第5話 塩置城攻略戦
播磨五川の数えられる夢前川と市川に西と東を挟まれた山に置塩城はある。
市川沿いを南下してきた山名祐豊の軍は山越えをする浦上軍より早く到着したが、天然の山を削って建てられた城に攻め込むには時間がかかる。東側の切り立った崖を避け、南側に回り込んで何重にも並ぶ曲輪を攻めなばならなかったため、布陣が完成したのは夢前川の西に浦上軍が布陣したのと同じ頃であった。
挟撃のタイミングが首尾よく揃ったのは幸運と言えよう。
南に広がる平野には、どちらにつくか態度のはっきりしない小寺家の姫路城があり、別所家の三木城もある。籠城戦が長引いて援軍が来るなら南からだ。
そこを抑えていれば、こちらは全力で城攻めに取り掛かれる。
両軍とも精鋭を配して城攻めに取り掛かり、宇喜多直家も三十人余りの足軽を任せられ、浦上家の前線の端に布陣していた。
「八あにぃ、本当にこの城を落とせるのかな?」
山の上にそびえる城を見上げた視線を外せないままの七郎が呟くように問いかける。
弱気な呟きに影響される兵士の士気を気にするところだが、他の兵士たちも城を見上げるのに忙しく、人の言葉など耳に届かないようであった。
(どうやって、攻めれば良いのか……)
生返事をした直家も、そう考えずにはいられなかった。
いくつもの城を見て来たと言っても、これ程の山城を初めて攻めようとした者は誰でも、それが不可能なのではないかと考えるだろう。
麓から見上げれば、幾重にも連なる曲輪の壁と瓦屋根が山頂の天守まで一つの建物と見えるように配置されており、目の前にある城が、高さ400メートル、幅800メートルはある一つの巨大な建造物と成り、その威圧感は測り知れない。
如何に天然の山を利用した播磨随一の難攻不落の城であっても、周囲を取り囲んで支城との連絡も取れなければ落城は時間の問題であったが、入り組んだ曲輪での取り回しを考慮した六尺の槍で立ち向かわねばならない攻め側の兵士たちの緊張は並々ならぬものであったのだ。
(考えても仕方がない、頂上まで攻め上るだけなのだ……)
出来る事は尾根に沿って作られた曲輪を一つづつ攻め落とすしかない。
何万もの兵を用意しても、一人しか通れぬような山道を登らねばならず、前線に配置された兵士も長い時間、城を見上げて待たねばならない。
それは槍を振るって血を流すよりもつらい事だった。
槍を振るっていれば思い悩むこともないだろうが、大き過ぎる相手をただ見上げているのは、心がすり減る。巨大な建造物の中に飲み込まれて行った最前線がどこまで登ったのか、どのような戦いが繰り広げられどちらが優勢なのか分からぬ戦いを続けるのは、気力を根こそぎ持っていかれ、走り回らねばならぬ野戦とは違った疲労が兵士たちに圧し掛かっていた。
「盾の裏へ下がれ!」
唐突に響いた怒鳴り声に反射的に動く事が出来ず、空を見上げたのは疲労からだろうか。
良く晴れた青い空を見上げると、ぽつぽつと黒い小さな穴が開いていた。
それが何なのかようやく気付いて、後方へ跳び退ろうとした瞬間、ボツッと言う鈍い音が聞こえた。短く小さな音であったが、とてつもなく重たい物を地面に落とした時のような音、空気中に跳ね返らずに地面の中へ沈み込んでいくような音を上げて地面に小さな砂煙が上がった。
ボツッ、ボツッ。
その音が一気に切れ目のない連なりとなる。
矢だ。
城から放たれた矢が雨となって降り注ぎ、そこが最前線であることを思い知らされる。
目前に迫る矢雨の音に恐怖して必死に下がろうとするが、数歩も歩み出さない内に降り注ぐ音の中に飲み込まれる。
鈍い痛みが走った。
矢に射抜かれた……そう確信した瞬間、岡家利の声が聞こえた。
「直家様、伏せて!」
言われるがままに頭を抱えその場に膝をつくと、頭の上を振りぬかれた槍が風を切るのを感じた。
いや、風切り音ではなく、乾いた木が弾け飛ぶような軽い音が聞こえる。
鬼灯の実が弾けるような心地よい調の音の正体は、鎧の大袖を掴んで盾の後ろへと引きずり込まれる時に見上げた背中の向こうから聞こえていた。
光の中に立つ背中の向こう側で、無数の弧を描いて空を切り取る影。
それは、切っ先を目で追えぬほど速く振られる岡家利の槍が、空から降り注ぐ矢を打ち払う軌跡であった。
「ご無事ですか、直家様!」
「ああ、大丈夫だ。……家利、戻れ!」
長船に盾の後ろに引っ張り込まれて呆けそうになっていたが、すぐに我に返って身を隠したまま岡家利に声をかけると、彼は振りぬいた槍の石突きを軸にひとっ飛びで盾の後ろへと戻ってくる。
「怪我はないか?」
「もちろんです、直家様」
「流石は岡家利の槍さばき、大したものだ」
「そうでしょう。では、これからはこの槍を、……『五月雨切り』と名付ける事にしようと思います」
もし家利の槍が逸品物だったら天下の名槍として後世に伝えられただろうが、惜しい事に数物では槍自体は全員同じで区別はつかない。
「……そうか」
勿体ないほど卓越した槍さばきを見せた部下を前にして、そうとしか答えられないのは情けなかったが、隣で気をもんでいた長船貞親は、槍の話など、どうでもいいと言わんばかりに会話に割って入ってきた。
「いや、そんなことより、直家様、本当に矢が当たらなかったのですか?」
「当たったような、当たらなかったような……?」
血相を変えた長船に答えながらも、確かに矢が当たった感触はあったのだが不思議なほど痛みもない事に我ながら疑問を感じていた。山の上の城の高低差を利用して放たれた矢は、辺りどころが良く鎧を貫通しなくとも、麓に居る兵にはかなりの威力を発揮するはず、骨が折れても不思議ではない。体のあちこち弄っていると、鎧の下から小さな陶器の欠片がこぼれ落ちた。
「……これは、……拒魔犬の欠片か?」
拒魔犬とは独楽程度の大きさの犬の形をした素焼きの魔よけである。合戦に出る兵士たちは布で包んだりして鎧の下に忍ばせていたり、血留め紐を巻き付ける槍飾りとしたりしているのである。
直家も魔よけを信じていた訳ではなかったが弟たちに持たされた物を鎧の下に忍ばせていたのだった。
(これが割れたおかげで矢の衝撃がそれた……と言う事なのだろうか?)
「八兄い、拒魔犬のおかげだよ! なんて幸運なんだ!」
「……そうだな、帰って六郎にも礼を言わないとな」
「直家様の強運、まさに大将の器ですよ!」
何となく話を合わせながらも、それが本当だったら真夏に雪が降るくらい稀有な事だと考えていた。
どれだけあり得ない事でも起こってしまえば、ただの事象の結果だ。偶然でも、たまたまでも、起こるべくして起こった結果。戦場から生きて戻れっると言う事だけで奇跡の賜物なのだが、皆、手柄を上げられないと嘆きながらも当然の顔をして家に帰る。逆に死んでも当然の結果だと言えた。
(そうは言っても、城に入る前に死ぬわけにもいかないな……)
緩みかけてた気を引き締めようと城を見上げてみたが、麓から見上げる山城は、その内のどこで合戦が起こっているのか分からないほど、悠然と空に向かって建っているようだった。
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