第三章  火薬庫は夜に歩く

「準備はいいか」

「はい」

 吹きすさぶ風に体を揺らされながら、夜闇の中、フィリスは隣の叢司そうじに短く頷く。

 時刻は二十三時。すでにまともな人間は家に帰っている時間だ。表に出ている者は、夜遊びをしているか、残業を強いられているか、後ろ暗いことをしているかの三択である。フィリスたちは、後ろ暗い残業をするタイプだった。

「風がやや強いですが、支障はありません。補正をきかせれば大丈夫でしょう」

「頼むぞ。味方への誤爆は避けたい。グリードなら当ててもいいけど」

「はい。叢司以外には当てないよう努力します」

 噛み合わない会話をしつつ、風でまくれあがりそうになるメイド服のスカートを手で押さえる。別に叢司に見られて困ることもなかったが、気分的な問題だ。

 碧の義眼を暗視モードで動作させ、眼下の光景を見渡す。

 そこに広がるのは、雑多な建築物の群れだった。大小様々な建物が、隙間を恐れるかのごとく敷き詰められている。そのほとんどは倉庫として利用されており、幹線道路に程近い区画には、大企業の物資倉庫も設置されていた。

 ブレング刑事の情報によると、問題のマフィアはここ数日、この倉庫街にて武器弾薬などを堂々と集めているとのことだった。

 明確な証拠と情報を市警も掴んではいるのだが、聖制会からの圧力のおかげで、まともに動くことはできない。大手を振って違法武器を所持している彼らを、警察は黙ってみていることしかできなかった。

 だが、それも今日で終わる。

 現在、ブレングたちは複数の課をまたいだ大規模な包囲網を構築し、この倉庫街を取り囲んでいる。アルベルシアが聖制会からの圧力を抑え込んだことで、市警の上層部が身軽になったためだ。彼らも現場からの突き上げにかなり参っていたようで、利権の海で泳ぐと揶揄されるロルグォンツ市警上層部にしては、異例の速度で許可が下りた。

 叢司が暗視式双眼鏡から目を離し、フィリスを振り返る。強風に揺れるボロ屋根の上という不安定な足場に腰を下ろしながら、彼は微動だにしていなかった。

「いいか、フィリス。今回の俺たちの仕事は先制打撃と、逃げる敵の掃討だ。最初の一撃を食らわせたら、後は移動し、監視に徹する。ノアの手掛かりを持つ者は死に物狂いで逃げにかかるだろうから、気を抜くなよ」

(……ノア、ですか)

《ノア》の名前に、胸が軋む。

 だがフィリスはその痛みをおくびにも出さず、小首を傾げてみせた。

「分かっています。しかし叢司はともかく、私は前戦に出たほうが良かったのでは?」

 叢司たちが陣取っているのは、最前線から数キロ離れた地点だ。戦闘力が最も高い二人が、最も戦闘が激しい場所から遠いというのは、何かしっくりこない。

 ちなみにグリードは聖制会からの協力者という名目で、ブレングたちと前線に出ている。サーシャは警察車両の中で情報を精査し、《ノア》の手掛かりを探る手筈になっていた。

 叢司は傍らに置いてあった缶コーヒーを一口すする。

「警察の面子メンツも考えてやれ。お前が隣でバリバリ銃刀法違反しているのを容認するわけにはいかんだろ。俺たちはあくまで、『どこからともなく飛んできた正体不明のミサイル』と『たまたま通りがかった名前も分からない協力者』に徹するんだ」

「ふう……小さい人間ですね、叢司は。この短小。三センチ」

「そんなに小さくねえよ! 平均くらいだよ!」

「きゃーセクハラー」

 無表情のまま身をくねらせる。叢司は疲れたような表情で肩を落とし、遠くの景色に視線を移した。そして、

「……緊張でもしているのか?」

「えっ」

 突然放たれた優しい声に、フィリスの心臓が跳ね上がった。

 フィリスは答えることもできず、ただ黙り込む。まるで自分の痛みを見透かされたかのような彼の言葉に、何と言えばいいのか分からなかった。

 叢司も、無理に返事を促そうとはしなかった。前を向いたまま、無言で缶コーヒーをすするだけだ。ただ横暴な風の行軍だけが、鼓膜を気紛れに叩き続ける。

 ややあって、フィリスは叢司の隣に腰を下ろした。

 彼と同じ方向を見て、いつになく小さい声で叢司に尋ねる。

「……どうして、そう思うのですか」

「さっきから俺の方をチラチラ見て、頬を染めて熱い吐息を漏らしているから」

「後半絶対違いますよね。叢司は目と耳の医者に行ったほうがいいですよ。いっそ人工品に変えてもらいましょうか?」

 真面目な空気に思い切り泥水をぶっ掛けた叢司を、フィリスはジト目で睨む。だが彼は、悪びれもせずにただ笑うだけだ。

 肩の力が抜けたフィリスは、素直に白状することにした。

「まあ……そんなものです。ちょっといつもと違います。緊張というわけではないのですが、では何なのかというと、それも上手く言えません」

「そうか。まあ、気にするな。何かあっても大抵、俺が何とかしてきただろう」

 頭を軽くなでられる。

 出会った最初の頃、叢司はよくこうしてくれた。自分が感情を上手く表に出せずとも、彼は不思議とこちらの不安や恐怖を察して、大丈夫だと頭をなでてくれた。

 だからフィリスは、叢司の手が好きだ。大きくて、いつも自分を安心させてくれる。

「……叢司はお気楽でいいですね」

 上擦りそうになる声をどうにか正常に保ち、フィリスはやれやれと首を振る。ついでに叢司が飲んでいたコーヒーを奪い取って、残りを全て飲み干した。「ああああっ!?」という叢司の悲鳴が耳に心地よい。

「何となく大丈夫になりました。では始めましょうか、叢司。もうそろそろ時間です」

「あーそうだな。とっととやれよ」

 拗ねる叢司に小さく笑い、フィリスは立ち上がる。

 メイド服の肩口にある神導連結を解除し、袖を外す。それが風で飛ばされぬうちに《賢者の心臓》内部の異空間に収納。遮るものがなくなったところで両手両足を大きく広げ、自らの真なる姿を呼び起こす。

「生体義肢、送還。続けて召喚及び換装。出でよ我が腕、我が脚。聖骸衣 《咎人とがびとの腕》、く我が呼び声にこたえるべし」

 フィリスの命に従って生体義肢が夜闇に溶け消え、代わりに次元の狭間から現れた巨大で凶悪なシルエットが彼女の手足に接続される。

 それは、尋常ならぬ巨大さの『腕』と『足』であった。

 サイズは元の手足の三倍以上もあるだろうか。現れた『腕』と『足』は根本から爪先までが一部の隙間もなく装甲で覆われ、無骨な威容をさらしている。まるで四肢だけが機械仕掛けの巨獣に置き換えられたかのようだ。表面装甲は無論のこと、関節部にも緻密な神導刻印が施されており、執拗なまでに防御力を追及していることがうかがえた。

 戦闘用義肢型聖骸衣 《咎人の腕》。

 近距離戦闘用として開発されたフィリス専用の聖骸衣だ。重厚な見た目に違わずその装甲は規格外の強度を誇り、対戦車ミサイルの直撃にも傷一つつかない。代償として重量も規格外なものになっているが、《聖者の心臓》を持つフィリスならば造作もなく扱うことができた。

