第十五話 『特殊文芸』と『電子魔導書』

  ※ ??? ※


 意識がぼんやりとしていた。

 なんだか、長い微睡みから覚めたような、曖昧な意識。


「寒い……」


 最初に感じたのは、体を覆う冷気だった。

 目を開いても、何も見えない。

 冷気の靄に白く塗りつぶされた世界が広がっているだけだ。


 やがて靄が段々と薄れていき、段々と周囲が見えて。

 だが、身体が動かない。

 どうやら俺は、何やらよくわからない機械仕掛けのベッドに四肢を固定されているようだ。

 見回せば、そのベッドは透明な円筒にすっぽりと収められているようだ。


 今度は、微かな揺れを感じた。

 円筒越しに、レールの着いたトンネルの中を頭の方向に向かって移動しているのが見える。

 トンネルを抜け、視界が開けたところでベッドは静止した。

 ほどなく四肢の固定も解かれ、ベッドを覆っていた円筒も足側の壁の中に吸いこまれるようにして外れていった。


 そこは、古びた大きな機械が幾つも並ぶ部屋だった。

 見上げる天井には小さな明かりがある。

 ぼんやりした光の下で徐々に記憶が甦ってきた。


 そうだ、俺は巨乳めがねっ娘本をゲットしたところで、官憲に捕まったんだ。

 牢屋に入れられるのかと思えば、立派な設備のある研究施設に連れてこられた。

 何日もかけてあれこれ検査され、投薬され、簡素な前開きの白い服を着せられ、薬を注射され、ベッドに固定され、お上が始めたという若い男の冷凍保存の被検体に……


「ってことは、本当に冷凍されていたの、か?」


 あの官憲の偉いさんの冷ややかな顔に向け、必死に助けを訴えていたのがついさっきのように思い出せる。


 でも今、目の前にその姿はない。

 黙々と作業していた白衣の貧乳女連中もいない。

 どころか、真新しかったはずの施設の壁が、なんだかくすんで見える。

 機械類の表面は、塗装が剥げたり錆が浮いたりしている。

 明らかな経年劣化だ。


 本当に冷凍睡眠させられて、長い時間が過ぎてしまったのだろうか?


