作戦会議

 読んでいた本を閉じて制服のブレザーを脱ぐ。ネクタイと一緒に適当にハンガーにかけてから階段を駆け下りてカップ麺にお湯を注いだ。約束の時間まではあと十五分、どうにか夕飯は済ませられそうだ。

 結局僕は、彼女の真意が分からないまま死体遺棄なんて物騒なことに協力する羽目になった。はいと言うまで終わる気がしなかったし、彼女の言う死体に少し興味が湧いてきたというのもある。だけど何よりどうしてその話を、よりにもよって僕なんかに持ちかけたのかが気になった。半分くらい自棄になっている自覚はあるけれど、どうせ僕がいなくなったところで誰も困らないから何も問題はない。


《日浦です》

 受話器を通して聴いた彼女の声は澄んでいる。どうやら感情のニュアンスは変換の段階で整えられてこちらには届かないらしい。ドアを開ければ襟付きのワンピースを纏った彼女が立っていた。お下げ髪はプライベートでも変わらないようで、服装と相まってなんだか葬式に参列していそうな感じがする。死体という言葉に似合い過ぎて思わず顔が引きつった。

「どうぞ」

 廊下の電気を点けて彼女を招き入れる。夜遅くに親のいない家に異性を招くというのはいかがなものかと思い至って、すぐにいいかと息を吐いた。死体なんて言葉に比べたらこのくらい可愛いものだろう。

「えっと、お邪魔します」

 彼女が緊張した面持ちで一礼する。黒だと思っていた服は深い緑色だった。


 ぎしぎしと鳴る階段を上って部屋に入る。座布団を一枚放り投げて、彼女が入り口に近い方に畏まったのを確認してから向かい側に腰を下ろした。

「道、迷わなかった?」

「うん、大丈夫。マップに登録されてたから」

 彼女が軽く眼鏡のヨロイを叩く。身につけているARグラスは文学少女のような風貌からは想像しにくい、業界人向けの最新モデルだ。細かく視線を動かしながら僕のタブレットにデータを飛ばす。描かれたルートは地元の人もほとんど使わない路地を抜ける最短コースだった。

 そっか、と短く返してから持ってきたグラスにお茶を注ぐ。都会育ちの彼女にもこのコースが知られているという事実を母さんが知ったらどう思うだろう、なんてことを考えかけて、やめた。

 溢れかけたグラスを呷ってから呟くような声で尋ねる。

「その袋に入ってるの?」

 僕の視線の先にある袋を一瞥してから彼女は慌てて首を横に振る。

「あっ、えっと、違うの! これはね、大したものじゃないんだけど……」

 すぐ側に置かれていた紙袋をテーブルの上に置く。中の箱に巻かれたリボンには有名チョコレート店の名前が染め抜かれていた。

「初めて見た」

 思わず零れた声に、彼女は信じられないと目を丸くする。

「うそ、今まで一回も?」

「ここにはそういう洒落た店はほとんどないから」

 駄菓子屋ならあるけど、と付け足せば頬を紅潮させて声を弾ませた。

「すごい! 駄菓子屋さんって、ドラマにしかないと思ってた!」

 僕は息を零しながら笑う。

「こうも見ている世界が違うと笑えてくるよ」

 その言葉に彼女は小首を傾げる。

「それは育った環境の話? それとも」

――これ?

 細くてしなやかな指が眼鏡のテンプルをそっと撫でる。きっと彼女の視界の端には今の時刻が映っているのだろう。アクションを起こせば他にも色々なものが現れるはずだ。この街で僕だけが見られない光景を、彼女は他の誰よりもはっきりと知ることができる。

「……危ない話をするときは、音声が記録に残らないようにした方がいい」

 こめかみを叩いて指摘をすれば、 彼女は苦笑してから眼鏡を外した。

「死体の話?」

「そう。君が葬りたい物の話」


   *


 田舎の中学生が食べるには豪華すぎるお菓子をつつきながら彼女に尋ねる。

「死体のサイズは?」

「赤ちゃんより少し小さいくらい」

「重さは?」

「赤ちゃんと同じくらいかな」

 なら中身は赤ん坊かと問えば小さく頭を振って答える。

「大丈夫。見つかったとしても、君に迷惑をかけるようなものじゃないから」

 彼女は目を伏せてからコップに口をつける。どうやら死体の正体について話す気はないらしい。諦めて後に回すことを決めて、僕は引き出しから新品のノートを取り出した。

「アナログ」

「証拠隠滅が楽だから」

 思いつく限りの犯行現場候補を書き並べて溜息を吐く。サスペンスドラマなんかでは山に埋めるのが定番らしいけれど、残念ながら、海に囲まれた古い埋立地に都合の良い場所はない。

