演奏をトチって〜絶対音感って……
ボンボンボン。
ボン、ボボン。
ボ、ボンボン、ボボン、ボ……。
あー!
また間違った!
もー、へたくそ!!
誰かをののしっているのでは、なかった。
自分を叱咤しているのだった。
マコトはベースを弾くのであった。
バンド経験もある。
ギターの友達と作曲なぞして遊んでもいる。
もうかれこれキャリアとしては長いのだった。
なのに、弾いててよく間違うのだった。
「ノーミスで弾けたことって、あんまりないよな」
音楽をBluetoothスピーカーから流し、それに合わせてひとりで弾く。
マコトは最近これにハマっている。
大好きな曲を何度も聴けて、身体でノって、一緒に音を出せるという快感。
けれど、自分の演奏ミスでイライラがつのって精神衛生上良くない、今日このごろ。
耳コピは早くて優秀なのに。
「やっぱ才能ないのかな。絶対音感もないし」
自分に絶対音感があったら、どんなに素晴らしかったことか。
マコトはいつも思うのだ。
それぞれの音の住所を絶対的に把握していたら、どこに誰が住んでいるか迷うことがない。
あの曲の始まりは「E♭」。
この曲の終わりは「F♯」。
その曲は「G」のブルース。
ぜーんぶ完璧にいえるし、書けるし、指板のポジションも鍵盤の場所もバッチリわかる。
「いーなー、ほしーなー、絶対音感」
と思った時、マコトは気がついた。
「そういえば、相対音感しかないボクでも、声は自在に操れるんだよなあ」
C♯だとかD♭だとかAだとかって、正確に当てることは出来ないけど、知ってる曲に合わせて歌い始めることは、マコトにとっては容易いことだった。
頭の中に鳴っている音に合わせて、寸分違わない音程で声を出すことができる。
それは、歌を歌い慣れている人なら、たいがい可能な芸当だろうと思われた。
マコトは、ここに至ってついに思い出した。
養老先生(養老孟司先生)が本で書いていたことを。
『人間以外の動物のほぼ全てが、絶対音感を持っている』
ほ乳類でも鳥でも、コミュニケーションで鳴き声を使う生き物の場合、みな音程が重要なんだそうだ。
音の周波数が違うと、違う意味になったり、伝わらなかったりするそうなのだ。
なぜかというと、彼らの鳴き声コミュニケーションは言語ではないから。
言葉は抽象的で、音の周波数によらずに意味を表している。
高い声の「こんにちは」も、低い声の「こんにちは」も同じ意味。
子音やら母音やら破裂音やら口の形やら、はては鼻から抜けるような音やら。
いろんなテクニックを駆使して、合わせて、伸ばしたり、切ったり、長ーいのも作ったり、いろいろ複雑になって。
その結果、絶対音程は逆に足かせになるので関係ないことにして。
そうやって人間の言語が進化したのではないでしょうかと、マコトは考える。
そして、マコトは思う。
歌を歌うひとが、ちょっと絶対音感あるっぽく自在に声を出せるのは、じつは原始的な能力を呼び覚ましているのでは?
ある意味、絶対音感って、野生の本能の一部なのでは?
ということは。
音楽などという、じつに人間的で高度に思える文化は、野性的な原始の能力のおかげで成り立っているのかもしれない。
音楽だけじゃなくて。
小説だって、映画だって、絵画だって。
原初のエネルギーって大事なんじゃないか。
理屈じゃないものが大切なんじゃないか。
これからAIが進化して、人間の文化も変化するけれど、その時に原始的なものがなにか大きなことをしてくれるのでは?
生き物の本能が、重要な役割を演じてくれるのでは?
でも。
それぞれの音の間の距離を正確に測りとって、いかなる周波数であっても破綻させずにひとつのメロディを完成させる。
そんな歌い手は、完璧な言語の使い手ではないだろうか。
まさに研ぎ澄まされた相対感覚なのでは?
相対音感は、進化した霊長類の最先端に位置しているのでは?
期待とも願望ともいえるだろう、そんな思いを胸に秘め、マコトはベースを弾く。
「人間の能力も野生的な感性も、両方だいじだ」
と、締めくくったつもりのマコト。
ボボボン、ボン、ボ……。
あーっ!
また間違った!
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