第5話

「手荒な扱いをして悪かった」


 言って、連れてきた少女を床に下ろした。そして、部屋の三分の一を占めているベッドへと向かう。三歩も行かぬうちに部屋を横切って、ベッドへ腰掛けた。すると、その正面では座り直した少女が、こちらを睨み付けていた。


「なんで、私を連れてきたの」


 いきなり質問を投げつけられる。さっきまであれほど怯えていたのに、たいしたものだ。それとも、危害を加える気がないことを悟ったのだろうか……。


「そのうちわかるさ」


 試しに、答えをはぐらかす。どのみち、答えを知ったところでどうにもできはしない。

 それに対し、少女は無言を答えとした。同じ質問を立て続けに重ねてこない辺り、肝が据わっているというかなんというか。


「それじゃあ、ここはどこ」


 今度は別の質問がきた。物怖じした様子はまったくない。


「僕の家だ」

「家……」


 感心しつつ返した僕の答えに、彼女は首を傾げ、周囲を見回した。


「……本当に」

「嘘を吐いてどうする」

「まぁ、そうだけど……」


 納得半分、疑問半分といった具合に、再び首を巡らせる。そんなに珍しいものでもあるだろうか。特別なにかあるわけではないと思うが。というより、物が少ないから、そのほうが珍しいのかもしれないな。


「ここから出なければ、好きにしていい」


 僕もひとしきり部屋を見回したあと、彼女にそう声をかけた。


「……どういうこと」


 一転して、彼女から険のある声が飛んでくる。


「そのままだ。この部屋から出ることは許さない。でも、この部屋にあるものは好きに使えばいい。必要なものがあれば言えばいい。このベッド以外は、お前の好きに使え」


 それだけ言い切ると、なにかを言いかけた彼女に背を向けて横になる。狭いシングルベッドだ。壁から距離を取ろうにも限度がある。

 彼女は人質だ。言い方は悪いが、あの少年を誘き出すための餌。人質は、無事であることで効力を得る。傷付けてしまえば、それで人質の役割は終わりだ。

 それに、犠牲はなるべく少ないほうがいい。

 そう思った瞬間。


「くっ……」


 思わず、身を折った。心臓が跳ね上がり、胸部を刃物で貫かれたような激痛が走る。息が詰まって、眼球周辺、特にこめかみ辺りに血液が集中する。頭蓋の中で、脳が脈打った。


「どうしたのっ」


 背後で彼女が立ち上がる気配を感じた。すぐに肩を揺すられる。


「どこか痛むの……」


 顔を覗き込まれる。

 しかし、僕は肩に乗った彼女の手を振り払うように腕を振った。


「触るな。なんでも、ない」


 顔を背け、食い縛った歯の隙間から、どうにか声を絞り出す。言葉で彼女を突き放す。彼女が諦めてくれればいい。痛みの原因は分かっているのだ。対処のしようがないことも含めて。だから、彼女がなにをしようとも、無駄でしかない。


「そうはいかないでしょ」


 しかし、彼女は諦めなかった。近寄らせないために振った腕を掴まれて、正面を覗き込まれる。


「どこか悪いの、薬は」


 その表情は真剣で、ここに連れてきたときに見た、怯えきった表情とは似ても似つかない。


「どうしてだ……、僕が怖いはずだろう、憎いはずだろう……。なぜ、近付く」


 いまだにずきずきと疼く胸の痛みを堪えながら、彼女に問う。彼女にとって、僕は単なる加害者だ。いくら僕が胸痛を訴えようとも、看てやる義理はない。それなのに。その、飾ったような親切心に苛立ちが募る。


「なんでって、だって、今のあなたを怖いとは思えないもの。今は……うまく言えないけど……なにかに怯えてるみたい」


 訴えかけるように、その目が僕に向けられる。僕には、それが偽善にしか映らない。


 じわじわと、心の底に、暗い感情が溜まっていく。なにが怖いと思えないだ。怯えてるだと……。自らを鼓舞して、分け隔てなく慈愛の情を抱ける自分に酔っているのか。鬱陶しい。その驕りを、僕に向けていることに腹が立つ。

 傷付けたくなった。その目を閉ざして、僕と目を合わせることにさえ恐怖を抱くほどに、痛め付けてやりたくなる。剥いて、奪って、捨てて、削って、抉って、裂いて、引き摺り出したものをぶちまけてやりたい。


 そのとき、ぐっと一際強い痛みが襲う。


「……っ」


 掴まれていない左の拳で、胸元を握り潰す。

 そうして、その痛みを契機に、胸の痛みが引いていった。突発的に訪れた激痛が、跡を残さぬように緩やかに抜けていく。

 俯いて、熱を持った息を一度だけ吐いた。そして、顔を上げる。黒い感情は、痛みと共に抜け落ちていた。


「近付くな」


 言って、掴まれた腕を強引に振りほどいた。どのみち逃れられない運命だ。干渉されても、されなくても、結末は変わらない。それならば、干渉されないほうが気が楽だ。

 壁に体を向け直して、もう一度横になる。


――もう触れようとしないでくれ。


 切実に、それだけを願いながら目を閉じた。

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