18 証言による真相
「まず、発端は何?」
母皐月は二人をテーブルの迎えに座らせてどちらともなく問い質した。
「杏希がうちの母親を殺したのが始まりだ」
「だから、知らないって。いつの話よ」
「茂雪おじさんが亡くなる前だよ」
つまり6年以上前に彼の母親は亡くなったというのだ。菖瞳にはそのような訃報の記憶がない。疎遠の親戚だとしてもそれぐらいの風通しぐらいあっても良い気もするが、彼の父が亡くなった話も知らないのだ。
「本当に知らないって。何かの間違いよ」
「そうだよ。間違いであってほしかった。今まで失踪事件として扱われてきたから、僕も母が亡くなっているなんて思いたくなかった。だけど、事件だと教えてくれたのは雪虎君だったんだ」
「お兄ちゃんが⁉」
兄の名に菖瞳は真っ先に反応した。ここでこのような形で登場させるとは思いもよらなかったのだ。
「雪虎は母の殺人にたどり着いたらしい。別の事件を調べていたら出てきた事実らしい。彼は事件を内密に進めたいと言っていた」
「まさか、それって『白星十文字』を調べていた頃じゃないかしら。大変なことに気が付いたとかで、ソワソワしていたから」
「当たり前だろう。僕の母を殺した女が目の前にいるのだから、悟られないように証拠を探っていたのだろう。そしてある時、それを指摘されたお前は雪虎をさっき出した懐刀で刺したわけだ」
「え?あれがあの妖刀なの?さっき杏希さんは保管していた刀は失くしたって」
「嘘に決まっている。ほら、もう一度出したらどうだ」
夕雨の挑発的な言い方に杏希は渋々胸に手を入れると、どこからか先ほどの小刀を取り出した。標準的な日本刀に比べてただの包丁、ナイフとも思えるほどの短い小刀である。
「一度折れた原型を再加工したのだろう。それでもこれは紛れもなく『疾病木枯らし』だ。これで雪虎の口封じをしたのだ」
「ちがう、確かにこれは『疾病木枯らし』だけど、私は雪虎君を傷つけていないし、門下生の人たちを襲ってもいないもの。それはあんたに何度も説明したはず。雪虎君が病院に搬送されたとき私は確かに職場にいたし、まさか気を削がれたなんて思ってもいなかったもの」と杏希は弁解を述べた後、話を逸らすようにしてテーブルの横の菖瞳に向かって話し始めた。
「それよりもこの男が『録破二日月』を持っていることの方が信用できないとは思わない?何せ記憶を良い様に消せるのよ。菖瞳ちゃんも見たでしょう。この男は自分の存在を消しては何事もなかったように悪行を重ねることだってできるのよ」
「よく言うよ。刀を失くしたなんて嘘をつくだけじゃなく、雪虎の恋人として潜伏していた女を信用できるはずはないだろう」と夕雨は口を挟んだ。
「それはあんたが脅迫したからでしょう。こいつはね、人の弱みに付け込んで何でも要求するような卑怯な男なのよ。まあ、私の弱みが雪虎君を刺したことだと思っている辺りはマヌケだけど…」
「指摘されることに罪悪感があるから従ったのだろう」
「そんなわけでは…」
「ストップ!」と母が間に割って入った。
そんな母に二人は気圧され争いの姿勢を崩した。
「まずはっきりさせなければならないことがあるから聞いて」と母が二人の顔を眺めた後、菖瞳の顔を見つめて言った。それはとても意味のある間だった。
「雪虎を刺して、うちの生徒さんたちを襲った犯人はすでにわかっているのよ」
夕雨が一瞬だけ杏希を蔑んで見た。だが、その態度は改めるべきものだと悟ることとなる。
「犯人は富雪さん。彼女がうちのお兄ちゃんを刺したことで事態は複雑になったのよ」
「おばさんが!」という菖瞳の驚きのリアクション以上に杏希の絶叫が勝った。
「ふざけないでよ!うちの母が関わっているわけないじゃない⁉」
「すると…あなたが娘さんなのね。こんなに近くにいたなんて、彼女が知ったらつらいでしょうね…」
「どういうことですか?」
「彼女は失くした記憶、娘の面影をずっと探していたのよ。そんな中で彼女はある罪を犯したと自白してくれたわ」
「一体なんですか?」
杏希は母皐月を値踏みするように顔を覗き込んでいた。これから語られる話が必ずしも真実ではないと最初から疑ってかかっていた。
「富雪さんは加耶子さんを『気削刀』で刺してしまったのよ。そこから今に至るのだと私に言い聞かせてくれたわ」
「母を…」夕雨は無情につぶやいた。
夜明けを迎えて報道陣が再び家の前を占拠していた。一夜明けた程度では昨晩のセンセーショナルな事件への熱は収まるわけもなく、最新の情報を得るべくこぞって報道記者が駆け付け、その数は晩の三倍にまで膨れ上がっていた。
