12 闇に洸
劇団員の全員で桝山駿のお見舞いに行こうという話になった。誰が言い出したか、詳しく聞き取り調査をすればわかることだろうが、誰も善意を茶化すことはしたくなかった。たとえケガをした桝山が数週間の助っ人であり、本番に出られなかったとしても、また飲酒運転による事故を起こした張本人であるとしても、誰かが言った善行を無下する劇団にだけはしたくなかった。
洸もその中の一人だった。事故を知った時は呆れてみていた程度だが、お見舞いの参加を断るほどではない。それに数日前に菖瞳が語った疑惑、桝山が自分のバッグを強奪し、何事もなかったかのようにケガ人を装って現れたという意図も気になった。
病院にたどり着く前に菖瞳に一報入れようかとも思ったが、そんな暇はなく、すぐに病院に着いていた。
桝山は全身骨折しているようだったが、見た目の割に元気そうだった。
「被害者は軽傷だってな」と一人が桝山に言った。
「そう聞いているか?それはよかったと思うしかないだろうな」と歯切れ悪く桝山は答えた。
「どうして運転なんてしたんだよ。少しのタイミングで死んでいたかもしれないんだぞ」と司馬が叱りつけるような言い方をした。
「こんなこと言うと信じてくれないだろうけど、俺は運転なんてしていない。酔ったまま車を運転しようなんて怖くてできないのは分かっているよ」
「でも、お前の車なんだろう?ほかにだれが運転したっていうんだ?しっかりと罪を認めて償う。それができないのなら俺たちは力になれない」
「そう言うだろ。わかってる。俺はただ酒を大量に飲んで幻覚を見ていたんだ。被害は軽傷で済んだが、酒酔い事故で五年以下の懲役又は100万円以下の罰金だろう。それに器物損壊と来たもんだ。初犯だとしても最近は飲酒運転の取り締まりや罰則が厳しいらしく情状酌量は認められないだろうだとさ。何度か聞いたよ」
「被害者は何と?」と別の団員が聞いた。
「被害者は何も言わないだろうさ」
「示談というものか?」
「もう、どうでもいいだろう。お前たちには関係ない。俺が勝手に起こした事件なんだからさ」
「ああ、そうかよ。せっかく見舞いに来てやったのにその言い方か!」と司馬は大声を上げた。普段の腹式呼吸のせいかやけに声が張り、病棟全体に聞こえただろう。
「おい、そこ。見えなかったか、その病室は面会謝絶だぞ」と強面の男が部屋に歩いてきた。
すかさず洸は目立たないように桝山のベッドの影に身を隠した。注意されるままに立ち去る団員たちの中、洸だけは病室にとどまっていた。
「お前も出て行けよ」と桝山は固定される頭のままに目線だけを送って、小声で注意した。
「聞きたいことがあるんだ」
膝を曲げて小さくなった洸はそのままの姿勢で桝山に問い質した。
「どうして私のバッグを奪ったの?何か欲しいものでもあった?」
「あいつから聞いたのか?」
「菖瞳からね。それに松葉杖までついちゃって、代役に菖瞳を立てたことも。何か裏があるんでしょう?」
「当然あるが、お前、俺のことを思い出したか?」
「何言っているの?それにさっきから馴れ馴れしい。お前ってさ。あんたなんてただの私の剣に打たれる助っ人にすぎないじゃない」
洸の声音は怒りに満ちていた。それが桝山には耐えがたく辛い思いがした。
「これから言うことはウソだと思わないで信じてほしい。おそらく俺はもうだめだから」
「何?」
「俺はある男にはめられたんだ。だから俺はこうして動けないでいる。事故だって俺の責任じゃない。俺が関わった事故は単なる飲酒運転の事故じゃない。仕組まれた事件なんだ」
「陰謀論は結構。自分を正当化するのは勝手だけど、私が聞きたいこととは何も関係がないわね。どうせこうでしょう。あなたの主張する事故の正当性を信じるのなら、何があったかを話してもいい、とかそんなところじゃないの?」
「さすが洸だ」
「だから馴れ馴れしい」
洸の思いもよらない声の大きさに病室の外が気になった。さっきの強面の男が顔を覗かせていた。桝山は寝たふりをして静かにやり過ごした。男の気配が消えたことを確認すると、桝山は再び口を開いた。
「事故の被害者の男のことはどれぐらい知っている?」
「何も」
「いいか。あの時俺は一人じゃなかった。その被害者を主張する男こそが俺を嵌めた本人。どうなって事故が起きたのかの記憶が俺には全くないんだよ」
