覇者開闢に抗いし謀聖~宇喜多直家~
海土竜
第1話 初陣 1
浦上政宗が父の仇を討つため全軍を挙げて赤松家に攻め込んだが、吉井川の対岸にある小さな城のわずかな兵に足止めをされていた。
普段は茂みに隠れて息を殺し、こちらが川を渡ろうとすれば、途端に現れて攻撃し応戦する間もなく姿をくらます。卓越した用兵術を見せていたのだ。
「これほどの兵法とは、敵将は小寺満隆に違いあるまい……」
小寺満隆とは、後に戦国時代の最高の用兵家として知られる黒田官兵衛の父親である。彼の知略も知れ渡っており、今年、二十三になった怖いもの知らずの勇敢な武将・浦上政宗も手に握った軍配が折れそうなほどしならせていた。
「では、小寺家は赤松家についていると?」
聞き返した若い武将は弟の浦上宗景だった。政宗よりは幾分、線が細く幼くも見え、それをよいことに相手の考えを引き出すのに疑問を投げかけてはいたが、聡明さでは兄をしのいでいることは明白だった。
「そうではあるまい。ただ我らを通す気もないと言う事だ」
「川沿いに北上して、山側から迂回しようにも、川向こうの街道が使えなくては、かなり引き返さねばなりますまい」
「そうなんだ、何とかして向こう岸に渡りさえ出来れば……」
そんな当たり前の事を悩んでも仕方がないだろうと思わないでもなかったが、総大将である兄がこうして悩んでいれば、兵を消耗させるだけである。
彼に代わって川を渡りきる方法を考えねばならなかったが、敵将が小寺満隆となると、そう簡単に隙を見せてくれるはずもなく。宗景とて、使える駒は知れていたので、仕官したばかりの宇喜多直家の奇策に頼らねばならなかったのだ。
「何、兄上。明日の昼には川を渡れているかもしれませんよ」
しかし、宗景は数名の家臣しか連れておらぬ宇喜多直家の策に、妙な自信を感じていたのだった。
直家は小舟に寝そべったまま夜空を眺めていた。風も穏やかで波も比較的静かではあったが、河口から海へと流れ込む水流が小舟を絶えず揺らして、船の縁をしっかり掴んでいないと、いつ海へ投げ出されるか分かったものではない。だが、体を起こして波の間から頭を出すわけにはいかなかったのだ。
「八郎にぃ……、違った、直家様、そろそろですかね?」
小舟に突っ伏した影からひそめた声が聞こえる。初めての合戦に緊張と興奮が入り混じって、うつ伏せになった姿勢のまま肩を上下させているのは、弟の七郎だった。
「八郎でかまわんよ、七郎。そろそろだな」
七郎は、まだ元服していなかったが体格もよく、槍の稽古では直家といい勝負をするくらいだ。一人でも使える兵が欲しく連れてきたのだった。
こうして闇の中に身を潜めていると、幼き日の合戦の記憶が思い出される。直家も初めての合戦に緊張していたが、今はあの時の無力な子供ではない。それに手練れの長船貞親と岡家利もいる。だが、それを心強いと思えるかどうかは別な話であった。なぜなら、たった四人だけで、敵将の首を取ろうとしているのだ。
「八郎にぃ、上手くいくかな? 相手はあの小寺満隆だろ?」
「ああ、だが勝算は十分にあるさ。小寺家にとって、ここを守るのはさして重要じゃないからな……」
自分に言い聞かすように言った。
それに策にも十分な自信もあった。秘かに川を渡り敵将を討とうとするなら、川幅の狭い上流から渡ろうとするだろう。しかし、直家はあえて下流の海に流れ込んでいる辺りから渡ろうとしているのだ。
当然、上流側は敵の警戒も厳重だし、渡り切った後も城までたどり着くのも難しいだろう。しかし河口付近ならば小舟は波に紛れ込んで見えなくなるし、多少の話声なら聞き耳を立てていても聞こえはしないだろう。それに転覆すれば命のない夜半に河口を小舟で渡ろうとするとは思いもしない。相手も余分に警戒をできるほど兵に余裕がないはずである。
そのための小舟に寝そべって乗れるぎりぎりの人数、気づかれずに忍び寄れる最大限の人数であったのだが、もちろん見つかれば命はなかった。
「心配はいりませんよ、直家様」
長船貞親の静かに囁いても力強さを感じられる声が闇から聞こえた。直家はそれに沈黙で答えた。もう対岸が近くに見え始めていたからだ。
岸に着くと、音もなく砂浜に小舟を引き上げて草むらへと移動する。船は流しても良かったが、敵将を討っても兵が降伏しなかった場合を考えれば、退路は確保しておきたかった。無論、失敗した時にも……。
草むらの中を進むと拍子抜けするほど簡単に、見回りをする兵士にも会わず乙子城の外柵まで辿り着いた。城と言っても小高い丘の周りを木で組んだ柵で囲んだだけの屋敷のようなもの。柵をくぐって、内側の建物に忍び寄るのも簡単な事であった。
「ここに、小寺満隆がいるのか?」
「おそらく、あの建物だな……」
馬つなぎに、いくつかの櫓と蔵の他は平屋の建物が一つあるだけだった。
建物の中は入り組んだ部屋で区切られていそうだったが、そこが寝所に間違いないだろう。斜面を這うように建物へと近づこうとするが、流石にこの辺りまで来ると歩哨の兵士の姿が見えてくる。
「直家様、あちらの蔵の影から馬小屋を回って、本丸へ向かいましょう」
「そうだな……」
答えを聞き終わらぬうちに、長船貞親は刀の柄に手をかけて中腰で進み始める。彼のように低い姿勢のまま素早く動けなかったが遅れまいとついていくと、先で小さなうめき声が聞こえた。
草の合間から微かな刀の輝きしか見えなかったが、その一瞬で歩哨を切り伏せ、物音を立てぬよう静かに草むらに寝かしながら鋭い視線が止まるように合図を送ってくる。
「……見張りか……どうした?」
無理な体勢で草むらを歩いたので思わず声が上ずってしまいそうであった。呼吸を整えながら近寄り、できるだけゆっくり静かに問いかけると、長船貞親はやけに神妙な顔で歩哨の死体を眺めていた。
「うまく声を上げさせずに仕留めましたが、離れた蔵の裏にまで見張りを忍ばせているとは思いませんでした」
「こちらの奇襲が読まれていたと?」
「分かりません。手練れの兵を揃えてはいますが、警戒しているのなら兵の数が少なすぎます」
刀の柄を握りなおす長船貞親の手に緊張が込められている。彼に手練れと言わしめる兵士が相手なら、不意を突いて切りかかっても声も上げずに切り伏せられるとは限らない。
それならば、いっその事……。
「……予定通り、馬小屋を目指す。そこから四方に火を放って、混乱に乗じて一気に小寺満隆を討つぞ」
火を放つのも計画のうちではあった。できれば小寺満隆の姿を確認してからにしたかったが、ここまでくればもう後には引けない。相手が気づく前に仕掛けたほうが得策である。
そう腹をくくれば、後は闇に乗じて、静かに、素早く、駆けるのみ……。
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