二話(後編) 西条大翔


 まただ。どうしてだ。俺たちが一体何をしたのだというのだろう。


 紅葉を見た後に立ち寄った喫茶店で、死人が出た。政輝は彼らの内の一人を知っているようだった。どこで会ったのだろう。なるべく離れないようにしていたのに、どうして俺だけが知らないのだろう。

 俺が、気付けなかったから。


「――俺のせいだ」


 駆け出した俺から数瞬遅れて、足音が後ろから聞こえた。どこに続くのかも分からない道を、わき目もふらずに駆けていく。

「なあ、西条待てよ!」

 後ろから政輝の声が聞こえた。その声を無視して、俺はさらに足を速めていく。聞こえていた足音は、次第に遠ざかっていった。

 気付けば歩道からも外れ、獣道を駆けていた。いつの間にか、後ろで俺を追っていた足音は途絶えていて急に不安になった。


 ――まさか、政輝の身に何かが。


 慌てて来た道を戻ると、何十メートルか先で地面にうずくまっている政輝の姿が見えた。どうやら転んでしまっただけらしい。ほっとしたのもつかの間、元はといえば逃げ出した俺のせいだということを思い出し、俺は政輝の顔を正面から見ることができなかった。

 立ち上がった政輝が、気まずそうな顔で俺を見た。俺も、なんだかばつの悪い気持ちで向き直る。次に政輝が見せた顔が、まだ噂が流れる前に、政輝と話している時によく見ていた表情そのままで、俺はなんだか懐かしい気持ちになった。


「……勝手にどっか行こうとするなよ。昨日同じようなことをした僕が言えることじゃないけどさ、はぐれて困るのは僕らなんだから」

「……そうだね。勝手にどこか行こうとしてごめん。色々起こりすぎて、動揺しちゃったみたいだ」

「……あれはお前のせいじゃないだろ」


「あれ」というのは、きっと喫茶店の時のことだろう。もしかしたら救えたのかもしれなかったのに、結局救うことができなかった。政輝の言葉でそのことを思い出し、俺は再びやるせなさを感じてしまう。


「……聞こえてたんだ。でも、俺たちの行く先々で事故や事件が起きるのは事実だよね。……政輝だって知ってるでしょ。中学の時の合宿で起きた集団食中毒の話。俺のいたグループは、確かにその人たちと話したよ。間接的にだけど、何かしらのきっかけは生み出したんだろうって。昨日の展望台の事故だってそうだ。俺たちが登った後に事故が起きた。もしかしたら、何かしら関わっていたのかもね」


 政輝は口をつぐんでいた。政輝の顔は、どこか泣きそうな顔にも、引いているような顔にも見える。でも、その方がいいのかもしれない。彼が本当のことを知るよりは、きっといいのだ。


「ねえ、政輝はどうして俺を誘ってくれたの」

 なんとなく、ずっと聞きたかったことを口にした。俺以外にも選択肢はあっただろうに、政輝は俺を選んで旅行に訪れた。何か理由があると、ずっと思っていたのだ。

 俺の言葉を聞いて、政輝が少しだけ悲しそうな顔をした。伏せた政輝の顔が、木の間から差し込んだ夕日の光に照らされ、赤く染まっていく。数秒後、政輝が小さく呟いた。


「……神楽坂の遺言、だから」


 そう呟いた政輝の目元が赤く染まっているように見えたのは、夕日のせい以外も、あったのかもしれない。



 中学時代、俺の周りではよく事故が起こった。

 その事実のせいで、現在の俺は死神だ、なんて噂がされている。

 でも、それは政輝も含めてみんなの勘違いだ。



 政輝やみんなが勘違いしていること。俺と出会ってからと、同じ学校になってからというのは、同じようでいてまるで違う。俺は知っている。後者はつまり、俺と同じ中学出身で、且つ高校生の現在、政輝と同じ学校に通う人物であれば、同じように死神である疑いがかかるということだ。


 例えば、何の気なしに触れた教室のプランターが時間差で落ちて、下にいた人に当たりそうになったこと。調理実習でクラスメイトが火傷をする前にガスコンロを使用したこと。そして、中学の合宿で居合わせたサークルメンバーに話しかけたこと。その後に起こった集団食中毒へのきっかけをもたらしたのは、一体誰か。それらは一体、誰によって引き起こされたか。俺は知っている。知っていて、今も口を閉ざしている。