 いわばフィリスの本気モードであり、人間を要塞たらしめる武具にして防具。それが、この《咎人の腕》であった。

「神経接続完了。同期率九八パーセント。異常反応ゼロ。どこかの誰かと違って、この子は素直で助かります」

「そりゃそうだろうよ。自分自身の腕が材料なんだから、相性が悪いはずがない」

 金属製の巨腕をコツコツと叩く。

 神導聖制会はかつて、フィリスの『元の手足』を素材としてこの聖骸衣を製造した。それを叢司が奪取し、ベーコンが改造を施して、今の形へと昇華させたのだ。相性が良いのは当然のことと言えた。

 続いてフィリスは対戦車擲弾砲を複数召喚。ボロ屋根の上に突き刺して保持する。フィリス自身の重みと火器の重量で、屋根が末期的な悲鳴を上げた。

「では行きます。叢司、足場の補強をお願いします」

「もうやってる。でなきゃお前は手足の重さで落下済みだ。気にせず派手にぶっ飛ばせ」

「あいさー」

 歩く火薬庫はウキウキとして得物を手に取る。

 両手に一丁ずつ構え、目標を照準内センターに。瞳孔を収縮させて生体義眼を望遠モードに調整。物理法則に干渉し、神導を構築。弾頭の貧弱な誘導制御能力を、付与した神導によって補う。進路クリア、風向き補正完了。誘導式、発動。最後に発射。

 深夜の倉庫街に、危険な花火が撃ちあがった。


「ブレング、後方噴射炎バックブラストが見えたぞ!」

「来るぞ! 下がれ下がれ! そこだと巻き添えを食らう! もっと――」

 誰かが発した注意は、爆発の大音声でかき消された。

 続いて二発、三発、四発。合計十六発がぶち込まれたところで、ようやく音が止まる。

 耳を押さえてなお貫通してきた爆音に顔をしかめながら、ブレングは目標となっていた倉庫の外壁を見た。

 予定どおりだ。五棟ある倉庫の外壁は全て崩れ、いつでも突入が可能。外にこれ見よがしに置かれていた車載火器類も、あの物騒なメイドの砲撃によって跡形もなく消し飛んでいる。倉庫内に予備があったとしても、室内ではろくな火器が使えまい。副産物として小規模な火災も発生していたが、それは後方で待機している消防の仕事だ。

 指令車両の外で状況を見守っていたブレングは、通信機を歯に当たるほど密着させ、思い切り怒鳴り散らした。

「よぉーし! お前ら、突入だ! ガンガン突っ込んで、全員確保しろ! 遠慮はいらねえぞ! 警察舐めたらどうなるか、思い知らせてやれ!」

『おおおおおおおおっ!』

 返ってくるのは、山のような怒号。皆、ドローテ・ファミリーの連中に対して怒りを溜め込んできたのだ。ここで思い切り発散してもらおう。

 車両に背を預けるブレングの目の前で、特殊部隊員が先陣を切って突撃していった。続いて装甲車両が壁の大穴から入り込み、歩兵を援護する。中にいた見張り番の組員があっという間に組み伏せられ、目を白黒させているのが微かに見えた。

「始まったようだな」

 太い笑みを浮かべるブレングに、長身の聖騎士が声をかけた。

 グリードだ。彼は爆風の余韻に白皙の髪を揺らしながら、ざわめきが波打つ倉庫の方へとその顔を向けた。照明と火の粉が端整な横顔を照らし、実に絵になる。

「相変わらず派手な連中だ。だが、結果は出ているか」

「おうよ。連中も思う存分やってくれたが、ここまでだぜ。包囲網は二重三重に敷いてあるし、逃げようがねえ」

 得意げに語るブレングだが、グリードは鋭い眼光を倉庫へと向けたままだ。

 聖騎士は腰に下げた銀の拳銃をなで、

「それで、本当に今夜が『当たり』なのだろうな」

「ああ、間違いない。潜入した奴からの情報だ」

 尻ポケットにしまってある書類を、ばんばんと叩く。が、紙の感触がない。慌てて周りを見回すと、地面に丸めた紙束が転がっていた。ブレングはそれを、急いで拾う。

 顔を上げると、とてもとても渋い顔のグリードと目があった。

「……非常に不安になったのだが」

「ま、まあ、大丈夫だって。今夜は神導聖制会の協力者とドローテ・ファミリーの幹部がここで落ち合って、火器弾薬の取引をすることになってるはずだ。そこを叩けば、俺らもあんたらもそろってお得。そういう話だったろ?」

「情報が本当であればな。……ここまで来て疑うつもりは、あまりないが」

 できれば内部を探ってから突入したかったが、とグリードは嘆息する。

 実を言うと、それはブレングも同じだった。いかに確実な情報を掴んでいるとはいえ、非合法スレスレの強硬手段を取るのはリスクが高い。だが、神導聖制会が来るということでドローテ・ファミリーが警備を強化したので、このような手段を取らざるを得なかった。

 ブレングはくしゃくしゃになった紙を再び尻ポケットに突っ込み、

「仕方ねえだろ。本当はもっと緩くて良い機会があったけど、そこに間に合わなかったんだし。司聖卿が圧力かけてくれるの、もうちょっと早ければなあ」

「猊下にも事情はあるのだ。人手も足りん。私が向こうにいたのならば、間に合わせることもできたのだろうが……」

 何か思うところがあるのか、グリードは夜の深淵に目を移す。

 小さく爆発音が聞こえた。続いて銃撃の音。どこかの棟で、応戦が始まったらしい。

 物騒なBGMを背後に、ブレングは聖騎士の肩を軽く叩いた。

「どっちにしろ、もうやっちまったんだ。結果は後で分かるさ。多分、大丈夫だって」

「そう願おう。それで、敵の抵抗が激しい棟は分かるか?」

「あーっと、ちょっと待ってろ」

 そういえば、突撃部隊のフォローを忘れていた。通信機といくつかのやり取りを交わし、ブレングはグリードに向き直った。

「三号棟がちょっと危険らしい。小銃と手榴弾、あと聖骸衣があるとか」

「分かった、私はそちらに向かおう。鎮圧し次第、隣へ援護に回る。それでよろしいか?」

「ああ、頼む。神導聖制会の聖騎士様が味方だと心強いぜ」

 機嫌よく笑うブレングに、グリードは曖昧な笑みで返した。警察車両が倉庫へと向け直したライトが横合いから光を放ち、彼の顔に陰影を刻む。

「敵も神導聖制会の所属なので、少々、複雑だがな……。それより、後は頼むぞ。二神叢司も後方に控えているが、この場で取り押さえられるに越したことはない」

「ああ、分かってるって。俺らもここで成果を上げないとまずいんだ」

 冗談のようだが、これは本当だった。上の連中を半ば脅して通した計画だ。何の成果も得られませんでした、では到底済まない。ドローテ・ファミリーへの怒りもあるが、保身への熱情も、捜査員たちを駆り立てる原動力となっていた。

