02 悲劇は唐突に

「おかえり。遅かったじゃない」

 家に帰ると母が心配した様子で玄関に立っていた。

「サークルでちょっとね。急遽、誕生会が開かれたのよ」

「そう…じゃあ、ケーキ食べてきたの?またケーキだと嫌よね」

 それは娘の舌や胃袋を気にした発言でないことは察しがついた。母は単純にケーキを独占したいだけなのだ。

「食べる!結局口にできなかったもん!」

「何よそれ?」と母は笑ってリビングに引き返した。

 するとリビングの先に思いがけない人物が顔を覗かせた。

「よお、アヤ。プレゼントあるぞ」と笑顔だった。

「お兄ちゃん?なんでいるの?」

「なんでって、ここは俺の家でもあるんだぞ。ゴールデンウィークの一日ぐらいは帰省したほうが良き兄ってもんだろ。それはほら、せっかくの妹のおめでたい日なんだ。おめでとうの一つでも言わないと父さんに怒られかねないだろう」

 兄の存在は惨めな思いを紛らわしてくれた。いつからか兄は菖瞳にとって兄以上の存在になっていた。それは異性とかいうブラコンといった俗物的なものではない。

「仕事は?休めたの?」

「交番勤務にだって長期休暇ぐらいあるさ。これでも公務員なんだ。お役所はどこも休みだろ」と日本酒をコップに注いで言った。

「恋人だっているんでしょ?せっかくの休みにほっといてもいいの?」

「いいんだよ。そんなに焦ることじゃないんだし」

 注いだコップを菖瞳の前に差し出した。

「私には強いみたいだからやめておく」と突き出されたコップを押し返した。その香る臭いを鼻にするたびに福内のパンツの盛り上がりを思い出しそうで胸焼けしそうだった。今度からは透明な液体を見るたびに中身をしっかり確認しようと心に命じた。

「お父さんも弱かったものね。何せ甘党だったもの」と母が大皿いっぱいのホールケーキを抱えてきていた。

「残念だが仕方ないな」と兄は押し返された日本酒のコップをちびちびとなめ始めた。

 母は右手に添えていた色とりどりのろうそくの束を開封し、テーブルに乗せたケーキにそれを突き刺し始めた。

「火はつけないで」と菖瞳は即座に止めに入る。

「なんで?二十歳のお願い事しないの?」

「さっきやってきたから、二度目のお願い事はちょっと…」と言うのは建前だ。ケーキに刺さったろうそくの炎がシャンパンで崩された残骸をトラウマの如く連想させるのだ。そんな愚かな光景や出来事は母や兄の前では口が滑っても言えない。笑い話にするつもりもなかった。

「じゃあ」と母はケーキを四等分に切り分けて一切れずつ皿に乗せた。そのうち一皿だけはろうそくが突き刺さったままである。

「これ、お父さんの分?」

「そう。お願い事じゃなくてちゃんと二十歳を迎えたことを報告するためのものよ」

 そう言って母はマッチでろうそくに火を灯す。

「私が持っていく」

 菖瞳は一本だけの火の灯った皿を引き取ると隣の部屋のふすまを開いた。暗い部屋をろうそくの明かりを頼りに歩いた。ろうそくの火はいつもの感覚の手助けとなった。

 容易に部屋の中央から垂れ下がった紐へとたどり着くことができた。そしてその紐を縦に引くと、蛍光灯の明かりで視界が開けた。

 目の前にある仏壇には優しい顔をした父の遺影が置かれている。父の遺影とともに祖父や祖母の位牌も一緒だった。

 菖瞳は膝を下ろしケーキを仏壇の手前の台座に添えた。台座にはほかにラッピングされた小さな箱が添えられていた。兄のお土産だろう。

 年季の入った壁の上部、鴨居には先祖の写真や意味の分からない賞状が飾られている。仏壇の並びには古い装飾品が並べられていた。とりわけ目に飛び込んでくるのはツボや掛け軸と言ったものだろうが、菖瞳はそこにないものに目が行く。

 菖瞳はケーキに灯ったろうそくの火でお線香に火を灯す。

「今日は特別だからね」と言い訳のように作法をごまかし、お線香をあげた。そして手を合わせ遺影の父をぼんやりと眺める。数カ月前まで直感的に感じていた父の気配はなぜかもうない。