 もっとも、その友達――神楽坂千紘は、もうこの世にはいないのだけれど。



 ほんの数か月前のことだ。千紘が死んだ。学校の濡れた階段で、足を滑らせて頭から転がり落ちたのだ。打ち所が悪く、病院に運ばれてからも、一度も目覚めることなく息を引き取ったらしい。こんなにもあっけなく人は死んでしまうのか、と学校中を流れた噂話の一つを聞いて、酷く憂鬱になった。でも、憂鬱になった原因はそれだけじゃなかった。

 その階段は、千紘の事故が起きるつい数十分前に、別の友達が、自販機で買った牛乳パックの中身をぶちまけていた場所だった。偶然、俺もその瞬間に居合わせ、拭くのを手伝ってあげたのだから、間違いない。おそらく拭き残しがあったのだろう。だから千紘は滑り落ちて死んだのだ。あの時、もう少しちゃんと拭いていれば、事故を未然に防げたのかもしれなかった。


 その牛乳パックの中身をぶちまけた友達の顔を見ながら、俺はあの日のことを考える。


 死神は本当に存在するのか。

 それから、バタフライ効果の信憑性について。


 政輝の口から、久しぶりに「神楽坂」という言葉を聞いた気がする。久しぶりに聞いたその言葉に、自然と頬が緩みそうになった。しかし、千紘はもう居ない事実を思い出し、すぐに口元が引き締まる。

 千紘はもう居ない。俺たちが間接的に殺したようなものだ。政輝はどこまで知っているのだろう。遺言とはどういうことだろう。ここから政輝が説明してくれるのだろうか。


「……神楽坂。懐かしいなあ、もうずいぶん前のことに思えるよ。でも、千紘が死んだのも、俺のせいだと思ってんでしょ」

「……そんな」

「いいよ、別に。噂ではそういうことになってるし。政輝も俺のこと、不気味だと思ってんでしょ」

「そんなこと、言ってないだろ」

「分かってんだよ!」


 俺の声に、政輝がびくりと体を震わせた。こんなに大声を出したのは久しぶりだった。鼓膜がビリビリと振動して、耳が痛くなってくる。


 違う、分かっていないのは俺の方だ。政輝は、千紘がどうして死んだのか知らないんだ。知らないから、こんなに呑気なのだ。そのことを、俺は分かっているはずなのに、彼の言葉の端々にいら立ってしまう。頭に血が上って、何も考えられなくなる。目の前の政輝に当たり散らしたくなる衝動が、抑えられなくなる。


「分かってんだよ! 俺たちの行く先々で、周りが不幸に見舞われてることくらい!」

「落ち着けって西条!」

「政輝だって俺のこと不気味だと思ってんだろ! 放っておいてくれよ!」

「だから落ち着けっ……」


 思っていたよりも政輝は近くにいたらしい。振り払おうとした俺の腕がもろに政輝の体にぶつかり、そのまま後ろの斜面から滑り落ちていってしまう。

 突然のことだったからか、政輝は何も声を上げなかった。ただ、俺の視界から消える瞬間、いつも冷めたような政輝の目が驚きで大きく見開かれていたシーンが、しばらく頭の中に残り続けていた。


 辺りを見渡しても、人が居る気配は感じなかった。もし、俺がこのまま政輝を見捨ててしまえば、政輝は誰にも見つからず行方不明扱いになるのかもしれない。でも、俺と政輝が旅行していることを、少なくとも家族は知っている。完全犯罪は不可能のようだ。

 そんな恐ろしい考えを頭から振り払う。そんなことを一瞬でも考えてしまった自分に腹が立った。

 俺は慎重に崖を下り、目を閉じたまま動かない政輝に駆け寄った。どうやら意識を失っているだけらしい。僅かに上下する胸に安心して、政輝の体を背中におぶって立ち上がる。ふと、前にも政輝が意識を失って倒れたことがあったのを思い出した。あの時も、俺は政輝を抱えて保健室へ行くために廊下を歩いていた。時期や場所は違うけど、少しだけあの時の状況に近い。ただ、今回は俺のせいで政輝が倒れてしまった。その事実が、俺の心に暗くのしかかる。


