第十八話 おっぱいの大きさが人類の存亡を左右した末路
※ ??? ※
目覚めると、自分が見慣れない狭苦しいスペースにいるのに気づいた。
覚醒していく意識の中、段々と状況が思い出される。
「そうか、俺はあのまま机の影で仮眠を取って……」
こうして無事に目覚めることができたということは、『特殊文芸』とやらに興じる二人の貧乳女を見送ったあと、幸いにして誰も来なかったということだろう。
部屋は変わらず明かりがついたままなので周囲の様子はよく見えた。
そっと机の影から入り口の方を見ても、現時点で人の気配はない。
俺は慎重に扉の前まで行くと、外の気配を伺う。
人の気配はない。
思い切って扉を開き、外に出て周囲を見渡す。
誰もいないようだ。
俺は部屋を出て右へ向かって移動を開始する。それは、俺が元々進んでいた方向だ。特に当てがあるわけではないが、闇雲に角を曲がるよりは、まっすぐ端まで移動した方が迷わないだろうという判断に基づいての行動だ。
ほどなく、通路の終わりが見えてきた。これまで見た片開きのものではなく、両開きのスライド式と思しき大きなドアがあった。これまでとはまったく違う雰囲気だ。
中に入ってみるべきか? そもそも扉を開くことができるのか?
この後の行動を思案していたのだが。
「おわっ!」
音もなく、いきなり扉が左右に開いた。
慌てて扉の前を離れ、壁際に移動して身を隠す。
中から誰か出てくることを警戒して、中の気配を伺う。
だが、しばらく経っても誰も出てこない。耳を澄ましても、人の動く気配は感じられなかった。
未だ扉は開いたままだ。
考えてみれば、ここでじっとしていても、誰かに見つかるリスクは変わらないだろう。
ならばと、俺は、思い切って部屋に入ってみることにした。
「な、なんだ、これは……」
俺が目覚めた部屋と同じように、薄明りに照らされた部屋の中。
壁際に、一抱えほどの円筒形の容器が三つ、広く間隔を空けて並べられていた。
それぞれの円筒には、天井と床から幾つものパイプが繋がっている。
中は透明な液体で満たされていた。
よくみれば、そこには、体を丸めるようにした小さな生き物がたゆたっていた。
集落で受けた英才教育のカリキュラムの中で、この生き物は、見たことがあった。
「これは、もしかして……胎児なのか?」
胎児。
母の胎内に宿る児。
そう、要するにこれは、幼い人間なのだ。
それが、三つ、いや、三人。
俺の知る限り、その名の通り胎内で育つはずの胎児が、透明な円筒の中で息づいている。
液体が循環して流れがあるからか、円筒の中で胎児達はゆるやかに揺れていた。
これは、幾つものパイプによって生命が維持されている光景。
命が育まれている光景だ。
この場所は、命の産まれる場所。
言い返れば、『人を造る場所』ということになるだろうか?
気づいて俺は戦慄する。
命を産みだすような場所が、厳重に管理されていないはずがない。
もしかしたら、俺の侵入も既にバレているかも知れない。
いや、むしろバレている可能性の方が高いだろう。
そもそも、扉が開いたこと事態が俺を誘いこむ罠だとしたら……
そこまで考えたところで、ふいに背後から声がかかった。
「おはよう、灰野蓮人君」
振り返れば、開いていた扉から一人の女が入ってくるところだった。
女が入ると同時に扉は閉じ、二人っきりで外部と隔絶されてしまう。
やはり罠だったか、と思ったが、後の祭りだ。
女の姿を改めて確認すれば、見覚えがあった。
俺の主観では、数時間前ぐらいに会った女。
俺を連行して、冷凍睡眠させた元凶である、前髪ぱっつんの官憲の女。
だが、解せない。
服装が濃紺の官憲の制服から、スーツの上に白衣という学者っぽいものに変化している。
それはいいとして。
女の容姿がまったく年を取ったようには見えないのが、何より解せない。
眠らされていた部屋の様子からそれなりに長い時間が過ぎたと感じていたのだが、だとするとこの外見の変化のなさは辻褄が合わない。
もしかして、人違いで別の似た誰か、ということか?