一日の出来事を頭の中で反芻した。帰り道に感じた罪悪感、大人になったことで現れた軽率な現実。それを叱ってくれる父はいないのだ。

 寂しく悲しい記憶が沸々と彼女の心の底から湧き上がってきた。


 6年前。それは都心の地下鉄で事件があった年のことだった。

 季節は秋。10月だというのに日中の気温が二〇度を上回った小春日和の日だった。

 当時中学二年生の菖瞳はいつものように学校の生徒会活動に励んでいたころだった。特に当時は文化祭の数週間前であり、家での道場稽古を一般部、つまり社会人や高校生がメインとなる時間帯での稽古に回っていた。

 一般部で稽古に励もうが、このころの菖瞳は大人に混じっても力負けしない技術を持ち合わせていた。それに道場は家なのだ。出たい時間に出ればいいというのが菖瞳の特権だった。その代わり手を抜くことだけは許されなかった。ズル休みなどもってのほかである。それでも菖瞳は彼女なりに真剣だった。当時はいやいや引き受けた生徒会役員の活動も楽しんでいた。

 これほどに充実した日々はないと自覚していた矢先のことだった。

 その日に彼女の世界は一変した。ただ一つの存在だが、それは嶺橋菖瞳にとっては大きな存在だった。

 父が遺体で見つかったのだ。

 嶺橋茂雪は道場でひとり倒れていた。第一発見者は年少部に通う小学生の門下生数名。時間通りに道場の門をくぐった彼らは先生の異変に気が付いた。当時は仕事に出ていたために頼る大人がいないのだ。そこで機転の利いた児童は持っていた携帯電話で親に相談。すぐに救急車が駆け付ける事態に発展したのだ。

 菖瞳のもとに連絡が来たのはそれから間もなくのことだった。職員室からの呼び出しが不穏な知らせの前兆だった。中学校への携帯電話の持ち込は禁止だった。何か個人的な連絡があるとすればそれは一度学校を通す。

 担任の先生から受話器を受け取り「はい。もしもし」とだけ言葉を告げた。

 電話先からは聞き知れぬ男性の声が冷酷なまでに低く詰問口調で確認してきた。不信感を募らせながらいくつかのパーソナルな質問に答える。住所や名前、父親の血液型と言ったものだった。

 最後の質問の後、本題を突き付けられた彼女の頭に不安と焦りが一気に押し寄せる。

 母や兄を差し押さえて菖瞳が家族の連絡網となったのだ。近隣の中学校で嶺橋の苗字を探したのだ。母や兄への連絡手段は小学生の門下生には手の及ぶ範囲ではない。

 菖瞳は事の真相を担任に告げた。

「それなら車で連れて行こう。先生がお母さんに連絡しておくから急いで支度してきなさい」

 この時ばかりは担任が頼もしかった。

 病院に付いた時には父はたくさんの管や装置に取り囲まれていた。いくら良く見積もっても危険な状況であることは否定できそうにない。

 菖瞳はすぐにでも父のもとに駆け付けて寄り添いたい衝動に駆られた。体をゆすって起こしたかった。大丈夫だよって頭をもう一度撫でてもらって安心させてほしかった。

 彼女はICUの扉を開けようと躍起に力づくで引っ張った。

「ダメ。今はダメ」と一人の看護師に止められそうになったが聞かない。制止を振り切り扉を開く。

「これはまずい」と主治医も一緒になって菖瞳を止めにかかった。

 見るからに侵入を許さない滅菌空間を室内の中に作っているのだ。

 菖瞳はその滅菌空間を囲うビニールに触れた。少しでもいいから父のそばにいたかった。

 3名の医師看護師が力づくで菖瞳をICUから引きずり出した。もはや抵抗する気にはなっていない彼女はそのまま体を預けると廊下のベンチに腰を落とす。

 菖瞳は両手を組んで祈った。神様なら何でもいい。祖先ならなおさらだと願う。

 すると廊下の奥から足音が鳴り響いて聞こえてくる。

 母と兄だった。二人で来たのだ。

 母は医師のもとに向き合い情報の開示を求めたが、兄雪虎は違った。いや、正確には菖瞳と同じ行動をとった。

 ICUの覗く窓にへばりついたかと思うと強引にでも扉を開けようとした。既に菖瞳の成した経験がある。扉の鍵がしっかりとかけられており、部外者の侵入を許そうとしないのだ。

「頼む。開けてくれ!」と雪虎は怒鳴った。普段から発声している威嚇の掛け声に勝るとも劣らない威圧が込められていた。

「滅菌していますので無理です」と看護師は丁寧に説明した。

 すると雪虎もまた肩を落として菖瞳の隣に座った。

「一体どういうことですか!」と母の怒鳴り声が廊下に響き渡る。

 俯いていた菖瞳が見上げると母が主治医をつかみ上げていたのだった。見たことのない母の姿をただ見ていることしかできない。

「落ち着いて下さい。我々にもわからないんです。全国の医師に情報提供を呼び掛けておりますので、今は耐えてください」

「そんな…」

 母は腰が砕けたように床にへたり込んだ。

 見ていられない姿に兄妹二人は母のもとに寄り添った。これほどまでに心を乱し、もだえ、落胆する母の姿を見ることは初めてだった。

「父さんに何があったんだ?」

 雪虎は母を肩で担いで誰ともなく聞いた。それは母ではない。おそらく主治医に聞いたようだったが、兄にしては愛想がない。

「現状だけしかわかっていない。原因は不明。詳しい説明に場所を設けます」と弁明した主治医は一人の看護師に指示を出した。

「ここでお願いします。夫から離れたくありません」

 それは子供二人も同じ気持ちだった。二人とも大きく頷いていた。

「では…」と考えた後、「説明用の器材を持ってきてくれないか?画像を映せるものだ」と再び看護師に指示をした。

 この時、父茂雪が搬送されて一時間半が経過していた。

 菖瞳はもう一度、窓越しに父の姿を見つめていた。少しの油断も許されない深刻な状態であることには変わりないのだが、窓越しに見える父の姿は眠っているかのように静かであり穏やかに見えた。

 これほどまでに父を心配したことはなかった。同年代の男性と比べても若々しくかっこいい自慢の父。そんな父が病院に搬送されることになるとは思いもしなかった。

「こちらがMRI画像です」

 いつしか菖瞳がぼんやりとしているうちに医師らが移動台とともに30インチほどのモニターを運び置き、手元の電子パットを操作していた。

 MRI画像は頭部と胸部、そして下腹部と続く全身の断面図が細かく並べられているものである。それは一目見ただけでは素人目には全く理解できない。

「まず、結論から述べます。ご主人は何らかのウィルスにかかったのではないかと疑っております」

「え?それはどんな?」と雪虎が口をはさんだ。

「残念ながらわからないんです。最悪の事態を想定してウィルスとしていますが報告事例がまだ見つかっていないんです」

「何だよ!」

 雪虎は今にも飛びだしそうになるほどに激しく貧乏ゆすりをしていた。

「今、お父様に出ている症状が何とも奇妙で手の施しようがないんです」

「どういうことですか?父はこのままなんですか?」と菖瞳も思わず食って掛かりそうになった。

「わかりません。お父様は内臓を大きく損傷しています」と言った医師はモニターの画像をボールペンで指した。複数あった輪切り状の体内の画像が連なり、三次元映像に切り替わった。どこに何の内臓があるかはこれでまるわかりになる。

 そして現れた父の体内の姿。それは素人目に見てもわかる、目を疑う状態だった。

「見ての通り、複数の内臓が崩壊したように決壊し血液があふれています。内臓の細胞が裂けるように崩壊しているんです」

 親子のだれもが言葉を失っていた。状況が全く読み取れないのだ。

「ですが驚くことに、これらの内臓はしっかりと機能しているのです。心臓はこのように明らかな裂傷が見られますが、鼓動を止めていません。これほどの臓器の損傷があるのに、どの臓器も臓器としての働きを投げ出したものはないのです」