 部屋を見回しても、問いに答えてくれる人間は誰もいない。


「ん? 誰も、いない? どういうことだ?」


 誰かが俺を目覚めさせたのなら、あの古びた機械を操作した人間がいるはずだ。

 なのに、部屋は空。


 ふと、嫌な予感がよぎる。


 俺が起きていた時点で世界はあんなことになっていたんだ。

 現時点で人類が滅んでしまっている可能性も考えられる。

 その結果、機材の維持管理が覚束なくなって誤作動した結果、偶発的に目覚めさせられたってのも、おかしな推測じゃないだろう。


 そうなると俺には未来はない、ということになる。


「いや、まだこれは憶測に過ぎない」


 最悪の予感を、言葉に出して打ち消す。


「ここでじっとしていても仕方ないな」


 状況を確認するためにも、部屋を出て調べてみるべきだろう。


 俺は、ベッドから体を起こす。

 冷凍されていたからか、はたまた注射された謎の薬の効果か、ずっと寝たきりだった割には筋肉が衰えたりはしていないようだ。



 恐る恐る四肢に力を入れてみれば普通に立ち上がることができた。

 足踏みをしてみたところ、歩くのも問題なさそうだ。

 そのまま、出口と思しき扉の前まで移動してみた。

 取っ手も何もないのでどうやって開けたものかと周囲を見る。

 扉の隣にいかにもなボタンがあったので押してみると、ビンゴだ。

 低い唸りを上げながら、扉は右へとスライドして開いた。


 部屋を出ると、正面にまっすぐ伸びる長い長い廊下。


 振り向けば出てきた扉は見当たらず、左右と同じ壁になっていた。どうやら、隠し部屋になっていたようだ。


 明らかに、連行されてきたときとは様相が違っていた。

 格段に施設の規模がでかくなっている。

 それなりの時間が過ぎて増設されたか、冷凍されたまま別の大きな施設に移されたかだろう。


 とはいえ、そんなことを考えていても仕方ない。

 大事なのは、今だ。


 俺は、正面に向かって道なりに歩み始める。

 壁や天井は滑らかな素材。金属、だろうか? よく解らない。

 天井には等間隔に光源が埋めこまれていて、周囲は明るい。これだけの規模の光源が維持されているのなら、恐らく施設は生きているのだろう。


「となると、維持管理する何者かが存在するということか?」


 少し、希望が湧いてきた。

 一方で、不用意に誰かに見つかるのもまずい。

 人がいる前提なら、警戒せねば。

 この時代に男がどういう仕打ちを受けているのか解ったものじゃない。既に男は絶滅して最後の一人だったりしたら、目も当てられないことになるだろう。


 俺は、周囲に意識を配りながら慎重に歩みを進める。

 道なりに進むと、ときおり左に直角に曲がる道がある。

 俺が進んでいるのは建物の一番端の通路のようで、曲がった先を見れば、ほぼ等間隔に十字路があるのが見て取れた。全体的に格子状に通路があるようだ。


 俺の右手に当たる壁には、ところどころにスライド扉もあった。そこは、恐らく部屋になっているのだろう。


 不用意に曲がらず、とりあえず道なりにまっすぐ進むことにする。

 と、少し先の右手のドアが開いているのが見えた。

 気になって部屋の前まで行ってそっと覗いてみる。


 人の気配はないようだ。思い切って足を踏み入れてみる。


「あっ……」


 俺が入るなり、背後で扉が閉じてしまった。

 罠か? とも思ったが、それならそれで現状の確認が必要だ。


 煌々と明かりに照らし出された部屋は、俺が閉じこめられていたのと同じぐらいのサイズだった。

 中央には寝台がある。その上には沢山のケーブルが繋がった、頭をすっぽり覆うヘルメットのようなものもある。


 部屋の奥には、見慣れない機械が設置された大きな作業机があった。

 そちらを見てみようと奥に移動し始めたところで、突然、入ってきた扉が小さな唸りを上げる。


 誰か来たのか?


