懺悔
気づけば時刻は午後八時を回っていた。さすがに土地勘のない女の子一人で帰らせるのもどうかと思い、僕は母さんのクローゼットを開けて上着を漁る。一番地味そうなものを羽織って出てきたら彼女が小さく吹き出した。パステルブルーのダッフルコートに灰色のフード付きトレーナーは確かにださい。
肌寒さを堪えて鍵を閉める時に部屋の中に放った。暗い部屋で服を選ぶのは次からはやめておくことにする。
「古屋くんって寒がり?」
腕時計に表示された気温は十一度。体感ではそれ以上に低いように感じたけれど、どうやら彼女は違うらしい。
「普段引きこもってるからかもしれない。君は平気?」
「うん、わたしは大丈夫。どちらかというと暑がりだから」
彼女が転入してから一週間、確かにブレザーを着ている姿を見たことがない気がする。といっても、僕が彼女をまともに見たのなんて今日くらいだけれど。
(そう考えるとやっぱり不思議なもんだな)
母さんが家を出てから誰かとこんなに言葉を交わしたのはいつぶりだろう。久しぶりすぎて一リットル分のお茶をほとんど一人で飲むくらいには喉が渇いたし、その相手が都会出身の、僕と対極に近い、沢山のものを持っている日浦 心だというのがまた変な感じがした。話している内容は七割くらい物騒なことだけれど。
「この時期は冷たそうだな」
遠くに見える防波堤に視線を向ける。バリアのようなものが見えたらしく彼女はすぐに顔を背けてしまった。
しばらく無言のまま、住宅街の奥、邸宅と呼ばれるような大きな家が並ぶエリアに向かって歩く。腕を摩りながら気温を確認したけれどやっぱり今日は暖かい方らしい。
「……あのね、古屋くん」
隣を歩いていた彼女が突然立ち止まる。遅れて足を止めて振り返ると、彼女は何かを堪えるような笑顔を浮かべていた。なに、と聞き返した声は木の葉の音にかき消される。彼女は俯いてワンピースを握りしめた。
「あのね。わたし、君に会うまでは、死体を捨てるなんて考えてなかったの」
彼女の言葉に思わず呆然としてしまう。けれど思い返してみれば驚愕の事実と、いうわけでもなかった。彼女の願いに具体性はなかったし、話し合いを主導していたのは僕だ。
ただ意外だった。衝動で飛び出す言葉にしては物騒すぎるし、何より意図が分からない。
「じゃあ、なんで」
思わずこぼれた声に、彼女は眼鏡を外してからぽつりぽつりと話し始める。
「わたしはここに、あの子への罪を償うためにきたの。……誰も裁いてくれないから」
特区は子どもに対する制限がここよりもずっと多いと聞く。彼女は殺してしまった(本人曰く「壊してしまった」らしい)友人への贖罪のためにするべきことが分からず、縋るような思いでエリートコースを捨てて父親の単身赴任先であるこの町についてきたのだと言う。
「ここはNGワードが向こうより少ないから、調べたらすぐに見つかるかなって思ったんだけど……、でも、全然だめで」
――ともだちに対してわたしがするべきことは、どこにも書いていなかった。
当たり前だと反射的に突っ込みそうになったところをどうにか堪える。自殺率を減らし純真な子どもを育むための青環法が死に関するワードを忌避しすぎている、というのはたびたび有識者の間でも議論が起こるような有名な話だ。
「……そもそも人間以外に死に執着する生き物なんていないんじゃないかな。辞書的な意味の話をするなら、弔うという言葉は人間に限定されるみたいだし」
「身勝手だよね、人間って」
僕が言い終わるのと同時に彼女は声を震わせた。そうかもしれないと僕は曖昧に頷く。泣き出しそうな彼女は一瞬こちらを睨み上げて、それから自分の手の甲つねった。深呼吸を繰り返してから再び合った目は潤んでいた。
「……えっと、ごめんね。こんなことを言いたかったわけじゃないの」
僕は赤くなった一点を見つめたまま、答えを無理強いする気はないんだけど、と前置きして尋ねる。
「どうしてその死体を捨てようと思ったの」
――君はどうして、その話を親しくもない僕にしたの?
彼女は、日浦 心は胸に手を当ててそっと目を閉じる。その姿は何か神聖なものに祈りを捧げているようだった。
「花壇に蛾の死骸を埋める君を見て、思ったの。君なら答えをくれるって」
だから、お礼が言いたかったの。本当にありがとう。
膝丈くらいのスカートが風を孕んで膨らむ。彼女は慌ててはためかないように手で押さえて、それから気恥ずかしそうに微笑んだ。流石に一瞬視界に入った何かを指摘するほど野暮な人間ではないのでまた明日と小さく手を振っておいた。
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