 保管してある火薬に引火したか、またひとつ、どこかで爆音が轟く。

 眠れる倉庫街を襲った怒号と悲鳴の嵐は、一段と強くなりつつあった。


「フィリス、目立つ移動熱源は見られるか?」

「いえ、あまり。市警の動きが、思った以上に見事ですね。泥臭くはありますが、確実な包囲網で敵を逃がさないようにしています」

「ブレングはああ見えて有能だ。やる時はやる」

 移動途中に自販機で買った缶コーヒーを飲みつつ、叢司は双眼鏡で目を凝らす。

 ブレングたちロルグォンツ市警の突入から、すでに十数分が経過している。その間に叢司たちはミサイル発射地点から移動し、想定逃走ルートのいずれをも捉えることが可能な場所へと陣取っていた。

 屋根の上にもかかわらず、フィリスは呼び出した大砲を横にして、その上に腰掛けている。《咎人の腕》の脚部が大きすぎて、まともに座れないからだ。神導で強化したはずの屋根は、先程からギシギシと不安を煽る音を立てている。

「叢司、私にもそのコーヒー下さい。あーん」

「自分で飲め、ほら。その手でも神導を使えば持てるだろ」

「面倒だから嫌です」

 なら飲むなと、叢司は残りを一気に喉に流し込んだ。「ああっ」というフィリスの悲鳴が耳に心地よい。ざまあ。

 空き缶を下界に投げ捨てて、叢司は大きく伸びをする。

「さすがにそろそろ出てこないと、逃げられなくなる頃合だな。聖制会との会合ってネタはガセか? それとも一時的に関係ない倉庫に潜伏して、後で脱出する算段か?」

「どうでしょう。市警はローラー作戦も辞さない覚悟だったようなので、それでも見つかるとは思いますが。最悪、すでに尻尾切りが終わっている可能性もありますね」

「聖制会があれだけ圧力をかけてたんだ。何もないとは思いたくないが……」

 とはいえフィリスの言うとおり、神導聖制会がすでにマフィアを見限り、有力な手掛かりを引き上げている可能性は無視できない。このまま何事もなければ、ブレングたちを無料で手伝っただけになってしまいそうだ。

 嫌な方向に捻じ曲がっていく思考が、叢司の眉間にストレスをかける。

 だがその時、倉庫の一角で爆発音とは異なる轟音がこだました。

「なんだ?」

「大型車両です。警察車両のバリケードを突破しようとしています。あ、ぶち破りました」

 瞳を望遠モードにしたフィリスの指示に従い、双眼鏡で座標を追う。すると彼女の言うとおり、狭い道を爆走する数台の大型トラックの姿があった。どこかで見た光景である。

「あれが本命か? 聖制会の車両にしては、俗っぽすぎるが」

「陽動の可能性もありますが、このまま逃げ切りそうですね。押さえないわけにもいかないかと思います。わざわざ逃がすことはないでしょう」

「そうだな……俺らで対処して、警察には周囲の警戒に人を割いてもらうか」

 叢司は神導式の通信機を取り出し、ブレングに連絡を取る。どうせグリードは交戦中だろう。指揮車の近くにいるであろう中年刑事の方が、全体を把握しているはずだ。

 ほどなくして、焦った様子のブレングが通話口の向こうに現れた。

『おお、叢司か! 今逃げてる野郎が見えるか!?』

「ああ、ばっちり。陽動か本命かは分からないけど、どっちだと思う?」

『知らねえ! けど逃がすわけにゃいかねえだろ! とっ捕まえてくれ! それに乗じて逃げようとする連中は、こっちで何とかするから!』

「あー、へいへい。責任持てよ。本命に逃げられたら洒落にならん」

『任せろ! 泥臭い方は得意だ! なにせ下水にまで監視を配置してあるからな! じゃ、そいつは頼んだ――』

 怒鳴りつけるような懇願を叩きつけると、通信はいきなり切れた。切ったのか切れたのか、微妙な終わり方だった。やけに雑音ノイズも混ざっていたし、通信妨害ジャミングでもかけられているのかもしれない。そんな施設は周辺にないのだが。

 通信機を眺めていると、なんちゃってメイドがこちらを覗き込んできた。

「どうします? 歓迎のパーティーを始めますか?」

「ああ、派手に行こう。まずは砲撃を頼む。俺は先行して待ち伏せする」

「あいさー」

 腰掛代わりにしていた大砲を担ぎ直すと、フィリスは屋根から屋根へと跳躍する。射撃に適した地点を確保するためだ。その間に叢司も移動し、トラックの進路上へと人外の速度で先回りする。天位体の神導なら、身体能力を倍化させることも容易だ。

 トラックを肉眼で確認できる距離まで移動したところで、遠く、フィリスの向かった方向から発射音が聞こえた。

 対戦車ミサイルが光の尾を引いて、四台の大型車両に雨霰と降り注ぐ。

 轟音に次ぐ轟音、閃光に次ぐ閃光。

 並みの建築物なら、跡形もなく灰燼に帰するだけの破壊力だ。だが、そんな暴力的な火力を受けてなお、大型車の群れは速度を落とさず走り続けた。

 神導だ。防性障壁が車両の周囲に展開し、直撃を防いでいる。壊れているのは、巻き込まれた周囲の倉庫だけである。

「大当たりか。さすが俺、日頃の行いが良いおかげだな」

 唇を舐めて湿らせる。

 ミサイルによる被害を防ぐほどの神導となると、術者が天位体である確率が高い。聖骸衣が存在している可能性も濃厚だ。そこらのマフィア程度では持ち得ない武装。十中八九、神導聖制会の関係者と見るべきだろう。

「フィリス、続けろ。障壁の組成はそこまで緻密でもない」

『杜撰ということですか。叢司と似ていますね。破壊意欲が湧いてきました』

 通信機の向こうで不気味に明るい声を上げ、フィリスは執拗に砲撃を続ける。

 車両群は障壁に守られながら路地を猛スピードで駆け抜けていたが、それでも四方八方からの爆風と、爆発で崩れた建物の瓦礫を、全て防ぎきることはできなかった。途中で一台が横転し、一台が崩れたコンテナの下敷きになる。そしてもう一台は地面に開いた大穴にはまって身動きが取れなくなり、叢司の元まで来る頃には、トラックは最後の一車だけとなっていた。

「砲撃を止めろ、フィリス。さくっと制圧を試みる」

 それが本体かと狙いを定めた叢司は屋根を蹴って空を飛び、トラックに強襲をかける。

 運転席を破壊すれば、さすがに走行は止まるはず。後は煮るなり焼くなり、適当に料理すれば良い。そのためには叢司自らが直接攻撃するのが、最も確実かつ手っ取り早い。

 だが宙を飛んだまさにその時、叢司はトラックの運転席の上、つまりは屋根に、一人の人影があることに気付いた。

 圧縮・硬化させた空気を蹴って、無理矢理に進路を変更。一回転して叢司は、トラックの荷台の上に着地する。振動が、ただでさえ不安定な車体を大きく揺らした。

 嵐に浮かぶ小船のごとく揺れる大地の上で、叢司は人影と対峙する。

「おやおやおやおや。またまたお会いしましたね、絶対者」

「ああ、嬉しいね。神のお導きってやつだな」

「まさにまさに。これもまた運命ということでしょう」

 大仰に頷き、人影は天を仰ぐ。

 夜闇に紛れるように立っていたのは、黒ずくめの歪んだ神父――ナハトであった。

 先手必勝。叢司は肉厚のダガーを取り出すと、それ以上の言葉もなく狂信者へと斬りかかる。ナハトもまた荷台に乗り移り、燭台型の短剣を持って迎撃に出た。

 叢司のダガーとナハトの短剣が、不安定な足場の上で噛み合う。

 重心を巧みに移動させながら、叢司は連続で鋭い斬撃を見舞う。だがナハトもそれをことごとく受け流し、逆に反撃の刃を繰り出した。危険に光る燭台をダガーで受け止め、

「くっ!?」

 力負けはしていないはずなのに、何故か押し負ける。

 叢司は流れに逆らわず、上半身を捻るようにして逸らす。同時にスライディングよろしく足払い。だがナハトはこれを小ジャンプで回避し、体重を乗せた突きを、地に這う叢司目掛けて繰り出す。

