第二話 ウスイムネとの出会い
蔵間さんに手を引かれるまま、連れて行かれたのは体育館の隣にある旧校舎だった。
この学校では、旧校舎の余った部屋を部室として活用しているらしい。
実質的に旧校舎=部室棟ということだ。
古い両開きの扉を開いて旧校舎へ足を踏み入れると、一階の通路の一番奥へ。
突き当りは、妙に重々しい両開きの引き戸となっていた。
蔵間さんは僕の手を引いたまま引き戸を開き中へと。
そこは、十畳ぐらいの広さの部屋だった。
周囲にはメタルラックが設置され、色んな機械や本が雑多に並べられている。
入って左手には、ソファーが向かい合って備え付けられて応接スペースのようになっていた。
中央には、十人ぐらいで囲めそうな大きめの机が設置されており、周囲にはパイプ椅子が幾つか並べられている。
机の中央には、五十インチはありそうな大きな液晶ディスプレイが手前を向いて鎮座し、更にその手前に小型のデスクトップPCと二十インチ程度の液晶ディスプレイが設置されていた。
僕が部屋の様子を見回していると、
「有望な人を連れてきました! 嗜好はバッチリです!」
蔵間さんが僕の手を離し、元気よく部室の奥へ向かって声をかける。
と、大画面ディスプレイの後ろから物音がして、制服の上に白衣を着た小さな人影が現れる。
死角になって見えなかったが、どうやらその奥に座っていたらしい。
向かって左側から机を回りこむようにして現れたその姿に、僕は目を奪われる。
小柄な蔵間さんよりも、更に低い背丈。
知的さを演出しつつ適度な柔らかさも兼ね備えた、
肩までの短い左右二本の三つ編み。
スカートの下の黒いパンストに包まれた脚。
足元と対照的な白衣に象徴される、理系な雰囲気を漂わせる少女。
だが、特筆すべきはそこじゃない。
そう。
――胸元が全くの起伏を見せていないのだ!
探しても見付からないはずだ。
求めてやまぬシンデレラバストを持つ少女。
それは、こんな旧校舎の奥にお隠れになっていたのだ!
「ありがとう!」
この出会いをもたらしてくれた蔵間さんへ、心の底から最大限の感謝を言葉で示す。
「ど、どういたしまして」
言葉に宿った熱にちょっと辟易とした様子の蔵間さん。
でも、感謝を示して最低限の礼を果たせば、もうこんな巨乳は用済みだ。
僕は、目の前に現れた神々しい姿に向き直る。
鼓動が、高鳴る(シンデレラバストとの出会いに)。
視線が、外せない(胸元から)。
「ほう、茅愛よ……入部早々大儀であったの」
小柄な少女は、そんな時代がかった言葉をやや幼げな声で口にして、蔵間さんを労う。
見た目と声と言葉遣いとのギャップ。
いわゆる『ロリババア』というキャラであろうか?
「ふむ、その視線……あたしの肢体に、釘付けのようじゃの……うむ、いい傾向じゃ」
僕が彼女の胸元を凝視していることに気づいて、その上で薄っぺらい胸を強調する。
ますます、視線が外せない(胸元から)。
「なるほど、茅愛、確かにこれは、見こみがありそうじゃの」
そんな僕の姿に、満足げな幼い声を出す少女。
そして、そそくさと白衣の前を閉じる。
どこか偉そうな口調だったが、その頬は微かに紅い。
――僕の視線が恥ずかしいのを我慢していた!
だとすると、更にポイントが高い。
時に大胆になりつつも、その根底には恥じらいがある。
それこそ、慎み深さの発露だ。
やはり、薄胸は僕の理想の象徴なのだ!
