二話 ドリンクバーと憂鬱


 神楽坂と過ごした短い高校生活の中で、一度だけ神楽坂と僕の二人でカラオケに行ったことがある。

 元々は西条も入れて三人で行く予定だったのだが、前日に突然西条の所属している部活で予定が入り、西条は泣く泣く不参加になったのだ。


 僕が所属している部活はそこまで忙しいものではなかったし、神楽坂に至っては帰宅部だったから、行けなくなった西条のことを責める、なんてことはできなかった。そもそもにおいて、部活の予定と男三人でカラオケに行く予定が同時にあったら、部活の予定を優先させるのは当然だろう。だからそこまで気にするなと、僕と神楽坂の二人がかりで落ち込む西条を慰めたものの、西条は最後まで申し訳なさそうにしていた。

「今度は絶対三人で行こうね!」と何度も念を押して部活に向かった西条を見送って、僕と神楽坂はその日で期限が切れてしまうクーポン券を片手に、学校近くのカラオケ店に足を運んだのだった。



「西条とはよくカラオケ行くのか?」

 受付を済ませ、指定された部屋番号に向かう廊下の途中で、僕は隣の神楽坂に尋ねた。神楽坂と西条の二人は中学時代からの友人だ。僕と知り合う前に、二人ないし大勢でカラオケに行っていてもおかしくはない。


 僕の疑問に、神楽坂は一度考え込むように口元に手を持ってから、僕の方に向き直った。


「……そうだなあ。中学の時に二、三回行ったくらいだな。まあ、こんな風に学校帰りに寄ったことはないけど。あと、大翔はちょっとカラオケが得意じゃないから、どこ行くかって時にも、候補にほとんど挙がんないんだよな」

「音痴ってことか?」

「いや、普通に歌は上手いよ。ただなあ……マイクの持ち方が下手なのか、声の出し方が下手なのかは分かんねえけど、歌ってる時の声がやたら小さいんだよな」

「それは西条側の問題だろ……」

「だから言っただろ。得意じゃないって」


 そんな会話をしていたら、いつの間にか目的の部屋の前に着いていたようだった。割り当てられた番号の部屋の扉を開けると、ほどよく冷やされた空気と薄暗い照明が僕らを迎えてくれた。どうやら宇宙がモチーフの部屋らしい。壁のあちこちにはロケットと惑星の絵が描かれており、高校生の僕らには幼すぎるように思えた。


「もっと別の場所はなかったのかねえ」

 神楽坂も同じことを思っていたようで、小さくぼやきながら靴を脱いで部屋に入っていった。


「政輝、先に歌ってていいぜ。その間に俺が政輝の分のジュースも持ってくるからさ」



 部屋に入り、曲を入れる機械を手元に引き寄せて準備をしていると、ふいに神楽坂の声が後ろから聞こえてきた。

 振り返ると、いつの間にか再び靴に履き替えていた神楽坂が、部屋の扉に手をかけている姿が見えた。神楽坂の提案に、僕は一度その様子を想像してから口を開く。


「……二つも持って大丈夫か?」


 僕も何度かこの店に行ったことがあるから勝手は分かる。ここのカラオケ店は、無料の飲み物は各々ドリンクバーでジュースを注いで部屋に持っていく、いわゆるセルフサービスの店だった。しかし記憶している限りでは、ドリンクバーに置かれているグラスは、取っ手のついていない、それなりに大きなサイズのものだったはずだ。神楽坂一人で大丈夫だろうか。


 しかし、神楽坂はそんな問題も意に介さないみたいに、僕に笑いかける。

「二人で行ってたら、その分の時間がもったいないだろ。俺に任せておけって」

 どこからその自信が湧いているのか聞きたくなるほど自信満々な神楽坂に半ば押される形で、僕は小さく頷いた。


「……そうか、サンキュ」

「アイスコーヒーでいいか?」

「お前、僕がコーヒー飲めないことを知ってて言ってるだろ」

「バレたか」

 じゃあコーヒー以外で持ってくるよ、と続けて口にした神楽坂は、そのまま部屋の扉を開けて出て行った。


 神楽坂の背中を見送り、僕は手早く手元の機械で歌を一曲入れる。二つある内の、近くに置いてあった方のマイクを手に取り、久しぶりのカラオケだけどちゃんと歌えるだろうかと、若干緊張しながら僕は画面の映像に集中し始めた。