「まさか!」と雪虎は立ち上がった。両手は固く結ばれており、硬直させたように直立させていた。

「私も驚きました。医学界の常識を覆す不思議な症状です」

「体にキズはないんですか?」と雪虎は唐突な質問を投げかけた。

「え?いや。まさか。目立つようなケガは…」

 戸惑う的外れな医師の感想を最後まで聞くことなく急に走り出した。

「お兄ちゃん!待ってよ!」と菖瞳は切羽詰まったように走り去る兄の後ろ姿を呼び止めた。

 しかし雪虎は振り返ることなくどこかへ消えて行ったのだった。

 消え入る菖瞳の呼び声が悲しく空虚な廊下に響く。思わず母が彼女を抱きしめた。

「内臓を破壊するウィルスや寄生虫、バクテリア。ご主人の体内は今、そんな得体のしれない何かと戦っているのです。今は世界中で情報共有ができています。もしかしたら症例が見つかるかもしれません」

「そうですか…」

 もはや母は医者の気休め話を聞いていなかった。ひたすらに涙を流す娘を抱きしめ、わずかにある現代通信技術を信じることしかできないのだ。

 数時間が立ったころだった。時刻はすでに夜中の12時を回っている。ICUの前の廊下も消灯し、うす暗く漏れる部屋からの明かりだけがベンチの二人を照らし出していた。

 突然、看護師が慌てた様子で二人の親子の前に現れた。うつらうつらとしていた二人も慌ててICUの窓からベッドを覗き込んだ。

 どうやら父の様子に変わりはない。

 何事かと慌てた様子の彼女を見た。

「症例が見つかりました」

 まず立ち上がったのは母だった。一縷の希望の光を感じたのだった。

「治るのですか?」

「わかりません。ネットワークのビッグデータ上に旦那様の症状と一致する記述が見つかったようなんです」と彼女は手元の電子パットを母に手渡した。

「ここです」と看護師は画面上を指でなぞった。

『腹部を開いてみると大量の血液があふれ出してきた。見たところ刃物で切られたようにほとんどの臓器が裂けていた』

 ビッグデータに埋もれた膨大な医療技術や論文、学術研究、患者の症例にまで至る情報の中から人工知能によって導き出された答え。それを母が読み始めた時である。けたたましい警報音が鳴り出したのだ。

『裂かれた臓器はどれも機能している。血管がつながっている限り臓器は脈打つのだ。異常ともいえる回復力。裂けた部分が次第に自己修復力を活性化させていた』

 警報音に驚いた母は手にしていた電子パットを落としてしまった。電子パットは音を立てて床に落ちたのだが、ICUの装置の音が勝る。赤いランプを点滅させながら異常を訴えるのだ。

 そこにいた看護師はすぐに指輪型の通信端末を使い応援を呼んだ。

『裂傷の断片が再び繋がろうとしている様子がよく分かった。それらは人体に何の影響も受けていないと信じているかのように機能する。裂傷部分は単なる小さな穴程度にしか感じていないようだった』

 駆け付けた医師と看護師は急いでICUへと駆け込んだ。バイタルの異常を訴える装置は依然として鳴りやまない。

 その間、母は呆然と立ち尽くしていた。菖瞳はせわしなく動き回る医師たちを窓越しに見ていた。何が起きたのかわからず、見ているしかできないのだ。

 そのうちに滅菌された空間から父の体が運び出された。移動担架に乗せられた父が奥の手術室へと消えて行ったのだった。

『このまま回復するかと思えた内臓に突然異常が見られた。いくつもの血管が音を立てて切れたのだった。その瞬間噴き出す血液が、暴れまわる蛇のように管が舞い、血を放つ。血流を止める間もなく、今度は再生しかかった内臓が再び裂け始めた』

 手術中の赤いランプ。

 さらにうす暗くなる待合室で母と娘はお互いを抱きしめていた。

『傷を負っていた内臓はすべての編んだ毛糸ように自らほどけ、外側から血の気が失せた。それだけではない。驚くべきことに体を覆っていた皮膚の内側が線を引いたようにして腐っていくのだ。それはやがて皮表にあざを浮かび上がらせた』