 俺は、足音に気を付けながら部屋の奥まで一気に足を進め、作業机の影に隠れる。


 ほぼ同時に扉が開き、癖っ毛の小柄な女が入ってくる。案の上、胸は真っ平らで俺の心を動かすものは何もない女だ。


 どうやら、人類は滅んでいなかったようだな。

 そう、安堵を覚えはしたが、男が滅んでいる可能性はあるのだ。

 見つかるとどうなるか解ったものじゃない。


 俺は、机の陰から息を潜めて状況を観察することにする。


 幸い、女は部屋の奥まで来る気配はなく、寝台の側で何かしているようだ。

 ヘルメットをすっぽり被り、ベッドの横にある透明のパネルをなにやら触っていた。

 ひとしきりパネルをあれこれ弄ったところで、寝台に体を横たえる。

 仰向けの姿勢ならこちらは見えないだろうと、少し身を乗り出して様子を伺ってみる。


「うわぁ!」


 いきなり大きな声が上がってビックリする。

 気づかれたか、と思ったのだが、女は横たわったまま。こちらは見えないはずだ。

 ならば、あの声は別の何かに対するものだろう。


 改めて、様子を見ていると「素敵!」とか「いいなぁ……」とか、概ね、ポジティブな言葉がその口からこぼれ出てくる。


 とはいえ、ヘルメットをすっぽり被ってだと、傍目には不気味でもあった。


「!」


 そこで俺は再び机の裏に頭を引っこめる。

 また扉の唸りが聞こえたからだ。

 頭を引っこめると同時に、別の女が入ってきたようだ。


「おい! そんなもの使うんじゃないと言っているだろう!」


 開口一番、その女は癖っ毛の女を叱責する。


 ズカズカと部屋に入ってきて、乱暴にガチャガチャと何かを弄る音が聞こえてくる。癖っ毛の女のヘルメットを外しているようだ。


「え~、たまにはいいじゃないですかぁ。こっちは禁止されているわけじゃないでしょ?」


 不満げな声を上げる癖っ毛の女。


「でも、あの悪魔の発明に通じるものだ。触れないに越したことはない」

「そうかなぁ……こんなに楽しいのに」

「はぁ、あのさ、じゃあ聞くけど、こんな男の子が実在すると思うの?」

「う……そ、そりゃぁ、非実在男子だっていうのは、知ってるけど。でも、だからこそ、こうやって物語にそれを求めるんじゃない……」

「それなら、文章に留めておけ。脳内だけの妄想なら、どうということはない。でも、『特殊文芸』によって妄想に形を与えてしまうと、次第に妄想と現実の区別がつかなくなってくるぞ?」

「でも、『特殊文芸』の方は別に禁止されてないよね? だから、ちょっとだけなら……」

「だめだ。お前みたいに『ちょっとだけ』ってのが積み重なっていくと、いずれはもっと大きな刺激を求めて『電子魔道書』の方に手を出さずにいられなくなるぞ」

「う、そ、それは……」


 そこまで気楽そうだった女は、怯えを含む声音になって言葉に詰まる。


「知ってるだろう? 何人もが、『電子魔道書』で妄想の先を見たために壊れていったことを。決して手に入らないものの味を覚えてしまうのは、渇望を加速させるだけで悲劇しか産まないんだ」


 癖っ毛の女は反論できないのか、暫時、沈黙が降りる。


「だからさ、もっと普通の文芸の話をしようぜ。ほら、お前も好きだろう?」


 黙りこんでしまった癖っ毛の少女に、後から来た女が促す。


「そ、そうね。こうやって、文字から妄想を膨らませるだけで、十分よね……」


 納得したというか、自分を納得させるように言うと、なにやら寝台の上に動く気配。


「じゃあ、仕事に戻るぞ!」

「はいはい。でも、戻る道すがら、あの物語の話もしよ?」

「仕方ないな」

「そういって、あの男の子のこと凄い好きなんでしょ」

「な、何を言って……」


 姦しく、何かの物語の中に登場する貧乳好きの少年の話題で盛り上がりながら、二人の女は部屋から出て行った。


 俺は、妙な符合を感じていた。


 集落の男達が、失われる巨乳への思いの捌け口として選んだ創作物。女どもにどんどん処分されていたが、役立っていたのは確かだ。


 それで、今の女達だ。


 『特殊文芸』とか『電子魔道書』とかいう言葉はよく分からないが、彼女らの会話から創作の中に貧乳を愛してくれる男を求めていたのは間違いないだろう。


 正に、俺が巨乳めがねっ娘本に求めていたものの裏返しじゃないか。


 もしかすると、この時代の女達は代替物で発散するのが一般化しているのか?

 でもそれなら、実在の男はどうなっているんだ?

 決して貧乳に靡かない男に、何を思い、何をしているんだ?

 種の保存は、どういう手段でなされているんだ?


 見つかった場合のリスクが、どんどん膨らんでいくのを感じる。

 慎重に行動せねばなるまい。


 移動すべきか、ここにしばし身を潜めるべきか?


 思案を巡らせようとしたところで、


「うっ……」


 急激な睡魔に襲われる。

 起き抜けで動き回ったのが悪かったのかもしれない。こそこそ隠れて伺っていたことで、気を張って知らず知らず体力を奪われてもいたのだろう。


 ともあれ、こんな状態では動き回る方が危険だ。博打になるが、ここに身を潜めて休んでから、移動しよう。


 俺は、机の裏のスペースで仮眠を取ることにした。

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