「さあ、神の御許に行――」

「あと五十年くらい経ったらな!」

 背中を完全に荷台に預け、腹筋背筋をフル稼働させてカウンターの両足蹴りを放つ。

 ナハトの腕の長さを、叢司の足がリーチで上回った。脚部に鈍い衝撃。ナハトの鳩尾に吸い込まれた蹴りは、惨い音を立てて、彼を運転席付近まで吹き飛ばした。

 神父が辛うじて足から着地する間に、叢司も再び立ち上がる。

「惜しいな、落ちなかったか」

「神は仰っています。まだ落ちる運命ではないと」

 トラックが急旋回し、荷台が激しく傾く。

 だが二人の天位体は、それを利用して、崩れていた体勢を回復させた。神導ではなく、体術による動き。両者とも単なる天位体ではなく、優れた武人でもあるということの証であった。

 叢司はナハトから目を逸らさず、視界だけを歪曲してダガーの様子を確認する。

 ダガーの刃は大きく削れ、虫食い状になっていた。まるで何十年も使ったかのように、周辺部位もボロボロになっている。刃毀はこぼれではない。ベーコン特製の品なので、不良品ということもないはず。だとすれば、原因は――

「腐蝕……それがお前の聖骸衣が持つ能力か」

 叢司の指摘に、ナハトが満足げに頷いた。

「いかにも。私の聖骸衣 《毒火ギフト》は、接触物の腐蝕を誘発します。生体に対しても有効ですので、注意された方が良いかと。ああ、絶対者には効かないかもしれませんが」

「なあ、前から思ってたけど、俺の二つ名はどこから出てきたんだ? 恥ずかしいから止めてもらいたいんだが」

「聖制会の目録データベースに載っています。司聖卿会議で三時間以上かけて決定されたと聞きました。変更は全会一致でなければ不可能ですねぇ」

 おい、どこに労力使ってるんだ。もっと重要な問題があるんじゃないのかお前ら。

 心の叫びを飲み込み、叢司はダガーを投げ捨てた。代わりに腰から、新たな得物を引き抜く。

 それは、一振りのつかだった。

 刃のない、黒い柄だ。曇りのない漆黒は光を飲み込み、闇色に染まっている。滑らかな輪郭はどこか骨にも似ていて、見る者に生物的な印象を与えた。底部には刀の柄に似つかわしくない近代的な弾倉マガジンがはめ込まれ、銃と同じ構造であることを示していた。

「見せてやろう、聖骸衣 《紅烏べにがらす》の切れ味を」

 叢司が柄を一振りすると、滑り出るようにして深淵から真紅の刀身が現れた。

 微妙に反り返っているのは、日本刀を模した故であろうか。夜闇の中でもなお美しく輝く紅い刃は、柄と同様、どこか生物的な印象を漂わせている。

 叢司の聖骸衣を見たナハトが、感激の涙をこぼしながら天に向かって叫んだ。

「おおお、それが噂に聞く《紅烏》ですか! 絶対者の肋骨を用いて生成し、その血をもってあらゆる物体を貫く刃とする聖骸衣! なんという神々しさでしょう! 神導をも切り伏せると聞いていますが、あながち嘘でもなさそうですね!」

「何でそんな詳しく知ってるんだよ! ストーカーかお前は!」

「神導聖制会の目録は万能なのです! 何なら貴方のスリーサイズでも――」

 叢司は無言で斬りかかった。

 荷台すれすれに刃の切っ先を這わせて、低空突撃。ナハトも前に出て、迎撃に向かう。

 二つの刃が激突――しなかった。

 叢司の《紅烏》はナハトの聖骸衣をあっさり切断。返す刃で、狂神父の右腕を飴細工のように斬り飛ばした。闇夜でも分かるほどに真っ赤な血を流し、神父の右腕が地面へと落下。路上に置き去りにされ、あっという間に彼方へと消える。

 そのままナハトの首を狙う叢司。《紅烏》の血刃が風を切り、神父の首筋に迫る。

 それを阻止したのは、突如として荷台から生えた巨大な爪だった。

(なんだっ!?)

 鋼鉄製の爪が屋根を破って出現し、叢司の胸元を狙う。

 叢司はすんでのところで軌道を変え、死神の腕を回避。コートの表面を爪が走り、摩擦で大気が焦げる。

 同時にトラックは正面の倉庫に突っ込み、壁を破壊して中へと入り込んだ。

 これまでにない衝撃が車両全体を襲い、たまらず叢司も振り落とされる。無理な姿勢だったために受身を取ることもできず、彼はそのまま床へと投げ出された。

「ちっ!」

 回転しながら、頭を守って着地。体勢を整え、状況を把握する。

 幸いにも空き倉庫だったようで、中にはフットサルくらいはできそうな空間が広がっていた。視界が悪いのは、僅かに残っていた荷物をトラックが破壊したせいか。小麦粉な何かだと思われる白い粉がそこら中を舞っている。

 それのせいでもなかろうが、通信は死んでいた。元々、電波状態が悪かったというのもある。フィリスからの連絡は聞こえない。

 トラック自体は反対側の壁にめり込み、そこで停車していた。

 さすがに二連続で壁をぶち破ることはできなかったらしい。車体の上には大型の作業機械が倒れ込んできており、車の動きを封じていた。片手を失ったナハトは地上に降りて、荷台を開けようと操作している。

(逃げるつもりか? 思いどおりにいかせるか)

 握ったままの《紅烏》を構えて、叢司は疾風のごとく走り出す。

 この距離であれば、ナハトが回避するよりも自分が奴を貫く方が早い。そして防御は、この二神叢司と《紅烏》の前では無意味。かの神父に死以外の未来はない。

 あと十メートル。五メートル。三メートル。

 そこまで迫った時、叢司の体に恐ろしい圧力が加わった。

「なっ!?」

 見えない手で全身を引っ張られたかのように、叢司は床へと叩きつけられる。

 体が動かない。血管の中に鉛を詰め込まれたかのようだ。おそらくは限定的な重力場に囚われたのだろう。あまりの超重量にコンクリートの床はひび割れ、体がめり込み始めている。

