第十七話 『メタテラ』の意味するもの
-2118/04/15-
『特殊文芸』。
唐突に、聞き覚えのある用語が現れた。
俺は、その意味を覚えている。
「それは、『プログラミング』という意味じゃなかったですか? コンピュータに『プログラミング言語』を用いた言葉で何をして欲しいかを語りかける。そこに芸があれば文芸。そういう意味で、『コンピュータを読者とした文芸』として、『特殊文芸』というようなことをムネ先輩は言っていたように思います。」
確か、記憶に残る特殊文芸部の日々ではそういうことになっていたはずだ。
他ならぬムネ先輩から教えてもらったのだから、忘れるはずはない。
大切な、想い出のはずだ。
「そうか、それは覚えておってくれたのか……」
「ちょっと、博士! 戻ってきてください! えっ、えっと、蓮人君。『特殊文芸』については、そうとも言えるし、そうじゃない、とも言えますね」
なんだかしんみりして遠い目をしているムネ先輩の代わりに、茅愛が思わせぶりなことを言う。
ムネ先輩も茅愛の言葉でそれで我に帰ったのか、
「そ、そうじゃとも。『特殊文芸』とは、端的に言えば『脳で直接読む文芸作品』なのじゃ!」
と、慌てて、それでもドヤ顔で答えてくれる。
ムネ先輩のそういうところが、恋しく感じそうだが、貧乳だから対象外だ。
俺は、冷静に問うことにした。
「脳で直接とは、どういうことですか?」
どうにもピンと来なかったものだから、思わず鸚鵡返しに尋ねてしてしまう。
「通常の文芸作品を読むとき、人は文字情報からあらゆることを想像して、頭の中に世界を思い浮かべるじゃないですか。それを手助けするのが『特殊文芸』ということですね」
「脳に対して文芸作品を信号化して送りこむ、ということじゃ。脳が理解しやすい形にあらかじめ変換し、文字を読んで理解する労力を回避することで、読者は想像力に全力を注ぐことができる。そうすると、ずっと鮮明に様々なイメージを脳内に浮かべることができるようになったのじゃ」
「そういう、ことですか……でも、そんなこと、本当にできるんですか?」
人の想像力をより効率的に発揮させる、という理屈は解るが、どうにも俺の感覚ではハイパーテクノロジー過ぎてイメージしづらい。
「勿論じゃ。脳は電気信号で動いておる。あたしは、その信号の法則性などを解析し、脳をコンピュータのように捉え、そこで動かすプログラムの実行方法を確立したのじゃ。それを応用したのが『特殊文芸』というわけじゃ。であれば、特殊文芸=プログラミングというのは、同じとも言えるし、やはり違うとも言えるじゃろう?」
薄い胸を張り、茅愛の思わせぶりな言葉をしっかり拾ってまたもドヤ顔で締めるムネ先輩。
なんだか懐かしいな。愛おしく感じそうで、貧乳だから対象外と打ち消される。もどかしい想いが心を過ぎる。
「それに、『特殊文芸』というものは今の世界に求められて生まれたところもあるんですよ」
「うむ。女の感性はパンデミック前と余り変わっておらんからの。恋だの愛だのに飢えて恋に恋してしまうのは、本能じゃ。DNAの変異は、残酷にもそこは変えなんだ。一方で、男は巨乳限定になってしまい、巨乳が絶えた時点でまともな恋愛感情を失ったがの」
巨乳しか愛せない男の感覚はよく解る。
そして、貧乳しかいなければ恋愛が成立しようがないことも。
ならば、その状況で恋に恋するというのは、実は壮絶なことなのではないだろうか?
