21 暗躍者と取引

「ちょっと、僕をどうする気だ」

 目覚めて早々夕雨は暴れた。足と手は縄で結んであるので思い通りには身動きが取れない。ジタバタもがき縄を緩めようとした。

「どうって、これから警察に突き出す。現場はしっかり押さえている。親子は軽傷だけど、明らかな暴力行為だ」

 桔梗は運転しながらバックミラー越しに話した。

「待ってくれ。僕なら高岡さんのお師匠さんを救える。そのために家に来たんだろう?」

「なぜそそう思った?」

「さっきのメモ書きだよ。あれはおそらくおじさんからの警告なんだろう?」

「不思議なことを言うなあ。師匠は5年前に亡くなったはずだ。どうして今更師匠から警告が来るなんて」

 若干冷や汗が出ていたが、桔梗は冷静に装った。

「高岡さんはおじさんがなんで亡くなったか知っているの?」

 桔梗は助手席に座る茂雪を一目した。

 茂雪は腕を組んだまま黙って前を見ている。

「さあ、知らない。突然死だって聞いた」

「あれも刀の呪いだ。おじさんは命を懸けてある刀を折ったんだ。だから亡くなった。ある文献を読んでいたらわかることだよ」

「それと師匠が警告を送ってくる話と何がつながるというのだ?」

 隣を見てもやはり茂雪は変わらず前だけを見ていた。

「ある文献にはこうとも書かれている。呪いで亡くなったはずの者たちが数年後家族にメッセージを送るのだと。理由は分からないけど、メッセージは生前書かれたものではなく、決まって数年後に見つかり、確実に本人の直筆らしい。しかもそのメッセージは一通では終わらず、はじめの一通が見つかってから何度か送られてくるそうだ」

「そのような文献は知らん」

 茂雪は隣で一蹴した。

「そのメッセージの送り主はその後家族の前に姿を現すのか?」と桔梗は訊いた。

「さあね。周囲では目撃情報はあるらしいけど、本人は家族の前に現れたという記述はなかったはずだよ。ただ手紙が届いて終わり。その手紙も一年と経たないうちに途絶えたそうだからその後はどうなったか不明のままだったはず」

「まさか、俺はこのままだと言うのか?さらに最悪一年以内に消滅するだと…」

 茂雪は茫然と通り過ぎる電信柱を眺めていた。

「高岡さんはおじさんを目撃したんだよね」

 桔梗は正直に話すべきか迷った。目撃どころか隣に座っていると言ってしまえば師匠との約束を破ってしまう。だが、夕雨の話した文献と言うものが存在するのなら一層の事ではあるが、真実を告げて消滅するその日まで家族のもとにあり続けるのも一つの手ではないだろうか。

 桔梗は車を路肩に停車させた。

「実は…」

「高岡、約束したであろう。俺の存在は絶対に内緒だ。そもそも家族に存在を知られずに夢で見た警告を伝えてほしいというのが俺の願いだ。消滅の話など覚悟していた」とすかさず茂雪は口を挟んだ。

「実は…あのメモ紙はうちの郵便受けに届いたものなんだ。本人はそれを物語りとして間接的に伝えようとしたようなんだが、断念して私に直接計らうようにと指示があったわけだ。師匠を目撃したはずはない。師匠は亡くなったのだから」