「いいわ。試しに言って御覧なさい。その主張がひったくりの件とどう関係があるのか」
「ことはおそらく4月の下旬が始まりだと思う」
「そんなに戻るの?もう7月の下旬よ」
「恐らくだ。俺の単なる推理だから」と前置きをして桝山は続けた。
「今回の劇の脚本を紹介したのが誰だか覚えているか?」
「誰?そんなことに関係が?それにあんたは最近加わったばかりの助っ人じゃない?そんなこと本当に知っているの?」
「やっぱりそこも覚えていないか。いいか、洸。はっきり言うが、お前は記憶喪失だ。断片的に記憶がないことに自覚はあるか?」
「おかしな話はおしまい。もう付き合ってられない。私がボケてるみたいな言い方しないでよね」
声を荒らげた洸はベッドの隙間から立ち上がった。貶された言い方に聞こえて腹が立ったのであるが、それ以上に思い当たる節があったのだ。まっすぐに図星を射られたことに強迫観念を抱いた。
「待て」と桝山はその場を立ち去ろうとする洸の手を何とか掴んだ。それは蓄積していた体力を使い切るほどの揚力を要した。それでも彼には伝えたいことがあったのだ。
思いがけないケガ人のパワーに圧倒され、洸は体のバランスを失った。不安定のままに体勢を失い、たどり着いたベッドの先には桝山の顔があった。
それ以上の距離があると聞き取れないほどに小さな囁き声が耳に聞こえてきた。
「何それ?」と聞き返した時には彼はぐったりと目をつぶっており、返答がない。
焦った洸は病室を抜けてナースステーションに助けを呼んだのだが、あの強面の男に見つかってしまい、病室への立ち入りを禁じられてしまった。
不安に思った洸はそのあと桝山の容態を聞こうとフロアーの多目的ルームにいて眺めていた。洸の不安とは裏腹に何事もなかったのか看護師たちは通常の業務に戻っていった。その様子を確かめてから彼女は病院を後にした。
(まずは確かめなければ)
そう思った洸はまず、扇和歌奈に電話して聞いた。彼女が嘘をつくわけがないし、疑う気もないが、念のために他の団員数名にも確かめてみた。
彼らは決まって同じ答えを返してきた。それが彼女にはどうしても信じられなかった。
「山崎監督なら、ちょうど学校に来ているよ」と聞きもしないのに和歌奈が教えてくれた。
どうやら劇団員の数名はお見舞いの後、再び学校に戻ったらしく、いつものようにとりとめのない会話(主に演技論)を語り合っているところのようだ。
洸も学校を戻ることとした。そのまま家に帰ることもできたが、どうにも後回しにはできない。気になって仕方なかった。
向かう電車内、頭の中で何度も突き付けられた知られざる事実を繰り返した。
学校に着いた時にはもう夕暮れ時で、帰路に就く学生が目立つ。
ついでに演劇棟に顔を出してみたのだが、そこには彼らの姿はなく、まばらに残る学生の影がちらつく程度だった。
(今日は日が拙かったかな)とあきらめかけた時、古びた校舎の奥に段ボールを運ぶ彼の姿があった。
「監督!」
洸は気安く声を掛けた。
「どうした?こんな遅くに?」とトイロも洸には気安く声を返した。
「監督ならご存知かもしれないと思ったのですが、この間の劇の脚本家についてなんですけど…」
「確か…草…」
「草刈ミネウチさんです」と洸は記憶にある名前を即答した。
「そうそう。だけど僕はそれが誰か知らないぞ。確か元はといえば君があの本をこの劇団に紹介したと聞いたよ。君たちが僕に頼んだのはそのあとのことだろう?僕は脚本ありきで演出したに過ぎないんだから、その草刈なんていう脚本家とは認識がないのは分かっているはずだが…」
それは洸の認識していた記憶とは少し違う事実。電車の中で繰り返し自問自答した客観的真実だった。
「連絡先とかもわからないですかね?」
「悪いね。まったく携わっていないもんでね。助監督の彼だったら知っているかもよ」
「いいえ。わからないそうです」
それは先に聞いていた。話によると誰もこの脚本家には会ったことがないそうだ。ただ一人洸を差し置いてだが。
ますます不気味に思えてきた草刈ミネウチという存在に震えてしまう。
桝山が最後に口にした言葉は「脚本家」だった。残念ながらその真意を確かめることはできなかった。だが、その言葉は彼が力を振り絞って話したかった単語である。彼の事件とは何の関係もないとは思えない。
