三 推論
確かに彼ら村人の目からすれば、その古田五郎蔵という男は〝蘇ったバケモノ〟以外の何ものでもなかったに違いない……。
だが、おそらく彼はバケモノでもなければ、死んで蘇った〝生ける屍〟なんかでもない。
いや、それどころか彼はたぶん、鎌を胸に突き刺されるまさにその瞬間まで、冷たい土の下で〝まだ生きていた〟のだ!
浦島氏の語った五郎蔵にまつわる怪現象は、現代科学の見地や客観的視点に立って考えてみれば、ある程度の説明がつく。
まず、埋葬したはずの古田五郎蔵が現れ、家族や村人達を襲ったという話だが、埋められた人間が自分で墓を抜け出して来ることなど実際にあるわけないのだから、それはおそらく残された者達の幻覚…もしくは幻想だろう。
先程、浦島氏から聞いたところによると、五郎蔵は酒癖の悪い乱暴者として、そうとう村人達に嫌われていたらしい……きっと奥さんや子供達も、常日頃から暴力を振るわれていたに違いない。今風に言えばDV男だ。
であるならば、人々の心の内にはそんな五郎蔵に対するひとかたならぬ感情があったのではないだろうか?
死んだ時も誰も悲しまず、むしろ喜んだということだし、もしかしたら葬儀や埋葬の方法もおざなりだったのかもしれない。
もしそうだとすると、村人達には彼に対する後ろめたさというものも多少なりとあったはずだ。
いや、ひょっとすると、生前から凶暴だった彼は、死んだ後もバケモノとなって悪事を働くに違いない…という考えが初めから村人達の間にはあったのかもしれない。
そうした五郎蔵に対する恨みや恐れ、不安といった負の感情が、そのように恐ろしい幻覚を村の人々に見せたのではないだろうか?
加えて、彼の墓の下から聞こえてきたという物音が、その幻覚を助長したことは充分に考えられる。
五郎蔵の亡霊に怯える極めて不安定な精神状態の中で過ごしていれば、健康を害するのだって当たり前だ。身体の弱い者やもともと病がちだった者ならば、衰弱して亡くなることだってあったかもしれない……。
それがおそらく〝墓を抜け出した五郎蔵〟の真相であろう。
すべては、村人達の怯える心が生んだ集団幻想だったのだ。
次に、墓を暴いた時に遺体が腐りもせず、まるでまだ生きているかのようであったという現象についてだが、こちらは先程も言った通り、彼が〝まだ死んでいなかった〟からに相違ない。
話によると、彼は泥酔したまま大雨の降る中へと出て行き、翌朝、冷たくなって発見されたとのことであるが、その状況からはカタレプシー(強硬症)の可能性が考えられる。
カタレプシーというのは、今もってその原因についてはよくわからないところもあるのだが、精神的な要因で起ったり、心身の疲労を回復させるために肉体が強制的に機能を低下させることで起きる現象だなどと言われている。
この発作が起こると、強い身体硬直によって感覚や筋肉運動が停止し、長く続くと脈拍や呼吸までもが低下するらしく、それ自体で死ぬことはないにしても、長いと数日くらいは続くこともあるのだそうである。
つまり、傍から見れば、しばらく〝死んだように見える〟のだ。
もしかしたら五郎蔵も、酩酊状態で雨に打たれたことにより体温が著しく低下し、このカタレプシーに陥ってしまったのかもしれない。
そして、そのまま彼は死んだものと理解され、〝生きた状態のまま〟で埋葬されてしまったのだ。
そればかりか、さらにしばらくの間、五郎蔵は埋められた棺桶の中でも奇跡的に生き続けていたようである。
だから墓を掘り返した時にも血色が良く、新しい爪まで伸びていたのだ。
血行がいいように顔が赤かったのは、おそらく土中の棺桶の中で酸欠になったためであろう。
また、指先や顔が鮮血に染まり、棺桶の蓋や経帷子までが血だらけになっていたというのも、彼が途中で意識を取り戻し、酸欠の息苦しさに棺桶の中を掻きむしった結果なのではないだろうか?
墓地を通りかかった者が聞いたという、彼の墓の下から響く怪しい物音というのは、たぶんこの時の音だ。
古田五郎蔵の埋葬は、まさに〝早すぎる埋葬〟だったのである。
即ち彼は、まだ〝生きているかのよう〟であったのではなく、まだ〝本当に生きていた〟のだ!
そう……本当に文字通りの〝生ける屍〟だったのである。
生きてる人間の心臓に鎌なんか突き刺せば、大量の血が噴き出すのもあたりまえである。
だから、村人達が彼に行ったマジナイというのは……。
私は、この話を浦島氏にしようかどうか迷った。
このことを教えれば、ずっと心の奥底にわだかまっていた、子供の頃に体験した悪夢のような出来事の真相を浦島氏は知ることができるだろう……。
しかし、それは同時に、知らなければそれですんだはずの大きな苦悩をも、この故郷を失くした哀れな老人に背負わせることとなってしまうのだ。
人として、してはならない大罪を、自分達は犯してしまったのだという苦悩を……。
「どうだね? わしの話が本当のことだと、これで信じてもらえたかね?」
私が思いあぐねている内にも、老人はなんだか自慢げな様子でそう尋ねてきた。
「は、はい。とても興味深いお話しでした……」
私は反射的に、そんなその場しのぎの言葉を返してしまっていた。
「ただいまあ……あら、こんにちは。もしかして例の村の話を聞きたいっていう大学の先生? やだもう、おとうさんったら先生にお茶も出さずに」
するとそこへ、不意に女性の声がしたかと思うと、買い物に出たという奥さんらしき老婦人が、大きく膨らんだビニール袋を提げて帰ってくる。
「いや、淹れようと思ったんだが、お茶菓子の在処もわからんし……」
「すみませんねえ。この世代の男は何一つ家のことができないものですから。今、すぐにお茶用意しますね」
帰宅早々、その古い世代の男性的価値観を責める奥さんに、弱り顔の浦島氏は頭を掻きながら言い訳をしている。
「ああいえ、どうぞおかまいなく。お話は充分聞けましたので、もうそろそろお暇しようかと。午後には大学の授業もありますし」
そんな老夫婦の長閑なやりとりに、僕はこの五郎蔵の事件に隠された惨たらしい真相を、あえて伝えずにおくことにした。
こんな辛い話、故郷を失う代わりに手に入れた、この平穏な老後の生活を壊してまで知ることもないであろう。
不幸になるだけの真実なら、ずっと知らない方がいいことだってある。
「おや、そうかね? まあ、何か聞き足りないことがあったら、またいつでも遠慮せずに来るといい」
「ええ。今度はもっとゆっくりしていってくださいね」
「はい。ありがとうございます。それじゃ今日のところはこれで」
人懐っこい笑顔を浮かべ、親切な言葉とともに揃って見送ってくれる老夫婦に、僕はそう謝辞を述べてから頭を下げると、努めて微笑みを湛えたまま彼の家を後にする。
「…………ま、市史を書くのにも不必要な資料だからな」
そして、玄関のドアを閉めるとレコーダーを取り出し、先程録音した浦島氏の音声データをこの世から完全に消去した。
(生ける屍 了)
生ける屍 平中なごん @HiranakaNagon
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