最後になびくのは

倉田京

最後になびくのは

「今日こそは白星しろぼしあげるから」

 いま黒星くろぼし続きの拓也たくやがそう言った。

「で、今回はどんなセリフを用意してきたわけ?」

 私がそう聞くと拓也が一つ咳払せきばらいをして間を置いた。

美咲みさきは俺にとっての白雪姫しらゆきひめだ。結婚してくれ」

「悪いけど、あんたじゃ白馬はくばに乗った王子様にはなれません」



 私と拓也は喫茶店で向かい合って座っている。古民家こみんかを改装した和の落ち着いた雰囲気の店内。吹き抜けの天井から吊るされた白熱灯はくねつとうが私たちを暖かく照らしている。窓の外は対照的で、白い息を吐く通行人の姿が見える。土曜日の夕方は皆どこか足早だ。年の瀬が近いからかもしれない。今年もあと一ヶ月ちょっとで終わる。

 細見のパンツに白いシャツの整った身なりの女性が、店内に置かれたピアノに向かって腰かけた。白と黒の鍵盤につまずくことなく、流れるように指が動く。生演奏が始まった。優しい旋律が柔らかく反響しながら空間を包んでいく。

 拓也と二人でこんなオシャレな店にいるなんて珍しかった。大体は駅前の居酒屋チェーン店で肩を並べてお酒とおつまみ。付き合いは長いけれど拓也と男女の仲になったことは一度もない。



ったセリフで告白されると、逆に白々しらじらしく聞こえちゃいます」

 私がそう言うと、拓也は屈託くったくのない笑顔をみせた。

「面白さっていうか、意外性があった方がいいじゃん」

「時と場合によるでしょ。顔合わせるたび『結婚してくれ~』なんて言われても。言われた方はしらけちゃうからね」

 メニューを開いて注文を決めた。拓也は白玉ぜんざいのセット。私は少し悩んで、店先の小さい黒板に白いチョークで書かれていた、お勧めのクリームあんみつセットにした。二人とも飲み物はホットコーヒーを選んだ。



 私は最近、拓也から『結婚してくれ』攻撃を受けている。そして『何言ってんのよ、ばーか』と冗談で流すまでが恒例行事こうれいぎょうじだ。

 二人ともそろそろ二十五、結婚を意識してもいい年齢だ。そんな中、拓也のお嫁さん候補としてなぜか私に白羽しらはが立ってしまった。でも拓也の告白は真剣味が無いっていうか、突拍子とっぴょうしが無い。

 最初は人通りの多い交差点で白昼堂々はくちゅうどうどう告白された。二人ともコートのポケットに手を突っ込みながら並んで信号待ちをしていた。拓也が乾いた空を見上げながら言った。

「なあ、美咲…」

「ん…なに?」

「俺と……結婚してくれ」

「へ?」

 あまりに突然のことで頭が真っ白になってしまった。同時に胸がドキリとした。でも周りの視線を意識してつい『冗談でしょ?』と言ってしまった。拓也はちょっと足元を見てボールを蹴る仕草をした後、笑顔で私を見て言った。

「冗談だよ冗談。どう?ビビった?」

「べ、別に、ビビってないし!」

「嘘つけー、お前めっちゃ面白い顔してたぞ。あー、しまった写真撮るの忘れたー」

「うっさいなー」

 それ以来、拓也の『結婚してくれ』攻撃が始まった。



 注文した品が届いた。白磁はくじのティーカップには唐草模様からくさもようと店名が描かれていた。った作りだ。やっぱりデートのような特別な時に来る店なのかとまじまじ思った。周りを見ても心なしか男女二人連れが多い気がする。コーヒーの香りもどこか繊細で上品だ。

 拓也がにコーヒーに角砂糖を入れた。白いキューブは落ちるたび、ポトッと小さい音を立てた。私はその様子をじっと見つめた。一個二個三個…四個。拓也は小さい頃から大の甘党だ。スイーツと一緒によくそんな甘ったるいものが飲めるなあと感心しながら、私は自分のコーヒーにミルクを入れた。白と黒のマーブルが混ざって溶け合った。

「熱っ…」

 拓也がコーヒーをこぼした。

 はしにあった白い紙ナプキンでテーブルを拭いてあげる。

「あんた猫舌なんだから。もうちょっと冷ましてから飲みなよ」

「わるい、わるい…」

 拓也は昔から抜けてるというか、ちょっとドジな所がある。



 私たちは小学校からの知り合いで、いわゆる幼馴染というやつだ。でも私と拓也の場合、腐れ縁という言葉の方がしっくりくる。

 小中高と同じクラス、しかもお互い大のサッカー好き。ランドセルを背負しょっていた頃からずっと同じボールを蹴り合ってきた。プロの白熱した試合中継の翌日は『おはよう』ではなく『昨日の試合見た?』が挨拶だった。さすがに中学高校で同じフィールドに立つことは無かったけれど、社会人になった今はフットサル仲間として一緒に汗を流している。ここまで一緒だと、なんだかもう兄妹きょうだいというか姉弟きょうだいのような関係になってしまっている。



 告白は、正直嬉しかった。でも拓也とそういう関係になるのは、ちょっと想像ができなかった。飛び込むのが怖いというのも、あったかもしれない。ついノリで冗談にしてしまった。初めて『結婚してくれ』と言われたあの交差点で、私がちゃんと返事をしてたら、今頃どうなっていたんだろうと思うことはある。



