棒の扱い方

「あなたそんなに棒が好きなの」

 愛は会子をあやしながら、どこか非難がましい調子でじっと戸棚の棒を眺めている裕子を非難がましく注意した。梅雨が過ぎ去った庭には日差しが照り付け、またアジサイがピークを過ぎた為かヒマワリの一人舞台となっており、会子は愛に抱かれながらヒマワリを見て無邪気に笑っていた。

「好きって言うのとは違うけど、大事にした方がいいのかなーって」

 今日もまた、棒は食器棚の中でぞんざいに転がされていた。会子の視界に入れないようにと言う配慮こそされているが、振ると金貨を生み出す物体相応の取り扱いがされているとは言えなかった。愛にとって大事なのはあくまでも裕子と会子であり、棒などではなかった。

「言っとくけどね、その棒にお金を出させるのはものすごく面倒くさいんだから」

「この前私が振ったら簡単に出たよ」

「それはね、母さんがああだこうだと面倒な事をしたから。ねえ裕子、どうしても知りたいの」

「知りたい!」

 裕子の純粋な好奇心と棒への好感が、愛にとっては何ともうっとうしかった。

「母さんはね、あなたにはこの棒に頼らないで生きて欲しいんだけどなあ」

「でも母さんだって病気にならない訳じゃないんでしょ、この前母さん私に言ったでしょ、母さんみたいになるのに二十年かかるって」

「私の親、つまり裕子と会子のおばあさんもね、四十九歳で死ぬって決めてたの、そして死んだの。だからこそこうしていい笑顔で死ねたの。私は今三十二歳だけど、本当の本当に五十二歳で死ぬって決めてるんだから」

「ふーん」

 住人の平均寿命は五十歳だった。もちろん病などで一ケタの年齢で死ぬケースもあったが、ほとんどが平均寿命から五歳前後の差で死んだ。六十歳を超えた住人はほとんどおらず、ほとんどの住人が美しくまた知性ある老人になる事なく死んで行く。

 愛の親もまた八年前に四十九歳で死んでいる。死ぬ一年前に取られた写真が居間に飾られており、四十八歳だったと言うのに今の愛よりも若々しく元気な笑顔をしていた。愛が今そうし、愛の親もまたそうしたように、生前に余命を告げてその通りの年齢に亡くなると言う事はまるで珍しくない。学校においても、親の余命の話で盛り上がる事は少なくなかった。

「いい事。裕子にはもう二十年しか時間がないの。余りぐずぐずしているとお母さんみたいな立派なシェフにはなれないのよ」

「はーい…」

「ごめんね会子手間をかけちゃって、ほーらよちよち」

 愛も裕子も納得のできないまま、話はうやむやのまま終わった。裕子にしてみれば棒の扱い云々について聞いているのにまともな返答を得られず、愛にしてみれば裕子の棒に対しての詮索の心を取り払う事が出来なかった。

 愛が今まで棒から出て来た金貨を使った回数はそれほど多くない。それに使うと言ってもいっぺんに何枚も使った訳ではなく、一枚や二枚を大きな買い物の時にそろっと紛れ込ませておくぐらいであった。最後のお願いと言うには軽く使われすぎ、おまけと呼ぶには額が大きすぎた。棒から出て来るその金貨を毎月きちんと使えば、親子は今まで以上に裕福な暮らしができただろう。


「振るだけでこんなに大金を生み出すなんて物を持ってる事がばれたらみんなから妬まれるでしょ」

 とか

「お金ってのはあんまりたくさんあるとかえって危ないの」

 とか言う愛の決まり文句は、単に棒に頼りたくないと言う愛の本心をそれっぽく糊塗した物に過ぎなかった。愛自身今の生活に充足していないわけではなかったのもあったが、それ以上に棒および棒状の物体に対する不信感が掘り起こしようのないほど根を張っていたのが大きかった。道路や筆記用具、柱など細長くなければ仕方がない物はともかく、細長い必要がない物は徹底的に排除されていた。特に食卓に関係する事物においては相当ヒステリックに排除が進められていた。

