君のリストバンド
「千紘、そのリストバンドどこで買ったの?」
俺が尋ねると、隣を歩く千紘は一度こちらを見て不敵な笑みを浮かべた。あ、これは教えてくれないやつ、と直感的に悟る。案の定、次に発された言葉は、俺の質問に対する回答ではないものだった。
「いいだろ、気に入ってんだ、これ」
「うん、似合ってると思うよ。ところでどこで買ったの?」
「この白い線が一本入ってるってのも、ワンポイントになってるよな」
「わあ、綺麗な無視だね」
実際、千紘から買った場所を教えてもらったところで、別にお揃いにしようと買いに出かけるわけでもないけれど、ここまで綺麗な無視をされると、それはそれでモヤモヤしてしまう。
「……何ふてくされた顔してんだよ」
どうやらそれは表情に出ていたらしい。千紘の指摘で、俺は顔に力が入っていることに気付いた。
「……別にふてくされてないよ。リストバンドが欲しかったわけでもないし」
「今言ってもやせ我慢にしか聞こえないぞ? まあ、大翔は似合わなさそうだよな、リストバンド」
失礼なことを言われた気がして、ムッとしてしまう。
「なんだよお、運動部に見えないってこと?」
「なんだよお、って何だ。お前は顔がいいから、リストバンドよりブレスレットみたいなのが似合うってことだよ」
喜んでいいのか分かんないことを言い終えた直後、千紘は俺の背中にポンと叩き、笑みを浮かべた。
「――いつか教えてやるよ。いつかな」
「……本当かなあ」
千紘の「いつか」は、正直信用ならない。というより、話の内容が浅すぎて、きっと数日もしたら互いにそんなことを言ったことも忘れてしまうだろう。でも、思い出した頃に気まぐれで教えてくれるかもしれない。
「ほら、早く行かないと遅刻するぞ」と、千紘は先に行ってしまう。
「待ってよ」の声が、どうしてだが口から出なかった。
遠ざかっていく学ラン姿の千紘。
中学時代の俺たちの思い出が、滲んでいく。
「――――西条?」
その言葉で、俺の意識は現実に引き戻された。途端に喧騒が耳に入っていく。ここが政輝とやって来たショッピングモールだったことを、俺はだんだんと思い出していった。隣では、政輝が立ち止まった俺を奇妙な表情で見つめていた。どうやら俺は、千紘のつけていたリストバンドによく似たそれを見つけたことで、立ち止まってフリーズしてしまっていたらしい。
政輝の方に向き直ると、喧騒が少しだけ遠く感じた。俺は控えめにリストバンドを指さし、隣にいる政輝にだけ聞こえる音量でその理由を口にする。
「……これ、千紘が付けていたリストバンドみたいだなと思ってさ」
俺がそう答えると、政輝の目が俺の指した方向を見てから、感慨深そうに細められた。
「……そういえば、こんな感じの色だったな。運動部でもなかったのに、なんでつけていたんだろうな。似合ってからよかったとは思うけど」
――でも、コイツも相当堪えてたと思うぜ。
そう言って外された、千紘のリストバンドから覗いた生々しい傷痕。俺たちがまだ高校生だった頃、俺がまだ、死神だと噂されていなかった時の記憶だった。
――そりゃあ、並大抵の精神じゃやっていけない。死のうとしたことも、多かったんだと思うぜ。
どこまでも他人事だったアイツの言葉を思い出すたび、俺の心臓は冷えていくような気がする。
――そうか、政輝はあの時気を失っていたから、知らないままだったのか。
リストバンドを外した千紘の手首に走った、生々しい傷のこと。他にも、多分色々知らないのだと思う。でも、知らないことがいいこともある。そう思っているから、何かあるたびに俺はそっと口を閉ざしていった。現死神の政輝に俺は、どうにか不幸体質を防いでいこうって約束させて、事件や事故が発生しそうな人の集まる誘いを多く断わってもらって、不自由や制限も多い中でも俺の隣で生きてくれているのに、俺は今でも言わずにいることばかりだ。
「……そういえば千紘って、なんで帰宅部だったんだろうね。俺たちの中では一番運動できたのに」
「それ、昔僕も思ったな。前に神楽坂に聞いたら『早く帰りたいから』みたいなことを言ってた気がするけど……」
「……本当かなあ」
昔千紘にはぐらかされた感じと似ている気がする。千紘らしいと言えばらしいとは思うけれど。
政輝は一度俺から視線を外し、ぽつりと呟く。
「どうだろうな。まあ、今思えば違っていたのかもな」
「と、いうと?」
「人のいるところを避けていたのかもしれない。今の僕らがしているみたいなさ」
政輝の言葉に、俺はなるほどと思う。確かに俺たち、特に政輝は多くの人が集まる場所にはなるべく行かないように努めている。人が多いと、出来事の一つ一つに目を配れなくなって、その分防げる確率も低くなってしまう。それなら不幸体質の自分が行かない方がいいというのが、政輝が出した結論だった。きっと千紘も千紘なりに何かを考えていたのだろう。千紘が死んだ後に不幸体質のことは知ったのだけれど。リストバンドのことも結局教えてくれなかったし、その理由もいつか聞けたらいいなと思う。
「……買うのか?」
ふいに遠慮がちに政輝が尋ねる。いつの間にか俺の視線はリストバンドの方に行っていたらしかった。その言葉を咀嚼してから、俺は緩く頭を横に振った。
「ううん、買わない」
俺にはリストバンドは似合わないからと笑うと、気のせいかもしれないけれど、隣の政輝がホッとした表情を浮かべた気がした。
「……そうか。それなら別に、いいんだけどさ」
本音を言うと少しだけ欲しかった。でも、政輝の声を聞いたら止めておいた方がいいのではないかと感じたのだ。忘れてしまうのは良くないけれど、持っていると、千紘に縛られてしまいそうで――。
でも、きっとそれは、千紘が望んでいないことだろうから。
「まあ、そうだよな」と政輝はこちらを見て笑みを向けた。
「僕たち三人の中だと、神楽坂が一番似合っていたもんな」
政輝の言葉に、俺はそうだねと頷く。
もう少しだけ、政輝と居られたならいいなと思う。
頭に浮かんだ学ラン姿の千紘に俺はさよならを告げ、先を歩いていった政輝の後を追っていった。
蝶が羽ばたく、 そばあきな @sobaakina
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます