第十一話 ムネ先輩への想いはどこからきてどこへいったのか?
-2118/04/14-
余りの話に呆然とするしかない。
「いきなりそんなことを言われても、意味が解らないよ。僕をからかってるの? あ、そうか。どうせ、ムネ先輩が一枚噛んで……」
そこで、言葉を途切れさせてしまう。
その名を口にした瞬間、鼓動が早くなるのを感じた。
それは、体調が悪いのではない。
胸の高鳴り。
いい意味での、高鳴り。
「そうだ! ムネ先輩! ムネ先輩はどうしたの?」
どうして、こんな大切な名前を今まで思い出さなかったんだろう? 真っ先に思い出してもおかしくなかったのに。
「ムネ先輩のこと、覚えてるんですか? それは、どんな風に?」
問いかたに含みが感じられて少し引っかかったけど、そんなの関係ない。
そう、忘れるはずがない。
僕は、思い返す。
そもそも、僕はムネ先輩と青春のメモリーを刻んでいたんだ。
あの老成しているようで、子供っぽいところ。
大胆なようで、かなりの恥ずかしがり屋なところ。
実際凄いんだけど、妙に見栄っ張りでなにかとドヤ顔になるところ。
あの表情や仕草が、僕の心を捉えていたんだ。
「勿論! だって、僕はムネ先輩が大好きだからね!」
僕は、はっきりと答える。
改めて言葉にすると照れ臭いけれど、恥じることは何もない。
僕が、ムネ先輩を好きなのは自明にして当然のことだからだ。
それは、茅愛もよく知っているはずだ。
あれ? でも、なんで好きになったんだっけ?
……っと、不用意に考えると、また頭痛がするから止めておこう。
「その気持ちは、残ってるんですね!」
茅愛は目を大きく見開いて驚きつつ、嬉しそうに声を上げる。
「うん、それなら、大丈夫かも……付いてきてください。臼井博……ムネ先輩のところへ案内します」
神妙に頷くと、僕に背を向け、扉を開けて外へ出ていく。
なんだか気になる言い回しがあったような気もするけど、そんなことはどうでもいい。
茅愛についていけば、ムネ先輩に会える。
それが、僕にとっての最優先事項。ウキウキしながら、スキップしそうな勢いで茅愛の後に従う。
ドアから出ると、正面と左に通路が延びていた。
左の通路には間隔を空けて同じようなドアが並んでいて、その先で更に左に折れている。
正面の通路は、ただまっすぐ伸びていて、左右には窓が並んでいた。そちらは、別の棟への渡り廊下になっているようだ。
先に部屋を出た茅愛は正面の渡り廊下の方を進んでいったので、僕もそれに続く。
「うわぁ……」
目に飛びこんできた窓越しの絶景に、僕は思わず感嘆の声を上げる。
どうやらここは、自然に囲まれた山の上らしい。
萌え出た若葉に青々と彩られる自然の中、野鳥が飛び交う姿が見える。
「やっぱりこっちのことは全然覚えてないんですね……」
そんな僕の反応に、寂しげに茅愛。
「『こっち』って言われても……僕には、さっぱり解らないよ」
僕は、まだ百年後とかの話は信じていない。何かおかしいとは思うけれど、素直に受け入れるには解らないことが多過ぎる。
そうこうする間に渡り廊下を抜け、大きな両開きのスライド式の扉の前に出た。
閉ざされた扉の左脇には幾つかの数字と通話口のようなものが付いたパネルがある。
茅愛はパネルを操作し、通話口へと声をかける。
「臼井博士! 蓮人君が目を覚ましましたよ!」
そうそう、さっき茅愛が言いかけて言い直してたけど、『臼井博士』ってムネ先輩のこと、だよね? 臼井霧音がムネ先輩の本名だったはず。
呼び方が違っているのも、ここが特殊文芸部での日々とは断絶した世界だから?
