五話 君と僕のこれから
「俺、探偵になろうかな」
しばらく教室で待っていると、予想通り西条はやってきた。どうやら持っていった進路希望調査表の書き直しを命じられたらしい。西条が書き直している間、僕は西条の席の一つ前の椅子に座って待つことにした。
紅葉もずいぶん散ってしまったと、教室の窓から見える山の色合いを見て考える。若干の肌寒さも感じる放課後の教室は、すでに他のクラスメイトは帰ってしまったのか、僕と西条の他には誰もいなかった。しんと静まり返っていた教室で突然響いた西条の言葉に、僕は驚いて顔を上げた。しかし、西条は目の前の進路希望調査表を埋めることに集中しており、残念なことに視線が合うことはなかった。
元々ふわふわしていて抜けた発言が多い男だったが、進路について真剣に考えるあまり、いよいよおかしくなってしまったのだろうか。
「西条が? やめときなよ、クイズ苦手じゃん」
手元にあった西条のらしきシャープペンシルのノック部分をカチカチと押しながら、僕は言葉を返した。僕の答えに不満だったようで、西条がムッとした声で僕に言い返す。
「クイズの出来と推理の出来は関係ないと思うけど。それに、政輝よりはできると思うし」
「それはないだろ」
「じゃあ、今適当に問題出してみてよ。答えるからさ」
「そんなすぐに問題なんか出せるかっての」
互いに本気で言っているわけではないことくらい分かっている。一種のコミュニケーションだ。初めて会った時、人見知りの西条は随分と他人行儀だったけれど、仲がよくなると冗談や毒が飛び交うようになるのだ。そこまでいくのに苦労したな、ということをふいに思い出した。
「そもそも、なんで探偵になりたいんだよ」
「最近、遭遇率高いでしょ。事件とか、事件まで行かなくても事故とか、そういうの。結局は専門家じゃないから完璧にとは言えないけど、少しは役に立てると思ったんだよ」
「そういうのはフィクションの中の話だろ。現実でいきなり警察でもない一般人がしゃしゃり出ても、マトモに受け取られるわけないじゃんか」
「……そっか」
まだ納得していない表情を浮かべていたものの、西条はひとまず引き下がったようだ。西条が黙ったのをいいことに、僕はさらに言葉を続けていく。
「そもそもさ、探偵って事件が起きないと活躍できないだろ。事件が起こることを頼りにしているって、人間的にダメだろ。絶対生活安定しないし。事件を解決するより、まずは事件を未然に阻止することに力を入れろっての」
探偵を生業としている人を全員敵に回しそうな言葉だと思いつつ口にすると、西条がくすりと笑う音が聞こえた。
「……思ってたより、教室の対応って変わらないね」
窓の外に視線を移し、西条は眩しそうに目を細めた。
「そうだな。旅行の帰りに心配してたけど、杞憂だったみたいだな」
相変わらず僕らは教室で浮いている。噂の主体である西条の方は特に、だけど。でも、神楽坂が死んだ時からずっとこんな感じは続いているから、旅行の日からそう大差はない。
僕の言葉に西条が笑う。なんとなく穏やかな空気が流れ始め、再び西条は進路希望調査表を埋めることに力を入れだした。
「――なあ、西条」
だいたい埋め終わっただろうという頃合いを見計らい、僕は西条に声をかけた。紅葉が綺麗だったあの場所へ一緒に旅行をした、あの時みたいにして。
「なあに、政輝」
僕は一度大きく息を吸って、その言葉を口にする。
「――死神って、いると思うか」
僕の質問に、西条は一度目を丸くしたが、すぐに悲しげに目を伏せた。
「……それ、前にも答えたでしょ。神がいると思うなら死神もいるよって。まさか忘れちゃったの?」
「そこまで馬鹿じゃねえよ。……なあ西条、僕は今でも信じられないよ。この世に死神が存在するなんて」
「目の前にいるもんね」
「西条じゃねえよ。僕だよ」
僕の言葉に、ペンを走らせていた西条の手の動きが止まる。
「…………え、政輝」
顔を上げた西条と目が合う。その目には、驚きの他に、わずかに諦めの意味も含んでいるように見えた。西条に向かってできるだけ微笑んでから、僕はその先を口にした。
「僕さ、あの旅行の後、色々考えたんだよ」
◆
政輝の言葉に、俺の頭は真っ白になってしまう。言葉が何も浮かばない。ただ、もう終わりだ、とだけ思った。目の前で淡々と話す政輝の顔がぼやけて見えづらくなっていく。