「……消えてしまいたい」

 生きていた頃の千紘も、よくこんな気持ちになっていたのだろうか。



「よう、久しぶりじゃねえか」

 政輝が突然意識を失い、その肩を揺さぶっている時に、俺はその声を聞いた。その声の主を、俺はよく知っていた。つい数日前に事故で死んだ、神楽坂千紘の声だった。


「……おっと、あらかじめ言っておくが、俺は神楽坂千紘じゃない。今は一時的に姿を借りてんだ。だから、お前らの思い出話には付き合えないぜ」

 駆け寄ろうとした俺を両手で制した千紘の目に光は宿っていなかった。


「……ソイツ、気絶してんのか?」

「……そうみたいだけど」

「じゃあ、起きるまで待つか」


 死んだとは思えないくらい軽い口調で、千紘は階段に腰かけた。いや、千紘の姿をしているだけで、中身は全く別ものだったっけ。


「ソイツが起きないなら、お前に聞いてみるかな。――なあお前。死神っていると思うか?」

 その言葉で俺は、目の前の男の後ろに黒い羽が見えた気がした。


「……それを聞くってことは、アンタは死神ってこと?」

 俺が答えると、目の前の男がまるで千紘のような苦笑を浮かべた。


「まあそうなるか。お前の目の前にいる俺は、きっとでいう死神って位置づけになるんだろう。それくらいは知ってる。イメージだと鎌とか持っているんだろうが、実際のところは身体なんてない。実体なんて持ってたって見せる相手なんて向こうにはいないからな。でも、で誰か人に姿を見せる時には、誰かの身体借りなきゃいけないんだ。今回その身体が、コイツってだけだ。長らく多くの人間の死を導いてもらったしな」


「……どういう、こと」

 俺の言葉に、千紘の姿をした何者かはあざける様に笑った。


「お前あんだけコイツの近くにいたのに、全然気付かなかったよな。……なあ、死神がどうやって人の命もらってるか知ってるか? 死に際の奴の枕元に現れて、なんていちいちやっていられるか。この世界に何人の人間がいると思っているんだ? 寿命が近い奴全員なんて見てたらキリがない。だから、適当な人間の向かう先がやたら人が死ぬようにしてやるんだ。そうするとどうなるか。そうすれば、ソイツの近くに憑いているだけで一気に寿命が近い奴の命をもらうことができる。簡単だろ? それを、生前のコイツに受け持ってもらっていたんだ」


 ソイツの言葉で思い出したのは、中学時代のあの合宿の時の事件だった。そういえば当時、犯人捜しみたいなこともされていたような気もする。でもあの事件は、結局のところあの人たちの間で遅かれ早かれ起きていたことで、その原因が山菜であれキノコであれ、あの人たちが同じように付き合いを続けていれば、俺たちの合宿中でなくてもいずれ起きるものだと思っていた。だから今までずっと、偶然居合わせてしまった不幸の一つだと、そう思っていたのに。


 そういえば、よく千紘はふらっと消えることが多かった。しばらくすると帰ってくるのだが、理由が大抵曖昧で、どこに行っているのかも言わなかった気がする。俺はずっと、放浪癖でもあるのかと思っていたのだけれど、千紘はずっと抱えていたのだ。死神と呼んでも差し支えないその能力を、千紘はずっと抱えたまま隣にいたのだ。


「でも、コイツも相当堪えてたと思うぜ」

 そう言って彼は、左手首にまかれた青緑色のリストバンドを外してみせる。何年か前から身に着け、トレードマークだった彼のリストバンドを外したその肌には、赤黒い線が何本か走っていた。


 明らかに事故や不注意でついた傷ではない。その生々しい傷跡を見て、俺は言葉を失った。


「コイツの時はわざわざそんな説明もしてなかったんだけどさ、薄々気付いていたのかもな。自分の行動が、何かしらの不幸を引き寄せているかもしれないって。知らない方が、幸せだっただろうにな。……自分の行く先々で人が死んでいく。そりゃあ、並大抵の精神じゃやっていけない。死のうとしたことも、多かったんだと思うぜ」


 まるで他人事だ。でも、俺だってきっと同じなのだろう。俺は、中学の頃から一緒にいたのに、千紘のことを何も知らなかった。気付けなかった。その点では、俺も目の前の彼と、さして変わらないのだ。