「な、なんじゃと!」
ドアの向こうから、驚きに満ちあふれた声が聞こえてきた。余程大きな声だったのか、インターホン越しだけでなく、扉越しにもその声が聞こえてきたぐらいだ。
それは聞き慣れた、あのちょっと幼さの残る、それでいて妙に老成した響きを持つ、声。
間違いない、ムネ先輩の声だ。
「ムネ先輩!」
思わず呼びかけていた。
主観時間では大した時間が過ぎていないけれど、混乱する記憶の中から浮かび上がった大切な存在が、妙に懐かしく、愛おしくて。
「え! い、今のは蓮人か! 蓮人も来ておるのか! ということは……」
「えっと、期待し過ぎても困りますけど、まぁ、半分ぐらいはいい結果ですかねぇ。まぁ、そこは、蓮人君と直接お話した方がよく解るんじゃないですか?」
「お、おお、そうじゃのぅ、それは、嬉しいのぅ……いや、でも、こ、心の準備がまだ……」
「もう、そう言ってあれこれ理由をつけて先延ばしにするの、臼井博士の悪い癖ですよ」
茅愛は呆れたように言って、パネルを操作する。
暗証番号式だったらしく、両開きの扉があっさりと開く。
「入りますよ」
断りつつ、茅愛は勝手知ったる我が家という風情で部屋へと足を踏み入れる。
僕も、それに続くと、
「こ、こら! 誰が入っていいと言った!」
慌てた声が聞こえた。
でも、その姿は見えない。
どこかに隠れたようだ。
ムネ先輩の姿を求め、部屋の中を見回して、気づく。
「あれ、ここ……」
「ええ。臼井博士の研究室……特殊文芸部の部室のモデルですよ」
「モデル……っていうのがよく解らないけど、確かに、僕のよく知っている部室だね」
入って正面の作業机も、部屋を囲むスチールラックも、僕の記憶にある特殊文芸部の部室に一致する。
左手にある応接セットも同じだな……と、思っていたらそのソファーの下に、何かが見えた。
「ムネ先輩?」
僕は、屈んで覗きこむ。
「縞々?」
慌ててそこに飛びこんだのだろう。柔らかそうなお尻をこちらに向けたムネ先輩がそこにいた。裾の短めのワンピースの上に白衣、という出で立ちだったようで、当然、そんな体勢だとスカートは役に立たない。
丸見えだった。
青と白の典型的な縞々が。
――あれ? なのに、なんで僕は何も感じないんだ?
これは、いつもなら僕が鼻の下を伸ばして電子魔道書でおしおきコースなのに。
どうしたんだ、僕?
そんな風に思っていると、
「ひゃ! き、貴様……」
僕に見られていることに気づいたようで、ムネ先輩はソファの下を這って移動する。
でも、移動できる範囲は限られている。
僕は、その行き先に回りこむ。
丁度、ソファーの下から這い出してくるムネ先輩と正面から向き合う形になった。
そして、僕の視線は下がり。
四つん這いになった先輩の胸元へ。
どうやら、白いノースリーブのワンピースの上に白衣を纏っただけの姿だったようだ。首元は余裕があるデザインで、その姿勢だと、胸元がぱっくりと開いてしまっていた。
重力に引かれて垂れる左右の三つ編みの長さはそこを隠すにはまったく足りていない。だから、際どいなんていうのを通り越して、中が丸見えだった。
なだらかな肌と申しわけ程度のピンクの突起が完全に見えている。
どころか、そのままお腹の先の、先ほど見えた縞々の布までが見える。
要するに、首元から全部が丸見えだった。
「にゃ、にゃ、にゃにを……」
僕の視線に気づいてオーバルレンズの奥の瞳を大きく見開き、見る見る、顔を真っ赤にするムネ先輩。
慌てて立ち上がると、部屋の奥の机まで走ってその下に隠れてしまう。
凄く、恥ずかしがっている。
そうだ、ムネ先輩は恥ずかしがり屋さんなんだ。
僕が、こういうラッキースケベイベントに出会す度、電子魔道書でおしおきをしてきた。
僕は、ドキドキしながらその姿を青春のメモリーに刻んでいた。
なのに。
僕は今、何も感じていない。
どころか、ムネ先輩に会えると思って高鳴っていた胸の鼓動が、会ってその姿を見た途端、鎮まっていたことに気づく。
更には、こんな疑問さえ浮かんでいる。
――なんで、ムネ先輩に対するラッキースケベイベントを喜んでいたんだ?
だって、ないんだよ?
ないのは女じゃない。
だから、男としては喜ぶ理由がないのは必然。
ムネ先輩の美事なナイチチに、思い知らされる。
あれ? なんで『美事』なんて表現してしまうんだ?
おかしいじゃないか。
いやいや、そうじゃなくて、ないからこそ、いいんじゃ……
「ま、また……」
今度は、激しい。
頭が……割れそうだ……
僕は、そのまま崩れ落ち。
意識を、失った。
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