 愛自身はシェフと言う職業柄もあって抵抗はなかったが、ごく一部の人間は箸で食事を取るのも嫌がっている事を愛は知っている。そういう人間は先割れスプーンとか言う古代の遺物を職人にオーダーメイドで作らせ、レストランに持ち込んで平然と自分が手塩にかけて作った食事を口の中に入れていた。その行いに対し、自分たちの店の食器を信用してないのかと言う文句をこねる人間は愛を含め一人もいない。表向きは「お客様のご要望にお応えいたさねばならない」であったが、実際にはスタッフの中にも潜在的に棒状の物体に対して嫌悪感を抱いていた人間がいたからであった。

 そして野菜もしかりである。スーパーマーケットにおいて、奇形野菜と言うレッテルを貼られて安値でたたき売られる野菜。やせ細った大根にごぼう、そして小指も入らないほどの穴しかない上に無駄に長くなっていたネギ。だがその味は本来の、丸々と太った品と何の変りはなく、ただ形が悪いだけであった。それでも、その野菜を手に取ろうとする人間はなかなかいない。

 では正規品はどうかというと、大根もごぼうもネギもみな丸かった。細長い物はとにかく軽蔑され、ここ百年余りの品種改良で全ての野菜が太く短くされた。どうしてもその方向に改良できなかった作物は次々と消された。例えば愛も裕子もバナナなどと言う果物があることなど知らないし、アスパラガスと言う野菜を食べた事もない。


 やがて会子がすやすやと寝息を立て始めるのを見るや、裕子はつまらなそうに見ていた絵本を閉じながら愛に向けてゆっくりと口を開いた。

「お母さん、やっぱり私あの棒について」

「ああそうそうおやつおやつね」

「だからおやつじゃなくて棒のお話」

「ええ何聞こえない、ちょっとお母さん忙しいんだから」

「だからあの振るとお金が出て来る」

「だからそんな事どうでもいいの、それから明日の授業は」

「あと数日で一学期終わるもん、ねえ教えてよ、面倒くさいってママは言ってたけど要するに何をしなきゃいけないの、ねえねえ」

 梅雨明けの七月半ばと言えばまもなく一学期が終わる時期であり、裕子もまたこれから八月いっぱいまで家に居続ける事になる。愛は二枚しかない洗濯物を手に取りながら忙しい忙しいと駆けずり回って話を反らそうとしたが、裕子は全く引く様子がない。

「おやついらないのね」

「いらない」

 愛は胃袋の方から口を塞ぎにかかってはみたが、裕子は全く怯む様子がない。どうせ今日抑え込んだ所で明日、いやこの調子だと一ヶ月間ずっと棒について迫って来るだろう。まったく、いつ何時こんな変な好奇心が芽生えてしまったと言うのか。ご飯抜きよ、会子より幼い駄々っ子、あんたなんか大嫌い。いかなる脅し言葉を使っても屈しそうにない我が子のいたいけな思いを込めた目線が、愛にとっては自分を喰らい尽そうとするけだものの目線の様に見えていた。

「しょうがないわね、明日夕方に教えてあげるから!」

「やったぁ!」

「静かになさい、少しでも勝手な事をしたら二度と教えて何かあげないから」

「約束する」

 結局そのけだものに屈する形で要求を飲んでしまってからと言うもの、愛の期待に反して裕子は全くいい子だった。自分が裕子ぐらいの年頃だった時はまるで気にする事などなく、裕子を授かろうかと言う段になって親が話を聞かせてくれるまで我慢できたと言うのになぜこんなにせっかちで無思慮な子に育ってしまったのか。自分は子育てに関して何をどう間違ったのか、浮かれる裕子と対照的に愛の顔は暗くなるばかりだった。




「じゃあまずはね…………」

 結局、愛は裕子の言葉に従い棒にお金を出させる方法を教えざるを得なくなってしまった。会子のミルクだのおむつだの寝かしつけだのと言う話でごまかそうにも呆れるぐらいスムーズにできてしまった事実と、全く愚図る事なく素直に寝る会子を愛は恨んだ。

「それお酒でしょ、それどうするの」

「まずはこれが必要なの」

 愛は独身だった時代から、年に1リットルも酒を飲んでいない。体質とか法律うんぬん以前に、酒が好きではなかった。二十歳になって初めて親に酒を勧められ、初めて口にした時の苦さは今でも覚えている。その後もしたくもない親同士の付き合いで仕方がなく飲んではいるし、レストランで料理と共に専属のスタッフがいるので酒に慣れていない訳ではないが、それでも進んで飲みたいとは思わない。