「月が近いところとなると、あとは建物の屋上くらいだけど……。ばれた時が面倒だな」

 彼女は口元を押さえてくすりと笑う。

「編入早々問題児扱いされるのは、さすがにちょっと困るかも」

 ちょっとどころじゃないだろという突っ込みはすんでのところで呑み込んだ。話が逸れるのは本意じゃない。

「そういえば、何で月が近いところなの?」

 尋ねると彼女は窓の外を見た。月は雲に隠れてよく見えない。

「月って、宇宙の母なんだって」

――生まれ変わったら幸せになってほしいっていう、願掛けみたいなものかな。

 彼女は科学によって否定された外国の昔話をした。検索をかけてみるけれどそれらしい伝承はどこにもなく、代わりに出てきたのはある絵本だった。

 人々から虐げられていた出来損ないのロボットがたった一人の友達を失くす話。参考文献には確かに『宇宙の母』という名前がある。

 電子版で購入しようとしたらエラー番号と警告ウィンドウが表示された。この書籍にはウイルスが含まれているという文言をこの年になっても信じてしまう純真な子どもはまあいないだろう。

(閲覧非推奨書籍か)

 自作のアプリをタップして購入画面のURLを貼り付ける。今度は無事に処理されたようで画面の右上にダウンロード開始のアイコンが登場した。

 顔を上げてやや表情の硬い彼女に問う。

「それ、君はどうやって知ったの?」

 あのね、と手招きする彼女に従って身を乗り出す。彼女は横から見えないよう口元に手を添えながら声を潜めて答えた。

「好きな作家の本でね、発売日当日に買ったの。お父さんには処分するように言われたんだけど、どうしてもできなくて」

 どうやらこの本も死体に関係があるらしい。顔を離してから、僕はダウンロードが完了した本に軽く目を通した。


 世の中が便利になればなるほど子どもという弱者には制限が多くなる。令和に入ってから急速に普及が進んだウェアラブル・デバイスとAR技術によって劇的に変化した社会は、今までとは比べ物にならないレベルの恩恵と引き換えに守るべきルールがかなり増えた。

「さらっと読んでみたけれど、良い話だね。青環法に引っかかるようなものにはとても思えない」

 画面に視線を落としたまま言う僕に諦めたような声が返ってくる。

「作者が干されちゃったの」

 検索候補には確かに悪評が並んでいた。人間的に褒められた生き方はしていないようだけれど特に前科があるというわけでもないらしい。清廉潔白を求められる時代だと言ってしまえばそれまでだけど、なんだか昔のディストピアSFに登場するような呼吸の不自由さが感じられる気がする。

――いや、そう思うのはきっと。

 暗くなったタブレットの画面にうっすらと映る自分の輪郭をなぞる。この国でARグラスに頼らずに生きている人間なんてきっと僕くらいしかいないだろう。生活保護を必要としている人に支給されるくらい生活の一部として組み込まれているARの恩恵を、僕は受けることができない。ひどい電波酔いのせいで社会に取り残された代わりに、僕は十年前に施行された青少年環境保護法の制限をほとんど受けずに済んでいる。

――あんたがそんなんだから、あたしは……!

 頭の中で懐かしい記憶が再生される。子どもみたいに泣きじゃくる母さんと床に転がった、ひび割れた写真立て。ガラス越しに笑う父さんの顔はぼやけてよく分からない。

 一度きつく目を閉じて呼吸を整える。瞼の裏には目が冴えるような青が広がっていた。

「いい場所があるかもしれない」

 僕の声に彼女は目を丸くする。小動物みたいだなとぼんやり思いながら、僕は町の地図の水色をペンで指した。

「海はどうだろう」

「うみ」

 彼女は小さく呟いてから眉を顰める。声に出すのも抵抗があるのか赤らんでいた顔がさっと青ざめる。

「それはだめ、私たちは子どもだもん。古屋くんも分かってるでしょ?」

 彼女の言葉に肩を竦める。海は青環法に基づいて設定された立入禁止区域の一つだ。そういうところに足を踏み入れようとするとけたたましい警報音が鳴り、無視をすればペナルティが付くと言われている。

「ここの海は綺麗だから夜になると月の光が結構深いところまで入るんだ。近いって言葉とは少しずれてしまうけれど君の願いには一番近い場所だと思う」

「入ったことがあるの?」

「僕に制限は適応されないから」

 そもそも罰則の対象者は子どもじゃなくて親だし、子どもが禁止区域の場所を知る方法はARグラスが発する警告しかない。AR技術がもたらす環境に適応できず、最終的に母さんに捨てられてしまった僕にとっては無縁の話だ。

 それに、ARグラスがあっても入れないというわけではない。どうやって、と蚊の鳴くような声で尋ねられたので、僕は彼女の隣に座布団を移動させて自作アプリを起動した。

「さっき本をインストールする時に使ったこのアプリで、君の位置情報をこの部屋に固定する。それだけ」

 普通の人が同じことをするのは無理かもしれないけれど、僕が残されたこの家にはそういう悪いことを可能にしてしまうおもちゃが沢山ある。彼女はソースコードに目を凝らして、それから僕を見上げた。

「君の心配事はほとんどなくなったと思うけれど、どうする?」

 もちろん別のところでもいいけれど、と彼女を見て続けかけた口を噤む。こちらを見つめる彼女は、昼間に見た、あの美しい目をしていた。


 彼女の答えはもう決まっていた。

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