第2話
「もう、僕に残された時間は少ない」
夜空には、満月が浮かんでいた。まるで大きな穴が開いたように、そこだけが白色の光を放っている。たなびく雲が、夜空に濃淡のコントラストを作る。
それを窓の内側から眺めながら、僕は考えていた。
なぜ、話してしまったんだろう。自問する。
「時間がないって、どういうこと」
背後から少女の声が聞こえた。おそらく、ベッドにでも腰掛けているのだろう。
「そのままの意味だ。そもそも、僕はもう死んだはずの身だ。それが、こうしてまだ生きてる。だが、それももう終わる。落ちるんだ。今まで停止していた時間のすべてを受けて、僕は落ちる」
口がすらすらと動いた。なぜだろう。終わりが来ることなんて、誰にも話したことなどないのに。そもそも、話す相手すらいなかった。
「そのときが、もうすぐ来るってこと」
「そうだ」
夜空を見上げたまま答える。視線の先では、流れてきた雲が月を欠けさせていた。覆い隠すほどではないが、満月は今や右下が欠けている。
少女には、すべてを話してしまった。僕がここにいる原因や、ここに来てからのこと。
だから、先程から同じ問答をずっと繰り返している。なぜ、話してしまったのか。しかも、人質として連れてきた少女に。その答えは、決まって分からないだった。いくら問うてみても、一向に答えが出ない。
「だから、光樹と戦うの」
少女が問う。
「どうだろうな」
僕が芦原光樹と戦う理由。それは、いったいなんだろう。始まりは、単純だった。僕より強い奴を求めた。僕に敵う者など、この世界にはどこにもいなかった。だから、生身でありながら、僕の打撃をかわしたあいつに興味を持った。こいつなら、僕と対等にやりあえるのではないか。そう思った。
だが、その先になにを求めていたのだろう。なにを望んでいたのだろう。
昔、僕が初めて人を傷付けたとき。僕を叱った人がいた。いけないことだと、叱咤した。僕はそれを、拒絶した。無理解に激怒した。でも、そのとき伝えようとしていたことはなんだったのだろう。僕はそれを聞かずに、その人の元を去った。そのとき僕がなにを求めていたのか、今となっては思い出せない。思い出そうとするには時が経ち過ぎてしまった。そして、拳を振るい過ぎていた。
なんのために拳を振るい続けているのか。どうして更なる強者を求めるのか。今まで疑問にも思わなかったことが、今は気に掛かって仕方がない。答えが出ないその問いを、ここ数日は繰り返し続けている。
「光樹と戦って、どうするの」
少女の問いは、僕が答えを出せずにいる問いそのものだった。
「分からない」
言葉が、零れ落ちる。おかしい。はぐらかすべき思いが、言葉となって落ちていく。なにかが、おかしい。
「なにを求めてるの」
問いは続く。
「分からない」
答えは変わらない。
「なにを望んでるの」
繰り返される。
「分からない」
意味があるのかも分からない問答。
「なにを後悔してるの」
「そんなものはないっ」
気付けば、叫んでいた。なぜだ。分からない。どうしてだ。分からない。
「そんなものは……ないっ」
吐き捨てる。悔いなどないのだと、言い聞かせるように。そもそも、なにを後悔することがあるのだ。僕は僕の望む通りにやってきた。あいつらに復讐し、こちら側でも次々と強者を打ち倒していった。勝ち上がってきた。強さを求めて、僕はそれを手に入れた。後悔など、する余地もないのだ。
それなのに。
「どうしてだ……」
満たされない。どれだけ求めたものを手に入れても、どれだけ望みを叶えても、僕が満たされることはなかった。本当は気付いていた。気付いても、見ぬ振りをしてきた。なぜならそれは、僕には不要なものだったからだ。強さを求めて、それ以上になにを求めるのだ。それ以上などいらない。そう思っていた。
ならば、なぜ満たされないのだ。なにが足りない。なにが叶わない。分からない。答えが、見付からない。
「光樹なら、答えてくれるよ」
少女が言う。その言葉は穏やかで、静かだった。
「あいつ、目だけはいいの。ちょっとしたことで、なんでもお見通し。だからきっと、君の望みも、見付けてくれるよ」
振り返って見れば、少女の表情は澄んでいた。そこに、欺瞞の色はない。芦原光樹に対する絶対の信頼が見える。
「どうして、あんたはそこまであいつを信じることができる。あいつはあんたじゃないし、あんたはあいつじゃない。他人だ。それが、なぜ」
「ずっと一緒だったから」
思わず掛けた問いに対して、少女の答えはあまりにも簡潔だった。
「私は光樹のことをなんでも知ってるし、光樹は私のことをなんでも知ってくれてる」
間髪入れずに、答えが来る。
「光樹が私に頼り切りなのは分かってるけど、私も光樹のことは頼りにしてる。私と光樹はそうやって繋がってきた。お互いがお互いを必要としてる。それが、私と光樹の絆だよ。そして、私が光樹を信じられる理由」
そう言う少女の瞳が、僕には眩しかった。
そうして、初めての感情を得た。妬みだ。
でも、そこに黒さはなくて。心の深いところに、すとんと落ちた感情。
羨ましい、と。素直に、率直に、そう思った。
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