 桔梗は再び前を向いて交通状況を確かめた。

「それなら僕が手伝おう。あの物語に少し手を加えれば面白いものができるぞ」

「これはそんな面白いとかの話じゃないんだ。師匠の意志を受け継いで伝えようと…」

 桔梗は再び顔を向けて叱責していると、隣の茂雪が口を開いた。

「やらしてみればよい。夢に出てきた刀はそれだ」

 茂雪は腰の刀を指した。それは先ほどの犯行に用いられた『録破二日月』である。

「どうかしましたか?」

 突然話を途切れさせた桔梗に夕雨は尋ねた。その顔は桔梗をおちょくったようであり、小悪魔的な顔つきであった。

「あの刀さへ使われなければ事件は起きない。あの刀を担保にして任せてみるのも一つの手かもしれん」

 示唆した茂雪に桔梗は小さく頷くと提案通りの要求を夕雨に突き付けた。

「その刀を私に預けてくれないか?それなら手伝ってくれてもいい」

「それはあまりにも一方的だね。もう少し何かこちらからの要求を呑んでもらってもいいよね」

 またあの顔をした。夕雨は完全に値踏みをしていた。

「そんな取引は認めない」

「いいの~?僕の助けがあればおじさんを救えるかもしれないのに~」

 桔梗は茂雪を一瞬だけ見た。

「わかった。今回の事件に関しては黙認しよう。それでいいなら刀を渡してくれ」

「契約成立」

 夕雨は腰の刀を運転席に手渡した。

「手縄は?」

 しっかり結び付けたはずだが、夕雨は両手を組んで手を伸ばし始めた。

「あんな程度では僕を縛り置けないよ」

 桔梗は手渡された『録破二日月』を助手席に置くと改めてアクセルを踏んだ。気分が悪いが黙ることにした。

「楽しみだな。これから僕らの共同生活が始まるんだから」

 桔梗は急ブレーキをかけた。

「危ないよ~桔梗」と夕雨は運転席を後ろから抱きついた。

「どうして一緒に住まなければならない?作文ぐらい自宅でできるだろう!それに急に馴れ馴れしいぞ」

「だって僕を見張ってないといけないんじゃないの?桔梗は僕を一度見逃したんだから。もし僕が犯罪を犯したら桔梗の責任につながるでしょう?」

 後続車からクラクションが鳴り響いた。

 桔梗は苦い顔を茂雪に向けると再びアクセルを踏んだ。


 年を越し春を目前として夕雨の脚本は完成した。

 茂雪の中では物語はてっきり小説の形だと思っていたのだが、夕雨はあえて脚本に仕上げたのだった。すべて夕雨の自己満足で事が進んでいた。面白さを追求した結果が脚本として現れたのだ。

 後はこの本をどうやって発表するのかである。発表するからには家族の目に届かなければ意味がない。

 この頃、桔梗は仕事の六カ月の停職処分を受けていた。というのは11月の嶺橋家での騒動について犯人を取り逃がしたことの責任を問われたからだった。

 一方の茂雪はと言うと、我が家の道場裏部屋を拠点に肉体労働で精を尽くしていた。身分も経歴も不問で雇ってもらえる仕事はあふれている。人手不足は10年前以上に深刻だから、身元の保証がなくても労働者を引く手は多い。

 というのは福祉を求めて入国した外国人労働者の親族が増加したことで高齢者世代が急激に増大したという話、労働者の失踪数の増加や生産性の減少など理由は様々ささやかれているが、一度死亡し身分を喪失した茂雪には現状持ってこいだった。周りには、元囚人を名乗る者や国籍不明の外国人ばかりであった。そんな環境においても茂雪は働き、自らが消滅するかもしれない時を憂いながら家族のそばで気づかれずに生活していた。

 夕雨は出来上がった脚本を有名劇団に持ち寄った。だが無名の脚本家の作品を扱ってくれるところは一向に現れず計画は難航していた。

 夕雨は桔梗が開いている公民館で剣道教室に顔を出した。子どもたちに悪影響だと禁じられていたのだが、どうしても我慢が出来なくなり姿を見に行ったのだ。

 そしてその日偶然来ていた洸と出会った。


『と言うことで上演場所は慶長出雲芸術大学になりそうです』

「そうか。あの洸ちゃんが菖瞳の役を演じるのか」

 電話先の桔梗の報告に茂雪は感慨にふけった。彼女自身は覚えていないようだったが、彼女と娘は気が合う仲だった。彼女ならば娘が見た時に役を自分と照らし合わせやすいのではないかと思っていた。

『あとはその演劇に家族を誘うだけですよね』

「そうだな。それぐらいのことなら高岡君が誘うぐらいでうまくいくだろうさ」

 茂雪は缶コーヒーを口に含めた。

 車外では暗い中でもライトに照らされ道路工事が続けられていた。

「夕雨とはうまくやっているのか?」

『勘弁してくださいよ。そんな関係じゃないと何度言えばわかるのですか』

「俺は気にしないぞ。奴自身は警戒するに越したことはないが、プライベートなことは自由に任せる。俺はそう言うのには寛大だから」

『私は断じて違います。言ってませんでしたが、今付き合っている彼女もいるんですよ』

「お前も隅には置けないな。よく夕雨にばれていないな。あいつが知ったらどうなることか…」

『別に知ったところでなんだというのです?彼女のことを隠していたことが…』

「気づかないか。あいつはお前に大分執心しているじゃないか。それにあいつには身寄りがないようなことを言っていたじゃないか。今の俺ですら孤独を感じるんだ。夕雨の寂しさを考えると、お前が裏切っていると知れたら…?おい、聞いているか?」

