第20話一人で暇を潰せない男
「はぁ……学校に行きたくない」
俺はリリアナが用意してくれた朝食を採りながら呟いた。
「何を言っているのです。夏休みはもう終わったのですからきちんと学生の本分を果たしに行くべきなのですよ」
台所からリリアナが現れる。エプロン姿に自分の朝食を持ちテーブルに並べる。
「頼むからケモミミ触らせてくれないか。触らせてもらえれば俺も頑張れるんだよ」
「お断りなのですよ。リリーはこの国の言葉を覚えました。だから【認識共鳴】は必要ないのですよ」
俺が最近憂鬱な原因の一つはリリアナだった。彼女は言葉を覚えた事により、ケモミミと尻尾を出さなくなってしまったのだ。
こんな事ならば日本語を覚えさせるのではなかったと後悔が押し寄せる。
「そもそも、獣人化の能力は本来は戦闘時に発揮するものなのですよ。使えば身体能力が高くなる代わりに魔法力が消費されていくのですよ。無意味に使うつもりはないのです」
無意味にって…………俺がどれだけその癒しを求めているのか存じて無いのだろう。
お陰で夏休みの後半から俺はリリアナを抱きしめていない。そろそろモフモフ中毒の症状すら出ているのだが。
「そうだサトルさん。リリーはちょっと元の世界に帰りたいのです」
「おっ。唐突だな」
「なので出掛ける前にゲートを開いて欲しいのですよ」
「構わないけど。いつぐらいに戻ってくるつもりだ?」
一緒に生活をしはじめて約一ヶ月半が経過した。その間にもリリアナはちょくちょく向こうの世界に帰っている。
異世界への転移ゲートに関しては何度も使っている内に自在に開けるようになった。
今なら魔法力が許す限り自由にゲートを開く事が出来る。
「…………そうですね。1ヶ月程で戻れると思うのですよ」
「……長いな」
「こっちの世界との二重生活なのです。リリーも片づけておかなければならない仕事があるのですよ」
リリアナは現在、現代と異世界にて二重生活を送っている。向こうに仕事があるからと出掛けては数日後には戻ってきてこっちの世界を学んでいるのだ。
「お前も大変だよな」
そんな生活俺には無理だろう。大学に通うのですら億劫になる場面もあるというのに、どちらの世界でも上手くやるなんて。
俺は目の前の少女が自分をしっかりと持っていて仕事にプライドを持っているのを感じた。
「それじゃあ、次は一ヶ月後だな」
リリアナは風呂敷を背中にしょいながらゲートを潜る準備を終えた。
「はいなのですよ。サトルさんも一人でしっかりと生活してほしいのですよ」
「……わかってるよ」
出掛ける前に散々言われた。「洗濯物は溜めない様に」「作り置きは冷蔵庫にある」「ゴミの日は可燃が月・木で資源は金なのです」
ここ最近の役割分担で、俺が働いてリリアナが家事をしていたので完全に家事のやり方を忘れてしまっていたのだ。
リリアナが来てからの喧騒を思い出す。
孤児院に居た頃は騒がしいのが良いことだとは思っていなかった。いざ孤児院を出て一人暮らしを始めた時、清々する気分だったのだ。
だが、こうしてリリアナを送り出すと考えると何とも言えない寂しさが沸き起こる。
これまでも数日離れるだけでも何となく静かで落ち着かなかったのに一ヶ月という期間なのだ。
俺はリリアナに言われるままに異世界へのゲートを開く。
「それでは行ってくるのです」
リリアナは意気揚々とゲートを潜り抜けていくのだった。
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「退屈だな」
俺はスマホのチェスのアプリを閉じると溜息を吐く。
学部の友人から勧められて導入したアプリでオンライン通信でチェスをする事が出来る。
ボードゲームはやったことが無かったのだが、友人に「暇つぶしに良いぞ」と勧められたのでルールを覚えがてらやっているのだ。
「初心者用のコンピュータの癖に強すぎるし。勝てない勝負はつまらない」
チェスのアプリは他にもモードがあり、コンピュータを相手に対戦する事が出来るのだが、これがかなり強く。ルールを覚えたての俺では歯が立たない。
一説によると電脳戦でプロと対局した場合でも勝率はコンピュータが優勢というのだから科学の進歩は恐ろしいと思う。
「普段はどうやって暇をつぶしてたっけ?」
最近オフを一人で過ごした記憶が無い。リリアナと出掛けたり、リリアナと喧嘩をしたり、リリアナとご飯を食べたりと。常にリリアナと行動を共にしていたからだ。
ふと胸にぽっかりと穴が空くような感覚を感じ取る。
俺はこの感情に何となく蓋をする。もしこんな気持ちをリリアナが戻ってきた時に表情にだしてしまったらあいつがどんな顔をするのか解ったものでは無いからだ。
「湯皆は相変わらずの仕事だし、モデルもポスティングのバイトも無し」
間が悪いことに仕事が無い。あれば気を紛らわせる事ができるのに。
「……リリアナ。どうしてるかな?」
ふと俺がそんな考えをするのは当然の帰結だった。あいつが居なくなってから2週間。
新学期の授業や周りを取り巻く環境の変化の忙しさから考えないようにしていたのだが、流石に暇になると考えてしまう。
