細い。背丈は他の男どもとさほど違いはないんだが……あまり覇気のない性格だったようだから、仕方あるまい。


「いや……その前にやりたいことがあるんだ」

「やりたいこと?」

「ああ。兄貴、悪いけど獲物を切っていいか? 肉には手を付けないから」


 俺の言葉に、兄貴はきょとんとしてしばらく固まった。俺が何をしたいのか、まったく理解できないという顔だ。

 しかしフリーズから回復した兄貴は、真顔に戻ると小さく頷いた。


「俺にはお前が何をしたいのかさっぱりわからんが……勝手に肉に手を付けないと誓うなら、俺は認めよう」

「ああ、誓うよ」


 俺が言うや否や、兄貴は踵を返して獲物を切り分けていた狩人仲間に掛け合いに行った。

 そしてほどなくして俺のところに戻ってくると、いいぞと言わんばかりに獲物のほうへ顎をしゃくって見せる。


「ありがとう、兄貴」

「いいさ。普段わがままを言わない弟の頼みだ」


 がははと豪快に笑う兄貴に肩をすくめる。

 俺の中身は既に、あんたの知る弟じゃないんだがな……どうも根っからの善人らしい。少し心苦しいが、俺も生死がかかっている。これ以上考えるのはやめよう。


 促されるまま獲物の前で片膝をついた俺は、ずっと持っていた石器で獲物から毛皮をはぎ取っていく。現代日本で少しだけやったことはあるが、やはり叡智の結晶とも言うべき現代のナイフとただ石を削っただけの石器じゃ、やりやすさが段違いだ。

 だが、コツ自体は大体共通している。苦戦はしたが、やがて獲物から毛皮をはぎ取ることに成功した。見事な鹿の毛皮だ。誰が何と言おうと、これは鹿の皮だ。そうに決めた。


 ちなみに仕留める際に派手に殴打していたようで、首から上は損傷が激しかったからそこは除いてある。身体にもいくつか殴打痕があったが、頭に比べれば軽傷だったからここはそのまま使うことにした。


「ふう……これでよしと。ありがとう兄貴、みんな……って、どうした?」


 毛皮をはぎ終って顔を上げてみると、周りから注目を浴びていた。なんだ、俺が何か変なことでもしたか?


「……ギーロ、その……俺にはやっぱり何がしたかったのかさっぱりなんだが……そんなものをどうするんだ? 皮なんて食べられないだろう」


 ああ、なるほど……そこに行く着くのか……。本当にこの群れはまだ、衣服という概念を開発できていないんだな……。


 俺に言わせれば、こんな寒風吹きすさぶ中で全裸で立っていられる神経を疑うぞ? 女子供なんて身を縮こまらせて震えてるんだから、防寒は喫緊の課題だと思うんだが。


「いや、これを……こう、すれば」


 仕方ないので、実演しよう。

 俺は今まさにはぎ取ったばかりの毛皮を、くるりと身体に巻きつけた。まだ生の皮のほうを肌につけると色々としんどいから、毛のほうを下になるように。


「寒くないんじゃないかと思ってさ。思った通りだったよ」

「な……ッ!?」


 俺の言葉に、群れ全体が沈黙した。電流奔るって感じだ。

 そんなに驚いてくれると、逆に申し訳なくなってくるな……。それにこれ、未完成だし……。


「まあ今ははいだばっかりだから、まずは洗わないと気持ち悪いけどな……。その後は乾かさないといけないし、使えるようになるのはもう少し後だろうけど」


 妙な罪悪感(というか気恥ずかしさ?)をごまかすために、少し早口でそう言った俺だったが、やはり周囲からのリアクションはない。

 少し心配になったが、顔を見ればそれは杞憂だと分かった。どいつもこいつも、信じられないと言いたげな顔で俺をガン見している。お前ら……マジか……。


 そんな沈黙を破ったのは、兄貴だった。


「ギーロお前……お前、すごいな……!!」

「お、おう……」


 彼の言葉には裏に隠れたものがまったく見えない。本当に心の底からそう思っているんだろう。


 今まで俺の周りには上に立っているやつばかりで、滅多に褒められたことがなかったからやけにくすぐったい。

 というか、服と言うのもおこがましいレベルの毛皮を、ただ身体に巻いただけですけど!?


 ……はっ、まさかこれが、神の言っていた願いを叶えるということか!? やはりそういうことなのか!? 原始時代で、史上初を連発しろと!?

 いやでも、これ、素直に喜べないぞ! 服着ただけでちやほやされるとか、なんかこう……なんかさあ!?

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