第32話挨拶に伺う男

 世界でも有数の経済都市の東京。

 その東京の一角にそのビルはそびえ立っていた。


 四方に並び立つ四つのビル。その中央には一際大きく、そして高いビルがそびえ立っている。

 地上270メートルから覗く絶景は、この都心において最高長で、景色を遮る事無く遠くを見渡す事が出来る。


 地上55階に地下8階。屋上にはヘリポートが設営され、下層には高級レストランからショッピングモールまで。生活に必要なありとあらゆるものが賄える。

 ビルの名前は『ウイングヒルズ』。建築デザイナー丹下弘道が手掛けた代表作で建築費用は実に5000億にもなり、年間維持費だけで100億という費用が発生する。


 それだけでも一般庶民からすれば想像もつかないような大金なのだが、誰もが驚愕するこのビル。実は個人所有だったりする。


 所有者の名は湯皆総一郎ゆみなそういちろう。世界大富豪ランキングに名を連ねている日本を代表する大富豪で湯皆翼の祖父に当たる人物である。

 彼は代々続く湯皆の家を発展させてきた昭和を代表する高度経済成長期の立役者だ。


 このビルは今から17年前に建築計画が持ち上がり、12年前に完成したなのだ。

 この世界のありとあらゆる物や人が集まるように計画されたこのビルは湯皆本家の威光をこれでもかと言うほどに高めるのに役立っており、地上50階から上は限られた人間しか立ち入る事の出来ないプライベート空間となっている。


 そこに住む人物はあらゆる俗世とのしがらみを絶ち、地上を見つめていた。…………そうまるで。






 ――神のように――






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『もうすぐ着きそうですかね?』


 電話越しに湯皆の声が聞こえる。後ろからは何やら放送している音が聞こえる。今日は年始を跨いだ週末という事もあり、通路は異様な賑わいを見せていた。


「もうすぐって言うか。人が多くて全然解らないんだけど」


 どこから湧き出してきたのか右から左へ。あるいは後ろから前へ、人の流れが激しく俺はその場にとどまる事をあきらめて歩き続けていた。


『大丈夫ですよ。唐山さんのGPS位置を見る限りだとそのまま真っすぐ行けば到着するので』


「おまえ。なんで俺の位置情報が判るんだ?」


 俺は自分の場所を湯皆に知られているという事実に背を冷たく濡らしていると。


『やだなぁ。女の勘ですよ。後は店内の放送が流れてくるじゃないですか。それでおよその位置は判別できるんですよ私』


「ほ、本当だな? 間違っても追跡アプリなんて入れてないよな?」


 この前「気になる事があるからスマホ貸してください」と言われて貸したことがある。まさかな…………。


『そ、そんな事より急いでくださいね。折角私が約束取り付けたんですから。これで遅刻したら気難しい人だから唐山さんなんて社会的に抹殺されてしまいますから』


 何それ怖い。なんで約束の時間にちょっと遅れただけで殺されなければならないんだ。


「解った。なるべく急いで向かうよ」


 そういうと俺は電話を切ると、中央の一際大きなビルへと向かった。




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『そちらのエレベーターに乗りお待ちください』


 俺が受付に行って名前を告げると、格子状の扉が電子音と共に上がっていく。湯皆の説明ではこのエレベーターは本家の人間の許可が無ければ動かす事は無いのだとか。


 エレベーターに入ると自動的にボタンが押される。電光表示されているボタンは50階が点灯している。

 50階より上は湯皆本家の居住空間だと聞く。


「お土産って……これで良かったのかな?」


 俺は袋の中身をあらためた。

 中に入っているのは先日引っ越し祝いに配った羊羹だ。


 相手にお願いをしに行く立場なので、ランクは上げており、この一箱で1万円もする。これならば問題無いと思わなくもないが、相手を考えるとこれでも全然足りない可能性があった。


「恰好はこれでいいんだよな?」


 他にも気になる点はある。俺の服装だ。

 先日のパーティーで着たスーツ姿にネクタイ。滅多に身に着けない腕時計は金森さんから借り受けた高級ブランド品だ。


 スマホが普及する昨今、腕時計をしないビジネスマンが増えているらしいのだが、こうしたワンポイントのアクセサリーが相手に対して気を使ってお洒落をしているように見えるはずと湯皆も金森さんも言っていた。