「…………ちょっと様子を見てみるか」
ゆっくり休んだので体力も魔法力も十分にある。どうせ自然に回復するのだから溢れる分については消費しないと勿体ない。
俺はオリハルコンのプレートを見ると自分の魔法力が十分なのを見ると行動に移すことにした。
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「…………よし。やるぞ」
俺はつまみと飲み物を用意して準備を終える。ちなみに用意したつまみはリリアナが大好きなソーセージだ。
値段が高いので頻繁に買う事は出来ないのだが、こうした軽食の際には重宝する。そしてアルコール缶である。
普段は日中から飲む事など無いのだが、しらふでリリアナの仕事っぷりを見ていても面白くない。色んな銘柄のお酒を買ってきたので飲み比べながら観察をするつもりだ。
「ゲートオープン」
俺は目を通せる程度のゲートを開く。ポスティングのバイトの時の応用だが、流石に異世界に繋ぐのは消費が大きい。
ゲートを通して、例のリリアナの部屋が映し出される。以前寝かせて貰ったベッドに書棚。綺麗にベッドメイキングされている事からリリアナが片づけたのだろう。あいつはその辺がきっちりしていないと嫌なのか、とにかくベッドメイクにはうるさい。
「もしかして部屋に居ないのか?」
よくよく考えるとデスクワークだけがリリアナの仕事では無いはず。俺はゲートの出口を動かすと部屋中を見渡す。
「やっぱり居ないな」
ちなみにこのゲートの出口だが、動かす事が可能だと最近気付いた。入り口側は俺から一定距離離すと消滅するのだが、出口は別だ。魔法力を使うが、自由に動かすことが出来る。リリアナに言わせるとそれだけでも大魔法を使うのに近い魔法力を消費するのだが、俺の膨大な魔法力の前には些細な問題だった。
このお陰で、俺はゲートを移動させることで安全、かつ歩く必要なく自分の行動範囲を広げる事が出来るようになった。
「部屋に居ないんじゃ仕方ないな」
俺は諦めてゲートを閉じる。今の一回だけで大体1/4程の魔法力が削られてしまった。本来ならこのような無駄な手順を踏みたく無いのだが、ゲート枠は物理干渉を起こすのだ。
以前に、ゲート枠を鉄パイプで叩いた話をしたと思うが、ゲート枠は俺の魔法力で物質として構築されている。なので、ドアや壁などの障害物がある場合そこを通り抜ける事が出来ないのだ。
「取り合えず部屋の外にゲートを出しなおすか」
改めてゲートを出しなおした俺はそれを移動させる事で周囲の探索を開始した。
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以前行った事がある倉庫に居るんじゃないかと思って向かうが誰も居ない。荷物は運びだされているようで空っぽだ。
荷馬車の方にも行ってみたがリリアナらしき金髪は見当たらなかった。
「こうなったら魔法力が続く限り探すしかないな」
無理をすれば魔法力が枯渇してしまうのだろうが、使う予定も無いのだ。明日を魔法力の回復に充てれば良いので使い切ってしまっても困らない。
俺は何が何でもリリアナを一目見たいという意地で探索を実行したのだが…………。
「やっと見つけた。本当に探したんだぞ」
そこは訓練場と思わしき場所だった、地面は土で出来ていて、同時に多数の人間が訓練を出来るようにとかなり広いスペースが確保されている。
壁際には兵士達がもたれかかって休憩をしている。
その中央ではリリアナが魔導士の杖を構えて茶髪の男と対峙していた。
木剣とウッドシールドを持ちつつリリアナに向き合っている。
以前に一度リリアナの部屋で見たことがある。
「確か、ヴェルガーだっけ?」
俺の記憶の中では嫌な顔をする人間だった気がする。実際に俺も敵意が籠った視線で見つめられた。
そんなヴェルガーが何をしているのかと言うと。
「戦ってる。模擬戦かなんかか?」
リリアナが放つ魔法を盾で受け止めると執拗に攻撃を仕掛けていた。
魔法を受ける時と攻撃を仕掛けるたびに身体が発光している。そのうえ可愛くないケモミミと尻尾が出ている。灰色っぽいそれはオオカミを連想させる。どうやらヴェルガーも獣人だったらしい。
相手は獣人としての能力を使っているらしく、リリアナも対抗してケモミミを生やしている。可愛さに関しては身内びいきだがリリアナの圧勝である。
だが、戦闘面ではそうでないようだ。散発的に威力の低い魔法を撃ち続けるリリアナはだんだんと追い詰められて壁際へと押し込まれる。そして――。
『イマッタ!』
杖を放り投げて両手を頭の上にあげている。どうやら降参らしい。リリアナは息を切らしながらしきりにもう戦えないアピールをしているようなのだが…………。
『ピンズラッパニーナッ!』
ヴェルガーは何やら怒鳴りつけると、木剣を大きく振りかぶる。
『スケタテッ! ダヤッ!』
リリアナの悲鳴が聞こえる。
次の瞬間。ヴェルガーは木剣をリリアナの頭上めがけて振り下ろしていた。
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