「まずこうやってね、ふたを開けるの。そしてゆっくりと、棒の先っぽにかけるの。あんまりかけ過ぎるとお金を出す量が減っちゃうのよ。かと言ってかけないとやっぱり減っちゃうし……この調整がまず面倒くさいのよね」

「じゃあお母さんが使ってるスプーンとかで調整すればいいじゃない」

「それがダメだったの、一回それをやったらむしろあげない時より量が減っちゃって。何て言うかへそを曲げちゃうって言うか、もうどれだけの量をかけたらいいかわかってるでしょって感じで……一応270ccぐらいをかけるのが一番良い結果が出るんだけど…………」

 まだ第一段階だってのにこんなに苦労しなきゃいけないのよと伝えるつもりで愛は声を落としたが、裕子の耳は青虫が這う音さえも聞き逃すまいと言わんばかりにその力を振り絞っていた。また裕子の両目も相変わらず輝いており、愛にしてみればその輝きが月に一度ほど襲いかかって来るゴキブリのように憎たらしかった。ありがとうの一言さえ言わないこんな棒っ切れ一本の為に手間をかけている事が、とてつもない時間の浪費に思えて仕方がない。亡くなった母も自分と同じように嫌そうな顔をしながら酒をかけていたのを思い出し、その度にどうして娘にこの事を伝えてくれなかったのかと心の中で母親に向けて毒づいた。

「次はね、この棒をね、お風呂に入れてあげるの……ったくどうしてこんな熱いお湯がいいのかしらね」

「好みがあるんでしょ」

 愛は棒を綺麗な絹糸で織られた布に包んで風呂場に持って行き、酒を洗い流す事なく四十一℃のお湯に入れた。普段この時期に親子が入るお湯より二℃ほど高い湯温だが、そうでないとやはり出るお金が少なくなると愛はぼやいた。しかし、やはり裕子の顔と声は全く曇っていない。本当は八分ほど放っておいてもいいんだけど、今回は裕子に教えなければいけないから仕方がないわねと言いながら愛は心底退屈そうに棒を眺めた。

 八分後、愛は棒を普段の倍近い丁寧さでゆっくりとお湯からすくい上げ、そして石鹸と新鮮な湯を含ませたタオルで洗い始めた。だがその動きは極めてスローであり丁重と言うより悠長で、どちらかと言うと意図的な遅延行為だった。そしてその顔はこれまでにもまして苦々しかった。

「お母さんどうしたの、何か悪い物でも食べたの」

「いいえ全然、これぐらい今やってる事は辛い事なのよ。あんた本気でやるの」

「うん…………」

 裕子の声の低さにしめたとばかりに顔を覗き込んだ愛の期待は、首を派手に傾げている裕子を見て一瞬でしぼんだ。嫌悪の念が浮かんでいるのであればここでもうやめようと言って終わらせてしまう事も出来たが、今の裕子の顔に浮かんでいたのは自分の顔と言葉に対する疑念ばかりだった。

「わかったわ、でもあまり乱暴にやるとお金の出が悪くなるからね」

「うん!」

 もし娘がこのまま成長してしまったら嬉々としてこの棒を洗うのだろうか。その光景を想像するだけで愛の手は止まってしまい、その度に裕子にどうしたのと心配されてやむなく手を動かす。

「ああ終わった、って訳じゃないのよね。この後は一緒に抱き合って、一緒にお休みするの」

「うん、じゃあ私が」

「ダメよ、これはお母さんがやらなきゃいけないの、どうしてもやりたいんならば十年待ちなさいね」

「はい!」

 何から何まで素直で、一切の憂いがない。どうしてこんなににこにこしていられるのか。この棒の為に一体どれだけの家族が崩壊して来たのか、今度たっぷりと聞かせてやらなければいけないと愛は確信した。もっとも、具体的にどういう風にこの棒たちが家族を壊して来たのかは愛も知らない。親にはこれがあるとみんな働かずに怠けてしまうからと言われていたし自分でもそう思っているが、それだけにしては裕子の執着は説明できない。今度の休日は図書館に行かなければならない、行ってこの棒が具体的にどう家庭を滅ぼしたのか調べなければならないと言う思いを、愛は全然尊敬などしていない棒と一緒に抱え込みながら全く生気のない顔で床に付いた。


