第3話 軍議

 山々のシルエットが朝日に照らし出される頃、乙子城陥落の知らせを浦上宗景は受け取っていた。


「対岸に兵の姿はありません。報告通り引き上げたようです」


「よし、ならば全軍に進軍を開始させよ」


「お待ちください、宗景様。まだ伏兵が潜んでおるかもしれません。ここは私、浮田国定が先に川を渡り周囲の偵察を務めさせていただきとうございます」


「よかろう、すぐにかかれ!」


 この何と言う事もない戦場やり取りが直家のもとへ届いたときには、のっぴきならぬ事態となっていた。

 乙子城のあちこちに仕掛けられた油壷や燃えやすい物を集めなおし、勝手に燃え出さないようにするため片付けに時間を取られていた所へ浦上家本陣からのねぎらいの言葉に添えて、周辺の武将の動きの一つとして伝えられたのだ。


――砥石城に浮田国定が入城した。


 小さな城とは言え、城を落とし手柄を立てて浮かれた気分だった直家は真っ逆さまに水の中へ叩き込まれた衝撃を受けた。

 砥石城は山の斜面を利用して多くの曲輪を持つ城で、祖父・宇喜多能家の居城でもあった城である。確かに直家の連れてきた四人だけでとれる城ではなかったが、乙子城からは目と鼻の先にあったのだ。それをよりによって、祖父が島村盛実に暗殺された後、能家の弟でありながら真っ先に配下となった、浮田国定に取られるとは。


「何てことだ。浮田国定が砥石城に入るとは……」


 戦で手に入れた城は陥落させた者の城となるのが戦国の世の常。

 ましてこの辺りは、浦上家にとっては通過点にすぎず、よほどの事がない限りはそのまま据え置かれてしまうはずである。

 祖父の居城であった砥石城を取り戻したければ、この先、小寺満隆を撤退させた以上の大きな手柄を立てねばならないだろう。


「我々も前線に戻るぞ、すぐに宗景様に追いつくのだ」


「お待ちください! 乙子城も、小城とはいえ捨て置けませぬ、後続の者が到着するまでどっしりと構えるのも大将の務めでございます。それにこの先は、備前から播磨に入る山陽街道の難所、多くの兵が進むのは困難なためすぐに先頭に追い付けますから」


 武芸の腕だけでなく頭も切れる岡家利の助言はもっともだったが、それから末の弟と弟たちの乳母の息子である戸川正利らが到着するまでの一日が、どれほど直家の気を煩わせた事であっただろうか。表に出せない苛立ちを乙子城の片づけに没頭する事が出来れば紛らわらせもしただろうが、それよりも、どうやって合戦で手柄を立てるか考えねばならないのだった。


「長船、この先の戦局どう見る?」


「そうですね、赤松晴政の居る置塩城を攻めるには、山陽街道を進むしかありませんが、龍野城には赤松政秀、姫路城には小寺家が陣取っております。野戦になるならば、この長船貞親がいくらでも敵を斬り捨てましょう」


 血気にはやる長船に代わって、冷静な岡家利が話をつなげた。


「しかしながら、龍野城の赤松政秀は浦上家に恭順する意を示していますし、小寺家も乙子城からすぐに撤退した様子からして、今回は城に籠って、傍観するのではないでしょうか」


「なるほど、だが希望的観測だな……」


「はい、龍野城、姫路城が支城として働かなくとも、置塩城は百余りの曲輪を持つ難攻不落の山城、容易には攻められませぬ。それに時間をかければ、赤松政秀や小寺に背後をつかれる可能性も出てきます」


「と、なると、どちらかの城を取る必要があるのか?……」

「そうですね、傍観させるだけではなく、共に攻めぬなら、先に攻め滅ぼさねばなりますまい」


それがどれほど困難な事か。

 仮に龍野城を先に攻めれば、置塩城から援軍が派遣されて、赤松晴政と赤松政秀の結束を強固なものにしてしまうだけで落とすのは難しい。かと言って、表向きは浦上家に従っているが赤松政秀に先陣を切って赤松晴政を攻めさせる材料はない。

 その事は、先を進む浦上軍も承知していた。

 山陽街道の難所を、時間をかけて越えた浦上軍は播磨の西端にある白旗城に入ると、そこでしばし休息を取らねばならなかった。

 白旗城は侵攻してきた尼子家が撤退した後は空き城となっていたが、元は播磨守護・赤松晴政の居城で播磨随一の大きさを誇る山城であった。山陽街道の峠越えを終えたばかりの兵卒たちには快適な休息場所であったが、一刻も無駄にできない浦上家の武将たちは、少しも気を休める事が出来なかった。


「どうしたものか……。誰かよい策を出せる者はおらんのか」


 集められた浦上家の重臣たちに向かって、浦上政宗の全軍を鼓舞する時のような力強い声が響いた。浦上家の武の象徴ともいえる当主の声も、軍議の席では妙に寒々しい怒鳴り声でしかなく、他者の意見を押さえつけるような威圧感はあっても、活発な議論が展開するとは思えない沈黙を誘うだけである。

 こういう時に頼りとなるのは、政宗の弟、浦上宗景であったが、彼とて何時でも策を用意できた訳ではない。重臣たちの視線を一身に集めながら、沈黙を保っていた。

 いや、答えは簡単に出ているのだ。

 赤松政秀をどうやって屈服させるかだ。

 兵を進めて押しつぶしても、使者を送って暗殺しても、何でもよい。少しでも早く、確実に屈服させられれば。だが、どれを選んでも成功するとは思えず、後は失敗した時の責任を選んだ者が取らねばならないという消極的な軍議となっていたのだ。

 しかし、その時、乙子城を落とした功績で末席に加わっていた宇喜多直家が白々しい沈黙を破った。


「申し上げたき策がございます」


 功にはやった若造の出現に、重臣たちはそっと胸をなでおろした。


「直家か、言ってみよ」


「はっ。このまま北へ進み山名久通を討つのがよろしいかと」


 重臣たちの浮かべていた安堵の笑みが一瞬にして強張った。


「何だと? 因幡守護の山名家まで敵に回そうというのか! 政宗殿、この様な愚か者の策を聞き入れてはなりませぬ! 周囲全てを敵に回そう等と言う愚策を犯せば、浦上家の存続はありませぬぞ」


「うむ、今の敵は、赤松家だ……」


「いや兄上。宇喜多直家の策、もう少し聞こうではないか。……続けろ」


 当主は長兄の政宗であっても、戦略においては宗景の鶴の一声であった。


「はい、ありがたき幸せ。赤松晴政は、浦上村宗様の仇ではございますが、播磨守護を討つ名目として、尼子晴久に国を明け渡そうとした大罪人であると、国を明け渡そうとしたものは守護にあらず、としておれば、因幡守護でありながら尼子家の配下となった山名久通を討つのは道理でございます」


「山名久通を討てば、尼子家が進行してきた折から、敵対していた但馬守護・山名祐豊を味方につける事が出来、共に置塩城を攻めれば、必ずや赤松晴政を討てるに違いありません」


 味方にしてもいつ裏切るか分からぬ赤松政秀や小寺よりは、貸しを作って味方に引き込んだ山名祐豊のほうが当てに出来る。それに、準備を整え待ち構えている相手より、まさか自分が攻められるとは夢にも思っていない山名久通を攻めるほうが楽であろう。

 それだけ揃えば十分に皆を説得する材料にはなった。


「宇喜多直家の策、一考の価値あり」


 そこに、浦上宗景のお墨付きをもらえれば、異を唱える者などいなかった。

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