どこかの森〜酒場


 は、目の前で泣き叫ぶ少年を、黙って見ることしかできなかった。

 魔犬の首を持っている腕がだらりとさがる。意気揚々と掲げるような気力はない。


「ダッシュ……ダッシュが……」


 あーもうやだ。俺の死を悲しんでくれているのは嬉しい。嬉しいんだけど。


 毎回毎回殺されるたびに、俺の死を悲しんでくれる人の「仇」にならなきゃいけないこの呪いが、本当に最悪だ!


「いい相棒を持ったな」

「うぅ……」


 俺がその相棒、だった、けど。

 こんなに泣いてもらうの、下手すりゃ初めてなんじゃないか。


「なんで、こんなひどいことをするの……」


 俺も嘆きたいよ。

 なんでこんなひどいことをされるのってな。

 豚でも犬でも、どんな姿になろうが、俺が人であり続ける以上、俺はいつだってんだ。


「悔しいと思うなら、今度は守れるだけの力を持て」


 俺は、魔犬の首をもったまま去っていく。ユーリを振り返る勇気はなかった。




 今度なり変わった冒険者の男は、そんなに悪い顔立ちじゃなかった。

 そう感じるのは、最近、品のない顔をした野盗にばかりなっていたからだろうか。


 筋肉がついて太くなった手や足には、いくつもの傷がある。

 冒険者として、いろいろな苦難を乗り越えてきたのだろう。

 弓の腕もよかったし、中堅くらいの実力はあったと思われる。


 でも、今回の苦難は乗り越えることができなかった。

 彼は死んだ。俺の呪いのせいで。





「おかえりなさいませ、ギークさん。依頼は無事にこなせたようですね」

「ああ。魔犬の首はこれだ」

「少々お待ちください」


 今の俺の体は、ギークというのか。

 ここで名前を知ることができたのは、非常にありがたい。


 ひどく懐かしく感じる。ここは「冒険者ギルド」だ。

 俺は昔に何度か、冒険者だったことがある。


 冒険者に殺されたんで引き続き冒険者をやっていたこともあれば、盗賊なんかの犯罪者に殺されちまったんで、犯罪行為から足を洗い別の職業を探して、冒険者に行き着いたこともある。


 冒険者になるために必要な書類みたいなものはなく、なんの証明がなくてもなれる。

 田舎であればあるほどそれが顕著で、本人確認の大体は受付さんの顔認識、つまり人力だ。

 それが非常に好都合だったのだ。


 ギルドにかつての自分の生首を提出すると、いくばくかの金を手に入れた。

 これぞまさしく身売りというやつだ。まったくもって、物悲しい世の中である。


 酒場に行ってヤケ酒をする。それを諌めるのは、酒場の看板娘だった。


「アンタ、さっきっから飲み過ぎじゃないかい?」

「そういう気分なんだ。悲しいことがあって」


 酒場の看板娘さんは、赤毛をポニーテールにまとめた妙齢のお姉さんだった。

 ちょっとつり目がちで、唇もつんととがって勝気そうにみえる。

 結婚したら尻に敷かれそうだ。しかしそこがいいのかもしれない。いや、そこがいい。


「ふーん。財布でも落としたかい? ツケはきかないからね」

「金ならある。俺がなくしたのは命だよ」

「友達でも死んだのかい」

「そんなところさ」


 死んだのは自分だけどな。


「俺はこういうことに慣れてる。慣れてるんだ……でも、あいつが死んだのは、あいつを慕ってた……少年の前だった。俺はあの少年の顔が忘れられん」

「バカだねえ。死んだのは死んだやつが悪いんだよ」


 いや、だからそれ俺です、お姉さん。

 死んだの、俺。じゃあ悪いの、俺じゃねえか。


「死んだやつはどうせアンタみたいな根無し草、冒険者かなんかだろう」


 いや、俺です、お姉さん。

 そして犬です、お姉さん。


「危険な仕事してんだから、死んだって当たり前なんだよ」

「そういう仕事しかできないやつだっているだろう?」


 犬は犬以外になれないんだよ。職種っていうか種族? 変更不可である。


 犬は人間にはなれない。せいぜい短時間の二足歩行が限界だ。

 人語も話せないし。

 この世界にモールス信号があれば「ワンッ」と「バウーッ」でトン・ツーを表して会話っていう可能性もあったかもしれないが。


「俺だって冒険者やってるけど、この職は嫌いさ。死にたくないし」

「そんなの甘えさね。探そうと思えば仕事なんてどこにでも転がってるだろう。力があるなら力仕事。頭があるなら商売だってできるだろう。ほかに特技でもありゃいうことない。アンタは不具に見えないし、こんな大酒の料金払えるほど冒険者としての腕があるんだったら、ほかの仕事もできるだろうさ」

「……そう思うか?」


 急に褒められて、俺はちょっと照れた。

 魔犬の首をとったのは俺じゃなくてこの冒険者、ギークだから、俺が褒められたわけじゃないんだが、美人に褒められたら照れるのが生理反応だろう。

 でも魔犬が俺だったし、っていうかわざわざギークに首差し出したのは俺だし、俺もいばっていいよな、多少は。


「アンタは結局、何がしたいんだい?」

「何って?」

「冒険者がやりたくないんじゃ、ほかにやりたいことを見つけりゃいいだろう。鍛冶職人とか、料理人とか……それが思いつかないんだったら、やりたくないことを考えればいい。人と会話したくないってんなら職人の類だし、汗水かきたくないってんなら、商人だね。まあ、冷や汗をかいてるとこはよく見るけどね」

「アハハアハ。アンタうまいこと言うなあ」


 そう言われて、俺はちょっと考えた。

 俺のやりたいことってなんなんだろう。


 さっき娘さんがあげた職業は、すでに経験したことがある。


 鍛冶職人かあ。あれは随分昔のことだ。

 街を普通に歩いていたら、金槌が飛んできて頭にぶち当たり、即死したのだ。


 次の瞬間には真っ赤に熱された鉄を目の前にして、呆然としていた。

 鍛冶職人が金槌をついうっかり手からすっぽ抜けさせてしまい、それが運悪く俺の頭にぶち当たってしまったということを理解するまでに、相当時間がかかった。


 んで、その後殺人の容疑で檻の中にぶち込まれて、しばらく臭い飯を食ったんだっけかなあ。

 懐かしい。……あれ、肝心の鍛冶職人としての記憶が全然思い出せないな。


 料理人はやったことないが、修道士をやっていたときに炊き出しで大量に料理を作って振舞ったことならある。

 あれはいいものだ、人に露骨に感謝して貰えるからな。


 なにより、人に料理を振る舞っている時点で、自分は食うに困る状況じゃないというのが最高だ。

 長い人生の中で、炊き出しで料理を振る舞う側になったことより、炊き出しを振舞われる側になったことのほうが圧倒的に多い。悲しいことに。


 やりたくないこと、というのはなんだろう。

 とにかく、俺は人に殺されて、文字通りに人が変わってしまうのが嫌だ。

 これは明確に、嫌いなことなのだ。


 今のところ、呪いをなんとかする方法は見つかっていない。

 だから、人に成り代わってしまうのを防ぐには、俺はなんとかして人に殺されないようにするしかないのだ。


 やられたくないこと、というのは、間違いなく殺されることだ。

 うん、これ、全人類共通のことだよなあ。

 こんな当たり前のことに辿り着くまでに、俺は時間がかかりすぎじゃないのか。


「オレはなあ、殺されたくないんだ」

「じゃあ、殺されないように行動したらいいじゃないか」


 ……殺されないように、行動する?


 そんなのは、いままでだってずっとやってきた。そもそも人に殺されようとするほうがおかしいだろう。


 一瞬、エルフの村で盗賊を挑発しまくって殺されまくったときのことが脳裏をよぎったが、すぐに頭を振ってかき消した。

 あれは不可抗力。必要だった。俺のせいじゃない。っていうかテアのためだからノーカン。


 俺は品行方正に、人のためになるようなことをやったりしながら、真面目に暮らしてきたんだ。

 殺されないように……殺されないように?


「まず冒険者なんて危険な職業はやめて……」と娘さんが続けるのを遮って、俺は叫んだ。


「そうだ! 世界平和を目指そう!」

「……は?」


 そのときの俺には、目を丸くする娘さんなど目に入っていなかった。


 そう、俺自身は真面目に生きてきた! だが、殺される! なんどもなんどもだ!

 それってつまり、殺されるのは俺が悪いんじゃない。


 世界が物騒なのがいけないんだ!


 誰もかれもが簡単に人を殺すものだから、俺はいつまでたっても人に殺され続けて、マトモに一生を終えることができない。


 それを改善するには、世界を変えるしかない。


 世界を平和にする。

 この俺が!


「娘さん、オレに新しい目標をくれて、本当に有難う」

「あ、ああ、どういたしまして……?」

「この恩は一生、いや、百生かけてかえします!」


 そう叫んで金をテーブルに叩きつけると、俺は「世界平和だ!」と叫びながら店を後にした。


 新たな目標が、いや、もしかすると、初めての生きる目標ができたことに、わくわくしていた。

 酔っていたのもあって、周りは全然見えていなかったのだ。


「へんな酔っ払い方をする人もいるもんだね……」


 酒場には、呆れたようにつぶやく看板娘さんが取り残された。



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