早朝に警察車両が家の前に立ちはだかった。
一睡もしていないのか高岡警部は目の下にクマを宿らせて門をたたいた。
出迎えた菖瞳はその姿に恐縮し、すぐに中へと招き入れた。
捜査員は高岡耕助を含めて八名。その中には昨日から引き続き担当している川辺と岡口、それに兄の同僚眞島と堂前という馴染みの姿もあった。
そして彼ら捜査員以外にある人物が手縄で現れた。
「おばさん」
菖瞳の呼びかけに彼女は軽く会釈をしただけで、言葉はない。
一同は剣道場へと向かい入れられ、静かに関係者の準備を待っていた。昨晩から引き続き家には母の皐月と清水杏希、嶺橋夕雨がその時を待っていたのだ。
挨拶を済ませた後に現れた捜査員の二人は車いすを押して直接剣道場の門をくぐって現れた。
「母さん⁉」
車いすに乗った女性に夕雨は駆け寄った。
そしてもう一人、菖瞳はようやく兄の無事を確かめることができたのだった。
「さて、整理させてもらうべく、こうしたものを開かせてもらったわけだが、真実を解き明かそうじゃないか」と高岡警部は一同が揃った目前でその口火を切った。
「嶺橋富雪さん、いや、清水富雪さんと呼びましょうか?」
「どちらでも構いません」捜査官に挟まれた彼女は小さくなっていた。
「昨日の午後二時ごろこちらの剣道場で教室の生徒一一名と指導員一名を刃物で切りつけた犯人はあなたで間違いありませんね」
「はい…」
「どうしてそんなことを⁉」と杏希が富雪に詰め寄ろうとした。
「まあ、落ち着いて下さい」と川辺が間に入り彼女の接近を阻止した。
「その時用いた凶器はこちらですね」と高岡警部は用意したテーブルの上のアタッシュケースから証拠品として押収した小刀を取り出して確認を求めた。
それは緑と黒の模様の柄だけは立派なものだったが、刃先が中途半端に短い。鞘は紙で代用され、扱いが雑であったために不格好である。
「これがこの家に伝わる家宝『疾病木枯らし』の一部で違いないですね」
高岡警部の問いに富雪は頷いた。
「では、なぜそのようなことをしたのです?」
「分家と本家がぶつかり合ってくれればそれでよかったのです…」
「なぜそのような悪意を覚えるようになったのです?」
「それは、だって…!」富雪はいきなり声を荒らげた。
だが、彼女の高ぶり方に今更驚く者はいなかった。
「なぜです?」と改めて高岡が問い質した。
「嶺橋家にとって私だけが損を被っていると自覚したというのもあります。茂雪兄さんは本家としての地位を譲り受け、貴雨と叢雨の分家は祖父からの莫大な財産を継承しているのですよ。でも私だけは何一つとして引き継いでいない。唯一譲り受けた銘刀ですら失ったのです。それだけではありません。貴雨の言いがかりで兄を奪われ、いつの間にか娘のことすら忘れていたのですもの。あわよくば本家の悲しみや怒りが分家に向かってお互い消滅してくれることを望んだのよ!」
「具体的にあなたは何をしたというのです?」
「兄が刀を折った経緯を直接聞きました。それは貴雨が獄中で亡くなったという話を耳にした際に兄がポロっと口にしたのが始まりです。聞けば呪いを解くために仕方なくそうしたと言ったのです。それが事実ならひどい話だと直談判に行ったのです。でもそれが間違いでした。私は護身のためその刀を持って行ったのです。すると加耶子さんが主人を亡くしたのは兄のせいだとヒステリックに訴えたのです」
「それはなぜですか?俺はあの時茂雪さんと一緒にいたからわかるが、奥さんが茂雪さんに逆恨みをするという話はどうも辻褄が合わないように思えるのですが…」
高岡警部の質問に夕雨が代わりに口を出した。
「『漆黒不現刀』のことは?それにここにいる捜査員の方々は妖刀の話をどう受け止めているのです?」
「俺は心得ているつもりだ。それにここにいる者らにはそういったものがあると説明はしている。ともして、証明に関しては頭を抱えるものではあるが、対処は考えている」
「あまり知られてはいけないモノなのですが…」と菖瞳も口を挟んだ。
「その通りだな。悪いが君たち一度退出してくれ」
「どうして俺らまで⁉」と指名された岡口は残念がった。
それは川辺も同じであったが、文句を言わずにほかの捜査員らとともに外に出た。
残る警察関係者は高岡耕助一人となり、残されたほとんどが家のもので成されている。
「これで構わないな?」
高岡の気遣いにこれ以上の配慮はない。夕雨は捜査員たちが確実に姿を消したことを確認した後、ようやく話し始めた。