 たった一時間後だった。二人にとっては短すぎる終わりの訪れ。

 おもむろに開かれた扉から汗に湿った服で拭いながら担当医が出てきた。その表情は悲劇の前兆のように曇っていた。

『なすすべなく患者は死亡。内臓は切断面から腐り、ホロホロにほぐれたように形を崩した。男を発見しておよそ6時間後のことである。1873年3月』

 二人は膝をついて泣いた。


「ろうそく溶けて、ケーキが台無しになるよ」

 菖瞳が目を開けるとすでにろうそくが残り数ミリの長さにまで縮んでいた。

「アヤ、大丈夫?本当はなんかあったんでしょう?」と母が心配して彼女の肩をさすった。

「何でもないって。ただ、お父さんだったらどんなこと言ってくれるかなって考えこんじゃって」

「きっと大きくなったなって言ってくれるわ」

 菖瞳は小さな笑顔を浮かべるとケーキの皿を持ち上げた。

「お父さんの分は私が食べるから」

「じゃあ、アヤの分は母さんのものね」と舌を出して急いで仏間を出て行った。

 菖瞳もふくれっ面をして立ち上がった。久しぶりの正座にすっかり足がしびれてうまく立ち上がれない。こんなこと二年前までは絶対にありえないことだっただけに、大人になった自分自身を哀れんだ。

 しびれた足を癒しながらも手ではバランスよくケーキの小皿を傾けまいとした。これだけは死守しなければならないものだと自分に言い聞かせて必死にバランスを保っていた。

 そこでふと部屋の装飾品に目が行く。呼ばれたようにある箇所に目線が向かうのだ。

 だが、目線の先には何もない。

 何もないことに目が行くのだ。

「どこに行ったの?」

 菖瞳はひとり呟いた。膝をついて足を浮かせ、手にした皿を傾けまいとするおかしな体勢を取りながらも頭はそのことに向かう。

 そこにあるのは刀掛けの台。上下二段に掛けることのできる台である。その上の段には何も置かれていないのだ。

「誰がだ?っつかさ、何なの?その恰好」

 兄が冷めた目でふすまの奥から頭を覗かせていた。それを言われるのも無理はない。二十歳を迎えた可憐な乙女が見たこともないおかしな恰好をしてつぶやいているのだ。

 菖瞳は急いで足先を床に付けたのが、反射的にぴょんと宙を舞う。

「足をシビラせたのか。っはっはは…」と雪虎は高笑いした。その姿が可笑しかったというよりも、あの正座でいつも己を律していた妹が足をシビラせたという事実に笑っていたのだった。

 これには菖瞳も怒って見せた。

「だって、お兄ちゃんがいなくなってから稽古をつけてくれる人がいなくなったんだもの。いつも肝心な時にいないんだから」

「俺が稽古をつけないことと正座を怠ることは別だと思うが」

 それには口が出せない。確かに正座ならどこだってできる。意識してしようと思えば電車だって…。それは無理な話だ。

 菖瞳はまたふくれっ面を見せた。フグよりはハムスターが口いっぱいに食べ物を含めたような愛らしさがある。

「そう、怒るなって。誕生日プレゼントあっただろ」と雪虎は仏壇を指さした。

 その先にあったのはあのラッピングされた小さな箱である。これは菖瞳に宛てられたプレゼントだったのだ。

「何これ?」と未だ足を上げたままの菖瞳は膝だけで反転し箱を眺めた。

「笑っちゃうぐらい高いチョコレート」

「マジ?」

「マジ、マジ、マジック」

 くだらないギャグを聞き流し、プレゼントを手に取ろうとしたところ母の横やりが入った。

「早くしないと全部の大トロ食べるから!」

 いつ注文したのだか、出前のお寿司の争奪戦が催されようとしていた。そんな子供じみた競争に誰が乗るかと、馬鹿にしていた菖瞳だったが、突然走り出した兄の背中に急に闘争本能が呼び覚まされた。

「そもそも本日の主役は私よね!」

「知らん」と兄の返事。

 しびれの残る足先を床に押し付けて、菖瞳は仏間の電気を消した。仏壇でほほ笑む父の遺影を見つめつつ、明かりを消すのだ。一瞬にして見えなくなった視線の先を明かりの灯る居間へと向けて、家族がにぎわう食卓へと歩き出した。

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