 電話先から相槌が返ってこない。

「草刈サン。休憩終了ダソウデス」と片言で話す自称田中が休憩車に乗り込み茂雪に声をかけた。

 『草刈』を名乗っていた茂雪は田中に肩を揺すられようやく自分のことだと気が付く。

「ちょっと待ってくれ、少し確認だけ」

 田中に告げてもう一度携帯電話を耳にあった。

「おい、高岡、どうかしたか?」

 気づけば通話は終了していた。

「料金切レジャナイカ?ドウデモイイケド早く替ワレ」

 田中は茂雪を強引に車外へと押し出すと座っていた茂雪が座っていた席に足を延ばして横になった。

 苛立ちを堪えて茂雪は再び現場へと足を向けた。

「オイ、閉メテイケ。マナーヲ考エロ」

 茂雪は田中を無視して仕事を再開させた。


 夜遅くに仕事を終えて帰宅した茂雪の目に信じられない光景が広がっていた。いつものように家族の気を取らせないように道場側から慎重に侵入するのだが、一目妻と娘の様子を見ようと立ち寄った母屋が異様なほどに静かだった。

「皐月?」

 ソファーでぐったりする妻に声をかけた。もちろん声は届いていないだろうが、それ以上に息が薄い。似た様子を覚えている。

 茂雪は急いで皐月を観察した。触れることができないから見えている身体の部分を覗き見た。ソファーの腰かけに手をつくと表面が凹み彼女の体が傾き始める。

 この手があったかとばかりに茂雪は妻をゆっくりと誘導して、身体を覗き見た。

「やはり!」

 ソファーの背もたれに血が付いており、背中に大きな切り傷があった。

 突如仏間からドスッという大きな音が聞こえてきた。

 茂雪が覗き込むと血を流して倒れる娘を見下す夕雨の姿があった。その手にはまたしても『録破二日月』が握られていたのだ。

 桔梗の電話が切れた理由はこれに違いない。

 防御した時にできたと思われる娘の両腕のケガを見て茂雪は激怒した。

 床の間から『漆黒不現刀』を手にした。

 その場から立ち去ろうとする夕雨に茂雪は鞘に収まったのまま刀を振り下ろした。その一撃は見事頭頂部に命中した。

 あまりの衝撃に夕雨はその場に倒れたかと思いきや、彼は踏ん張った。不意打ちを食らっても今回はあっさりと沈まない。そして夕雨はそのまま振り返った。

 そして思わぬ反応を示した。

「出たな!」と明らかに茂雪に物申していた。心なしか一歩下がっていた。

「俺が見えるのか?」

「さしあたり『傷無刀』の呪いだろう。どうやって生き返った」

「見えるのならもう脚本のことは心配ないな。直接伝えるまでだ」

「お前やっぱりいたんだな!」

 廊下に半身が出ていた夕雨は刀を構えると、少しずつ間合いを詰めてきた。

「家族に手を出したのはお前だ。お前に作戦を託すなんて俺も愚かだった」

 茂雪も『アラズ』を構えた。

 娘が横たわる狭い部屋で二人は互いに刀を向け合った。そこで茂雪は一つの疑問が浮かんだ。

 試しに刀を前に突き出してみると相手は警戒した様子を見せた。

「見えるのか?」

「何言っている?」

 それは『漆黒不現刀』が自分以外に姿を露わにさせた瞬間だった。夕雨に見えるはずはなかった『アラズ』が目視されているのだ。

「まさか、その刀が伝説の家宝なのか?」

 勘のいい夕雨は即刻見抜いた。舌なめずりをして刀をなめるように見つめた。

 茂雪は何も言わずに考えた。

 見えないはずの刀が確認されてしまえば、もはやそれは普通の刀と変わらない。相手の持つ『健忘刀』はかすり傷一つでも効果が出る。つまり不利なのだ。

 その計算は夕雨にも読み取れていた。

 自らが有利と見ると彼は刀を突き出した。

 刀同士がぶつかり合い弾く音が鳴り響く。無造作に迫るように見せて夕雨の攻撃は鋭く計算されていた。隙だと見定めた箇所が実は誘導であり、それに釣られては即座にかわす紙一重。今回の勝負は剣道で言う一本を取る必要がない。夕雨に少しでも身体に刃先を当てられでもしたら即刻勝負がついてしまう。

 一切の隙を見せない夕雨に茂雪はある賭けを思いつく。

 真正面に振り下ろされた夕雨の一太刀を『アラズ』で防ぎ止めると見せかけて、突然刀を持つ手の力を緩めた。すると支点を失った『アラズ』は容易に弾かれ茂雪の手を離れた。振り下ろされた先には茂雪の左手首があった。いくら瞬発能力が高くてもその攻撃を避けるのは不可能に思われた。