「運がよかったなあ。次はお前じゃない、ソイツだ」

 そう言って彼が指さしたのは、俺ではなく、気を失って動かない政輝だった。


「コイツをよく知る人間の方が任せやすいからさあ。時々頭の中で指令が来んだ。で、そこに行って人に会うなり、行動を起こせばいい。そしたら後は勝手に目標が死んでくれる……簡単だろ?」


「そんなこと、させない」

 半ば反射的だった。


「……へえ?」

 千紘の姿のまま、ソイツは意地悪く笑う。

 それは、俺の知っている千紘の顔ではなかった。まるで、本当の悪魔だ。もう、本物の千紘はどこにもいないのかもしれない。


「……俺が彼を守る。彼に背負って欲しくないから」

「そりゃあ、楽しみだな」


 思えばあの頃から、俺は魂を売ってしまったのかもしれない。死神の付き人としての運命に落ちた俺は、今日もその使命を全うするべく生きている。



 奇跡的に大きなケガも見当たらなかった政輝を、近くにあった休憩所のような小屋に運んで長めの木のベンチに寝かせておいた。

 膝を抱えてうずくまってから、どれくらいの時間が経ったのだろう。政輝を寝ている方角から、小さくうめき声が聞こえて、俺は顔を上げた。政輝がこちらに顔を向けるのと、ほぼ同時だった。

 上手く笑えただろうか。生気のない顔をした政輝が俺をじっと見つめて口を開く。


「……西条が運んでくれたのか?」

「……他に、誰もいなかったから」

「この前の保健室ぶりかな。ありがとう」

 お礼を言われる義理もないのにと、胸が痛くなった。

「……ごめん、政輝。突き飛ばしちゃって。手首、痛むでしょ」

「……ただの捻挫だと思う。だから、あんま気にすんなよ」

「……それでも、俺がケガさせたことに変わりないよ。……ごめん」


 立ち上がり、政輝の座る椅子の下に腰を下ろす。万が一にと持ってきておいた湿布が、実際に役立つとは思っていなかった。貼った時、政輝が一瞬だけ顔を歪ませた。痛んだのかもしれない。これで、少しはよくなるといいけれど。


「……もう、これで三件目かな」

 政輝が僕に声をかける。その声で顔を上げると、沈んだ顔をした政輝と目が合った。


 ああ、そうか。政輝にとっては、これも俺が起こした不幸な事故の一つなのか。俺は死神とか関係なく、人身的に起きた事故だと思っていたのに。認識のズレが悲しくなる。でも、政輝がそう思っているのなら、俺もそう解釈できるように、演じてあげよう。乾いた笑いを含ませて、俺は返事をした。


「あはは、そうだね。さすがにこれだけ続くと、不気味だよね……。さすが、死神なんて言われてるだけあるでしょ」

「……そんなこと言うなよ」

「でも、実際そう思ってるんでしょ?」


 俺が笑うと、政輝が悪いものを見てしまったみたいに目を背けてしまった。

 今日も政輝の行動が、誰かを不幸にしている。


 まるで当然のように、政輝はためらいもなく厨房に侵入していったように、俺の目には映った。

 お湯が欲しいのなら、他にもいくらだって手はあったはずだった。それなのに政輝、わざわざ厨房に行って、鍋に水を入れ、三つあるコンロの内、真ん中のコンロのツマミを捻る選択をした。


 分かっていたつもりだった。それでも、いざ目の当たりにすると怖かった。彼にとっては、全て無意識の行動だったのだろう。結局神楽坂の姿をしたアイツから話を聞かずじまいだった彼は、自分の行動が誰かの死のきっかけを生み出していることなんて、夢にも思っていない。


 いつか政輝も、千紘のようにあっけなく死んでしまうのだろうか。使いの交換。彼は確かそう言っていた。千紘は、いつまで使いの仕事を行っていたのだろう。政輝も同じくらい働かされ、千紘と同じように、いつかお払い箱にされてしまうのだろうか。分からない。俺に何ができるのだろう。