「パンデミック後、半世紀以上はとにかく種の保存のための研究に明け暮れておったが、一方で、恋愛への渇望を制御できずに心を壊す者も多く現れておった」
やはり、そういうことになっていたようだ。
「元々、創作物は刺激が強すぎて危険だという名目で、早い段階で破棄が進んでおった。刺激図画不法所持だの罪状を付けてお上が取り締まるほどに、執拗にの。これは、男が創作物の巨乳で性欲を満たして自己完結してしまっては種の保存に影響があるという大問題があったからじゃが、一方で創作物ごときに劣る薄胸女達の嫉妬もあったのは否定できんの」
俺も、巨乳めがねっ娘本が目の前にあれば、それだけで満たされてしまいかねない。種の保存などは二の次になってしまうであろうことも、想像がつく。
「それでも文字情報による文芸作品だけは残された。挿絵がついていたものは文章だけを写本するぐらい徹底して図画は排除した上で、だがの。これは、『文化の保存』という意味合いが強かったが、その内に恋に渇望する女達の拠り所となっていったのじゃ」
「特に流行したのがパンデミック前に十代の少年少女向けとされた娯楽文芸、当時は『ライトノベル』と呼ばれたものですね。わたしも、沢山読んで想像力を膨らませていましたから」
「パンデミック後に生まれた女子には、まともな恋愛知識などないからの。十代の少年少女向けぐらいが解り易くて丁度よかったのじゃろうな」
そこで、皮肉気な溜息を一つ。
「それに、そこにはシンデレラバストを愛する男子も少なからず登場しておったからの。現実に求めて手に入らぬものを創作に求めるのは愚かかもしれんが、シンデレラバストを愛せる男が絶滅した今、空想だけでも居て欲しいというのが、多くの女の望みじゃ」
創作物に巨乳を求める男の感覚と同じ、ということか。
「でも、薄胸好きの男の子目当てじゃなくて、胸のサイズに関係なく男と女の恋愛が成立していること自体への憧れも高まっていったんです。そうして、『ライトノベル』は恋に恋する女の子達のバイブルのようなものになっているんですよ」
『胸のサイズに関係なく』という発想がでる時点で、男と女は決定的に違っているのか。
男の主観では胸のサイズが全てだが、女の側では、そうじゃない。
相手を問わず、女は男に恋できるのだ。
だが、致命的にマッチする相手がいない。
そんな状況で恋に恋する気持ちを持ち続けていれば、捌け口を求めるのは至極当然と思えた。
「しかし、人は欲深いものじゃ。段々と既存のものでは満足できなくなり、更なる刺激を求めてしまったのじゃ」
ムネ先輩の言葉に、ピンとくる。
「それで『特殊文芸』に繋がるんですね」
「そうじゃ。図画を禁じられている以上、あとは当人の想像力に頼るしかない。もっとダイレクトにイメージできるようにする手段として、脳で直接読むということになったのじゃ。これは非常に好評を博して、瞬く間に広く利用されるようになったのじゃぞ?」
そこでまた、いつものドヤ顔になる。
シリアスな流れの中で、ホッとする仕草だった。
愛らしく感じそうになり、打ち消される。歯痒い気持ちが、また心に浮かぶ。
「それを使って蓮人君に何冊もの『特殊文芸』を読ませて刺激を与えることで、記憶を呼び戻そうとしたんですよ」
目が覚めた部屋にあった本になぜか読み覚えがあったのは、そういうことだったのか。
「じゃがの、それでは効果がなかった。じゃから『電子魔道書』を使ってしまったのじゃ」
また、耳慣れた単語だった。
「それは、特殊文芸部でムネ先輩が愛用していたタブレットPCのことじゃないんですか?」
違うだろうとは思うが、問わずにはいられなかった。
「うむ、あれとは別ものの『特殊文芸』の発展系のことじゃ。『特殊文芸』は飽くまで想像力をブーストするのみ。どれだけ鮮明にイメージできるにしても、本人の想像力が及ぶ範囲に制限されておる。そこは、通常の読書と変わらん……が、人間の欲深さに限りはないのじゃ。段々と、『特殊文芸』では物足りん、想像の及ばないことを体験したい、という要望が上がっての。あたしも調子に乗ってそれに次々に応えていった……そうして生まれたのが『電子魔道書』じゃ」
「簡単に言えば、人間の記憶に疑似記憶を被せることで想像力の限界を破り、未知なる体験をする、というものです」
続いて、茅愛が補足してくれた。
「擬似記憶を被せるって……キャラを演じたり、そういうことですか?」
「うむ。おおよそそんな感じじゃよ。『特殊文芸』は読者の領分は侵さなかったがの、『電子魔道書』は読者が登場人物を体験することができたのじゃ。まぁ、擬似記憶として被せられる記憶にも限界があったが、それでも、想像力の限界をあたしの埋めこんだ記憶で補い、作品世界に干渉することも可能となった。そのただの読書では決して味わえない魔法のような効果ゆえ『魔道書』の名を冠しておる、というわけじゃ」
自重しようとしているけど仕切れなかったようなドヤ顔で、ムネ先輩は誇らしげに語る。
また、俺の心に浮かびかかっては消える、愛おしさ。
「じゃがの、みんなが喜ぶのが嬉しくて調子に乗っておっての。容易に想像できたはずの問題を、あたしは見落としていたのじゃ」
そこで誇らしげな雰囲気は鳴りを潜め、やや表情を暗くして語る。
「『特殊文芸』の場合は、例えば巨乳を見たことのない世代が『巨乳』と描写されておるのを読んでも、当人が『巨乳』と思うイメージが再現されるだけ。結果として、AAが基準のこの時代ではせいぜいBからCぐらいのサイズしか思い浮かべられん、というようにの」
当人の想像力に制限されるなら、そういうことになるのだろう。
本物の巨乳を想像さえできないとは、今の男達は可哀想だ。
「じゃがの、これが『電子魔道書』になると違ってくる。あたしの技術は本物の巨乳を想像するのに必要な記憶を構築することができてしまうのじゃ……結果、想像の埒外の巨乳を目にして過度のコンプレックスを感じた女性が心を病んで引きこもったりしての。問題視され、しまいには『悪魔の発明』とまで呼ばれてお上に利用を禁止されてしまったのじゃ。身近にも、薄胸のコンプレックスがおかしな方向に向いてしまった者もおって、責任は痛感しておる……」
そこで、俺は茅愛を見る。
「もしかして、茅愛の性癖って……」
「はい。うっかり『電子魔道書』に深入りしてしまったことによる後遺症です。でも、自業自得ですからね。臼井博士を恨んだりはしていませんよ」
「発症して以来、薄胸をディスるような発言のある文字の文芸作品にしろ『特殊文芸』にしろ、それらを読む度に大騒ぎじゃった」
「き、気持ちいいんで、辞められないんですよぉ……」
「まぁ、ここまで話せば解るじゃろう? あたしは、御禁制の『電子魔道書』を使って蓮人に嘘の記憶を植え付け、特殊文芸部の日々を送っておったのじゃ」
「そうやって『特殊文芸』以上の刺激を与えて、俺の記憶を戻そうと、した?」
流れではそうなるはずが、なんだか微妙に合わない気がしてきた。
ショック療法として、刺激を与えるという発想は解らないでもない。
だが、偽りの記憶だけでなく、貧乳を『シンデレラバスト』とポジティブな表現をするほどに愛する感情まで付加する必要はあったのだろうか?
「『蓮人君の治療』という大義名分もありますが、これは実験です。元々、この研究所は女が捌け口として用いている文芸作品などを通して男にまともな恋愛感情を抱かせる方策はないか? 脳科学の見地から研究するのが主題でしたから。『特殊文芸』や『電子魔道書』を使ってそれをすることは、この研究所の目的に沿ったものです。実験名も当研究所の正式なものとして『メタテラ』と名付けられています」
ムネ先輩が責任を感じて言いにくいからだろうか、事務的に茅愛が説明してくれた。
「『メタテラ』……どういう意味ですか?」
「人間の脳の容量はテラバイトのオーダーと言われておる。その上に疑似記憶を重ねるのが『電子魔道書』の骨子。そして、今回の実験で蓮人に植え付けたのは『シンデレラバストへの愛』。じゃからの……『テラを越え』た『
問われれば、語ってしまう。あれだけ実験についてネガティブなことを言っておきながら、このドヤ顔である。
確かに、少々強引だが上手いこと言っている気もしないでもないこともないな……と微妙な気持ちでいると、それが顔にでていたのだろう。
俺の顔を見て「あ、やってしまった」という顔をするのがなんとも微笑ましい。
本当、子供っぽくて、可愛らしい人だ。貧乳は対象外だが。
それはそれとして、聞いて理解した内容を言葉にして整理しておく。
「なるほど。貧乳を愛する感情を『電子魔道書』の中で植え付けることで、刺激によって記憶を取り戻させるだけでなく、あわよくば貧乳を愛する気持ちも芽生えさせようとした、というところですか?」
そういうことであれば、荒っぽいが、実験として理には適っていると思う。
何しろ、男に貧乳愛を持たせることができさえすれば、まともな恋愛ができるのだから。
男女共に、万々歳だろう。
とはいえ、男の数が減少している今、俺が激しい頭痛を被ったようにリスクの高い実験を、不用意に実行はできないということは容易に想像できる。
そのような状況なら、俺の治療の名目で実験を兼ねてしまうのは、研究者としては自然なことだろう、と俺は妙に納得していた。
「臼井博士とわたしは、蓮人君の脳をモニターする装置を介して同じ特殊文芸部員として『電子魔道書』の中にいました。万一に備えてのことです」
その万が一が、俺の記憶にある特殊文芸部の最後の日、茅愛の巨乳に埋もれたことで起こったんだな。そうして、ムネ先輩と茅愛が慌てて
「また、ついでではありますが、わたしの性癖の治療のため、わたしを巨乳にしてそれを蔑まれて喜ぶ性癖を埋めこんで、現実の性癖を打ち消す実験も含まれていました」
引き続き、茅愛が事務的な口調で補足する。
なるほど。茅愛の巨乳と貧乳の反転も、治療の一環だったのか。
色々と腑に落ちる。
とは言え、いかなる意図があったにしても、結果はよく知っている。
「そういうことじゃがの、偽りのシンデレラバスト愛と本能の巨乳愛の間で苦しめることになってしまうわ、更には巨乳を求める蓮人に茅愛が襲われそうになるわと、結果は大失敗じゃ」
哀しげにムネ先輩は冷徹に告げ、気遣わしげに俺のことを見上げてくる。
「いえ。ここまでの説明で状況が整理できたからか、今のところ頭痛はありません。大丈夫です」
ムネ先輩を安心させるように、できるだけ軽い調子で言う。実際、さっきから頭痛を感じることはなかった。
それよりも、不思議なことがある。
人心を強制的に弄るというのは、人格を無視した非人道的行為。記憶喪失の治療を大義名分にしているとはいえ、本人に無断で使用するなど言語道断。業腹でもおかしくない。
だからこそ、ムネ先輩は責任を感じて心を痛めている。
だが。
俺は、まったく腹が立っていない。
むしろ、心を痛めるムネ先輩の姿に、こちらが申しわけなくなってくるほどだ。
『電子魔道書』による実験について、俺は事前に知っていたような気がするのだ。心の準備は、すでにできていたように思う。
何せ、俺は。
心を壊されてしまうことも覚悟の上で、可能性に賭けてここへ来ることを選んだのだから……
そこで、唐突に意識が飛んだ。
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