 勝利を確信した一振りはまっすぐと茂雪の手首どころか胸元へと下ろされた。だが夕雨の目の前に茂雪はいなかった。それどころか払い落とした刀の姿まで消えている。

 夕雨は完全に茂雪の姿を見失っていた。

 だが、突然腹部に強烈な一撃を受けた。いつの間にか茂雪が懐に潜り込み肘鉄砲を食らわせたのだ。その左手には刀がしっかりと握りしめられていた。

「どういうことだ?」

 体勢を取り直し夕雨はもう一振りを繰り出してみる。だが、またしても茂雪の姿は霧のように消滅していた。

 茂雪は確信をもって何が起きているかを理解した。

 すげての原因はこの刀『漆黒不現刀』による効果だ。現在の茂雪はどうしてか理由はわからないが親族には存在を目撃されず触れることはできない。だが、『漆黒不現刀』がその状態を無効にするのである。さらに言えば、それは直接触れているうちだけの話であり、手放せば効果も消滅し、もとの親族には見えない状態になるのだ。

 もしこの場に桔梗なりの親族以外の者が見ていたら、大きな変化も起きていないように見えるに違いない。ただ、刀が振り下ろされた瞬間は霊体のように消えていたであろう。

 突然現れては消える茂雪に夕雨は翻弄された。現れる瞬間は必ず攻撃の時であり、どこから攻撃が来るかは全く予想はつかないのだ。

 そうしているうちに夕雨はある共通点に気が付く。

 必ずと言っていいほど、茂雪は現れる前に床に落ちた刀を拾い上げるのだ。

 そして対策が図られた。茂雪が消える際は刀を手放す。つまりその刀の落ちる位置を突き止めれば次はどこへ責めるべきかの予想はつくのだ。

「そこか!」

 夕雨の読みは正確だった。思った通り茂雪は所定の位置に現れた。

「いかん!」

 茂雪は慌てて刀を手放した。

「言っておきますけど僕はあなたの記憶をすべて取り消すことも、あのストーリーのような悲劇を作り出すことだってできるんです」

『アラズ』が落ちているであろう辺りに目を泳がせた。

「どうですか?取引しましょう。この刀で攻撃しない代わりに、その『漆黒不現刀』を渡しなさい。今なら僕にも見えるようだから手渡すことも可能なはずです」

 夕雨の提案に茂雪が現れた。夕雨が目を向けた位置に刀はあり、その向こう側に膝をついた茂雪が現れたのだった。

「これを渡せば恐らく俺は消える。家族の前に姿を表せることはできなくなるかもしれん」

 せっかく見つけた希望を容易く手放せるほど簡単な決断ではない。

「僕が手伝うと言っただろう?あんたをもとに戻すために僕はあの本を書いたんだ。僕はあの本を最大限に活用して、あんたの望みをかなえる。さあ、記憶を消されて孤独に生きるか、刀を渡して望みをかなえるか…答えは一つだ」

「どうしてだ?」

 茂雪はぼそっとつぶやいた。

 夕雨は聞き取れず一瞬首を傾げた。

「どうして俺がお前に負けると思うのだ」

 茂雪は意表をついて転がると、刀を突き上げた。狙いは刀を持った右小手だった。

 不意をつかれた夕雨は『アラズ』の刃先が手の甲をこすった。絶妙は刀の入り方で神経に激痛が走った。

 夕雨は思わず刀を手放した。

 茂雪は見逃さず『録破二日月』を奪い取るともう片方の手に突き付けた。

 その妙技、傷は浅く皮表を数ミリ裂く程度で止められていた。

「この4カ月、俺のことと高岡桔梗のこと、さらにうちの家族の事は忘れろ」

『録破二日月』の効果はすぐに現れた。夕雨はそのまま導かれるように家を出て行った。

 この刀は使い方によっては記憶を書き換える作用もある恐ろしいものだ。だからこそ信頼のできる富雪に預けたはずだが、いつの間にか夕雨に手に渡ったようだ。

 茂雪は二本の刀をもって一息ついた。愉快倒れたままの菖瞳を揺すって起こそうとした。思った通りで『漆黒不現刀』を携えていると彼女の体に触れることができた。

 目を覚まそうとした娘の顔を覗き込んだ。寝ぼけ眼は昔のままだった。

「お父さん?夢?」

「夢じゃないよ。俺は生きて帰って………」

 目覚めた菖瞳の前には誰もいない。仏壇に供えたお線香とロウソクはすでに跡形もなくなっていた。何事もなく仏間はいつものままだった。床の間のツボや掛け軸、一本しかない刀もすべて。

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