 あんみつの白いクリームを口に運んだ。柔らかい甘さが口の中で溶けた。私の手元を見つめながら拓也が言った。

「美咲がネイルするなんて初めて見たよ。綺麗じゃん」

 初めて爪に色を塗ってみた。冬に合わせた乳白色にゅうはくしょく。この店の写真をネットで見て、少し背伸びしてしまった。ぜんぜん綺麗に塗れてないけど。

「よく気づいたね」

「俺はいつだって美咲のこと見てきたよ」

「あ、ありがと……」



 ピアノの生演奏が終わって、店内に控え目の拍手が満ちた。

 ふと窓の外に目をやると、いつの間にか雪が降っていた。小さな白い羽のように、ぽつんぽつん。舞い降りた雪はゆっくりと溶け、アスファルトの色を濃くしていく。

 拓也も同じ景色を見ながら口を開いた。

「そういえば今年はホワイトクリスマスになるってさ。美咲の予定は?」

「べつに…ないけど…」

「俺も予定真っ白。それでさ…」

 拓也がパンフレットのようなものをいくつかテーブルの上に出した。

「ここ行かない?白樺湖しらかばこ一面いちめん白銀はくぎん雪景色ゆきげしき。スノボやろうぜ」

「二人きり?」

「うん。二人で」

 拓也が子供のような笑顔をみせた。白い歯がのぞいた。

 パンフレットの写真を見た。抜けるような青空に白い雲、その下にスキー場。何枚かめくっていくと湖の写真もあった。白鳥ボートがポツポツと、のんきに浮かんでいる。

「俺と美咲の二人でげば他のボート全部周回遅れにできるぜきっと。フットサルで鍛えた脚力みせてやろうぜ」

「いやいや、レースじゃないんだから~」

 二人で白鳥ボートを全力でぎまくる姿を想像した。なんだか間抜けだけど、ちょっと楽しそうだなと思った。

 温泉の写真もあった。白い湯気が立つ露天風呂にはちょっと魅力があった。白のバスタオルを巻いて温泉につかる女性の後姿。混浴こんよくの文字。拓也が何だかその場所を見ている気がした。

「エッチなこと考えてたでしょ?」

「そんな白い目で見んなよ。俺はただ純粋にスノボやりたいだけ」

「どうだか~…」

 拓也が頭の後ろをいた。嘘ついてごまかす時の癖。バレバレ、明白。

「俺だってまあ男だし…。下心無いとは言わねーよ。でも俺がそんな気持ちになるのは美咲だけ。これは本当」

「ばか…」



 嬉しい気持ちもあったけれど、私にはちょっと素直に喜べない事情というか、心の引っかかりがあった。


「そんなこと言ってさ。この前、女の子と歩いてるの見たよ私」

「いつ?」

「先週の金曜。高津駅たかつえきの…あのスタバが建ってる方の通り。ほら、さっさと白状しろ」

「いやいや、あれは会社の後輩。飲み会の後に駅まで送ってっただけ」

「本当に?」

「マジで!」

 遠巻きに見ただったけど色白で小動物系の女子だった。私とは正反対。可憐かれんなタイプの子。今日はその子との関係を問いただして、白黒しろくろはっきりつけようという気もあった。さっさと自白しろという気持ちでいた。



 拓也がしばらく黙って、何か言いたげな様子で店内に目を泳がせた。

 やっぱりその子についての話なのか…。そっちの方に考えがめぐった。まあ、私がこんな態度じゃそうもなるよね。自分の淡白たんぱくな性格をちょっとうらんだ。友達で終わっちゃうのかなと思うと、針でつつかれたような胸の痛みが走った。



「身の潔白けっぱくを証明する為に。ここで美咲に愛を誓うよ」

 今度は何を言い出すつもりやらと呆れつつ、少し期待してしまった。


 拓也は折り畳んだ紙を取り出した。そしてカサカサと音のするそれを開くと…。



 婚姻届だった。



 白紙かと思いきや、ご丁寧に『白川拓也しらかわたくや』と私の名前が既に書いてあった。よく見ると誕生日や他の項目も全部埋めてある。

「えー!うそっ!?」

「残ってる空白はここだけ」

 そう言って拓也はハンコをつく部分を指さした。

 余白には人気キャラクターのイラストが添えられていた。婚姻届なんて私には縁がないと思っていた。こんなにファンシーな物なのかと、まじまじ見つめてしまった。


 拓也が手を伸ばし、私の両手をそっと暖かく包んだ。拓也の体温が伝わってきた。

 心臓が飛び跳ねた。


白無垢しろむくがいい?それとも純白のウェディングドレス?」

「は、は、話早すぎ。私まだOKって言ってないんですけど…」

 つい視線をそらしてそう言ってしまった。

「そっか…」

 拓也が捨てられた子犬みたいにシュンとなって下を向いた。

 もー、そんな顔しないでよ……。


 なんでいっつもこう、唐突なのよ。それにバカみたいに真っ直ぐで………もう。

「ばか…」


 私は両手で拓也の目をふさいだ。

「えっ……なに?なに?」

「目つぶって…いいから……」

 これから私、目茶苦茶めちゃくちゃやばい顔をすると思う。見られたら多分、恥ずかしくて、死んじゃう…。





「ウェディングドレスで…お願い……」

 私は拓也に白旗しろはたを上げた。

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