「……少し、落ち着かんかの?」
呆れたような声がかかる。
確かに、ちょっと目が血走って鼻息が荒くて前屈みになりそうな勢いだったので、蔵間さんの冒涜的な胸元を見て血流を抑える。
うん、無駄な脂肪は萎えるね。これは、使える。
あっという間に落ち着いたので、背筋を伸ばす。
すると、自分の巨乳がネガティブな方向性で利用されたことに気づいたのか、今度は蔵間さんがハァハァしだしたけれど、とりあえずスルー。
僕は、目の前の
「うむ、妙なノリではあるが、君はあたしの求める人材じゃ。この薄い胸を卑下せず、正当に評価できる。そういう者を待っておったのじゃ。それはそれは、長い間、の」
妙に気持ちが入った声で切なげに語られる。
本当に、僕なんかが想像もつかないぐらい、長い時間を待っていたかのような。
そんな実感がこもった言葉だった。
「そ、それは、どういう、こと?」
運命とかそういうことを期待して、思わず力が入って尋ねたけれど、
「……口の利き方には気をつけるがよい。あたしは君よりも上級生じゃよ?」
僕の言葉に、三白眼で睨み付けてくる。
「あ、そっか……」
ついつい、その幼い雰囲気を漂わせる容姿と声に釣られてタメ口で聞いてしまったけれど、そこで先ほど凝視していた胸元を思い出す。
ブラウスに結ばれていたリボンタイは緑。
あれだけ凝視して青春のメモリーに焼き付けたから間違いない。
緑は、確か、三年生の学年色。
とてもそうは見えないけれど、彼女は最上級生ということだ。
背も胸も小さい先輩から、三白眼で睨まれながら上から目線の幼げな声で責められる。
三白眼って目付きが悪くなりがちだけど、オーバル眼鏡がいい仕事をして和らげている。
全体として幼げな容姿の中の力ある瞳が、翻って愛らしく見えるぐらいだ。
なんだか、その視線が気持ちよくなってくる。
この心地よさは、きっと先輩がシンデレラバスト女子だからだ。
シンデレラバストの新たな魅力の発見と言えよう。
高校での新生活は、初日から発見の連続だ。
またハァハァしそうになってきたので未だハァハァしてる蔵間さんの胸元を見て興奮を冷まして蔵間さんを更にハァハァさせる。
「失礼しました」
心を静めて上級生への非礼を詫び、その上で、気になったことを尋ねる。
「それで、僕のような人材を求めていたって、どういうことなんですか?」
これまでの成り行きを一行で整理するなら、
シンデレラバストを求めていたら
……となるけれど、解るようで解らない。
半ば流されるまま辿り着いたありがたい状況ではあるけれど、そこに甘えてもいられない。この
「そうじゃの……と、その前に、自己紹介をさせてもらおう。互いの名も知らぬというのは、話が進めにくいものじゃからの」
先輩は薄い胸を張り、やや体を反らして顎を引き、
「あたしは、三年でこの特殊文芸部部長の
背の高い僕を無理矢理見下ろすようにして名乗る。
「僕は、灰野蓮人です」
堂々と視線を合わせて名乗り返す。
名前を交換することで、この先輩との距離が一歩近付いた気がして嬉しい。
しかし、臼井先輩か。
下の名前も、恐らく『きり』は『霧』だろうから、それを音読みすれば『ムネ』。
『ウスイムネ』に通じるとは、素晴らしい名前だった。
これが『名は体を表す』ということであろう。
「なら、新堂君。君の質問に答える上での敢えての質問じゃが、この部室の現状を見て、何か感じんかの?」
「え?」
唐突な質問に僕は戸惑う。
そこそこ広い部室には、パソコンまで備え付けられていて設備も整っている。
更には、部室の一角に応接スペースまで用意されている。
中々、しっかりした部室に見える。
でも、何か足りない……って、そうか。
「他の部員が、いない?」
そうなのだ。
これだけの広さなら、十人ぐらいは余裕で活動できそうだ。
でも今、部員は臼井先輩と蔵間さんしかいない。
僕を入れても、三人。
この広さにこの人数は、閑散として寂しいものがある。
「正解じゃ。まぁ、敢えて少なくしておるのじゃがの」
僕の回答に満足げに頷く臼井先輩。一々仕草が大仰なのもまた魅力的だ。
「敢えてって、どういうことですか?」
「うむ、あたしは入学以来、この非常に慎ましやかな体型のために男子からは魅力に欠けると罵られ、女子からはみっともないと蔑まれ、なんとも悔しい状況での。まぁ、そんな見る目のないヤツバラなぞ、こちらから願い下げじゃからの。こうして一人、学校では部室に引きこもっておる。幸い、この学校は部活の規定は緩いからの。手続きさえ踏めば一人でも部活を創れるのじゃ」
大したことでもないように、サラリと語られた真実。
でも、それは。
凄く、切ない。
「じゃがの、そうして気が付けばもう三年じゃ。最後の一年ぐらい、後輩と過ごした思い出が欲しかったのじゃ。幸い、昔なじみの茅愛が入学してくれたお陰で一人は確保できたものの、知り合いだけというのも味気ないのでな。せめてもう一人ぐらいと、茅愛に見こみのある人間を探してもらっておったのじゃ」
淡々と語られる、寂しい事実。
世にはびこる巨乳至上主義の犠牲者の姿。
僕は、怒りに拳を強く握る。
なんということだ!