 最強の天位体である叢司をも跪かせる、圧倒的な神導。

 こんなふざけた芸当ができるのは――

「ふむ、さすがに私の奥の手を受ければ、絶対者といえどただでは済まないようだね」

 運転席の反対側から、物静かな声が響く。

 姿を現したのは、初老の男だった。特徴的な鷲鼻に、彫りの深い顔立ちをしている。瞳には深い知性の光と野心に満ちた炎が宿り、年齢による衰えを微塵も感じさせない。

 彼の顔を見た瞬間、叢司の心臓が音を立てて鳴った。

「ギベニウスっ……!」

「正解だ。お会いできて光栄だよ、二神叢司君」

 ニコリともせず、ギベニウス司聖卿は這いつくばる叢司を見据えた。

 教義の関係上、神導聖制会の司聖卿は例外なく強力な天位体である。さすがに叢司には及ばないものの、並みの天位体よりは遥かに神性濃度が高い者たちだ。聖骸衣の補助を用いれば、この程度の神導を扱うことは造作もない。

 全身を襲う重圧に吐き気を催しながら、叢司は禍々しい喜びを感じていた。

 本物だ。

 この神導、この胆力。間違いなく、本物の司聖卿だ。

 ナハトなどの雑兵とは違う。神導聖制会の根幹に携わる最高幹部だ。ノアに至る、決定的な手掛かりの持ち主だ。

 五年近くも追い求め続けたノアの手掛かりを目の当たりにし、叢司は凄絶な笑みを浮かべた。

「やっと見つけたぞ……クソ野郎がっ……!」

 四肢に全身全霊を注ぎこみ、立ち上がる。骨と関節が悲鳴を上げるが、気合で無視。痛みもあったが、過剰分泌されたアドレナリンが打ち消してくれる。

 全身を軋ませながら、叢司はゆらりと、幽鬼のように立ち上がった。

「教えて、もらおうか……ノアの、居場所をっ!」

 血を吐く叫びが空を撃つ。

 叢司の気迫に、さしもの司聖卿も後ずさる。ナハトですら、どこか怯えを含んだ目でこちらを見ていた。それは叢司の獰猛な狂喜に対するものなのか、それとも常識を超えた、人外の存在に対するそれなのか――

 先に恐怖から立ち直ったのは、ギベニウスだった。

 小さく息をつき、司聖卿は畏怖と恐怖をもろともに吐き出した。

「……居場所、か。知ってはいるが、まだ教えるわけにはいかないのだ」

 鷲鼻わしばなの司聖卿が、指揮者のごとく手を振るう。

 その途端、叢司の体にかかる重圧が倍化し、彼を再び地面に縛りつけた。手足をついた箇所のコンクリートが破砕され、叢司の体を陥没させていく。彼はそれに必死で抗い、ギベニウスに射殺すような視線を向けた。もはや物理的圧力すら感じそうな、鬼の形相であった。

「ギ、ベ、ニ、ウ、スっ……!」

「若者よ、激情に身を任せるものではない。それは身の破滅を招くぞ。……ナハト」

「心得ております、猊下。ただいま準備を始めます」

 身動きの取れない叢司の目の前で、ナハトは懐から一本の小瓶を取り出す。

 神父は隻腕を器用に操って蓋を外すと、中身の液体を床に垂らして複雑な紋様を描いていった。ほどなくして円形の魔方陣が完成し、ギベニウスたちはその中心へと収まる。すると液体が鈍い光を放ち、周囲の空間を歪ませていった。

 神導。それもかなり強力なものだ。恐らくは液体そのものが聖骸衣なのだろう。

 輪郭を歪ませていくギベニウスに向かい、叢司は力の限りに叫ぶ。

「てめえ、逃げる気か!」

「そのとおり。今はまだ時期ではないのでね。君の相手は、また今度するとしよう」

「失礼します、『絶対者』二神叢司。――では猊下げいか、お出しします」

 狂神父が言い終えると同時、二人の姿は完全に時空の歪みに飲み込まれる。

 景色が元に戻った時、ギベニウスたちの姿は完全に消え去っていた。残されたのは、運転手を失ったトラックと床に記された魔方陣だけ。司聖卿と狂神父は、気配すら感じ取れぬほど遠くへと、その身を転移させていた。

 重力場から解放された叢司は、虚空を見上げてよろよろと立ち上がる。

 ――逃げられた。

 失意と絶望に満ちた現実が、叢司の全身に疲労となってのしかかる。

 聖骸衣を使って空間移動などされては、警察による包囲網も意味をなさない。今頃、奴らは追跡の届かない場所へ悠々と逃げおおせていることだろう。探し求めてきた『彼女』の姿は、ただの一瞬で、煙のように消えてしまった。

「くそっ……くそぉっ!」

 叫び、皮膚が破れるほど強く拳を握りしめる叢司。

 そんな彼の頭を、何者かが巨大な手で押さえつけた。

「伏せてください、叢司!」

 そのまま押し倒され、二人して床に転がる。

 ほぼ同時に、コンクリートの上に倒れ込んだ二人の頭上を、無数の弾丸が通り過ぎていった。銃撃音が脳と鼓膜を揺るがし、壁や床が穴だらけになっていく。床に描かれていた魔方陣も銃弾の嵐にさらされ、見るみるうちに破壊されていった。

 追撃が叢司たちを捉えるより先に、叢司の体が浮く。

 叢司を押し倒した何者かが、彼を担ぐようにして手近な物陰へと逃げ込んだのだ。背にした空コンテナに銃弾が当たり、耳障りな音を立てる。

 聞き慣れた鋼鉄の咆吼を耳にして、ようやく叢司は我を取り戻した。

 負の感情を意志力でねじ伏せ、現状の分析を速やかに行う。敵は残存。武装は十ミリから二十ミリの銃が複数。正体は不明。数も不明。初弾による負傷はなし。自力で逃げたのではない。助けてくれたのは――

「……フィリス。追ってきたのか」

「はい。建物の中に逃げ込まれては、さすがの私も狙撃不可能ですので」

 傍らに控えるメイド服の少女は、相変わらずの無表情で頷いた。

 どうやら彼女が、危ういところで叢司を助けてくれたらしい。さすがというか、なんというか、かなりギリギリのタイミングだった。お前狙っただろと言いたくなるほどだ。

「通信も途絶していましたし、待機は性に合いません。何より、駄目人間の叢司は、私がいないと寂しくて死んでしまいますので」

「お前な」

 ジト目で睨むが、反論はできない。実際、彼女が助けてくれなければ脳漿をぶちまけて死んでいた。

 叢司は少し恥ずかしそうに、そっぽを向いた。

「まあ……今回は助かった。借りにしておく」

 似合わない言葉に、フィリスは一瞬、きょとんとする。だがすぐに真面目な顔で、

「叢司。それは一体、どの程度のレベルまで命令できる権利でしょうか。例えば、緑一色のグランドキャニオンが見たいと――」

「ねーよ! 常識の範囲内で借り一つ分だ! 前みたいに『ピンク色でパンチパーマの自由の女神が見たいです』とか言われても知らんからな!」

「分かりました。では叢司に女の子になってもらう方向でひとつ」

「何言ってんの君!?」

 別種の身の危険を覚えつつも、叢司は神導を行使して、物陰に身を秘めたまま外の様子をうかがった。

 射撃は止んでいる。

 弾丸の出元は、ギベニウスが乗っていたトラックだった。荷台に穴が無数に開いて、煙が漂っている。そういえば、妙な爪も荷台から生えていたんだったといまさらながらに思い出す。

