一話(前編) 久我政輝

 事の始まりは、僕が懸賞で温泉旅行のペアチケットを当てたことだった。あいにくそこにプリントされていた日付は、僕は空いているものの、僕以外の家族、親戚の誰とも都合が合わなかった。一人でもおそらく使用できるのだろうが、せっかくペアチケットなのにもったいないように感じた。それなら友達を誘って行ったらいいんじゃないかと家族に提案され、僕は現在、クラスメイトの彼を誘って温泉旅行に来たのだった。


 一泊二日に渡るその旅行で、僕は確かめたいことがあった。久しぶりに会話したクラスメイトの彼の顔を盗み見ながら、僕らは当日の計画を立てていった。


「最初場所を聞いた時、半日くらい時間をかけて行くのかなって思ったけど、思ったよりすぐなんだね」

 目的地までのルートをもう一度スマートフォンで確かめた彼が、ポツリと言葉を漏らした。その言葉に対し、僕も「確かに」と返事をする。

「……確かに。そう考えると地下鉄って偉大だよな。おかげで、僕らみたいな車を運転できない学生でも楽に行くことができる」

「そうだね。偉大だ」


 とはいえ地下鉄だけでは目的地まで行くことはできない。ここからはバスに乗って向かうことになるのだ。地下鉄の改札を抜け、僕らはバスの停留所へと向かっていく。近いとはいうが、それは直線上の話であって実際には迂回しなければいけないのだから、結局は遠いのだろう。目的地は隣県であるにもかかわらず、山に囲まれている盆地のために、どのルートを辿っても山を越えなければならず、片道でも最低二時間はかかる。隣県とはいえ、よく未成年しかいないこの旅行が許可されたなと思う。


 停留所でバスを待ち、目的地へのバスに揺られて二時間ほど。温泉で有名なその土地に着いた時、僕らの目の前に飛び込んだのは鮮やかな紅葉だった。僕らの住んでいる場所では、まだ紅葉は始まっていなかった。そもそも周りに見える山がないというのもあるのだけれど、県をまたぐと気候はここまで違うのだろうか。赤やオレンジの山々を見ていると、今が秋だということを改めて実感できた。


 昼前に着いた僕らは、とりあえず駅の近くにあった蕎麦屋で食事をし、市内を走るバスに乗って、市全体を見渡せると紹介されていた展望台へと足を運んだ。

 その展望台は小高い丘の上にあった。丘の上なので近くに何か建物があるわけでもない。展望台に行くためだけにこの山道を走っているようなバスの終点で、僕らは降りる。申し訳程度に柵が設けられているだけの味気ない場所には、休日の昼間にも関わらず、僕らを含めても五、六人ほどの人しか居なかった。がらんとしていて、ただ景色を見る目的でしか登らないだろうその場所からの景色は、噂に違わず格別だったので、穴場を見つけた気分になれた。家族宛てに送ろうと写真を一枚撮る。隣の彼も、スマートフォンのカメラ音を鳴らして辺りを見回していた。

 荷物も預けずにここまで来たので、足に若干の疲労があった。休憩のつもりで柵の一つにもたれかかると、柵は一度だけ音を鳴らしてきしんだ。


「あんまりもたれない方がいいんじゃない?」


 スマートフォンから視線を外し、彼が忠告をした。そのあまりの真剣な声音に、僕は一瞬戸惑ってしまう。確かに、ここから落ちたら無傷では済まないだろう。彼はわざわざ心配してくれたのだと思い、僕は大人しく従うことにした。

「……そうだな」


 その結果、僕ではなく、名前も知らない観光客が落ちてしまったのなら、いっそのこと顔見知りの僕が落ちた方がよかったのかもしれない。


「――なあ、今そこの展望台で人が落ちたらしいぞ!」


 そんな野次馬の声が聞こえた瞬間、僕は隣の彼の腕を勢い任せに掴んでいた。彼にまつわるあの噂が、僕の頭の中でガンガンと鳴り響いている。


「お前のせいか?」


 その言葉を吐いたのは紛れもなく僕自身なのに、彼以上に僕が、その言葉に傷ついたのかもしれない。彼は、何も言わなかった。この旅行に付き合わせたのは、紛れもなく僕なのに。旅行先でこんなことに巻き込まれて、彼だって思うことはあったはずなのに。


 つい数か月前まで友達だったとは思えないほど、現在の僕は彼に対して距離を置いていた。

 僕が、彼を信じ切れていないから。


西条さいじょう大翔はるとは、死神だ」


 その言葉を鼻で笑えるほど、僕がまだ西条を信じ切れていないのが、僕にはひどく情けなかった。



 こうして一泊二日の旅行は、最悪なスタートで始まった。



 展望台から再びバスを使って降りてきた僕らは、一旦宿に荷物を預け、宿周辺の街並みを探索することにした。悪い気を断ち切るように、僕は古い街並みを縦横無尽に突き進んでいく。西条は僕の後ろを、はぐれないように必死についてきていた。……当たり前だ。僕らは一緒に旅行に来たのだから。はぐれたら最終的に困るのは僕らだ。

 それでも、僕が足を速めてしまうのは。


 ――西条大翔は、死神だ。


 悪意に彩られた彼の噂。友達がクラスから孤立していたら、一体何ができるのだろう。


 宿に戻った僕らは、荷物を整理し、今回の目的である露天風呂へと向かった。露天風呂には、僕らのほかにも多くの人がいた。先にあがると出て行った西条を見送り、僕は周りにいる人から離れた場所で、湯の中に顔を沈めた。西条は本当に、死神なのだろうか。考えれば考えるほど、深みにはまりそうな議題だった。