「嶺橋家に伝わる銘刀は全部で四本あると聞いています。知っていると思いますが『疾病木枯らし』『録破二日月』『白星十文字』それに『漆黒不現刀』です。どれも常識を超えた不思議な力を秘めています。この中でも別格なのが『漆黒不現刀』と呼ばれる目には見えない透明な刀です。それは本当に限られたものしか見えず、現在確認ができるのは菖瞳しかいないでしょう」
「君も見えるわけか…」と高岡は菖瞳に言った。
高岡警部の言い方が気になり菖瞳は見返したところ。
「いや、先生もあの日使っていたから、君も…と」
「話を戻します」と夕雨が咳払いをして続けた。
「父がその刀を欲したのは一つの単純な理由がありました。生前父は筋萎縮性側索硬化症、通称ALSという難病の診断を受けました。病人が最も欲するのは命です。父は刀が見えないが所持はできると信じていました。というのは『漆黒不現刀』というものにある言い伝えがあるのです。それぞれの家宝に強い不可思議な力があるように『不現刀』にもパワーがあると思ったのです。その刀は存在そのものが異色なのですが、それ以外に伝説として尾ひれがついた効果が期待できたのです」
菖瞳は夕雨の話を聞いていて生唾をのんだ。
「『漆黒不現刀』は存在そのものが矛盾する存在で、その存在を多く認知されてしまえば刀自体が矛盾に気が付き、消滅するという伝承があります。それが転じて、いつしか矛盾の存在の象徴として重宝されるようになったということです。それは不老不死の体現として存在すると信じられてきました」
「それは本当か?」
「まさか⁉あくまでも伝承です。でも無視はできないと思いませんか?『気削刀』や『健忘刀』があるのですよ。それを病人が本気にしたとしても、容易く否定できません」
「伝承と言うからには何か残っているものでもあるのだろうね」
「それはおじいさんの書斎で確認できます」と高岡警部の質問に杏希が口を挟んだ。
「つまり、病気に対抗する手段として君の父は妖刀を求め、あのような事件を引き起こしたというわけか?」
「はい。母は父の願望を知っていたから、逮捕された挙句に病死したことに強い恨みを持っていたと思います」
「そこに富雪が現れたわけか?」
捜査員二人から解放され、手錠だけになった彼女は無言のまま頷くだけだった。
「母は今までどこにいたのですか?」と夕雨が質問した。
「身元不明のまま施設にいたよ」
「そんなひどい!」
夕雨は富雪に詰め寄った。胸倉をつかんで今にも突き飛ばしそうな剣幕で続けた。
「どうして僕に教えてくれなかったんだ!僕は母が突然いなくなって、死んだとばかり思い込んでいたんだぞ!」と車いすの母を指さした。
「やめなさい。すぐに手を離すんだ」
高岡警部の命令に夕雨は従おうとしない。憎き親の仇として、帯刀していた刀を掲げた。
「なぜ今になって彼女に当たる⁉少なくとも君はお母さんが施設に送られている事実を知っているはずなんだ」
「そんなわけない。僕は今知った」
「客観的な証拠というものがあるんだ」と高岡警部はアタッシュケースの横に置いた資料ファイルからある資料を掲げた。
「これはお母さんが入っている施設の入所記録だ。ここには訪問者として八年前の君のサインが記されている」
「そんなはずは⁉」
夕雨が手渡された資料を覗き込む。そこには確かに自筆の文字で記載されていた。
「僕の記憶を消したのか?」
「富雪さん、どういうことですか?あなたが加耶子さんを施設に運んだわけではないのですか?」
「違います。彼は刺された加耶子さんのそばにいました。そのあとも施設に通い詰めていたと聞いています」
「ではなぜ、彼はそのことを覚えていないのでしょうか?」
「それは私に責任があるかもしれない…」と口を出したのは杏希である。
高岡警部の質問はそのまま杏希に向けられることとなった。
「何があったのです?」
「茂雪さんの亡くなった日の午前中、他の刀二本を託されました。それは『白星十文字』と二つに折れた『疾病木枯らし』でした。資料館に置いておくように頼まれたので引き受けたのですが、私の前に夕雨が現れました」
その話は菖瞳も知るところである。
「夕雨は父親を殺され、母親すら失くしたのは茂雪おじさんのせいだと恨んでるようでした」
「そのことは覚えているか?」
高岡警部は夕雨に問い質した。
「覚えていません。そもそもなぜあの場にいたのかも」
「だそうだが、説明できるか?」と高岡警部は杏希に聞き返した。
