第55話トイレを借りる男

「それで。ここはどこなんだ?」


 翌日。俺はリリアナが「妙案があるのです。三十六計なのです」という勢いにつれられてここに来た。


 三十六計とは兵法の事で戦術を六系統六種類に纏めたもので。その最後。走為上計。つまりは【勝ち目がなければ戦わずに全力で逃げろ】の意味がある。

 こいつのことだから漫画に感化されてなんとなく難しい言葉を使ってみたに違いない。


「よくぞ聞いてくれたのですよ」


 俺が質問すると、リリアナは胸をふんぞり返らせてフンスと息をする。


「まずそこにある表札を見るのです」


 俺へのヒントと言うことか、指差した先には【音無】の名前が。


「ふふふ。サトルさんには及びもよばぬ計略があるのです。それは――」


「知り合いを装って音無家に潜入して音無魅音さんが託した段ボール箱を奪取してその中身を見ることで音無さんという人物を知れば百戦危うからずとか?」


「……えっ?」


 俺の言葉にリリアナの笑みが固まる。


「まさかそんな安易な作戦を立てるわけないよな。もし立てるにしてもここに翼を連れてこないのは不自然だもんな。俺は男でリリアナは高校生程度だからな。魅音さんの友人を名乗るには無理があるわけだし」


 更に追加でまくし立てると……。


「えっ……いや……あははは。なのです」


 乾いた笑みを浮かべるリリアナを俺は冷めた目で見ると……。


「図星か?」


 からかい口調で聞いてみる。そうするとリリアナは耳をぴょこんと出して真っ赤になると。


「ちちち、違うのですっ! リリーはそんなサトルさんが考えつくような安易な作戦なんて考えてないのですよっ!」


「ほう。だったらどういう作戦か説明してもらおうじゃないか!」


 興奮するリリアナの痛い部分を俺は攻撃する。


「うっ……」


「ほら見ろ。特に何も思いつかないんだろう?」


 追い詰められた猫のようにリリアナが「うーうー」言ってると。


――ガチャ――


 ドアが開き一人の女性が姿を現した。


「あの。家の前で騒がれますと……」


 やつれた様子の女性。目にはくまが出来、頬がやせ細っている。全体的に不健康に見える肌色はお世辞にも体調を整えているとは思えない。

 テレビで泣きながら我が子に向かって呼びかけていた。魅音さんの母親だ。


「あっ。すいません」


 常識的な判断として謝っておく。マスコミの報道やら周囲の騒音でまいっているのだろう。


「こんにちは。なのです」


 だが、リリアナはそんな俺達の空気を無視すると挨拶をした。


「えっと……こんにちは」


「おっ、おい。リリアナ」


 俺は慌てて止めようとするのだが……。


「おばちゃん顔色が良くないのです。ちゃんとご飯食べてるのですか?」


 引っ張ろうとしたところで止める。リリアナの瞳が心配そうに音無さんを見ていたからだ。


「見苦しいものをお見せしました……最近よく眠れなくてね」


 そう答える音無さん。その表情は悲痛に染まっている。俺はこれ以上悲しませるわけには行かない。リリアナを連れて退散しなければと判断するのだが……。


「それは良くないのです。リリーが元気が出る食事を作るのですよ」


 リリアナが強引に迫っていった。





「薬膳かゆなのです。熱いのでふーふーして食べるのですよ」


 あれから。リリアナの押しの強さに押された俺と音無さんは俺達を家に上げた。

 リリアナは言葉通りに台所に立つと、鼻歌まじりに料理を始めてしまったのだ。


「す。すいません。うちのリリアナが」


「い。いいえ。最近は食事も碌なものを食べていなかったので」


 そう言うと音無さんは土鍋からおかゆを取るとレンゲで食べ始めた。


「どうなのです。滋養によく聞く薬草をふんだんに使ったのです。これを食べれば元気になるのですよ」


 純粋な笑顔を見せるリリアナ。


「ふふふ。ありがとう。美味しいですよ」


 そんなリリアナにアテられてか、音無さんが初めて笑顔を見せた。


「あっ。笑ったのです。良かったのですよ」


 そんなリリアナの笑顔をみてほほ笑んでいた音無さんだが次第に表情が曇り……。


「うっ……ひぐっ……」


 手で顔を覆って嗚咽を漏らし始めた。


「おばちゃん。どうしたのですか? 痛いのですか?」


 リリアナが心配そうに背中を擦る。


「ごめんね。リリアナちゃん。娘の事を思い出してしまって……」


 なんでも。音無さんが病気の時におかゆを作ってくれた事があるらしく。その時を思い出してしまったらしい。


「そうだったのですか。良かったらその娘さんの事教えて欲しいのですよ」


 リリアナがそう言うと音無さんは目を大きく見開く。そして――。


「ええ。そんなは話で良ければいくらでも」




「へぇー。魅音さんは中学で美術部だったのですか」


「そうなの。画材を買ってあげるなり、部屋にこもってなにやら熱心に描くようになったのよ」


 目の前ではリリアナと音無さんが談笑をしている。今の所、貴重な情報は出てきてはいないが、それでもよく短時間でここまで打ち解けたものである。

 とはいえ、俺としては女同士の会話に口を挟むつもりはない。


 下手な相槌は見抜かれるだろうし。話題を差し込むことで穏便に流れている空気を壊したくなかったからだ。

 リリアナがここで音無さんを足止めするなら俺にもできることはある。


 問題はどうやって席をはずすかなのだが……。


 リリアナと目があった。彼女は俺と視線を交わすとパチリと片目を閉じる。そして俺がどうしたいのかを察すると頷いた。

 伊達に同居生活をしていない。俺にはリリアナの意思が手にとるようにわかるし、逆もまた然り。


 後は会話の途切れるタイミングで離脱するだけだ。そして、その口実をリリアナが作った。


「――なるほど、魅音さんは複雑な数学が得意だったのですね。ところで――」


 流石は出来る女。一拍置くことで視線を俺へと誘導する。これで俺が離脱しやすくなる。


「サトルさんがすっごいうんこしたい顔してるのです。トイレを貸してほしいのですよ」


 後には苦笑いする音無さんと、羞恥で顔を赤くして部屋から出る俺がいた。

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