 ドリンクバーで飲み物を注ぎに行った神楽坂は、曲の二番サビが終わった頃に戻ってきた。手にはサイダーらしき飲み物とオレンジジュースらしき飲み物を持っていた。おそらく僕用に選んでくれたのは後者の方だろう。僕はコーヒーも飲めないが、炭酸も苦手だ。

 テーブルに二つのグラスを置いた神楽坂は、どこかソワソワした様子でソファーに腰を下ろし、僕の顔をチラチラと伺っていた。神楽坂の挙動が若干気になりつつも、曲を最後まで歌い切る。神楽坂はちょうど僕が歌い終えたタイミングで「なあ」とこちらに話しかけてきた。


「……聞いてくれよ、俺さっき部屋間違えてさあ。知らん人のいる別の部屋の扉開けちゃったんだよな」

「……何してんだよ」


 どうやら自分の失敗談を話したかっただけなようだ。少しの脱力感を覚えつつも、僕は呆れたような声で神楽坂に言葉をかけた。


「相手大学生だったんだけど、俺を見てすげえ驚いてたわ」

「……そりゃそうだろ。神楽坂だって、自分が歌っている時に突然知らない人間が入ってきたら驚くだろ」

「んー、まあ、そうなんだけど……そこさ、この部屋とは真逆の位置だったんだよな。なんで間違えちゃったんだろうな……」


 心底不思議そうに神楽坂が首を傾げていた。そんなこと僕に言われても。どう反応すればいいか分からず、代わりに使っていない方のマイクを差し出した。


「……まあ、過ぎたことを言ってもしょうがないだろ。とりあえず歌おうぜ」


 神楽坂は一瞬目をぱちくりさせたが、すぐに吹き出しておかしそうに笑った。


「……そうだな。せっかくカラオケに来たんだしな」

 差し出したマイクを受け取り、神楽坂はこちらに不敵な笑みを浮かべた。


 それからは、時々ジュースのおかわりで席を立ったり、歌い疲れたと適度に交代したりしながら一時間分を歌い続けた。余裕を持って五分前には終わらせ、神楽坂と共に部屋の扉を開ける。


 部屋から出て受付で清算をしていると、僕らの部屋のあった廊下とは逆の廊下の奥で、何やら人だかりができていたのが見えた。


「……何かあったのかな」

 そう言いながら神楽坂の方を向くと、神楽坂は真面目な顔で人だかりの方を見つめていた。

「……どうした?」

 僕が尋ねると、視線に気付いた神楽坂が一度驚いた表情をし、こちらに向いて笑みを浮かべた。


「……嫌になるよな」


 その笑みがあまりにも寂しそうに見えて、一瞬だけ反応が遅れてしまった。


「…………何、が」

 だから、だろう。一瞬分遅れた僕の言葉は、次の神楽坂の言葉で完全に遮られてしまった。


「――政輝悪い、用事できたから先帰ってくれ」


「――――は、おい!」


 僕が引き留める間もなく、神楽坂は人だかりの方へと向かってしまい、じきに見えなくなってしまった。追いかけたとしても、あの人だかりでは探しに行った自分が逆に迷子になってしまうだけだろう。


「……僕とのカラオケのこと、じゃないよな」


 そうだったらどうしよう、と少しだけ不安になる。尋ねようにも当の神楽坂はどこかに行ってしまったので、確かめるすべはない。そうじゃないことを祈るしかないみたいだった。一瞬、神楽坂が向かった人だかりのことと何か関係あるのかとも思ったが、それと神楽坂の「嫌になる」発言とに、何か関わりがあるとはどうにも思えなかった。


 なんにせよ、神楽坂はどこかに行ってしまったし、僕もここに居座る理由はない。人だかりから背を向けるようにして、僕は帰路へと足を進めていった。


 久しぶりのカラオケは楽しかったし、最後のあれを除けば神楽坂の方も楽しんでいたように見えた。でも、と僕はさっき見た神楽坂を脳裏に思い浮かべる。



 あの時に見せた神楽坂の寂しげな表情は、しばらく忘れられそうにないと思った。

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