「――僕さ、教室に戻る前に、階段で足を踏み外しかけたんだ。その時は通りかかったクラスメイトが咄嗟に僕の腕を引いてくれたから、特にケガはなかったんだけど」
階段、と聞いて身体がこわばる。千紘が死んだ場所。政輝が紙パックのジュースをこぼして吹き残しがあったことで、千紘が足を滑らせるきっかけになってしまった場所だった。俺がもう少し注意を払っていれば未然に防げたかもしれなかったのに、あの時の俺は何も知らなかったから、千紘は居なくなってしまったのだ。あの時の後悔が、再び胸の中に沸き上がってきた。
「その時さ、ソイツに言われたんだ。『二階の空き教室で何をしていたんだ?』って。確かにその少し前に、僕はその空き教室に行っていたんだ。その時の僕の様子を、ソイツは見ていたんだろう。結論から言うと、僕はその質問に答えられなかった。何をしたのか、何のために行ったのか、全く思い出せなかったんだよ。……でも、おかしいだろ? あんな教室……って言ったら失礼だけど、わざわざ立ち寄るような場所じゃないし、そもそも立ち寄ったところで面白いことなんて何もない。なんでだろうってさっきまで思ってた。でも、さっきクラスメイトが話してた会話を聞いて、理由が分かったんだ」
「……多分それ、俺も聞いた。二階の空き教室に備品を取りに来た生徒が、棚の上から落ちてきた段ボールが当たって、ケガをしたって話でしょ」
俺の言葉に、政輝が小さく頷いた。
教室に戻ってくる前。進路希望調査表を提出しに行ったら先生に修正を求められ、書き直しかあと思いながら職員室から出た俺は、そのままの足で職員室横のトイレに入っていった。用を済ませてトイレから出てくると、一年生らしき女の子が保健室からぺこりと頭を下げて出ていくのが見えたのだ。保健室は、職員室から近い場所にある。なんとなく気になって、俺は保健室の扉を開けて中に入った。保健室の先生は、俺の姿を見て、俺がよく雑談をしにここにやって来る西条大翔だとすぐに気付いたようだった。
保健室の先生とは、気を失った政輝を運びこんだ日から時々話すようになった。先生自体の話しやすさもあるけれど、半分は情報収集の意味も兼ねてだった。保健室に行けば、学校内での事故の話のほとんどは分かる。すでに起きてしまった事故の話を聞けば、もしかしたら今後、未然に防ぐために役に立つ情報が聞けるかもしれないと、俺は時々保健室に来ては先生と話をしていたのだった。
その時に聞いたのだ。さっきの女の子は、備品を取りに行った先の空き教室で、上から段ボールが落ちて少しだけケガをして保健室にやってきたことを。
そうか、さっき聞いたあの事故は政輝が関係していたのか。そうやってすんなりと受け入れてしまえるくらいには、俺たちはあまりにも、事故や事件に慣れ過ぎてしまったのだろう。
「なあ西条。今まで僕は大きな思い違いをしていたみたいなんだ」
政輝の目が、悲しそうに細められる。
「だってさ、西条はあの空き教室に近づいてすらいないだろう? きっと僕だけなんだよ。あの空き教室に入って何かしたの。その時のどこかで、僕はきっと段ボールに触れたんだ。だから別の人が入った時に、段ボールが落ちてきてケガをしたんだよ。……まるで、西条の噂みたいだと思わないか? でも、今回のことは僕が原因で起きた。……つまり、西条じゃなくて僕が、噂に出てくる死神だったんだ」
政輝の手元でクルクルと回っていたシャープペンシルが、カランと音を立てて机の上に落ちる。政輝は自分の手からシャープペンシルが滑り落ちたことにも気付いていないみたいに、再び話し始めた。
「……でも、僕が死神だと仮定すると矛盾が生まれてくる。中学で起きた集団食中毒の件だ。西条たちの中学の合宿中に起きた事件だが、僕は西条とは中学が違う。だから僕が噂の死神じゃないと周りも考えていただろうし、僕自身もずっとそう思っていた」
でもさ、と政輝はその先を口にした。俺がずっと知っていて、でも政輝には言っていなかったことを。
「……僕らのグループにもう一人いたよな。西条と中学が同じで、ついこの間までずっと共に行動していた友達が」
そう言って、政輝は姿勢を一度正して俺の顔を真正面から見つめる。いつもは伏し目がちの彼の目が、今は俺の姿をしっかりと映していた。