それに脚本家の存在は気になっていた。菖瞳の現状に近いストーリー、それも団員のだれもが知らなかった妖刀という存在を本の中で明かしているのだ。この人物の存在を無視することはできないだろう。
なるべくしてたどり着いた不可思議な事実に洸は向き合わずにはいられなかったのだ。
「じゃあ、僕は失礼するよ」とトイロは気を取られていた洸に声を掛けた。
カメラの三脚だろうか、ステンレス製の脚が飛び出した段ボール箱を抱えていた。
「荷物整理ですか?」
「今日で出て行くんだよ。君たちともお別れだ」
言われてみればトイロの私物のほとんどがなくなっている。監督室と題した物置部屋はすっかり元の雑多な倉庫に姿を戻していた。
「突然すぎませんか?」
「すまんね。僕はこういお別れを言うのが苦手でね。突然みたいに見えるのだろうけど、前々から決まっていたんだ」
段ボールを運びながら話すトイロの後に続き、洸は自主的にひと固まりに積まれた段ボールを運んだ。
「悪いね。台車があるからその辺でいいよ」
「ついでですから。それにしても次のスケジュールでも決まっているんですか?」
「ああ、本業のオファーがあってね。なんでも人気漫画の実写映画だとか」
「へえ~。監督もそういうの受けるんですね」
「僕は作品に偏見は持たない主義だから、依頼を受けて面白いと思ったらやるよ。君たちの劇だっておもしろそうだと思ったから受けたんだ。舞台監督ができてよかったよ。インスピレーションが湧いてきて、とても刺激的な日々だったなぁ」
「大物になって下さいよ」
「何言ってんだよ」とトイロは照れ笑いを浮かべながら段ボールを台車に乗せて一息ついた。
「さてと、もう遅い時間だ。僕の手伝いはいいから、うちに帰りなさい」
「私はそんな子供じゃないよ」
「わかってる。将来の女優さんが暗くなるまでほっつき歩かない。僕はそれを気にしているんだ」
「はいはい。それでは名残惜しいですけど失礼します」
台車を押すトイロの背中に洸は手を振った。
「ああ、そうだ」
トイロが突然立ち止まり振り返ったので洸は慌てて手を下ろした。
「君が連れてきた子」
「〇〇〇ですか?」
「そうそう。彼女にもよろしく伝えておいてくれよ。詳しくは知らないけど、何か大きなトラブルを抱えている気がしたんだよ。なんて言うか、ヒロイン独特の空気を感じたんだよね」
「何ですかそれ?」
「たまにあるんだよ。単なるクリエイターの直観なんだけど、何かを感じるんだ。彼女とは少し話したぐらいだけど、何か大きなドラマを感じたんだよ。本来なら詳しく話を聞きたいところさ」
トイロの直感は当たっていると思いながら洸は否定した。
「とか言って、本当は口説きたいんじゃないんですか?○○○には何もありませんよ。私と同じただ剣道が得意な普通の女の子ですから」
「そうか。直感は当てにならないもんだね。それじゃあ」と再び台車を押して行った。
この時トイロの胸の内では、
(君にも十分何かを感じていたんだがお節介だろうな)と思っていたのだが、当然ながら洸はそんなことを知る由もなかった。
洸はトイロの姿を見送って帰路に就いた。
遅い時間といっても学生の身分にしては夜はまだこれからだろう。だからといって夜な夜な出歩く性分ではない。さっさと帰って映画でも眺めながらくつろぐ。脚本家の件はまた今度にしようと思いながら歩いていた。
不注意だと気が付いたのは今夜の映画で何を見ようか考えているところだった。後ろを忍び寄る足音が彼女のそれと重なり合うのだ。
試しに速めてみると鳴り響く足音も同じくテンポを保つ。振り返る勇気がなく、洸の速度は徐々にスピードを増し、いつしか全速力で走っていた。
直線的にシャッターの降りた商店街を抜け、目指すは人通りの多い交差点。
気のせいか後ろを追いかける何者かの足音は聞こえてこない。
もう少し、あとほんの10メートルほどで表通りに出ると安心しかけた時だった。急激に右からくる白のワゴン車が現れた。いつもは気にしたことのない路地から現れたのだ。
洸は脚を止めて車両が通過するのを待っていたのだが、そのワゴン車のサイドドアがおもむろに開いたと思う間もなく彼女は中へと引きずり込まれていた。