 警戒度を引き上げる叢司の前で、荷台の壁が内側から外される。

 重厚な機械音と共に中から現れたのは、三体の装甲機ドライヴズだった。

 装甲機――正式名称『強襲型装甲駆動機』は、主に大企業や国家の軍で用いられている、自律駆動型の無人兵器だ。

 一般的に全長は二メートル前後で、機械の脚部に蟹の体を乗せたような胴体を持つ。機体内部に高性能の深行炉を搭載しており、事前に蓄積された莫大な電力をもって最大十時間の連続稼動が可能。兵装は迫撃砲や機銃など多岐に渡り、積層装甲で防御面も完璧。唯一の欠点は、無人機であるが故に神導への対応能力を持たないことだ。

 この三体の装甲機は、見たところメーカー不明の試作機のようだった。

 標準的なローラー付二足歩行で、腕も二本。複腕型が流行っている今のご時勢には、やや珍しい。腰部と肩部に二五ミリ広角機銃、腕部分に近接格闘用の爪。加えて、背部バックパックに何かの武装を収納している。

 本格的すぎる敵の置き土産を見て、叢司は盛大に舌打ちした。

「装甲機を三体もそろえるとは、えらく評価してくれているな。感激して涙が出そうだ」

「そういうのは、あの変態神父とやってください。それよりあれ、どうするんです?」

「どうするったって、壊すしかないだろ。警察に任せられる代物じゃない」

《紅烏》の底部から弾倉を排出し、新たなものを再装填リロード。ギベニウスの重力場によって打ち消されていた緋色の刀身が、再び柄から生み出された。叢司は二度、三度と空気を斬って具合を確かめると、聖骸衣の刀を片手に飛び出す機会を窺った。

「援護しろ。神導で一気に決着をつける」

「了解。気をつけてください。私ほどではないにせよ、あの火力は脅威です」

「分かっている。行くぞ!」

 言うやいなや、叢司は凄まじい脚力で床を蹴り、宙に飛び出す。

 同時、物陰からフィリスも飛び出して手榴弾を投げつけた。閃光と爆音が轟き、視覚と聴覚を一時的に遮断する。その間に叢司は天井付近まで飛び上がり、

「落ちろ、人形が!」

《紅烏》を一閃して衝撃波を放つ。

 極限まで圧縮した空気を刃代わりとするこの神導は、一ナノ平方あたり五トンの圧力をかけて対象を切断する。最新型の複合装甲でも、この切断力を受け止めることは物理的に不可能だ。神性を持たず、神導を扱えない装甲機では、どう足掻こうとも防ぎようがない。

 その、はずだった。

「んだとっ!?」

 叢司とフィリスの目が、驚きに見開かれる。

 彼が放った不可視の刃は、装甲機の前方一メートルほどのところで見えない壁に阻まれるかのように弾かれ、そして消えた。

 空中の叢司へ、返礼とばかりに銃弾の雨が見舞われる。

 天井を蹴ってそれを回避し、叢司は大腿部から拳銃を取り出す。神導加工を施した銃弾が込められたそれは、チタニウム合金だろうが強化セラミックだろうが容易く貫く凶器だ。

 空中で三連射。

 だがそれも、装甲機の前方に発生した不可視の障壁によって阻まれた。硬質な音を立てて弾かれた弾丸が、跳弾となって床や壁にめり込む。ダメージを与えるどころか、傷つけることすらできていない。

 神導だ。敵は神導を用いて、防性障壁を構築している。

 叢司は射撃の反動を使って木箱の影に着地。だが、彼を追ってきた装甲機の機銃が、脆弱な木の板を木っ端微塵に粉砕した。叢司は防性障壁を発生させて自身への直撃を防ぐと、姿勢を低くして荷物の林を駆け抜けた。

「叢司、こちらです!」

 フィリスの声に導かれ、叢司は粉袋が積まれた山の裏手へと回る。機銃が袋に穴を穿ち、その度に白い粉が倉庫の中を舞った。

 叢司は息を整え、盛大に舌打ちする。

「神導を相殺されただと? 装甲機が神導を使えるってのか? そんな話、聞いたことがないぞ!」

 有り得ない現象に、思わず怒声が口をつく。

 神性を宿さないものは神導を扱えない。これは絶対普遍の真実であり、覆すことのできない法則だ。神性を宿すのが人間と聖骸衣だけである以上、金属と油で構成される装甲機が神導を操れる道理はどこにも存在しない。

 フィリスも驚いたようで、普段よりいくらか声が上擦っていた。

「神導、神導を付与した物理攻撃、単純な物理攻撃。これらのいずれも、連中は防ぐようです。防性障壁を任意に、指定した領域へ展開する能力を持っているようですね。防御しながら、障壁を一部解除しての射撃とかもしてきています」

「本当かよ……どんな原理なんだ。まさか、あれ自体が聖骸衣ってわけじゃないだろうし」

「さあ? 確かなのは、相当に強力な機構ギミックを積んでいるということですね。叢司の神導を無効化するなど、普通ではありません。天位体の私でも、《賢者の心臓》を使わないと無理なのですから」

 フィリスが舞い上がった粉に咳き込む。ここも長くはもたない。

 粉末が作る白煙に紛れて、叢司たちは再び移動。囲まれる前に後退して、トラックが穿った壁の穴から外に出た。粉っぽい空気に変わって、冷えた夜風が二人を出迎えてくれる。

「いいんですか、叢司? 広いと相手の方が有利ですよ」

「どのみち、接近戦には持ち込まないといけないだろ。相手がどんな原理で神導を使ってるのか知らんが、俺たちより早くスタミナ切れするとは思えない。遠距離で互いに防性障壁使ってジリ貧になるより、一気に攻め込んだ方がいい」

 叢司はフィリスと共に、錆びて放置されているコンテナの裏へと回りこむ。

 ほとんど同時に、倉庫から出てきた装甲機がコンテナ目掛けて機銃を乱射してきた。鉄板を易々と貫く弾丸の嵐を、フィリスが防性障壁を張って防ぎきる。

 その間に叢司は、懐から《紅烏》用の弾倉を取り出し、蓋を開けた。そして中に詰まっていた液体――自分の血に安定精錬を施した血漿けっしょう溶液を、コンテナの扉に降りかける。天位体の血と意思に反応し、錆びた鉄が神導の産物へと変質を遂げていく。

 十数秒も経つと、扉は人造ダイヤよりも硬い、擬似聖骸衣の壁となった。

「よし。これで五分くらいは盾になる」

「便利ですね。それだけ見ると聖別してる感じです。血が無加工で聖骸衣になる叢司にしかできない芸当ですね」

「神性が高すぎるんだよな、俺。聖制会的には世界最高の聖者らしいし、行い次第では司聖卿にもなれるとか。今のうちにゴマすっとくと良いことあるかもしれないぞ?」

「わーすごーい。すてきー。よもすえー。……満足しましたか? したなら、これ使って突撃します。準備をしてください」

「覚えてろよ、お前……」

 フィリスが巨腕で扉の接合部を引っぺがし、コンテナから《盾》を外す。叢司も半眼で《紅烏》の刃を顕現させ、「いつでもいいぞ」と合図をした。

「では参ります。地獄の一丁目に二名様ご案内です」

 即席の《盾》に身を隠し、二人は装甲機へと突撃する。

 散開、包囲を仕掛けようとしていた装甲機たちは、脅威が自ら懐に飛び込んでくる様子を確認して、作戦を変更。足を止め、三方から銃弾の雨を浴びせかける。

 思ったとおりだ。連中は防性障壁の展開中、移動することはできない。

 障壁を『生成する』ことよりも『移動させる』方が技術的には難しい。いくら神導の出力が高かろうと、天位体にとっても難易度が高いそれを装甲機が再現できるはずもない。攻撃型神導を使っていないことを加味すると、連中の神導制御レベルはそう高くないのかもしれない。