「一回さ、西条は部活があって行けなかったけど、学校帰りに三人でカラオケに行こうとしたのを覚えているか。その時のことをさ、急に思い出したんだ。あの日、神楽坂と歌い終わって会計してたら、廊下にちょっとした人だかりができてたんだ。それを見た神楽坂が、なんか変な顔をしていてさ。急に用事があるってその人だかりの方に向かっていったんだよ。……その時は、何が起こっていた分からなかったし、ちょっと喧嘩でもしてて揉めてんのかな、くらいにしか思ってなかったんだけど……今思うに、多分何か事件が起こってたんだと思うんだ。――なあ、西条」
政輝の瞳が、どこかさびしそうに揺れた。
「――最初の死神って、神楽坂だったんだろ?」
その言葉を、俺はどんな表情で聞いていたのだろう。
政輝が俺の様子に構わず言葉を続けていく。
「僕と神楽坂で行ったカラオケの件と、西条と神楽坂の中学で起きた集団食中毒の件。その二つから考えたら、神楽坂が死神だったのはほぼ間違いない。でも、何らかのことがあってその役が僕に移ってきた。じゃあ、僕に役割が移ってくるほどの出来事って何か。真っ先に思いつくものといえば、神楽坂本人が死んだことだ。つまり、元々死神だった神楽坂が死んだから、神楽坂と近しい位置にいた僕にその役割が移ることになったんだろう」
――ああ、政輝の方がよっぽど「探偵」に相応しい。
酷く冷静に、筋道をきちんと立てて論理的に話していく政輝の言葉を聞きながら、俺はそんなことを考えていた。
政輝が一度息をついて、俺の顔を見つめる。
「……今まで悪かったな。僕も周りと同じで、心のどこかではずっと西条のことを疑ってた。友達のことを、信じてやれなかったんだ」
「……そんなこと」
「――西条、もう僕に近づかない方がいいよ。僕といると、不幸な目に遭うからさ」
俺から視線を外し、政輝は窓の外をぼんやりと眺める。言葉では俺を突き放しながら、その目はどこか寂しそうに揺れていて、正直見ていられなかった。
「神楽坂のことがあったから、僕が今後辿るであろう結末も分かる。いつかは分からないけど、僕もいつか誰かに役割を託して事故か何かで死ぬのだろう」
自嘲気味に、政輝が笑う。
どうしてそんな風に、諦められるのだろう。
千紘だって、そうだ。どうして何も言ってくれなかったのだろう。俺が頼りないから? 言っても仕方ないと思ったから? その結果、千紘は誰からも役目を知られずに死んでしまった。もしかしたら千紘は、自分が死ぬことを薄々気付いていたのかもしれない。あれだけ身の回りで事故や事件が起きていたのだ。勘付いていてもおかしくない。それでもあの階段に向かった。そして帰らぬ人になった。あるべき運命に従っただけかもしれない。それでも、そんな生き方がいいなんて、どうしても俺には思えなかった。
「そんなこと、言わないでよ」
半ば反射的に口にする。政輝の言葉が言い終わらない内に、俺は言葉を紡いだ。
「そんなこと言わないでよ、政輝」
「……でも、実際そうだろ」
「政輝まで居なくなったら嫌だよ」
その言葉で、政輝が分かりやすく表情をこわばらせた。旅行の時にも、同じような言葉を口にした気がする。あの時と同様、政輝は俺の言葉で動揺を示してくれたようだった。根が優しいから。俺のことを、友達を失ったあげく死神なんてレッテルを貼られた可哀想な人間だと思ってくれているから。
だからきっと、俺の無茶な願いを突っぱねることなんて政輝にはできない。
「政輝、一緒に見つけよう。生き残るすべを。俺がずっと事故を食い止めるし、事件が起きたら解決する。だから、諦めないでよ。頼りないかもしれないけど、近づかない方がいいなんて言わないで」
これはきっと、俺のわがままだ。
政輝にとって、それはいばらの道なのかもしれない。
諦めた方が、もしかしたら幸せなのかもしれない。
それでも俺は諦めたくはなかった。
もう二度と、友達を失いたくないから。
数秒の間、政輝の瞳はゆらゆらと揺れていた。しかし、おもむろにため息をついてこちらの姿をまっすぐとらえる。
「……分かった。でも、探偵になるのだけはやめろよ」
解決するんじゃなくて、事件は未然に防ぎたいからなと、政輝が諦めたように微笑む。
その奥で、千紘の姿をした何かが、俺たちの様子を見て、嫌な笑みを浮かべていた気がした。
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