第5話

 翌日から、僕らの訓練が開始された。目的がはっきりしたせいか、以前よりも熱を持って行われていた。


「私も戦うぞ。お前らに負けてはいられない」


 麻倉さんもそう言って笑った。きっと、これなら大丈夫だろう。

 僕らはそれぞれの想いを背負って、でも目指す先はひとつだった。残された時間は短い。それでも、僕らはできるだけのことをする。弘也に、僕らの想いを伝えるために。

 そうして、僕らの2日間はあっという間に過ぎていった。


「待ちくたびれたよ」


 夜の闇の中で、弘也は悠然と構えていた。ガードレールに腰を据えて、パーカーのポケットに両手を突っ込んでいる。その色はやはり黒だ。

 そんな弘也を守るように、両側にはかなりの人数の男女がいた。やはりどの顔も若く、陰鬱な影が見える。麻倉さんの話を聞いて、彼らの印象が三日前とは大きく変わっていた。彼らも、それぞれが痛みを抱えてここにいるのだ。そう思うと、いたたまれない。でも、彼らには彼らの事情がある。それが分からない僕には、口出しすることができない。


「今回は人数を増やしたよ。先生にいろいろ教えてもらったんだろう」


 確かに、弘也の周囲に集う若者たちは以前と比べて多い。少なくとも倍はいるだろう。


「今回はなにも言わないんだね。まぁいいや。ルールは前と同じ。ここまで来られたら、そして僕に勝てたら。あの子は返してあげるよ」

「弘也」


 それじゃあ、と言って右手を振り上げた弘也に、僕は制止の声を掛ける。


「僕たちは、お前に伝えたいことがある。だから、今からそこに行く」


 僕らが出した答え。僕らの想い。それを伝えるために、僕らはここにいるのだ。弘也には、伝えてやらないといけないことがある。


「喋ったと思ったらそれかよ」


 弘也が舌打ちを零して、吐き捨てる。


「うぜぇのは相変わらずだなっ」


 そうして、勢いよく弘也の右手が振り下ろされた。


「来たな」


 隣で健吾が肩を回す。こりこりと鳴る骨の音が小気味いい。眼前には迫り来る群集。彼らの目はどこか悲しそうで、それでいて少量の安堵を含んでいた。その安堵の理由が、なんとなく分かる気がした。歪んでいるかもしれない。屈折した感情かもしれない。それでも、彼らは居場所を見付けることができたのだろう。たとえ命令の下だとしても、こうして共に戦う人がいるだけで、孤独を強いられてきた彼らには安堵になり得るのだ。

 それを分かった上で、僕は言う。


「行こう、健吾」

「承知」


 言って、健吾が跳んだ。瞬く間に先陣との距離を詰めて、その先頭を走っていた男を叩く。振り下ろした右足は、的確に男の脳天を捉えた。


「1人」


 僕は、その数を数えていく。倒した人の数だけ悲しみがあった。苦しみがあった。それを忘れぬように。


「そう気負うな」


 柔らかく、肩が叩かれる。振り返れば、麻倉さんが笑っていた。


「私たちは、仲間だ」


 そう言って、麻倉さんが頷く。


「一人で背負うことはない」


 肩に乗った手が、掛けてくれた言葉が、ただ暖かかった。麻倉さんも健吾も、僕の仲間。初めてできた、仲間なのだ。彼らがいたから、僕は強くなれた。だから。


「大丈夫」


 想いは言葉になりきらずに、そこで止まってしまった。でも、それを聞いて、麻倉さんが頷く。きっと、伝わったのだ。


「それじゃあ、私も行こう。背は任せたぞ」


 そうして、麻倉さんも跳んだ。健吾の背後に回る道を選び、低い軌道で滑るように跳んでいく。そして、健吾に飛びかかろうとしていた少女の顎を、真下から打ち抜いた。


「2人」


 次いで、健吾の正面に迫っていた青年が、伸びた右腕によって突き飛ばされていく。


「3人」


 そこまで数えたところで、僕も身構えた。


「行こう」


 一人、呟く。目の前では、麻倉さんと健吾が戦っている。その向こうに、弘也が見えた。


「今、行くよ」


 右足で、地を蹴った。加速する。そして、重ねて左足で地を蹴る。加速を上乗せする。再び右足。更に加速を積み重ねていく。そうして加速すると、僕を行かせまいとするかのように、一人の男が飛び込んでくる。

 その男の腰が、軽く引かれた。

 それを見て、僕は予測する。右の蹴りが来る。

 その予測に従って、左腕を持ち上げた。右手を肘先に添えて、左腕を垂直に立てる。上段の蹴りを防ぐ構えだ。

 直後、衝撃が来た。予測した通り、男の右足がへし折る勢いを持って僕の左腕を叩く。だから、左の肘を持ち上げて、抱えるようにして男の右足を捕らえた。そのまま右足を力任せに引っ張る。そうしてバランスを崩した男を、右の拳で打ち抜いた。


「4人」


 殴った右手が痛い。この痛みは、忘れちゃいけない。そう心に決めながら、僕は再び地を蹴った。


「5人」


 視界の隅で、健吾が青年を叩き伏せた。目が合って、健吾が微笑む。いてぇな。口の動きだけで、そう告げられる。走りながら、それに頷きを返した。

 そうしていると、背後で肉を打つ音が聞こえた。思わず振り返る。


「気にしなくていいぞ。これが、私たちの戦い方だ」


 そう言って立ち上がったのは、麻倉さんだ。その向こうには、胸に両足分の足跡をつけた男が伸びていた。

 6人。声には出さないけど、しっかりと胸に留める。


「前だけを見ていればいい。お前の背は私たちに任せろ。私たちの背は、お前に任せるから」


 そう言う麻倉さんの背に、一人の男が飛び込んできた。咄嗟のことで、反応できない。


「ほいっ」


 すると、そこにそんな声を伴って健吾が飛び込んできた。7人。


「そうだぞ。振り返らない。ここに来る前に決めたことだろ」


 健吾がその言葉通りに、振り返らずに言った。

 そうだ。前を向いて、背中は信頼する仲間に預ける。それが、僕らが決めた事で、信頼の証だ。だから。


「うん」


 頷いて、健吾に背を向ける。


「行こうぜ」

「うん」


 答えて、僕らは跳んだ。それぞれが前を向いて、跳んでいく。背中は預けた。だから、前だけを見て、僕らは走った。

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