シンデレラバストの神に選ばれなかった人間が多数を占めるために、薄胸女子が哀しんでいたなんて!
僕が義憤を感じていると、先輩は改めて楕円のレンズ越しの視線を合わせてくる。
「じゃからの。薄胸に理解のある君にお願いじゃ。特殊文芸部に入って、あたしの思い出作りに協力してくれんかの?」
それは、先ほどの無理矢理見下ろすような視線ではなく、上目遣いで発された言葉。
照れくさいのか、少し頬を染めている。
ヤバイ。
これは、くる。
そんな風に、頼まれたら。
「喜んで、協力致しましょう」
僕は、跪いて恭しく頭を下げる。
これぐらいしないと、僕の気持ちは伝わらない。
頭を下げていてその顔は見えないけれど、先輩が息を呑んだような空気を感じる。
頭を垂れてしばしの沈黙が過ぎたころ。
「頭を、上げてくれんかの」
どこか優しげな先輩の声。
言われるがまま頭を上げ、臼井先輩の瞳を見る。
「協力、感謝するのじゃ」
はにかんだように言って、左手を差し出してくる。
僕は、壊れ物を扱うように優しく手をとり。
その甲に口付けをする。
「なっ!」
瞬間、沸騰したように先輩の顔が真っ赤になる。
眼鏡の奥の瞳は大きく見開かれて三白眼が四白眼になっていた。
「こ、こういうときは、あ、握手、じゃろうが! な、何、ば、バカな、ま、真似をしゅ、する、のじゃ!」
最後の方は若干噛みながら、僕の手から逃れるように後ずさる。
あの流れだと自然と口付けかと思ったけど……うん、普通に考えたら握手だね。
でも、後悔はない。
あの口付けは、臼井先輩と共に歩んでいくという誓いだから。
「スーハースーハー」
僕から距離を取り、先輩は深呼吸をして息を整えていた。
なんとも、初心な先輩だ。
そこがまた、いい。
短い時間で、シンデレラバストから始まった先輩の魅力をどんどんと見つけていく。
この調子でいくと、僕の心はあっという間に先輩に支配されてしまいそうだ。
「なにはともあれ、これから宜しくじゃ」
まだ顔は紅いけれど、呼吸が整ったのか取り繕うように臼井先輩が言う。
すると、僕の背後でハァハァ担当だった蔵間さんも、僕の前に回りこんできて、
「わたしも、宜しくなのです!」
と、元気よく言う。
「はい、宜しくお願いします」
僕はそれらに応えるように立ち上がり、深く礼をする。
「ああ、言葉遣いに気を付けろだの、先輩風を吹かしはしたがの、そこまで固くなる必要はない。先輩後輩のケジメは必要じゃが、入部したなら部活の仲間じゃ。その証として、あたしのことは親しみをこめて名を音読みし『ムネ先輩』と呼ぶがいいぞ、は、蓮人」
照れくさそうに僕を下の名で呼んでくれる、臼井先輩改めムネ先輩。敢えて『ウスイムネ』となるような呼び名を提案したのは、僕への信頼の証でもあるのだろう。
「はい、ありがたく、そう呼ばせてもらう事にします、ムネ先輩」
「う、うむ」
僕がしっかりと呼び返すと、少し頬を赤らめて、それでも外面は偉そうに、ムネ先輩は大仰に頷いて応じてくれた。
「あ、あたしも茅愛でいいですよ、蓮人君!」
横から開けっぴろげな感じで、蔵間さん改め茅愛。
「ああ、宜しく、巨大肉団子を胸元にぶら提げた茅愛」
「はぅ! ハァハァ、そ、そんな、ご褒美、ハァハァ、ありがとう、ございます……ハァハァ」
彼女の扱いも、短時間で理解できた。
ムネ先輩と過ごす一時に加えるアクセント、暴走しそうなときのサンドバッグ。
それぐらいが、巨乳には相応しい。
ともあれ、僕の高校生活は、幸先のいいスタートを切ることができた。
全ては、シンデレラバストの神の思し召しであろう。
僕は、この素敵滅法な先輩と特殊文芸部で新たな日々を送っていくのだ。
ああ、特殊文芸部!