助けを叫ぶことはできず後ろから追ってきた巨体に力ずくに押し込められてしまった。映画さながらに猿ぐつわとともに袋で頭を覆われ、手足は縄で拘束された。スカートを穿いていたから下着が丸見えだが、洸はなんとかもがいて抵抗していた。
「おい、マジでやるのかよ。まずいって」と男の声が聞こえてきた。
「いいから早く出せ。ツケが残っているんだろう。仕事は最後までやってもらう」とまた別の男が指示をすると車は発信を始めた。
「先輩、いくら何でもこれはまずいですって」とまた別の声が聞こえてきた。
「お前も忘れたか?口答えせず俺に従えばいいんだって」
不安と恐怖にさらされながら車に揺られていた。主犯格と思われる男がベタベタと触ってきて不愉快極まりなかった。自由に抵抗することも泣き叫ぶこともできず洸はひたすら耐えた。行く末が死ではないかと時折よぎっては、神様に祈りをささげた。
たどり着いた先はだだっ広い倉庫のようだった。目隠しのままに歩かされ扉の反響音が聞こえてきた。
湿気がじめつきと真夏の夜だというのに空気が冷たいのだ。
誘導し歩かされた先で熱い光に照らされた。頭に被せた袋越しでもわかる強いライトを浴びているのがわかる。
「そこでいい」
また別の男の声がした。
その男の合図で立ったまま何か台のようなものに強くうつぶせに押し付けられた。胸を苦しく圧迫させるのだ。
「よ~い、アッ」
謎の掛け声とともに頭の袋が剥ぎ取られた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔にまぶしい光が照らされている。目が光りになれてようやく何が行われようとしているかが理解でき、だんだんと絶望の色が表情に出て行った。
ライトの向こうに複数の男、そして何台ものカメラ。極めつけは彼女を押さえつけていたパンツ姿の男だ。どこかで見たことのある顔だがどうも思い出せない。
洸は一瞬にして身を引いたが手錠がされ、足枷が目の前の机に付けられつながっており、移動はせいぜい半径3メートルといったところだ。
身を引いた洸に男が覆いかぶさる。
「ずっと好きだったんだ」
男の声は社内の主犯格のものと同じだった。
嫌がる洸の服を一枚一枚じらすように剥いでいった。その間も男の粗い息が彼女の肌に絡みついてくる。
「やめて!」
叫び声をあげる洸に男は容赦なくすべての衣服を剥ぎ終えた。残された下着の二枚のみとなり、男の手が彼女を犯し始める。
鳥肌が立ったまま、ただただ恐怖することしかできない。ついに男の手がショーツに手がかかる。このまま見ず知らずの男に犯されるのだとあきらめかけた時、何かが起きた。
断片的に男たちが次々に倒れ行く光景が目に移る。だが、それが何なのかまったく記憶にない。
目覚めたときには下着姿のまま公園に倒れていた。
おなかに残る大きな切り傷に悶え苦しんでいるところを発見されたのだった。
洸の話を聞いて確信したことは二つあった。
一つは桝山がどうしても伝えたかった脚本家の存在。草刈ミネウチを名乗る男は何らかの事情を知っているということだった。
そしてもう一つ。監視カメラに映った男は洸を追い回し誘拐の一役を担っていたという事実である。高岡警部から見せてもらった映像はほんの一瞬、洸すら映っていなかった。仮に男が福内宋汰ではなかったとしてももはやあの男は無関係とは言えない。二人の関係性など、どうでもよい。その場には洸の知っている人物はいなかったと証言しているのだ。
洸との面会を終え、もう一度桝山のもとへ向かった菖瞳だったが、病室は締め切られ面会謝絶の札が堂々と貼られていた。桝山本人が恐れていたように何かがあったのかもしれないと思ってみるが、その疑念はすぐに頭の片隅に追いやっていた。
自分の記憶だけを失った洸にかける言葉が見つからない。強制わいせつを受ける手前だっただろうが、彼女の心の傷は深いはずだ。なんてことない様に振舞い、話してはくれていたが、石元洸は女優だ。それが彼女の演技だと菖瞳にはわかっていた。
(記憶がなくても洸のために何か言えたはず)
癒月の運転する車の中で菖瞳はそのことばかりが悔やまれてならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます