川〜どこかの森
犬型の魔物は、口の中の肉をぺっと吐き出す。
さっきまで自分だった人間の肉を食うってなんだよ。ただのカニバリズムよりタチが悪いわ!
こんなん食うくらいなら死んだほうがマシだ!
そう心の中で愚痴をこぼした瞬間、ぐるるる、という音が鳴り響く。
それは魔犬ハングァルの唸り声……ではなく、腹の音だった。
魔犬の体は、おそろしく空腹だった。それは、俺の理性をはるかに上回る本能的欲求だ。
気がつくと俺はゲップをしていた。
目の前のかじられまくった白骨死体を前に、泣いた。満たされた自分の腹に、俺は泣いた。
生きるってなんて世知辛いんだ。
満腹にはなったが、気分は最悪だ。
吐き出したくてたまらないが、魔犬の本能がそれを許さない。
吐いたら栄養失調で死ぬのがわかっている。
本能に逆らってお頭の死肉を吐くことに成功したとしても、すぐに空腹に頭を支配されて、吐き戻した死肉をもう一度食らうことになりかねない。そんなの御免だ。
自分だった死体を食うなんて経験は、一度で十分すぎる。
ふらふら歩いていると、ガキンッという金属音が鳴り響く。
それと同時に、俺の左後ろの足に激痛が走った。
「キャンッ!?」
無様な鳴き声をあげる羽目になったのは、森に仕掛けられたトラバサミのせいだった。
おろろろろ、すげえ鬱蒼とした森だから、人なんかいないだろうと思って油断してた。
この辺、狩人がいるのか! 俺のトラウマ、狩人が! クソ!
クマだった俺を射殺して鍋にしたり、ブタだった俺をとっつかまえてハムにしたり、ウサギだった俺をとっつかまえてシチューにしたりするだけじゃ飽きたらんのか!
いや鍋にしたりハムにしたりシチューにしたのは狩人になりかわった俺だったけどさ!
魔犬をとっつかまえてどう調理する気だ! ってか魔犬って食えんの!?
このままでは動くこともできずに餓死してしまう。
そうなったらだいぶ間抜けだし、いや、間抜けなのはもともとか。
このまま死んだらトラバサミに殺されたことになって、俺はトラバサミ、あるいはそれを構成する金属になるのだろうか。
何も食べれないし、何もしゃべれない。
それって、実質的に死と同じことじゃないか?
少しばかりこのまま死ぬのもいいんじゃないかと考えたが、すぐに否定した。
今までナイフにぶっさされて、何回も死んできたが、ナイフになったことはない。
ということは今回も、トラバサミを仕掛けた人物に成り代わってしまうのではないだろうか。
結局いつもと同じになっちまうのかなあ。
狩人の体になってしまうのは何度目だ。
俺、狩り苦手なんだよ。動物捕まえたり殺すの、好きじゃない。
料理は好きだけど。狩人の仕事したくないからこのまま死にたくねえ……。
「……あ、犬だ」
声に顔を上げると、やってきていたのは少年だった。
見た所、幼いが狩人のような装いだ。
腰に差しているナイフで、罠にかかった俺にトドメを刺すのだろう。
死を覚悟して、最後のあがきだとばかりにキューン、怯えたように鳴いてみる。
俺のポリシーだ。
絶対に死を回避できない状況だったとしても、命乞いだけはしてみる。
生物である以上、最後まであがいて生にしがみつくべきだと思うのだ。
「かわいそう……」
き、効いているだと!? 命乞いが!? 今まで誰にも効いたことないのに!?
おれわるいこじゃないよ! という強い気持ちを込めて、もう一度かぼそく鳴いてみた。
少年は迷いに迷って、トラバサミを外してくれた。
いいやつか。お前、いいやつかー!
「ワン!」
人間にもまだ情が残っていたんだな!
あまりにも歓喜して、人間だったことを忘れたように、俺は少年の顔をペロペロなめた。
だってそれしか喜びを表現する方法がないんだもんよ!
少年はくすぐったそうにしていたが、笑っていた。
うおー! 俺が人を笑顔にすることに成功したの、マジで久しぶりな気がするな!
お犬さまさまである。俺って実は人間向いてなかったんじゃないのか。
まさか、犬が天職か!?
少年は俺の足の治療をして、俺に小さく手を振ってから去っていった。
少年を笑わせることができて、俺は自信がついた。
すなわち、犬であることの自信だ。
いやあ魔犬って人間より俺に向いてんじゃないかという気がしてきた。
燃費が悪くて常に狩りしてなきゃいけないこと以外は、非常に快適である。
今日も優雅に獲物を探しながら森の中を散歩をしている。
ふと、キランと光る金属を見つけたので、ぐるりと迂回した。あれは、トラバサミだ。
はっはー、こんな罠に引っかかると思うなよ。
俺に同じ手は二度とは通用せん。嘘だけど。
そんな感じで森の中で過ごしていると、俺を助けてくれた少年がやってきた。
「うぅ……うっ……」
それも、泣きながらである。
おいおい、俺がせっかく笑顔にしてやったというのに、今度はどうした!?
俺が駆け寄ると、少年は驚いたようだったが、怖がってはいないようだった。
人を食ったりする魔犬と、ただの犬の区別がついていないんだろうか。
少年は無警戒に俺に近づいて、撫で回しながらいろいろとグチをこぼし始めた。
「お父さんに、僕が君を逃したこと、バレちゃった……」
「クゥン?」
「これがはじめてじゃないんだ。罠にかかった動物を見つけたら、殺してもってこいって、言われてるんだけど……僕、かわいそうで、できなくて……」
少年は心が優しすぎて、生き物を殺すことができないようだった。
今までも何度か獲物を逃していて、今回俺を逃したこともバレてしまったのだと。
まあそりゃ、少年は俺のトラバサミを外してくれたけど、そのまま帰っていった。
そのままだ。つまり、トラバサミには俺の血液や肉の破片なんかがついたまんま。
狩人であろう少年の父親は、当然罠の点検をしにあのトラバサミのもとにやってきただろう。
そのトラバサミは何か獲物がかかった様子なのに、獲物はいない。
少年が逃した、なんてのは、すぐにバレるよなあ。
でも俺は少年のそういうところが好きだぞ。
たしかに狩人としてはダメだけど、変わってほしくないな。
この異世界では、そんな優しい気性の人間は、驚くほど珍しいんだ。
そういう思いを込めて、俺は少年の顔を舐めて慰める。
「あは、慰めてくれるの……? ありがとう」
「ワン!」
そうそう、その笑顔だ!
もっと笑うがいい。そのほうが俺の気分もいいんだ。
その後、少年が投げる棒を俺が空中でキャッチしたり、少年を背中に乗せて森をちょっとばかりは知ったりと遊んで、俺は少年と仲良くなった。
人間としてのプライドなんてないぜ、だって俺今犬だもん。
ふふん、やはり少年と犬という組み合わせはいいよな。
なんか少年誌の主人公っぽい絵面になる。
俺は主人公じゃなくて犬だけど。つか、魔犬だけど。
「僕、ユーリっていうんだ」
「ワン」
よろしくな、俺はヒイロっていうんだ。魔犬の声帯じゃ発音できねえけどな。
「名前をつけてあげるよ。そうだな……」
お、少年ユーリのネーミングセンス、お手並み拝見ってところだな。
俺だったらそうだな。パトラッシュってつけるかな。それかハチだ。もしくは奇をてらってタマだな。
「君の名前は、ダッシュ! どう?」
足早そうだな。
「ワン!」
「気に入ってくれたみたいだね!」
名犬ダッシュか。悪くない。
少年はときおり森に遊びに来るので、その度に背中に乗せて走り回って遊んだ。
ただでさえ燃費の悪い体で、あんまり動き回ると余計に腹が減るんだが、でも少年と遊ぶのは楽しい。
フゥーッ、やめらんねえぜ!
少年はご飯をわけてくれもする。
正直、そこまで腹の足しになるほどではないが、持ってくるご飯は明らかに少年のご飯の残りって感じだ。
少年も食べ盛りだろう。
それでも自分の飯を切り詰めてまで、俺にご飯を持ってきてくれる。
その優しさが目にしみるぜ……!
ある日少年を背に乗せて走っていると、他の人間に出会ってしまった。
「なっ……!?」
その男は見るからに狩人だった。
魔犬が少年を襲っているとでも思ったのか、殺気とともに弓をつがえている。
あひぃん! 狩人だぁあああやだあああああ死にたくないいいいい!
俺の脳内には、幾つもの死に様がフラッシュバックしていた。
落とし穴にはめられて殺されたイノシシ時代。
馬に乗った貴族達に追い立てられたキツネ時代。
脳天を一発で打ち抜かれて即死したクマ時代。
狩人は鬼門なんだ! 俺の一番の弱点なんだよ!
あああああああああやっぱり犬が天職とか幻想だったんヤァああああ!!
やっぱり動物は人間に狩られる運命なんヤァあああああ!!!
「離れろ!」
あひーっ、あまりの恐怖にエセ関西弁がでちゃうーっ。
俺は、この狩人が凄腕だということを見抜いていた。
下手に動けば瞬殺だろうと判断し、おとなしく立ち止まることにした。
尻尾を丸めて股の間に挟む。
命乞いにキューンと鳴いてみたが、狩人は少年のように絆されてはくれないようだ。
「父さん、やめて!」
叫んだのは少年だった。
「何を言ってる、ユーリ!? はやく離れろ!」
どうやらその男は少年の父親らしかった。
「ダッシュは悪い犬じゃないんだ!」
「はぁ!?」
少年は俺を庇い、必死に父親を説得している。
その間に、俺は伏せをして襲う気はないことをアピールしてみた。
いやまじ俺名犬なんで、全然人襲うとかないんで、マジ命だけは頼みます。
「僕、ずっと一緒にいたけど、ダッシュは僕のことを傷つけようだなんてまったく思ってないみたいなんだ。今もおとなしくしてるでしょ、ね」
「そりゃ、オレにびびって動けないでいるだけのように見えるがな」
全くもってその通りです。
こわいよぉ、ぶるぶる。俺悪い魔犬じゃないよぉ。
父親は魔犬を警戒しながらも、少年が話し続けている間も一切襲わない態度をみたからか、弓を構えるのはやめてくれた。
「とにかく、帰るぞ」
次来たときは殺すからな。
ユーリの父にそんな目で見られたような気がして、「キャン!」と悲鳴をあげて俺は走り去った。
ユーリはその場で父親に連れられて帰っていった。
なんとか生き延びたぜぇ! うおおおおおおお! 生命って最高!
それからしばらく、ユーリ少年がこない日々が続いた。
ぶっちゃけ寂しい。だって、ここには他に、コミュニケーションをとれる生き物がいないのだ。
「ダッシュ!」
その声は、ユーリ!
少年がやってきて、俺は嬉しかった。
やはり人間、コミュニケーションをとらないとだめになるらしい。
俺は魔犬にはなりきれなかった。
誰かに殺されるくらいなら、どこかに引きこもって一人きりで生涯を終えるのも悪くないかもしれない。
なんていうのは、甘えた考え方だったらしい。
ずっと一人、誰とも会話をせずに一生を終えるなんて、不可能に思えた。
べろんべろんと少年の顔を舐めまわした後、この前のように棒をとってくる遊びに興じた。
俺は魔犬なのでかなりの脚力を誇っているのだが、少年はそれにおとらないほどの強肩のようで、全力で挑まなければ取れないような棒を投げるのだ。
まったく将来有望だぜ、絶対ドラフト指名かかるねこの坊主。
そんな感じで遊んでいると、矢が飛んできた。
俺はそれを魔犬らしい優れた五感で察知し、少年にタックルしてかばうと、横腹に矢が突き刺さった。
続けて腹に2,3本、矢が刺さっていく。
めっちゃ痛いやばい、誰これ狩人? 少年の父親? 弓の腕いいなオイ。
もう立ち上がることも難しそうだ。毒が塗ってある。
多分、犬型の魔物によく効くやつだ。
苦しげに呼吸していると、俺の体の下から少年が這い出してきてしまった。
毒の種類からして俺が目的だろうから少年は大丈夫だろうが、でも万が一にでも流れ弾に当たる可能性があるので、おとなしく俺の下敷きになっていて欲しかった。
少年は、矢の飛んでくる方向に立ちはだかった。
マジかよこいつ、むしろ矢に当たる気満々じゃねえか。
ちょっと呆然としてみていると、向こうからやってきたのはたくましい男だ。
「魔物を殺す依頼ってんで気張ってきたが、ずいぶんあっけねえな」
その男は冒険者のようで、少年に説明しだす。
これは魔物を殺す依頼で、あぶねえからとっととどっかに行けと。
その依頼を出したのは少年の父親あたりだろう。
あーあ。
俺は完全に脱力して体を横たえた。
生への渇望がなくなったわけじゃない。毒で、体に力がはいらなくなっただけだ。
目だけは必死で開く。最後まで、見なければと思うのだ。
冒険者の男は、俺を庇おうとするユーリを無造作にはねとばす。
ナイフを取り出して、俺に近づいてきた。
喉元に深くナイフが突き立てられるのがわかる。
しかし、魔犬とは、なかなかに生命力の強い個体なのだった。
そのくらいでは、まだ死なない。
突き立てられたナイフが、傷口を大きく広げていく。
冒険者の男は魔犬の首をナイフで切り取り、持ち上げた。それと目があう。
首と胴体が離れた人間でさえ、数秒は生きられるんだ。
生命力の強い魔犬であれば、さらにもう少し長く生きられる。生きられてしまう。
「手間かけさせやがって、犬っコロが」
「あ、ああ……」
男の罵声と、少年の絶望に染まった声を聞きながら、首だけになった
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