第十九話 戻った記憶と足りない何か

-2118/04/15-


「……繋がった」


 長い白昼夢だった。

 だが、それは、ここへくる直前の記憶。


 全て、思い出した。


 俺が何者か。

 どこから来たのか。

 そして、何をしに来たのか。


「ど、どうしたのじゃ?」


 唐突な言葉に、怪訝な声を上げるムネ先輩。


「いえ、思い出したんです」

「記憶が……戻ったのか?」

「はい」


 何もかもを思い出した今、ムネ先輩の顔を見て、ハッとする。


――そうか、そうだったのか。


 だが、いきなり確認しても混乱するだろう。まずは、外堀から確認していこう。


「ムネ先輩に一つ聞きたいんですが……ムネ先輩は、何歳ですか?」

「いきなり、レディーに年を尋ねるとは……っと、そうか。記憶が戻った、ということは、パンデミックの後遺症を知っておるのじゃな」


 この口ぶりだと、俺の想像は当たっていたようだ。

 俺は、頷いて応じる。


「ならば、どうということはない。あたしは、百十七歳じゃ。パンデミックの時点で十七歳。そこからずっと、この容姿のままじゃよ」

「やっぱり……そうだったんですね」


 俺の記憶ではそんなに遠くないが、ムネ先輩の主観では遠い時を越えていることになるだろうな。


「因みに、あの特殊文芸部の日々は、パンデミック前のあたしの思い出を元ネタにしておる。まぁ、たった一人の特殊文芸部の三年目に、あのパンデミックがあったのじゃがな」


 この流れでも饒舌にあれこれ説明し出すのには、なんともムネ先輩らしい稚気を感じる。これで百十七歳というのは、翻って可愛げがあると言えるかも知れない。貧乳だから対象外だが。


 ともあれ、『特殊文芸』という言葉は相当に年期の入ったものだったらしい。パンデミック前ということだから、恐らく当初は『特殊文芸』は、あの特殊文芸部の日々の通りに『プログラミング』の意味で用いていたのだろうと推察される。


 少なくとも新たな情報は得られたので、この説明も無駄ではなかったと思おう。


「で、そんなことまで知っておるとは、蓮人はここに来る前、どこにおったのじゃ?」

「橘井貞子の研究所です」

「な、さ、貞子さん、じゃと……」


 やはり、知り合いか。


「だとすると……酷い目にあっておったのではないか? 今も人類が細々とでも繁殖できておるのは貞子さんの研究あってこそじゃが、あれは、男を完全に家畜としかみておらんぞ?」


 本気で心配してくれるムネ先輩の心遣いが嬉しい。レンズの奥の気遣わしげな三白眼が心に染みる。


 だが、貧乳だから、それ以上は何も感じない。感じることができない。


「大丈夫です。俺は、あそこの研究に馴染まないとして、放逐されたんです」

「放逐、じゃと? あの貞子さんが、こんな絶好の研究材料を?」


 疑問に思うのも無理はない。本人も、本来なら人格を奪ってどうこうすると言っていたしな。


「それは、貞子にも考えがあったようです。俺は、それなりに人格がしっかりしていたので、家畜のように人格を奪うよりも別の研究の方が馴染む、と考えたようです」


「そう、なのか……貞子さんがそう言うとは、よほど、特別なものを感じたのじゃろうな」

「ええ。それで、男の心を変えていく研究をしているところに行け、とここを紹介されました。勿論、心を壊しかねない『電子魔道書』の危険性も知らされた上で、です。まぁ、近道しようとしてうっかり斜面から転げ落ちて記憶喪失、という体たらくでしたが」


 冗談めかして、経緯を告げる。


「なんと……そういうことじゃったのか」


 腑に落ちたようではあるが、見開かれて四白眼になったレンズ越しの瞳に驚愕も宿らせた、そんな表情。


「ですから、俺は自分から『特殊文芸』や『電子魔道書』の被検体になることを選んでいたんです。だから、そのことは気にしないでください」

「いきなりそんなことを言われても困るのじゃ。失敗は、失敗じゃ」


 そこは譲れないらしい。研究者としての矜持だろう。


 なら、別の方向から攻めてみよう。


「あの、少し話は変わりますが、『メタテラ』について疑問に感じていたことがあるんで、聞いてもいいですか?」

「なんじゃ?」

「あわよくば貧乳を『シンデレラバスト』とポジティブに捉えて愛せるように、と俺にシンデレラバスト愛を植え付けたということでしたけど、それは取りも直さず、俺がムネ先輩を好きになるってことですよね? それを、ムネ先輩は研究のために仕方なく受け入れたんですか?」