「長い時を越えての再会だというのに、挨拶も返してもらえないとは寂しいものだな」
俺の疑問を否定するように、諧謔をこめて女は言う。どうやら、あの官憲の女で間違いないようだ。
「長い時って……俺には、ちょっと前にしか思えないんだがな」
「ああ、ずっと眠らされていた君の主観ではそうだろうね。ピンとこないのも仕方あるまい」
「それだけじゃない。どうして、全く年を取っていないんだ? 目覚めた部屋の様子から、何十年かは経っていそうに思ったんだが、どう考えても、お前はそんなに年を取ったようには見えない」
少しでも情報を引き出すべく、疑問を真っ向から問うてみる。
「ふん、私は不老なんだよ。あの忌まわしいウィルスを克服した代償として、な」
吐き捨てるように、信じがたいことを告げる女。
「不老、だと?」
余りにも胡乱な言葉に、思わず聞き返してしまう。
「パンデミックを乗り越えた一部の女にそういう後遺症が出たのさ。細かい説明は面倒だから省くが、とにかく、わたしは外見上は年を取っていないが、もう百二十歳になる。それで、お前を眠らせてからの時間は、えっと……まぁ、六十年か、七十年か、もしかしたら八十年ぐらい過ぎてるんじゃないか?」
なんともいい加減だったので冗談かとも思ったが、口調に滲むどこか達観したような空気は、確かに百二十歳という相応の時の積み重ねを感じさせないでもない。
「それで、官憲の女がなんでこんなところにいる?」
「『官憲の女』とはなんとも連れないじゃないか。私には、
「それじゃぁ、貞子。お前はなんでこんなところにいる?」
律儀に聞き直すと、
「し、下の名を呼び捨てとは……ま、まぁいい」
なぜか、少し頬を赤らめて取り乱していた。
男に免疫がないのは、時を経ても変わりないようだ。
だが、今それをやって揺さぶっても意味がない。情報を引き出すことが優先だ。
貞子は、咳払い一つで取り繕い、改めて話し始めた。
「官憲なんて大昔の話さ。不老になった奴らは、皆、使える時間を利用して研究に埋没したんだ。人類を維持するためのな。何せ、時間はたっぷりある。衰えない頭脳がある。引き継ぎの必要もない。特にそういう研究にお上が力を入れていたのは、お前の知っている時代から変わらないだろう?」
確かにそうだった。集落ではそういった研究につかせるために、子供達に英才教育までしていたのだ。お陰で、俺は色々と豊富な知識を持たせてもらっている。
「今の私は、この施設で人類の維持のための研究をしている研究者さ」
そうして、胎児の入った容器を示す。
「この胎児を見て何となく気づいているかもしれないが、君が眠っている間に、当時の予想通りの展開になった。巨乳は滅び、薄胸に反応する男も滅び、男女の関係は破綻した」
母胎の中ではなく外で、人口的に育てられる胎児。
それは、本来の形での生殖が行われていない証左に他ならない。
女の言葉には、それなりの説得力を感じる。
それにこれは、俺も集落のみんなも、いずれ訪れると思っていた通りの未来だ。
できれば、当たって欲しくなかった未来ではあるがな。
「思ったより驚かないのは、やっぱり予感があったからか?」
俺は、素直に頷きを返す。
「なら、話は早い。今の時代、男は稀少でな。特別な施設で管理され、定期的に精を提供するだけの存在だ。そうして、子供はこのようにして造っている。男女の営みなどない。どこまでも生物学的な理屈で、科学的な手法で、試験管で産み出しているんだ。これが、わたしが何十年もかけて辿り着いた研究成果さ」
どこか哀しげに、語る。
「男女の性欲に至る前段階の恋愛感情ってものが、男側に完全に欠落している。女側は、なんとか男にそれを持たせようという動きもあるが、上手くいっていない」
男女が『恋愛』というものをしていたことを、俺は知識としては知っている。俺が冷凍される前の時代はリアルにそういう経験をしていた者が存命だったし、アキハバラでハントしていたお宝にも描かれていた。
だけど俺自身は、貧乳の女は対象外だと即座に切り捨ててしまうから、ピンとこない。
男が今の貧乳女に恋愛感情を抱けないのは、実感としてよく解る。