 初めは、中学での合宿中に起こったらしい。

 西条の中学では、毎年近くの山で一泊二日の勉強合宿がとり行われる行事があったらしい。僕は西条と中学が違っていたので、その行事の内容について詳しくは知らない。ただ、僕の学校でも、一年の時に海の近くで宿泊する行事があったから、多分それと同じような内容なのだろう。昼は屋外で課外活動をして、夜は宿泊先でレクリエーションをした覚えがある。場所や期間が違うのは、学校の方針の違いなのだろう。

 その合宿先で、同じ日にたまたま来ていたサークルメンバーたちの中で事件が起きた。ちょっとしたいざこざがきっかけで起こった、不運で、奇妙な事件。

 西条はその時のことを、どう捉えているのだろうか。


 考え込んでいたら、ずいぶんと時間が経ってしまっていたようだ。脱衣所の壁にかけられた時計を見て、僕は急いで宿の浴衣に着替えて男湯を出た。

 普段よりも長い時間湯につかったので、若干のぼせたような気もする。ふわふわとした足取りで「菊の間」と書かれた札のかかった部屋に戻ると、西条は畳に腰を下ろし、リモコンを手にチャンネルを変えていた。障子を開ける音に反応したのか、僕の方をちらりと見て、西条は小さく右手を挙げた。僕も手を挙げ返し、視線をテレビに移して声をかけた。


「何か面白いものやってたか?」

「ううん、特にないや。ニュースか再放送ばっかり」

「……まあ、土曜の午後ってそんなんだよな」


 チャンネル切り替えにも飽きたのか、西条はテレビの電源を切り、リモコンをテーブルの上に置いて小さく伸びをした。テレビが消えたことで、僕らしかいない部屋は静寂に包まれる。ふと窓を見ると、さっき展望台で見たような鮮やかな紅葉が遠くに見えた。ちょうど紅葉は見頃だったらしい。この時期に来ることができてよかったとぼんやり思う。そんな旅行先で、これから僕は、西条にとって嫌な質問を投げかけるのだと思うと、途端に憂鬱になってきた。


 僕は一度大きく息を吸って、その言葉を口にする。


「死神って、いると思うか?」


 僕の突然の問いに、西条は目をぱちくりさせていた。温泉につかった後なので、いつもより髪がしっとりしているように見える。西条は右手を口元に持っていき、僕の質問の意図を図りかねているようだった。その人間らしい振る舞いに、僕は少しだけ安心する。でも、すぐに僕の反応の方がおかしいことに気が付いた。

 西条大翔は人間だ。それは当たり前の事実だ。そんな当たり前のことを信じられない僕の方が、明らかに異常だというのに。


「じゃあ逆に聞くけど、政輝まさきは神はいると思う?」


 質問を質問で返され、僕は面喰ってしまう。死神ではなく神。しばらく考えてみたが、僕一人が断言していいような質問でないように感じた。


「……いるのかな。いないようにも思うけど」

「そっか。俺が思うに、神がいると思うなら、死神もいるはずだよ。死を司る神、って書くわけだし。神がいるのに死神はいないって思うのは、きっと矛盾していると思う」

「……なるほど。じゃあ死神はいるのかもしれない」

「で、その死神が俺だっていうんだね?」


 西条のその言葉で、僕は一瞬だけ言葉に詰まった。

 西条はよく分かっているのだ。自分自身にまつわる噂を。そして僕が、その噂で西条に不信感を抱いていることも。


「……でも、噂だろ」

「じゃあ、さっきの事故はどう説明する? さすがに偶然と片付けられないと思うけど」


 展望台で、人が落ちた。僕らが訪れた直後に。

 それをどう、説明すればいいのだろう。


「……本当に、西条は死神なのか?」

「そう見える?」

 西条が妖しく微笑んだ。端正な顔立ちに、穏やかな風貌。宿の浴衣を身にまとった今の姿は、どちらかと言えば天使、神寄りの存在を彷彿とさせた。でも、目の前の西条は死神だという噂がある。僕は、西条の噂が真実か、確かめなければいけない。

 黙っていた僕に、西条がまた笑う。今度はとても、穏やかな笑みを浮かべて。


「でもさ、政輝の可能性もあるでしょ」

「……押し付けないでよ。僕が今まで生きてきた中でこんなことなかった。全部、西条と出会ってからだよ」

「正確にいうなら、同じ学校になってからだよね」

「同じようなもんだろ」

「……違うよ」


 切なげな西条の言葉に、僕は背を向けた。緊張で喉がカラカラに乾いていた。せっかくあるのだからと、僕はテーブルに置かれた電気ポットに手を伸ばす。水を入れ、コードをコンセントに刺し、取り付けられたボタンを押して待つ。西条の視線を背中に感じながらも、僕は振り向くことができなかった。

 西条が死神と噂される所以ゆえん。噂があるからには、その噂を裏付ける何かしらの証拠があるということだ。

 西条の行く先々で、人が次々と不幸になるという証拠。最初は偶然だと思った。けれど、今日の展望台の事故はどう説明するのか。

 ……西条の言う通りだ。偶然と片付けるには、あまりにも数が多すぎる。これで何人目だろう。死神は、今僕の隣にいるのかもしれない。


「――あ」

「どうしたの?」

 西条が尋ねる。僕は西条に見えるように体をずらし、電気ポットの中身を見せた。


「……ポットが壊れてる」

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