 意地の悪い質問だとは思うが、ここは確認しておきたかった。


「そ、それは……」

「違いますよ。自分から望んで、です。臼井博士は、すっかり蓮人君にご執心で、わたしの治療という名目で巨乳にしたのも、蓮人君に植え付けたシンデレラバスト愛を独り占めするためだったんじゃないかって、邪推しちゃいます」


 言葉に詰まったムネ先輩に変わって、茅愛がぶっちゃけてくれた。

 どうせなら、本人の口からそこは確認したかったが、


「そ、そうじゃよ! 一目惚れ、じゃ! 男なら誰でもいい、というわけではないぞ? そこだけは理解して欲しい」


 開き直って認めてくれたので、よしとしよう。

 オーバルレンズの奥の瞳を潤ませているのは羞恥だろうか?


 そんな反応がなんだか照れ臭くはあるが、貧乳は対象外だ。

 とても愛おしく感じそうだが、貧乳は対象外だ。


 ちぐはぐな思いが心に浮かんでくる。


 でも、なんだろう? 

 貧乳は対象外。

 それは事実に相違ない。


 だが。


 あと少し、何かが足りないだけの気もするんだ。


「それなら、シンデレラバストへの愛をもっとモット強く抱くようにしてもらえれば、俺もムネ先輩を好きになれると思うんです。だから『電子魔道書』をまた使ってください。結果的に、それはこれからの男女がまともな恋愛をできる可能性にも繋がるんですから」

「そう言ってもらえるのは嬉しいがの、それは駄目じゃ。もう、実験結果は出ておる。無理矢理シンデレラバスト愛を植え付けたところで、夢から覚めれば全て逆転して、本能と偽りの感情の間で苦しめられる。他ならぬ蓮人という決定的なエビデンスがあるのじゃ。もう、同じことをやる気はない」

「それじゃぁ俺は、どうすればいいんですか? ここで、シンデレラバストのムネ先輩を愛した記憶を持ちながら、実際はシンデレラバストだから愛せずに、悶々としているしかないんですか?」

「それは……また、後で考える。今日は色々あったからの。休むがいいぞ」


 そう言って、逃げるように部屋を出て行ってしまう。

 いや、実際に逃げたんだろうな。

 だからといって、追い駆けてもどうしようもないだろうが。

 

「あ、わたしも行きますね。眼鏡、直さないといけないですし……」


 茅愛も続いて部屋を出て行こうとする。


 そういえば、茅愛の眼鏡は俺が踏み割ってしまったんだったな。

 眼鏡を破壊するなど、なんてことをしてしまったんだ。

 眼鏡を蔑ろにしてはいけない。

 ゼッタイに。


「眼鏡を割ってしまって済まない」


 急に責任を感じ、まだ謝れていなかったので、ちゃんと謝っておく。


「え? いえいえ、いいんですよ。こんなこともあろうかと、資材は豊富に揃ってますから、ちゃちゃっと直せますからお気になさらず。じゃぁ、後で食事を持って来ますね」


 そう言って、茅愛も出て行ってしまう。


 俺は一人、特殊文芸部室に取り残される。

 そういえば、気を失ってばかりで俺の居場所は特に決められていない。


 まぁ、居心地がいいし、ここに居ればいいか。


 ソファーに横になる。

 記憶が唐突に戻ったけれど、不思議と混乱はなかった。

 特殊文芸部での偽りの僕と、今を生きる俺。

 本当の自分は、やっぱり俺なんだという感覚はある。


 でも。


 心の奥底に、僕のムネ先輩への想いは、しっかり息づいていた。

 偽りのシンデレラバスト愛によって芽生えた思い。


 でも、それだけじゃない気がする。

 それが何かが解らない。


 記憶の問題じゃない。

 今の俺が、解っていない何かだ。


 それが解ったら、状況を変えられるんだろうが……

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