 友達が呪われてしまっているなら、何をすることができるのだろう。



 不安になって、俺は政輝に声をかけた。どこか別の場所を見ていた政輝が、ゆっくりと俺の方へ向き直る。


「……あのさ、政輝」

「……なんだよ」

「政輝は、居なくならないで」

 一瞬だけ目を大きく見開いた政輝が、少し考え込んでからいつもの無表情に戻った。その顔を見ていると、不思議と落ち着く。全てがどうでもよくなってくるのだ。それがいいのか悪いのは、きっと別の問題になるのだろうけど。


「……さあな。人間、死ぬ時は死ぬだろ。それが明日かもしれないし、もっと先かもしれないってだけだ」


 ――やっぱり、政輝はいつも通り政輝だった。俺の悩みがどうでもいいことに思えてきてしまうくらい、サバサバとした回答だ。思わず俺は吹き出してしまう。そんな俺を見て、政輝が少し驚いた顔をした。


「……あはは。政輝のそういうサッパリしたとこ、やっぱり好きだなー」

「……そうか、そりゃよかったよ」

 照れくさそうに政輝が顔をそらした。その仕草が人間くさくて、俺はさらに嬉しくなった。でもこんなやりとり、どうせいつか無意味になってしまうのに。


 不幸体質、と言えるのだろうか。時々考えてみるけど、確実な答えなんてきっと見つからない。

 本人に不幸は降りかかっていない訳だし、ニュアンスとしては違うのかもしれないけれど、政輝の存在が周囲に影響を及ぼしているのは確かだった。


 ――バタフライ効果。そんな言葉を思い出す。蝶が起こした僅かな羽ばたきが、遠くの地で巨大なハリケーンを発生させる。彼らはまさにそういう存在だった。一匹の蝶。彼らの行動が、後のハリケーンに匹敵する事象を発生させる。数か月前までは千紘。そして今は、俺の目の前にいる政輝が――。


 不意に風が吹き、目の前の政輝のジャンパーのフードが風に舞い上がった。髪を押さえて目を細めた政輝の目の色が、夕日と同じくらい、赤く染まっていく。そういえば中学時代の千紘も、こんな風に目が赤く見えた時があったように思う。あの時は夕日が反射してそう見えたのだと思っていた。しかし、事情を知っている今では、他の理由が真っ先に思い浮かんでしまうあたり、俺はもう、狂っているのかもしれない。

「なあ西条」と政輝は口を開いた。

 俺は曖昧な顔で笑う。一生、政輝が自分の秘密を知らなければいいと思いながら。



 ――時々、考えるのだ。呪われているのは、噂通り俺の方なのではないかと。

 確かに千紘や政輝の行動が、後の誰かの不幸を引き寄せている。しかし、死神の友達を持つ俺が呪われていないわけがない。

 俺の友達がどんどん死神に選ばれ、どんどん不幸になっていく。その意味では、俺が最も死神に近い存在なのかもしれなかった。


 死神に人間は救えない。同じように、神にだって人間は救えない。人間を救えるのは、同じ人間だけだと俺は思う。人間にできることは限られている。それこそ、ガスコンロのツマミを「止」に戻してあげるくらいの、些細な行動くらいしか人間には起こせない。

 自覚の持たない厄災が、俺をじっと見つめている。気だるそうな目が細まって、心臓の鼓動が速まるのを感じた俺は、慌てて顔をそらした。彼は気付かない。俺がずっと隠し通しているから。


 いつまで隠し通せるのだろう。無意味にも思える引き延ばしを、俺はずっと行っている。


 ふいに腕時計で時刻を見た政輝が、腫れていない方の手を床について立ち上がった。もうすぐ帰りのバスが来る時間のようだ。一泊二日の政輝との旅行も、もう終わりに近づいている。結局俺は、政輝の行動の全てを防ぎ切ることはできなかった。人は死んだし、事故も起きた。俺の妨害なんて関係なく、政輝によって事故や事件は引き起こされるのだろうか。俺の行動も、全て無意味なのかもしれない。胸が痛い。心が折れそうだ。そんな俺を見てか、それとも単なる親切心か、政輝が屈んだままの俺に右手を差し出して笑った。


「……もし、お前が本当に死神だとしても。今後も、行く先々で不幸が起こることがあったとしても。僕は、お前と縁を切るつもりはない。それは僕の意志でもあるけど、同時に神楽坂の願いでもあるからだ。お前に何を言われても、意思を曲げるつもりはないよ」