 鋼鉄の殺人機械たちは重心を落として射撃姿勢をとり、防性障壁に隠れながら銃弾の雨を見舞ってくる。

 しかし、単純な物理攻撃はこの《盾》には通じない。そして側面からの攻撃は、全てフィリスの防性障壁が防いでくれる。完全な要塞状態で叢司たちは正面の敵機へと肉薄し、

「フィリス!」

「はい。地獄へのお土産を差し上げましょう」

 防性障壁を保ったまま、フィリスが《盾》を投げ飛ばす。

 同じ神導の防性障壁同士がぶつかれば相殺を引き起こすが、単純に物理的防御力を強化された、この《盾》なら話は別だ。《盾》は敵機の防性障壁に衝突、交通事故のような轟音を響かせて不可視の障壁を突破し、装甲機に正面から激突した。

 想定外の衝撃を受けた装甲機が、たたらを踏んで体勢を崩す。

 そのカメラに最後に映ったのは、《盾》の影に隠れて接近していた叢司が《紅烏》を大上段に振り上げる姿だった。

「まず一機」

 叢司は聖骸衣としての効力を失いつつある《盾》ごと、装甲機をぶった斬る。

 何者をも斬り裂く真紅の刃は、装甲機の頭頂部から股関節までを一直線に駆け抜けた。強化セラミックやチタニウム合金の積層装甲を真っ二つにし、内部機構を寸断し、深行炉を破壊する。半分に分かれた装甲機は、ゆっくりと仰向けに崩れ落ちた。ただ一振りの斬撃にて、技術の粋たる殺人兵器は機能停止に追いやられたのだった。

 狙いどおり。だが。

「……?」

 途中で感じた妙な手応えに、叢司は眉をひそめる。何か、機械を斬ったにしては違和感があった気がする。

 まあいい。今は目の前の敵に集中しなければ。

 叢司はフィリスの銃撃によって足止めされている装甲機たちに、二つになった《盾》をブーメランよろしく投げつけた。動けない二機はそれを障壁で受け止め、即座に腕部の爪で弾き飛ばす。僚機の惨状を見て学んだのだろう。

 叢司は真紅の刀を構え、凄絶に微笑んだ。

「さあ、八つ当たりを始めようか。……悪いが今の俺は、ちょっとだけ機嫌が悪いぞ!」


「うわ。相変わらず、とんでもないことしますね……」

 両脇の装甲機を牽制射撃でその場に釘付けにしていたフィリスは、残る一機を両断した叢司を見て溜息を漏らした。

 とても人間わざではない。対戦車ミサイルを直撃させなければ行動不能に追い込めないような相手を、一太刀で葬るとは。司聖卿級の天位体エニグマータでも、到底無理な芸当だろう。

 好戦的な獣の笑みを浮かべた叢司は、左側に残った装甲機に向かっていった。装甲機は障壁を解除し、接近戦に備えて爪をスライドさせる。

 ならば、自分の相手は右だ。

「私と踊っていただきましょうか。機械風情にできるなら、ですが」

 射撃を停止し、しかし障壁は維持したまま前進。叢司にならって接近戦を挑む。

 半分になった《盾》を押しのけた装甲機は、フィリスの接近を嫌って後退する。防性障壁はすでに解除しているようで、牽制射撃のおまけつきだ。こちらに障壁を破る手段がある以上、停止状態ではタコ殴りになるとの判断だろう。

 だが甘い。通常の弾丸は、こちらに通用しない。

 そう考えて加速したフィリスだが、彼女はそこで、視界の端に妙な動きを捉えた。

 装甲機背部の格納部が稼働している。何らかの兵装を収納していると思ったのだが、予備電源的なものだったのだろうか? いや違う。この振動波数パターンは、内部に何かを補充する形に酷似している。となると、次に出てくるのは――

 嫌な予感に身を任せ、フィリスは思い切り体を捻った。

 その頬を、機銃の掃射が掠めていく。

 白磁の肌が浅く裂け、鮮血が散った。熱い痛みが神経に突き刺さる。

(防性障壁を貫通してきた!?)

 神導加工が施された弾丸だ。恐らくは聖骸衣の一部を内蔵した、神導聖制会特製の神聖弾丸。本来は天位体でなければ扱えない代物だ。

 フィリスは地を這う低姿勢で続く銃撃を回避し、さらに加速。左右に細かく動きながら射線を散らし、新たな兵装を召喚する。

「乙女の柔肌を傷つけるとは許せませんね。お仕置きが必要です」

 無表情に言い放ったメイドの両腕を覆うように、槍のような何かが顕現した。

 工具のように無骨なそれは、《咎人の腕》手甲部の兵装ラックに収まり、鈍い白銀色を放っている。手首の上には長さ四十センチほどの鋭い円錐が穂先として収まり、騎士槍ランスを彷彿とさせた。聖骸衣ではない。人間の手で鋼鉄から造られた、純粋なる破壊兵器だ。

 近接格闘用電磁投射槍『グングニル』。デルタ・インダストリーの新製品である。

 機銃の照準を低めに固定する装甲機に対し、フィリスは一転して跳躍。月を背にして、右手のグングニルを『撃ち』出した。

 銀色の槍が射出され、装甲機の腕関節に突き刺さる。

 フィリスと違い、基本的に量産型である装甲機は、構造も平凡オーソドックスなものとなっている。関節部は、どう足掻いても隠しようのない弱点だ。通常兵器による攻撃でも十分に破壊は可能である。

 重心に変化が生じ、一時的にバランスを崩す装甲機。

 その隙にフィリスは壁を蹴って三角跳びし、残った左手の一本を射出する。それは見事に敵機に突き刺さり、穂先の半ばまでが貫通。もう片方の腕関節も、完全に破壊した。

 これで機銃二挺と、接近戦用の爪は無力化した。残るは射角が固定された、融通の利かない肩部機銃のみ。

 装甲機は不利を悟ったか、フィリスから距離を取ろうとするが、

「させませんよ。それが刺さっている限りは、逃れられません」

 フィリスは華麗に着地を決めると、《咎人の腕》脚部の爪をアスファルトに突きたて、両腕を引き絞る。メイドの巨腕と装甲機の間を、月光に照らされた何かが繋いだ。

 ワイヤーだ。

 グングニルの刃は、超圧鋼線ワイヤーによって本体と結ばれている。叢司の髪の毛が織り込まれたその鋼線は、切断とは無縁の強度だ。そして《賢者の心臓》によって凄まじい膂力を得たフィリスを、装甲機ごときが振り切れるはずもない。

 さらにグングニルの穂先は、刺さった時点で先端が花弁のように開く構造となっている。槍から銛に変化した穂先は、敵の内部で花開き、確実に相手を捕捉する。相手がいかに足掻こうとも、腕ごと切り離す以外に、装甲機が逃れる術はない。