そこで僕は。
……。
……。
……。
……。
……。
何をするんだ?
あれ?
よく考えたら、『特殊文芸部』ってなんだ?
ここまできて、何をする部活かをまったく確認していなかったことに気づく。
ムネ先輩との素晴らしい出会いに気持ちが浮き立っていたから仕方ないけれど、彼女の居場所であるここが何をする場所なのかは、深く深く理解しておく必要があるだろう。
ならば問おう。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ。
「あの、そもそも特殊文芸部って何をする部なんですか? 文芸部というからには文章を書くところだとは思うんですが、どう『特殊』なのかがさっぱり解らないです……」
僕の問いに、顔を見合わせるムネ先輩と茅愛。
「おお、そうか、それを言っておらなんだの」
大仰に頷いて、ムネ先輩。
「『特殊文芸』というのはじゃな……、うむ、端的に言えば『プログラミング』のことじゃ」
「え、プログラミング? それがどうして『特殊文芸』なんですか?」
プログラミングをするなら『情報処理部』とか、そう言った名称になりそうなものだと思う。
僕の中で、プログラミングと文芸が全く繋がらなかった。
「うむ。プログラミングとは、C言語だのJAVAだのPerlだのPythonだのと、まぁ、なんでもいいのじゃが、そういった『プログラミング言語』でコンピュータに何をしてほしいのかを綴って伝えることじゃ。言語で綴る以上は、それは文章であろう? そこに芸があれば文芸じゃ。つまり、プログラミングとは『コンピュータを読者とする文芸』、読者を限定した『特殊文芸』というわけじゃな」
「な、なるほど……」
淀みなく語られた言葉に若干の強引さは感じたものの、筋は通っていると納得する。
部活名からの想像とは違ったけれど、僕自身、プログラミングに興味がないこともない。
それ以前に、ムネ先輩の側にいられるなら何でも構わない、というのが本音だ。
「プログラミングについては素人ですけど、大丈夫ですか?」
だから、気になるのは活動内容に関わらず「やっていけるかどうか?」だけだった。
「ああ、後輩の育成もまた、部活の思い出じゃ。できる範囲でよいから、学んでいけばよい。無茶はさせんから、安心せよ」
「わたしも、サポートしますしね!」
一抹の不安を口にした僕に、ムネ先輩と茅愛の頼もしい言葉。
「では、今日のところは解散じゃ。元々今日は部活説明会だけの予定じゃからの。実際の部活動は明日からじゃ。基本、毎日やっておるからの。毎放課後はここへ来るがよいぞ」
この瞬間から。
僕のムネ先輩+一名と過ごす特殊文芸部での日々が、幕を開けた。
「ハァハァ……」
内心の『+一名』という蔑ろな扱いに反応したように茅愛がハァハァし始めたけど、スルーしておこう。
※ ??? ※
# error-check...................................ERROR 0/WARNING 0.
女は、パネルに表示された文字列に満足げに頷いていた。
助手らしき別の女がタイミングよく持ってきたコーヒーに口を付ける。
香りを楽しむように目を閉じるが、その頬はだらしなく緩んでいる。
甘美な記憶を反芻するように。
隣に立つ助手の女も、同じように緩んだ、それ以上に、だらしない上気した表情を浮かべる。
言葉はなく。
だけれど、何かを噛み締めるような表情で。
二人の女はパネルの中に無機質に表示される文字情報を、ただただ眺め続けていた。
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