 政輝のその言葉は、まるで天のお告げのように、胸にストンと落ちた。……いや、地獄だろうか。地獄が本当に存在するのかは知らないけれど。天国があると思うなら、その対になる地獄もきっと存在する。そうでなければ不公平だから。それなら俺は、天国も地獄も信じたくはなかった。地獄がなければいいと思う。死んだ千紘や目の前の政輝、そして悪魔に魂を売ってしまった俺の死後の行き先が、確定されそうだったから。

 意味も分からず切なくなる。もしと断ってはいるものの、政輝の中で俺は死神だと確定されてしまっているのだろうか。

 それなら俺は、彼の考えに乗ってやろう。

 俺はなるべく感情を殺し、首をかしげて、笑った。

 まるで人間の心を失ってしまったように。


「……ありがとう」


「これから、僕らはまたクラスにとけ込めるだろうか」」

 地元へ帰る電車の中、政輝がぽつりと呟いた。

「神楽坂は死んだ。そして西条は死神だなんて呼ばれて、クラスから孤立している。僕らのグループは破滅寸前だ。でもさ、僕らが疎遠になることを、神楽坂は望んでいない。アイツならきっと、そんな噂を笑い飛ばして、僕らをいつも通り引っ張りまわしてくれる。僕は神楽坂のように強くはないけど、この旅行が終わって、またいつもの学校生活に戻った時に、変われるように頑張るよ」

「……うん」


 俺より少しだけ小柄なその肩に、頭を預ける。政輝は何も言わなかった。

 そこにいてくれるだけでいい。政輝が生きてくれるのであれば、俺は何だってする。もう二度と、友達を失いたくないから。


 千紘は一人で抱えて、そして誰にも知られないまま役目を全うして、死んでしまった。引き継いだ次の死神である政輝は、まだ役目を知らないままだ。もし、政輝が自分の役目を知らないまま、俺がその仕事を邪魔し続けていたなら……。どうなるかは分からない。でも、やらないよりはやった方がいい。だから俺は、今の俺が思う最善策を、突き進んでいくことにしたのだ。例えこの選択が、根本的に間違っていたのだとしても。千紘の時には説明しに来なかったというアイツが、今回に限ってわざわざ政輝を気絶させて、俺に死神の役目を説明しに来た理由が、俺たちが足掻く姿を見て嘲笑いたいという思惑だったとしても。それが当たっていたとしても、俺にはどうすることもできない。俺たちは全知全能ではないから。全てを救うことなんて不可能だから。自分勝手でも、思い上がりでもいい。俺はやり切ってから後悔しようと思う。いつか政輝に知られてしまう、その日までは。


「……夢の中で、神楽坂が言ってたんだ」


 ふいに政輝が呟いた。夢というと、学校で政輝が倒れた時のことだろうか。確か政輝はあの時、夢の中で千紘に会ったと言っていた。でも、何か話していたというのは、初耳だった。俺は黙って政輝の言葉に耳を傾ける。

「『いつか三人で旅行に行きたかった』。神楽坂は夢の中でそう言ってたんだ。だから今日、お前を誘ったんだよ」

「……そうだったんだ」


 ようやく、政輝が俺を誘った理由が分かった。夢の中なんていう、不確かな千紘の言葉で政輝は俺を誘ってくれたのだ。遺言と言っていたあの時の言葉が、今ようやく理解できた。


 これから、俺たちはどうなるのだろう。不幸を引き寄せる体質になった政輝のそばにいたら、いつか俺も千紘の元に行くことになるのだろうか。考えても答えは出なかった。それはおそらく、神や死神の領域でないと分からないのだろう。


 隣で、政輝の寝息が聞こえてきた。いつもの冷めたような表情ではなく、温かみのある穏やかな顔をして眠っている。湿布の貼られた彼の左手に重ねてみると、僅かに熱がこもっているのを感じた。……政輝は生きている。俺が生きている限りは、政輝を役目から守りたかった。俺はどうなってもいい。だから、どうか政輝だけは助けてほしい。そんな、都合のいいだけ持ち出すような信仰にすがってもどうしようもないから、これからも俺は自分で動いていく。



 それが、死神と噂される俺の、せめてもの罪滅ぼしになると思うから。



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