「当然です。あの日私から『録破二日月』を奪い取る前に夕雨は記憶を消されたのですから」
「何だと⁉」
「もともと『録破二日月』はうちの家系が唯一受け継いだ宝刀。それをなぜあなたが持っているの?あの日はおじいさんの葬儀からちょうど十年。あなたは叢雨さんから十一回忌があるかもしれないから確認に行くように頼まれたと言っていたことを覚えている。私は茂雪おじさんから刀の管理を依頼されて窺ったけど、その後にあなたはやってきたはず。でもその後あなたはうちに来たでしょう。私は預かった刀を勤め先の資料館に置いてくるまではよかったんだ。そのあと、どういうわけか、あなたはうちで手から血を流して倒れていた。そこでおじさんが倒れたという連絡が家にかかってきたんだ」
「それが父の亡くなった日ですね」と菖瞳はつぶやいた。
「そのあとは知っての通り、こいつはうちにあった『録破二日月』を奪い取り母に切りかかった。身支度を始めただけなのに襲われ、私が止める間もなく病院へ向かいました。止めようにも私以外は全員切られて、私は一人孤独になった」
「富雪さん、このことに心当たりは?」
彼女は首を振った。
「君はなぜそのようなことをした?」
「僕にもわからない。その日のことは覚えていない」
「元凶はすべてその刀にあるというわけか…」
こうもなってくると『録破二日月』が厄介極まりない。夕雨が腰から抜き出したままにその刀が床に投げ捨てられていた。そのさまに誰もが妖刀の所以をじりじりと感じずにはいられなかった。
「いっそのこと折ってしまおうか?『白星十文字』はあるのだから」
「ですが、茂雪おじさんの二の舞になりますよ。刀を折った直後から十年間まで寿命は持たないのですよ」と杏希が助言を告げた。
「そうなんだよな。先生の話では刀を折ったところで果たして本当に記憶が戻るとも限らないんだよ。リスクに見合うだけの利益はほとんどない」
二の足を踏む高岡警部をよそに菖瞳はすっと立ち上がった。誰も気が付かないほどに気配を殺し、自然に流れるようにして『録破二日月』を床から拾い上げると床に突き刺した。
「何しているの⁉」と驚愕する母の声にも耳を貸さず菖瞳は『白星十文字』を鞘から抜いた。
「なにも菖瞳が犠牲になることなんてない!」
そうすることが望ましいと菖瞳は自分に言い聞かせた。このまま呪いによって記憶を奪われたままでやり過ごすわけにはいかない。いずれ呪いを消すのは自分であると勝手ながら思い込んでいたところもある。自分に降りかかる災いを誰もが望まないことも承知していた。だが、それは『漆黒不現刀』アラズを引き継いだ時から、こうすることが自分の使命であり宿命ではないかと思わずにはいられない。
菖瞳は父が歩んだ道に誇りをもって突き進むことにした。これこそが菖瞳にとって父に育てられた意義であり、同じ眼を継いだ先祖からのお告げなのだと悟っていた。
菖瞳は深呼吸の後、『白星十文字』を振った。刀はそれなりに重いが、何度となく竹刀を振るってきた彼女にはその重みを扱うだけの備えはついている。
一切のぶれなく菖瞳の振るった刀は横に抜けた。しかし床に突き刺さった『録破二日月』には異常が見られない。
一様に傍観者たちは無意識のうちに息を止めていたようで、刀が横に抜けきったのを確かめると一斉に呼吸を再開させた。
「どうなった?」と高岡警部がまず第一声を口にする。
菖瞳はすっと流れるような所作で体勢を整え、『白星十文字』を鞘へと戻した。
すると突然激しい頭痛が襲いかかってきた。それは菖瞳だけに限ったことではなく、その場にいた高岡警部と加耶子以外のすべての者らが膝をついたり、頭を抱えてもがき苦しんだ。兄雪虎も同様な痛みを感じたようで車いすから滑り落ちるほどに苦しんでいた。
彼らが頭痛に苦しむなか、床に突き刺さったままの『録破二日月』はパキッという破裂音とともに刃に一筋の亀裂が現れ、残り半分が柄を頭にして転がり落ちていた。
消された記憶が情報として瞬時的に入り込もうとする感覚がした。大容量のデータをコンピュータに丸ごとインプットするイメージである。五感全てを伴った高度な情報が突如現れたのだ、脳の働きが活性化しているという表現では生ぬるい。
高岡警部が慌てて他の捜査員を呼び入れる様子を目の端で見ながら、遠退く意識の中を記憶の欠片が真っ白なパズルのピースのように無作為に組み合わせ作業を始めていた。
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