第三章-12:おばあちゃんのお饅頭


 月宮の耀。今夜は一際月が大きい。白龍公主は遥媛公主のように飛ぶ事はぜず、まるで愉しむかのように、庭園を歩きはじめた。


「わたしのことですか?」

「そうだ。俺はおまえの饅頭を食ってから、色々とおかしい。まず、女を喰わずに済んでいる。飢えるという感情が消え失せた。そして、色々と考えるようになった。天人の俺が人間の食物を口にしたのだ。どこか狂って当然だろうな」


「ごめんなさい……」


 月明かりに腕を翳して、白龍公主は振り返った。


「そこで一つの結論を出した。あの饅頭は天界の味だ。小羊、お前には天人の血が流れているのではないか。お前は光蘭帝の魔を消してしまう。逆に蝶華はその魔と同調する。だから光蘭帝と交われば、光蘭帝は魔を増幅させる。神とて、簡単に人を改造は出来ない。しかしお前の方が強い。いずれ光蘭帝を元に戻すのだろう」


「言っている意味がわかりません」


 明琳はきっぱりと言った。


「両親はちゃんとした人です! 天人の血が流れているとかあり得ません」


「両親とは限らぬ。人の血筋は理解出来んが、その上がいるだろうが。ジジイ、ババアという呼び名だったか?」


「おじいちゃん、おばあちゃん……」


 明琳は何故か後宮に拘った死んだ祖母を思い出していた。


「嘘です! あ、あたしがそんなはず」


「ではお前のその饅頭を喰った俺、光蘭帝はどうして変わってゆく?」


「それは……」


 光蘭帝だけなら、「美味しかったから」なんて言えるが、白龍公主まで。そんなに自分の饅頭は特別なのだろうか。


 嬉しいと思えないのは、どうしてだろうと明琳は哀しくなる。その哀しい気持ちの中に、おばあちゃんの背中が重なった。



 ――ねえ、どうして、おばあちゃんは…。



 消沈した明琳の前で、白龍公主が静かに語る。


「華仙人は感情の起伏がない。ちょうど眠い時の光蘭帝と同じように、人をねめつけるでもなく。ただ、見ているだけだ。昔話をしてやろうか」


白龍公主は城壁に寄りかかった。顎で西の呪われた宮を示した。


「光蘭帝の母、東后妃には天人の素質があった。従って光蘭帝には統治者の資格があるが、小羊、お前も俺から見れば同等」


 話がこんがらがってきたと明琳が顔を顰めたところで、白龍公主が自分の唇に人差し指を当て、明琳を抱き上げる。ふわりと爪先が浮く。気がつけば空を舞っていた。


「遥媛公主たちだ。俺はあいつが嫌いでね。またあいつも俺が嫌いだ。庭園を破壊しかねない」


(あ、ホントだ。准麗さまと公主さまだ)


 真下では、白と赤の重ねに銀の被きを肩にかけた遥媛公主と、いつもの黒の長裙を纏った准麗がちょうど黄鶯殿の中庭で足を止めている。今では明琳のご主人たる淑妃と武官。そう言えばいつも一緒にいる気がする…と明琳が何かを言い出そうとし。


 静かにしてろよ?と白龍公主が小柄な明琳の口を塞ごうとした。






 ――西の祥明殿に異変だと?

 ――はい。物陰が蠢いているそうです。封じたはずの東后妃の怨念でしょうか。


 ――まだ早すぎるぞ。蘇芳蓮華に気づかれたらすべて終わりじゃないか。

 ――東后妃の復活は僕の悲願です。

 ――まだ早いと言っているのがわからないかい准麗?…その身体を返して貰う事になるよ?



「俺に気づかれる?……祥明殿?……」


 歩くのが嫌いな遥媛公主は僅かに地面から足が浮いている。また物音がして、一人の人影が加わった。白龍公主が名を口にする。


「光蘭帝飛翔だ」


(あ、今度は皇帝さまが)


――それにしても、あの明琳って小羊……。


(わたしの事を話している) 


 ――ああ、蝶華も形無しだな。で、まだ子供は産ませないのか? とっととケリをつけたいんだけどね。あの白龍公主の馬鹿と争うのも飽きたし。


「何だと?誰が馬鹿だ。あの女ぁ」


「だめですってば!……あとで御饅頭あげますから白龍公主さま!」


 ――で、お前はどちらの種を受け取るのだ?


皇帝は悲しさを含めた声音になった。


「まだ決めてはいない。……この後に及んで、惜しくなった。どうせなら、明琳も一緒に連れてゆきたい」


ざわざわと夜風が凪いた。


「争いも、苦しみもないならば、私はそんな世界に行きたい。もう醜い想いはたくさんだ。この世界は終わりで良いーー」


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