「わたしも君を捕まえたころは、創作物の巨乳に負けるなんてのが悔しくて、躍起になって刺激図画を取り締まっていたものさ。それは結局、恋がしたいって気持ちの裏返しだ。でも、時の流れの中で、そんなことをしても虚しいだけだと気づいて諦めた」
「それで、こんな研究を?」
「そうさ。さっき言った通り、後遺症のお陰で研究には最適な不老の体だからな。もう、意地だよ。それでいて維持だね。このまま滅びてなんかやるもんかって。わたし達は、もうまともに男に愛されない。なら、こうやって科学の力でどうにかして種を存続していくしかないってね」
どう頑張ってもこの女を性的な目で見れない確信のある俺には、翻って彼女の気持ちが想像できてしまい、なんだか居たたまれない気持ちになる。
少し話題を変えようと、俺に関わることを聞いてみる。
「そういや、男が貴重ってことだが、他にもやっぱり冷凍睡眠されてる男を順次起こして、その……繁殖に使っているのか?」
センシティブな部分で少々口籠もってしまったのが情けないが、恐らくは、そうやって人類を維持しているのだろう。
そう思ったのだが、
「いいや、冷凍保存は破綻したんだ。設備の維持が難しい上に生存率が低くてな。だから君は、最初で最後の冷凍保存男だ」
「どういう……ことだ……?」
余りに不穏な言葉に、息が詰まる。
「言葉通りの意味だ。わたしは自分が捕まえて引っ張ってきた責任から、君を眠らせた場所をベースにして研究所を構えることになった。ただ、その時点で冷凍保存の生存率が絶望的なことは解っていたからな。実質、死刑のつもりだった。だから、あの部屋は開かずの間としたのだ。とはいえ、責任感で設備の維持だけはしていたがな」
なんとも不穏な話だった。
俺は、死んでいてもおかしくなかったということか。
部屋を出て振り返ったら扉がなかったも、そういうことなら頷ける。
「正直、あの部屋のことは長い時の流れの中で忘れ果てていたんだ。偶々、管理室に機械の故障で強制的に冷凍睡眠が解除された通知が来たんで思い出したぐらいだ。どうも、中の人間が死なないように、そういう安全装置が組みこまれていたらしいな。そういうわけで、君の存在を思い出したのさ」
それで、誰もいないところで目覚めたのか。
「皮肉なことに、非常時の安全装置で目覚めさせた場合は無事に起きられたようだな。今まで実例がなく、盲点だった。何せ、通常の手順で起こした男は軒並みそのまま目覚めることなく命を失ったからな」
話を聞いて、ぞっとする。俺もその仲間に入っていた可能性の方が高かったのだから。
「慌てて監視カメラで確認したら、君が起き上がっていてビックリしたよ。でも、そのまま少し現在の世界の様子を自分の目で見てもらおうと、泳がせた」
最初から、見つかっていたのか。
「他の研究員に鉢合わせないように避難させた部屋に、タイミング悪くサボりの研究員が入っていったのは誤算だったが、それはそれとして、最後にはここに来てもらうつもりだった。理由は……」
「この、人類の現実を見せたかったから?」
俺がそうだろうと思う答えを述べれば、
「察しがいいね、その通りだよ」
是と返る。
母体の外で、男女の営みもなく育てられる胎児。これ以上に、破綻した男女の状況を示すものはない。
「さて、こうして目覚めてしまった君に対して、本来わたしがするべきことは、薬で自我を奪って精を搾り取ること、だ」
サラッとトンデモないことを言ってくれる。
あのとき、俺を簡単に捕まえた女だ。老化していないということなら、まだまだ同じように動けるのだろう。
逃げるのは絶望的だな。
嫌な汗が額を伝う。
「でも、そうはしたくない、と思っている」
唐突に否定されて、俺はホッとすると同時に、訝しみもする。
「わたしは確実に人類を維持する方法を追い求めて、男を幼い内から家畜のように育てて意識を奪ってただただ精を搾り取り、効率良く試験管で胎児を産みだす方法を見出した。それ自体が間違っているとは思わない、だけどな」
一旦言葉を切り、優しげな、それでいて哀しげな瞳で言葉を続ける。
「それは、よりよい方法が見つかるまでの一時しのぎであって欲しいとも思っているんだ」
冷たさが消えていた。
そこには、僅かに残った希望が滲む。
もしかして、それは、俺、なのか?