 装甲機は逃げようとローラーの回転数を上げるが、それはただ砂埃を巻き上げるのみだ。

「ふっ!」

 フィリスは両腕を指揮者のように振るい、巧みに力の方向性ベクトルを操って、装甲機を倉庫の壁に叩きつける。

 金属がひしゃげる嫌な音と共に、装甲機は鉄筋コンクリートへと体をめり込ませた。なまじローラーがついているだけに、こういった誘導には弱いのだろう。事ここに至ってようやく車輪を収納したようだが、後の祭りだ。

「あまり優秀なAIを積んではいないようですね。ただのお馬鹿さんでしたか」

 メイドは《咎人の腕》に命じ、ワイヤーを巻き戻す。

 体勢を崩しながらも、自重を頼みに動かされまいと抵抗する装甲機。両者の間でワイヤーが張りつめ、月光に儚く煌めく。

 フィリスはそれを見て、足の爪を地面から引き上げた。

「とうっ」

 装甲機が動かないなら、自分が動けばいい。

 彼女は釣り上げられた魚よろしく、自分が引き寄せられる形で装甲機へと急接近する。

 一瞬で懐まで潜り込んだフィリスは、脚部の爪で装甲機の足をつかみ、地面へと引きずり倒した。そして素早く馬乗りに移行すると、敵機の胸元を踏みつけ、グングニルの『返し』部分を分離パージ。穂先を引き抜いて回収し、本体へと再接続する。

「まあまあ頑張ったと言えるでしょうか。では、ご褒美のトドメです」

 フィリスはあくまで無表情に、両腕の電磁槍を装甲機の胴体へと突き刺した。

「攻撃経路開放。最大出力で放電を開始」

 グングニルが銀色の光を放つ。

 瞬間、装甲機の全身を凄まじい電撃が襲った。近くの鉄鋼に空中放電が飛ぶほどの電気が、殺人兵器の擬似神経と基盤回路を焼き尽くしていく。あまりの電量に穂先が熱され、フィリスの腕をちりちりと焦がす。

 この電磁槍には、刃を通じて電撃を相手に直接、叩き込む機能が備え付けられている。

 フィリスはそれを《賢者の心臓》によって強化し、実に一万ボルトもの雷撃を装甲機の内部へと流し込んでいた。積層装甲は電気抵抗が高いが、内部基盤はそうはいかない。いかに神導を操ろうとも、根本的な制御を機械系に頼っている以上、この一撃は致命傷だ。

 装甲機は機体をがくがくと痙攣するように震わせると、やがて関節部から煙を吐いて、その動きを止めた。

 神導反応なし。熱量低下。深行炉停止。完全に沈黙を確認。

 終わりだ。

 フィリスは大きく息を吐いて、グングニルを引き抜いた。

 バチリという末期の電撃が爆ぜる。焦げ臭さとイオン臭が、鼻をくすぐった。

「結構、手間取らせてくれましたね。急いで叢司の援護に回らないと……」

「ああ、さっき終わったから大丈夫だぞ」

 いきなりの声に振り返ると、そこには気配すら見せずに、平然と叢司が佇んでいた。

 瞳を暗視・望遠状態にしてみると、彼方に装甲機の残骸が見えた。胴体に鉄骨を突き刺され、倉庫の外壁に磔にされている。オイルか何かが飛び散って壁に黒い染みをつくっており、殺人現場か死刑場を髣髴とさせた。なんてグロい光景だ。

 傷一つない叢司を眺め、フィリスは思わず半眼になる。

「時々、叢司を人間の範疇カテゴリに入れていいものか迷います。正直、私より人間離れしてますよね」

「ふははは、崇め奉るがいい。寄付金は最低五百ドルからだ」

「残念ですね。宗教上の理由で、寄付は禁止されているんです」

「改宗すれば俺もお前もハッピーだな。今なら同じ値段でもう一個ついてくるぞ」

 叢司が差し伸べた手を取り、立ち上がる。《咎人の腕》の重量で彼の腰が折れかけるが、何とか持ち直した。ぎっくり腰にならなければいいが。

 グングニルを送還し、服についた埃を払う。その横で叢司は、《紅烏》の刃を装甲機の胸部に突き立てた。彼は何を思ったか、装甲機の表面装甲を剥ぎ取り、手足を削いで、マグロの解体のようにほいほい分解していく。

「何をするんです?」

「検分だよ。俺の方は両方とも中枢を破壊してあるから、構造を調べるにはこいつを分解しないといけない。三枚におろせば、何か分かるだろう」

「ああ、なるほど。どうして神導を使えたのか調べる、ということですね」

 そういうこと、と頷いて、叢司は真紅の刃を動かし続けた。

 確かに、この装甲機は謎が多い。叢司の神導や神導加工を施した弾丸でも貫けないほどの強固な防性障壁を持っていたり、かと思えば、移動しながらの障壁維持ができなかったりと、どうにもちぐはぐな印象を受ける。

 叢司が最後の装甲を外すと、嫌な臭いがフィリスの鼻を突いた。

 以前にも嗅いだことがある。これは、肉の焦げる臭いだ。血の通った生肉が焦げ、命が焼けていく時の、あの臭いだ。

 叢司も気がついたのか、手が止まった。

「……開けるぞ」

 それでもすぐに再開したのは、場慣れが故か。彼はフィリスに確認を取ると、最奥部のコアユニットを覆うカバーを斬り外した。

「こいつは……」

 中身を見たフィリスと叢司は、そろって絶句した。

 コアユニットに搭載されていたのは、心臓を模した金属塊だった。

 知っている。この聖骸衣を、フィリスはよく知っている。これは自分の中に存在し、今もなお鼓動を刻み続ける器官と同種のものだ。本来の持ち主であるフィリスには、それが感覚的に理解できた。

「まさか……これは《賢者の心臓》か?」

「量産型の、といった感じですけどね。私の中にあるものより、神性は低いと思われます。おそらくは私の細胞をベースに、他の生体組織を融合させたものでしょう」

 自分の言葉に、胸が軋みを上げる。心臓に穴が空き、その中を寒風が通り抜けているかのような感覚が、フィリスの心を凍えさせた。

「となると、こっちは聖骸衣を動かす制御系か……」

 叢司が《賢者の心臓・偽》近くに設置された、巨大な試験管を剣先で突く。

 その中に収められているのは、神経繊維の束だ。生身の脊髄と脳神経が保護液と一緒に詰め込まれ、生体コードで制御中枢へと接続されていた。ここから電気信号を脊髄に送り、強制的に防衛反応を誘発していたのだろう。そうして擬似的な意思を得て、この装甲機は神導を使っていたというわけだ。

 血色の刀身が試験管を割る。中からは湯気と一緒に、生臭い死臭が立ち上ってきた。フィリスの電撃によって沸騰した保護液は脊髄を煮え滾らせ、単なるタンパク質の塊へと変えていた。

 地面に落ちた肉塊を見て、フィリスは自分自身に問う。

 ――何故、こんなにも胸が軋むのだろうか。

 自分と同じ聖骸衣が使われているからか? 神導聖制会に囚われていた昔のことを思い出したからか?

 それとも――装甲機の『部品』として使われている彼らのことを、自分は知っているからなのか?

 分からない。何も分からない。自分のことだというのに、いくら考えても答えは出ない。

 強い風が吹き、屍臭を周囲に吹き散らす。

 月光が、冷たい現実を無言で照らしだしていた。

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