『間もなく50階に到着いたします』


 考え事をしていると気が付けば目的の階へと到着するようだ。俺は気合を入れるとドアが開くと同時にその一歩を踏み出した。



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 ――ジャリ――


 革靴が踏みしめたのは砂粒の敷き詰められた広大な空間だった。正面に見えるのは古い屋敷のような建物。

 田舎の豪農の家を思い出すような広く趣のある建物で、見ていると落ち着かない気分と共に、どこか懐かしさがこみ上げてくる。


 俺はまっすぐに歩いて正面まで来ると。


「なんでビルの中に家があるんだよ」


 ご丁寧に表札には【湯皆】となっている。俺は覚悟を決めて呼び鈴を鳴らした。




 ・





 あれから家の中へと通された俺は家主が来るまでの間に和室へと案内された。

 目の前には赴きを感じさせる木のテーブルに良い香りのお茶が出されている。


「このお茶美味しいな」


 持ってきた羊羹とさぞ口に合いそうだと考える。


「そんな事よりも折角の機会なんだからきっちり挨拶して気に入られなければ……」


 俺はここにお茶を楽しみに来たのではない。

 何故ここに居るかと言うと、年末に湯皆を異世界に招待した際に、シリウスの言葉を聞かれたからだ。


『偉い人を連れてこい』


 俺はシリウスがどういうつもりなのか理解できなくて、偉い人物がどのような人物を示すのか判断がつかなかったので保留にしていた。

 ところがそれを聞いた湯皆が「だったら総理大臣連れて行けばいいじゃないですか」と当たり前の事のように言ったのだ。


 何処の世界に気軽に総理大臣にお願い出来る人間が居るのかと聞いてみると。居ましたよ目の前に――。


 湯皆家は代々、総理に支援をしている家系で。現総理大臣の後援会の会長もしているらしい。

 つまり、本家の代表に上手い事頼む事が出来れば総理大臣にアポイトメントを取り付ける事も可能だと。湯皆は説明してくれた。


 そんな訳で、年末年始を本家で過ごして帰宅した湯皆が「祖父に会える約束取り付けてきました。一緒に行きましょう」と誘ってきた。


 問題は本人が仕事のせいで突如一人で行く羽目になった事だが、頼みがあるのは自分なのだ。


「もう一度どういう流れで行くのか整理しておくか」


 何せ相手は世界有数の大富豪なのだ。はきはきとした言葉で自信をもって答えなければあっという間に見限られてしまう。

 湯皆の祖父とはどのような人物か想像がつかないが、数兆を軽く超える資産を個人で持っているのだから何事にも動じない堅い人間なのだろう。


 まず大事なのは挨拶だ。今回は湯皆の紹介でもあるのだから「この度は湯皆さんの紹介で伺いました――」いや待て。よくよく考えるとこれから会う人間も湯皆家の人間。

 ここでその名を出すと怒らせてしまうかもしれない。あいつの下の名前ってなんだっけ? 確か…………翼だったな。


 冒頭の挨拶は決まった。「この度はお時間を頂きありがとうございます。翼さんからお話を伺っているかと思うのですが――」この切り出しで行こう。


 次に気にするのはお願いをするタイミングだな。会って直ぐに本題を切り出すのは良くない。相手からすれば俺はどのような人物かもわからないのだ。

 そんな相手から急に「総理大臣とアポイトメントをとれるようにしてください」と頼んだ所で不快な気持ちにさせてしまうのが関の山だ。


 まずは自分がどのような人物であるか誠実に話をした上で相手を良く知る事を心掛けるべきだ。


 そして、そろそろお互いに打ち解けあった所で本題に切り出すわけだが、俺のような若造が何故総理に会いたいのかをきちんと話す必要がある。

 正直な所、俺の能力について話をするのには勇気が必要だ。


 この能力は使い方次第で大金を生むことも出来るし、悪用しようと思えばいくらでも悪事を働くことが可能だ。


 だからこそこれまで人に話した事が無いのだが、本家の人間ともなれば金を持っているのだからそこまで固執してこないと思う。およそ金で手に入るものは自由になるのだから普通の人間よりも欲が少ないだろう。