「数十年ぶりだ。こんな風にまともに男と話すのは。自分の研究結果とは言え、わたしが関わる男は、全部家畜同然に精を絞るだけの存在だからな。他の施設でも似たり寄ったりだろう」
自嘲気味に口にした言葉はさっきと同じような内容だが、俺に恐怖を感じさせるような響きでもなかった。
「不老で君の眠らされる前の時代を知るわたしでこうだからな。ここの研究所で家畜のような男しか知らない最近の世代には、君のような男の存在は刺激が強すぎる。よって、ここには置いておけないから、裏山に捨てる」
「いや、待ってくれ! 捨てられたら、結局俺は死ぬだけだ。家畜にされるのとどっこいに思えるんだが……」
「それがどうした? なぜ、わたしがそこまで面倒を見ねばならん?」
期待させておいてひどいとは思ったが、正論だった。
言われてみれば、その通りだ。
納得するしかないと考えていると、
「ところで、わたしのような方向性ではなく、心を回復させようって動きもあったんだ。どうにかして男が薄胸を『シンデレラバスト』とポジティブに捉えて愛せるようにして、普通に男女が恋愛できるようにしようっていうな」
唐突にそんなことを言いだした。
俺は、Eカップ未満の女に欲情できるなんて、とてもとても思えない。
だけど、もしもそれが叶えば、男は家畜のような扱いを受けなくて済む。少なくとも俺は、その方が有り難いと思う。
いや、俺にはどうしても貧乳と恋愛するということが想像できないけれど、生物学的にはそれが理想だろう。
「パンデミック以前の男女の恋愛物語を通して心を育てようって動きだったんだがな、段々過激になって脳に過剰な刺激を与えてしまうまでに至ってな。結果的に、関わった男女問わず多くの人間の心をぶっ壊してしまって、頓挫したのが最近のことだ」
何かいい方法があるのかと期待したが、全然駄目だった。
「全然駄目じゃないか!」
思わず声に出してそのままのツッコミも入れてしまう。
「いや、とは言え、まだまだこれからって研究なんだ。そこで、君の存在が貴重となる。パンデミック後でありながら、まだ完全に男女がミスマッチになる以前の男。君が関わることで、何かが変わるかもしれない」
「どういう、ことだ?」
「その研究をしている施設が、近くにある。偶然、裏山の頂上にな」
そこまで言って、照れたように笑う。
これまでキツかった瞳も、存外柔らかく緩んでいた。
こんな顔もできるのか、と思うが、特に綺麗だとか可愛いだとかの感想はない。
貧乳に全く魅力を感じないという遺伝子に刻まれた摂理だ。
裏山の頂上での研究が危険だと理解しながら、心を壊される覚悟で俺はそこを目指すべきなのか?
いや、『べき』とかそういうことじゃない。
目指すしかないだろう。
このままここに留まるということは、家畜になるのと同義なのだから。
もう、男女の関係は破綻してしまったのだ。生き残った男として、何かしらの実験材料になるのは避けられないだろう。
ならば、少しでも可能性のある方を選ぶのが、合理的判断というものだ。
「わかった。裏山に捨てられよう」
そうして俺は、貞子の手引きで研究所を脱出し、裏山へと駆け出したのだった。
裏山はそんなに高い山ではないようで、道も舗装されている。頂上に研究所があるぐらいだから、資材の運搬用の道路なのだろう。それとも長い年月でインフラが復活したのか?
ともあれ、これなら大丈夫だろうと気楽に山道を登り始めた。
少し昇ったところで、山頂付近の研究所らしき建物が遠目に見えてきた。
そのまましばらく歩くと、曲がりくねった舗装された道に入る。
そこからは、結構な時間がかかった。
真っ正面に見えていても、勾配を抑えるために山の周囲をグルグルと回らされて中々辿り着かない。一本道なので迷いはしないだろうが、同じような道の繰り返しに段々と飽きてくる。
と、道路の脇に、獣道のようなものが見えた。急な勾配だが、まっすぐ山頂へ向かっているように見える。
どうにも精神的に参っていた俺は、そちらを行ってみることにした。
アキハバラでの狩りでは足場の悪い廃墟をひた走っていたのだ。
これぐらいの獣道、どうということはない。
「お、やっぱり近道か」
難なく急勾配の道を上りきると、研究所が近くに見えてきた。
山肌に沿って続く細い道が、研究所の裏手へ向かってまっすぐ伸びている。このまま道を辿れば、すぐに着きそうだ。
舗装された道から結構な高さのある場所の山肌だ。踏み外さないように気をつけないと。
俺は、ゆっくりと足を踏み出し。
「あ?」
沈みこむ足に間抜けな声を上げる。どうやら、落ち葉が堆積した場所だったらしく、見た目よりもずっと柔らかかったのだ。
「ヤバイ」
足が沈みこんで体勢が崩れ、体が斜面の方に倒れていく。
何とか体勢を立て直そうとしたのだが、柔らかい足場に上手く踏ん張れず、
「うわぁぁぁぁああああぁぁぁ」
そのまま斜面へと転がり落ちてしまう。
やがて、ガツンと何かに頭をぶつけ……
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