第2話 初陣 2
小高いなだらかな丘の上にある乙子城の蔵から馬小屋の裏を回る斜面は、かなり急となり両手をついて進まねばならなかったが、先に進む長船貞親は刀の柄にかけた手を放さず、腰を落としたまま平地を走るように素早かった。
「直家様、こっちです」
草の中を音を立てないように気を付けて急いでいると、脇から長船の押し殺した声が聞こえた。無言で差し出された槍の柄を受け取る。数物には違いないが黒く漆塗りされた柄を握ると、手のひらから力強さが流れ込んでくる。
(槍があるのは心強い。しかし、槍をどこから手に入れたんだ?……)
奇襲をするために刀しか持ってきていなかったが、長船貞親ほど剣術に自信のない直家は槍のほうが役には立てるからだ。もっとも、大抵の者がそうであろうが……。
言葉には出さず草の影に身を隠すと、その疑問には足元に倒れている見張りの兵士の死体が、言葉ではなく閉じられなくなった目と口で答えてくれた。
「八郎にぃ、準備が出来たよ」
戦国の常とはいえ感慨にふけっている間に、七郎が岡家利の運んできた油と火薬で火矢の準備を済ませていた。馬小屋に入れば藁がふんだんにある。僅かな火種でも十分に効果があるだろう。互いに小さくうなずくと一気に馬小屋へと駆け込んだ。
「何奴!」
――突然。
無人であると確認したはずの馬小屋の中からするどい叱咤が上がり、彼等の足を止めさせた。
見張りの兵士の詰問などではない。その声から感じる力強さ、気迫、威圧感が、直家だけでなく、長船や岡までその場に凍り付かせたのだ。
「寝所に忍び込んでの暗殺ならともかく、城に入って真っすぐ馬小屋に来るとは、……ただの馬泥棒か?」
大声を上げるわけでもなく、静かに、だが怯えも見せない声が、馬小屋で一人、鎧兜を着け椅子に腰かけていた男の正体を物語っていた。
「――小寺満隆だな」
何故、軍を率いる総大将が一人でこんな所に?
「如何にも、貴様らは何者だ?」
気を取り直して刀を構える長船を前にしても、身じろぎ一つしない。
見張りの兵士を呼ばないのは何故だ?
「俺は、浦上家・家臣、宇喜多直家。その首、いただくぞ」
槍を垂直に構え、穂先を真っすぐに向けても、立ち上がろうとさえしなかった。
逃げられないと観念してか?
「塩の匂い、なるほど海側を渡ったか。こちらの見張りに気づかれない波に紛れた小舟で渡ったのだろうだとすると、四人で全部だな」
「こちらの手を読んだつもりか? だが首を取れば同じこと……」
「一見ばくちに見えて潮の流れを計算に入れた潜入経路に、火を放った混乱に乗じて撤退する用意。それだけの策を用意していながら、玉砕覚悟で私の首を取るのか?」
そう小寺の読みは正しい。殺せないのだ、気が付かれてしまった今となっては。
城から生きて出るには、火をつけて城内を混乱させるか、人質にして城の外まで連れていくかだ。
「首を取るは愚策だが、首を取らぬも下策」
その読みに絶対の自信があるからこそ、どちらの策も無意味であるという態度。
「兵は迅速を貴ぶ、より多くの兵をより早く動かす。そして……、戦場で判断を迷うのは、最も愚かな行為だ!」
叫ぶと同時に小寺満隆が後ろに飛び退った。
戸惑ったのは一瞬。
その一瞬で刀の届かぬ距離を開けられたが、槍ならば投げる事もできる。
わずか一瞬なら取り戻せる。
腕を振り上げ、体をひねって、槍を投げようとした時、先んじられたのは一瞬ではないと気が付いた。
建物の周囲を兵士が取り囲み、屋根の上にも目立たぬように黒い布を巻いた兵が配置され、屋根と壁の隙間から引き絞られた弓が狙っている。奇襲など見透かされてた。待ち伏せされていたのだ。遥かに出遅れていたのだ。
「だが、この様な手で、私の策に先んじるとは浦上家も侮れんな。……たった四人相手に城を焼いたとあっては、屋根裏のネズミに驚いて屋敷を焼くほど臆病だったと笑われるに違いない」
「何だと?……」
「宇喜多直家と言ったな、その名前覚えておくぞ!」
小寺満隆の捨てセリフと同時に、周囲の兵士たちは闇の中に溶け込むように消えていき、数舜後には無人の城に直家たち四人が残されていた。
「何だ?……何が起こったんだ?……」
刺客を捕らえるどころか、城を捨てて撤退する小寺軍の行動が理解できなかったが、乙子城の他の建物を調べてみれば納得がいった。本丸にも蔵にも燃えやすいように、藁束や油瓶が用意されており、大軍を引き入れてまとめて焼き払う計画だったようだ。
「浦上軍が数に任せて川を渡って城に殺到すれば……、と言う事ですね。恐ろしい策です」
「ああ……、しかし……」
これだけの用意をして置きながら、僅かな相手に露見しただけで、城ごと捨ててしまう判断が出来る敵将の方が、直家には恐ろしく思えた。
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