「かつて、一本の棒があった。その棒は振られる度に食糧から家の材料からありとあらゆる物、生活にとって必要不可欠な物の全てを生み出した。王様はその棒を振って出た様々な物を皆に分け与え、この国は平和に過ごしていた。

 だがある時、邪心が芽生えた一人の人間が皆を扇動し、棒を奪おうとした。王様は必死に戦い数多の犠牲者を出しながら扇動者を倒したが、その際に棒も失われてしまった。そこで王様は先祖がかつて棒を手に入れたと言う地に部隊を派遣し、やがて棒の大元となった伝説の大樹より一本の棒を持って帰らせた。これにより再び国は繁栄した。しかしこの時、また別のよからぬ心を抱いた輩が棒の大元を知ってしまった。その輩は極めて用心深く、そしてかつ周到なやり方で大樹の場所を子孫に教えた。

 やがてほとぼりが覚めたのを見極めたその輩の末裔は大樹へと向かい、欲望の赴くままに大樹を切りまくって棒を作った。その上卑怯極まる事に、子孫たちはそれきり二度と顔を合わせる事なく各地へと散らばり、そして棒の力で好き勝手に物を生み出し、その財をもって繁栄した。だがその者たちの欲望が尽きる事はなく、ついには末裔たちが棒を求めて戦争を始めてしまった。その傲慢な態度に怒り狂った大樹は、人間が勝手に決めた貨幣と言う物体以外出ない様にした。貨幣では腹は膨れず、そして棒に頼り切っていたため自らの力で食糧を生み出す事もできない人間たちは食糧を求めて殺し合い、そして最終的には全て滅んだ。その後も棒は残っていたが、所詮貨幣を生み出す事しかできなかった棒の価値はどんどんと下落し、そしてそれでもなお残っていたその力に溺れて転落した人間が現れた事によりゆっくりと消されて行った」


きわめてあいまいな、かつてと言う単語で片付けられるぐらい古い時代の話。こんな話で裕子を納得させる事が出来るのか。それに何より、戦争と言う名の殺し合いが事細かに描かれているのが気に喰わなかった。言うまでもなくR18指定されているこの本には、血が飛び、骨が折れ、首が飛ぶと言う苛烈な描写がされ、また相手に勝つ事しか考えていない非道な策が並んでいる。七歳の裕子にこんなおどろおどろしい話を見せてよいのだろうか。あるいは最悪の場合昔からの財宝がうちの家には残っているんだねとますます浮かれ上がるかもしれない、そうなったらほぼ絶望だった。

「えーと、この戦争って部分は削らないと…でもそうしないとどうして棒を巡ってみんな不幸になったかって部分が…」

 棒に関しての資料が本当に他に見つからなかった以上どうしようもないが、だからと言って裕子が夏休みに入ったのをいい事に会子の子守を押し付けて一日かけて図書館まで来た以上、手ぶらでは帰れない。とは言え中学校卒業後ずっとシェフを目指して修行を積んで来て童話以上の本など一冊も読んだ事もない愛にとって、娘と言う別の人間に己が思案を伝えると言う目的を達成するための新たな話を作り上げるのは無理な相談であり、ましてや一冊の本を読み切った上での数十分でそれをするなどとても不可能だった。かと言って家に持って帰って裕子に読まれたり会子に汚されたりする訳にも行かなかった。

「えーと、そのね、つまりね、棒のせいで昔みんなたくさんの人が死んじゃってね、それで、だから」

「どうしてたくさんの人が死んじゃったの?と言うかママ、ねえどうしてそんなに慌ててるの?お水飲んだ方がいいよ」

「ほら、振るだけでお金が手に入る棒なんてみんな欲しがるに決まってるでしょ。それを私にちょうだい私にちょうだいってみんなが争って……」

「もう飽きたよー、ねえお母さん疲れてるならば休んだ方がいいよ。私晩御飯ちょっとぐらいなら我慢できるから」

 結局何の考えもまとまらないまま帰宅した愛は裕子に棒の危険さを伝えようとしたが、しどろもどろの極みの様な物言いの果てに裕子に伝わったのは自分の苦しみと焦燥ばかりで、肝心の棒の害悪と言う点においては聞き飽きたの一言で流されてしまった。

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