 そんな訳で、俺は能力を説明した上で俺の友人であるシリウスに会ってほしいというつもりだ。




 ・




「お待たせしたようじゃな」


 暫くして襖が開き、二人の老人が入ってくる。


 白髪頭に皺の深い顔。柔らかい表情をしているお爺さんと、着物姿に結い上げた髪。鋭い眼光を宿したお婆さん。


「ワシは湯皆家当主の湯皆総一郎ゆみなそういちろうじゃ」


「当主代理の湯皆雪乃ゆみなゆきのと申します」


 普通は来訪者から挨拶をするはずなのだが、何故か先に挨拶をされてしまった。

 心なしか二人の様子が緊張しているように見える。一般庶民の俺を相手に何故?


「唐山悟と申します。翼さんにはいつもお世話になっています」


 とにかく黙っていては話が進まない。俺もお辞儀をすると。


「そうだ。これつまらない物ですが宜しければどうぞ」


 ついでに流れるような動作でお土産を渡す。何故か相手方が緊張しているせいか優位になったのでスラスラ言葉が出た。


「今日は翼から会ってほしい人がいると説明をされていたのじゃが、翼はおらぬのかのう?」


 そういって総一郎氏は湯皆が居ない事を確認する。


「ええ。急遽抜けられない仕事が入ってしまったようで。元々は俺が無理言ってお願いしたもので。翼さんには仕事に専念してもらった次第です」


 総一郎氏も雪乃氏も部外者の俺なんかに会うよりも孫娘に会えた方が嬉しかろうに。もしかすると期待を裏切ってしまったか。

 どうせならもう少しリップサービスをしておくとしよう。


「今回の事もそうですが、翼さんの仕事に向き合う真摯な姿勢には俺もただ感心させられるばかりです。俺より年下だというのにしっかりしていて、俺はそんな彼女を尊敬しています」


 身内を褒められて悪い気がする人間は居ないようで。今の俺の一言で二人の険がとれる。


「ま、まあ。わしらの孫じゃからな」


「そっ、そうですね。唐山さんはお若いのに中々謙虚ですね」


 完全にこちらのペースに引き込んだ。俺は今を好機とみると座布団から身体をずらしてテーブルの側面に回り込む。

 総一郎氏の真横の畳に正座をすると二つ指をついて真剣な表情を浮かべた。


「本日伺いましたのは、湯皆家当主の総一郎さんにお願いしたい事があって参りました」


「ば、婆さんやっ!」


「まあ。やっぱり」


 狼狽える総一郎氏に口元に手を当てて嬉しそうな雪乃氏。


「し、しかし。唐山君。まだ翼は高校生なのだ。早いのではないか?」


 何やら謎めいた問いかけされる。これは否定の言葉?

 とにかく意味は解らないけど、認めさせなければ先に進むことはできない。やっとつかんだ総理大臣へのパイプ。逃がしてたまるか。


「年は関係ありません。私も現在大学生です」


 俺は気圧される二人を追い詰めるべく視線を向ける。こういう時はとにかく冷静にさせたら駄目なのだ。

 押し切るように強引に行くぐらいが丁度良い。


 俺は出来る限り真剣に見える表情で総一郎氏を見続けた。


「仕方あるまい」


「ええ。ここで反対して美羽のようになってはあの娘に申し訳が立ちませんもの」


 苦々しい表情を作る総一郎氏と雪乃氏。


「ではっ!」


 事前に湯皆に俺が総理に会いたがっていることは伝えて貰っている。

 今の言葉は相手が折れたという意思表示に相違ない。俺は事実確認を急ぎたく、彼らが次の口を開く前に言葉を発する。


「総理大臣へのアポイトメント。お願いできるのですね?」


「ああ。君と翼の仲を認める」



「「「えっ?」」」



 三人の間抜けな声が応接間に響き渡った。湯皆は一体どんな説明をしたんだ?


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